scene 10. I'm in Love with My Car
「――別に無理して来なくてよかったのに」
朝食の最中に事故のことを聞き、なんとなくスタジオ入りする気がしないまま皆はばらばらに過ごしていた。ロニーに怪我はないと聞いたものの、不安は完全には拭い去れず、昼食の時間になっても腹などまったく空かなかった。
それでも習慣で、正午過ぎには再び全員がダイニングに集まった。だが一同はほとんど話すこともなく、なんとなくテーブルに並んだものをつまんでいた。口を開けば悪い想像が飛びだし、言い当ててしまうのではという気がしたのかもしれない。
そして、そのままラウンジで過ごして一時間半ほどが経った頃だった。見慣れない車が敷地内に入ってきたと思ったら、開いた助手席のドアからいつもと同じにきちんとスーツを着たロニーが降りてきた。
普段通りのきびきびとした歩き方でラウンジに現れたロニーの姿に、ルカたちバンドの五人とエミル、カイルは揃って安堵の息を漏らし――次の瞬間、呆れた。
「だってね、もう今日の予定はここへ来るって決めてて、他に仕事を入れてなかったから……病院を出たらもう、他になにをしていいか思いつかなくって」
暖炉前のソファに腰掛け、コーヒーを飲みながらそう答えたロニーに、ルカは「ワーカホリックにもほどがある。病気だな、おとなしく家で過ごしていられないのかよ」と、溜息をついた。ロニーの隣で、くっくっと喉を鳴らしてステフが笑う。
「まあ、こうして予定通り動けることを喜んでやってくれ。残念ながら、車は無事じゃ済まなかったが」
ステフがそう云うと、ルカは「まったく、車だけで済んでほんとよかったよ」と再度、胸を撫でおろした。
ロニーの話によると、自宅を出てここへ来るために車を発進させた直後、出会い頭に商用車のバンと衝突したそうだ。相手側の脇見運転が原因だったらしいが、ロニーもスマートフォン片手に通話中だったため、
お互いにスピードはだしておらず、念のため病院で検査を受けたところ、幸いロニーはまったく無傷、相手もハンドルで軽く胸を打った程度だった。だが、ロニーの愛車であるフィアット500は、かなりのダメージを喰らっていた。修理にかかるであろう費用をざっと聞いたところ、廃車にして新たに購入するほうが利口だという結論に落ち着いたそうだ。
「ほんとに怪我がなくてよかったです……! でもロニー、あの車はお気に入りだったんですよね。それだけ残念ですね……」
「車なんかまた買えばいい。それより、ステフが居るときでよかったな。ひとりだったら心細かったろう」
ジェシとドリューがそう云うと、ロニーはふふ、と微笑んでステフと視線を交わした。
「ええ、車はもう乗って九年経ってて、どうせあちこちガタがきてたし。ステフも一度ここに連れてきてあげたかったから、ちょうどよかったわ」
「事故を起こしてちょうどよかったはねえだろ」
皆それぞれ口々に云うが、ロニーの無事にほっとしているのがよくわかる。ルカも無理して来なくていいとは云ったものの、こうして元気な顔を見せてくれたのは正解だなと思った。
ロニーはバンドをみつけだし、プロデビューさせてくれた恩人だ。ルカは回想した――彼女は初めの頃、楽器や機材を積みメンバーを乗せたバンを運転し、あちこちに出向いてはギグをやらせてくれと頭を下げてくれていた。レーベルを立ちあげ、代表取締役という肩書がついているにも拘わらず、バンドがブレイクしスタッフが増えてからも、ずっとマネージャーとして寄り添い続けてくれている。
仲間であり友人であり、ときに姉のようでもあり、口煩い母親のようでもある。彼女は皆にとって、かけがえのない家族なのだ。
ステフも単にロニーのパートナーというだけではなく、以前巻きこまれたある事件でテディを救ってくれた恩人だ。まあ、彼の素性については誰彼構わず云うわけにはいかないのだが。
「で、今はステフの車で来たんだよね。ロニー、今度は車、なにを買うの? 実は俺も買う予定があるんだけど、またグレー系だとかぶるよ」
テディがそんなことを云うと、直ぐ様ドリューが続けた。
「イタリア車が好きそうだから云っておくが、アルファロメオはやめといてくれ。他の車種でも赤はだめだぞ。俺とかぶる」
「小ぶりなのが好きそうですけど、ミニもだめですよ! 僕とエリーが乗ってる二台だけで充分です!」
「また事故ったら今度こそ怪我すんぞ。もう小せえのはやめて、ハマーでも乗っとけばどうだ」
「プラハでハマーはないだろ。……ところでテディ。おまえ、車を買うのか?」
テディが車を買うとは初耳だった。サンデードライバーなのに、とルカは思わず不安になって尋ねたが、バイクに乗っているよりはましかと思い直す。
「ああ、うん。前の休暇のときバーミンガムで偶々みつけたのが気に入って……もう現行モデルのない車種なんで、いま直すとこ直してチューンアップしてもらってる」
「現行がない? なんだ」
ユーリも興味を引かれたらしい。テディは「そんな高級車じゃないし、旧車好きが喜ぶようなアメ車でもないよ?」と、なぜか言い訳をするように前置きをする。
「なんだよ、気になるな。教えろよ」
「……
「ホンダ!? 意外だな」
「それがグレー系? 地味じゃないか?」
「うん、正確にはムーンロックメタリックっていう、柔らかい感じの
「へえ、楽しみだな。……ってことでロニー、ガンメタ系もアウトだ」
「あんたたちの云うこと聞いてたら買う車がなくなりそうだわ」
もう三時を過ぎていたが、この日はスタジオ入りせず、久々に顔を見せたステフも一緒に皆はのんびりと駄弁って過ごしていた。
とはいえ、雑談ばかりしていたわけではない。ロニーには楽曲制作の進捗を報告し、とりあえずできているデモトラックを聴いてもらった。が、彼女は音楽に関しては特に感想以上のことは云わない。ただ曲数や現状の問題点、今後の予定などについての確認や調整をするだけである。
「じゃ、もうちょっと曲のストックを増やして……そうね、できれば五月頃にはもうプラハに戻ってくるつもりでいて。この辺りも観光客が増えて賑やかになるだろうし、滞在してるのがばれないうちに引き揚げないと」
ここで曲のストックを増やしたあと、プラハに戻ったら今度はプロデューサーと一緒にスタジオ入りし、一曲一曲の完成度を高めていく。そうしているうちにアルバム全体のイメージが見えてくると、曲を選りすぐり並びを考えるなどの構想に入るわけだ。そこでなにかが足りないと思えば、棚上げしてあった曲の断片を再び練り直したりもする。
「今のところ、音はけっこうハードだけどかなりグルーヴィなアルバムになるって気がする。ロックンロールの、ロールの部分が強いっていうか」
「楽しみだわ」
ちょうど話が一段落した、そのときだった。
扉が開き、ロビーからラウンジに風が吹き抜けた。皆が視線を向けた先、ラウンジの入口に立っているゾルトが、ロニーに向かって遠慮がちに声をかける。
「失礼、ちょっといいかな」
「ええ。じゃ、そちらへ」
暖炉側のソファに腰掛けていたロニーは、立ちあがってまずステフとゾルトをそれぞれに紹介した。そしてふたりが挨拶を交わしたあと、窓際の席にゾルトを促し、自分も移動した。
ゾルトは手に
別に聞き耳をたてていたわけではないが、すぐ傍なので自然と話は耳に入ってきた。やはり、ここでのバンドのオフショット的な写真はもうかなり撮りためたので、そろそろ折を見てスタジオで個別のポートレイトを撮りたいのだと、ゾルトはそんな話をしていた。
「ひとりずつ、順にということ? 一日かかるならそうするしかないけど」
「いや、セッティングにもよるので……なるべく一日でふたりは撮れるようにしようと考えてる。それに、可能ならブルノで済ませようとも思ってるんだ」
「時間の短縮になるわね、そこはお任せします」
どんな写真にするかのアイデアが固まれば、先にスタジオ入りしたゾルトが準備を済ませておいて、被写体となるジー・デヴィールのメンバーは到着次第、着替えとヘアメイクをするだけですぐに撮影するという。
「今のところ、三人はアイデアが浮かんでるんだが……撮る前に企画書は必要?」
暫し考えているらしき沈黙が落ちたあと。あとからトラブルになったりしないよう、いただけるとありがたいとロニーが答えるのを聞いて、ルカはいま彼女の脳裏に浮かんでいるものを察し、苦笑いをした。
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