二二章 高いことに価値がある

 秋が過ぎ、冬が来た。

 さしもの長い夏も終わりを告げて、ようやく冬らしい冷え込みが起こりはじめた。青々としていた夏野菜たちもさすがに枯れ果て、茶色く枯れた茎葉を畝の上に横たえている。

 そのなかで時は進み、年末年始の時期を迎えた。

 まことの家には、ほだかや伊吹いぶきの他に白馬はくばたかしも集まり、年越しを祝った。

 大晦日にはそうそうに年越しそばの配達を終えたたかしが、残しておいたそばを差し入れしてくれた。さすがの手打ちそばのうまさにみんなが舌鼓を打った。

 そして、年がかわり、日が昇ると、ほだかが晴れやかな晴れ着姿を披露した。

 振り袖を着込み、長いウィッグを着けて日本髪に結いあげた華やかなその姿。まるで、日本人形のように愛らしく、可愛らしい姿に皆が感嘆の声をあげた。

 「ほらほら、どうです、師匠。かわいいでしょう? 思いっきり褒めていいんですよ?」

 と、ほだかがいつもの小悪魔めいた笑みを浮かべながら、振り袖をヒラヒラさせる。

 「バ、バカ言え……」

 まことはそれだけを言うのが精一杯。頬を赤くしながらそっぽを向きっぱなしだった。

 誠司せいじが大笑いしながら言った。

 「そのへんにしてやってくれ、ほだかちゃん。こいつ、ほだかちゃんがまぶしすぎてまともに見れないそうだ」

 その言葉に――。

 まことをのぞく全員が大笑いした。

 冬菜とうなもほだかに強引に誘われる形で和服姿を披露し、『もういい歳なのに……』と、恥ずかしそうにしながらもまんざらではなさそうだった。

 それから、全員で餅を焼き、雑煮を食べた。

 お屠蘇を飲み、正月の歌を唄った。

 「いやあ、こんな大勢で迎える正月ははじめてだな。賑やかな正月というのはやはり、いいものだな」

 「本当にねえ。お正月の歌を唄ったのなんて子どもの頃以来だわ」

 誠司せいじ冬菜とうなも大喜び。

 それを見てまことも『ほだかが来てくれて良かった』と改めて、思った。そのほだかの晴れ着姿はまぶしすぎて、最後まで直視できなかったけれど。

 「師匠ってほんと、ヘタレですよねえ。わかりました。あとで、ひとりニヤニヤしながらあたしの晴れ着姿を眺められるように、ちゃんと写真に撮っておいてあげます」

 ほだかにそう言われたとき、思わずホッとしたのは――生涯の秘密である。

 新しい年はいよいよライフ・ウォッチング・オーバーアートを売り出す時期でもあった。去年の四月から撮りつづけた映像をみんなが見ている前で居間で流した。

 映像のなかで土ばかりの畑に緑の芽が萌えだし、茎葉が育ち、花を咲かせ、実をつけ、やがて枯れて大地に戻り、そのなかから新たに緑の芽が芽吹いてくる様子がハッキリと映し出されていた。

 「やった! ちゃんと撮れてます! イメージ通りの映像です」

 ほだかはもう大はしゃぎ。晴れ着姿のまま騒ぐもので着崩れし、若々しい肌が露わになる。冬菜とうなはあわててほだかを別室に連れ込み、着崩れを直してやらなければならなかった。

 「……ふん。まあ、動きがあるのは取り柄だな」

 中二病満載の伊吹いぶきもそう言う表現でオーバーアートの良さを認めた。

 「こら」

 と、兄貴分の白馬はくば伊吹いぶきの頭をコツンとやった。

 「そういう、人を不快にさせる言い方はしないようにと言っているだろう。褒めるときは素直に褒めろ」

 言われて伊吹いぶきはムッとした表情で白馬はくばを見返したが、その表情がどことなく嬉しそう。

 ――このふたり、やっぱり本物なのか?

 まことがそう思う程度には怪しい雰囲気ではあった。

 その白馬はくばはオーバーアートの試写が終わると『自分の出番!』とばかりに得意気な表情になった。

 「さあ。とにかく、作品は出来上がった。次は売りに出す番だ。いよいよ僕の出番というわけだな」

 「どうやって売り出すんだ?」

 まことが尋ねた。

 ――さすがに一万、二万じゃ経営の足しにはならないしな。がんばったほだかもかわいそうだ。五〇万ぐらいになってくれれば、なんとか……。

 そう思うまことに対し、白馬はくばは答えた。

 「まずは、思いきった価格をつける」

 「思いきった価格? 一〇〇万ぐらい?」

 「億単位」

 「億っ……!」

 想像をはるかに超える額にまことは思わず絶句した。と言うより、声にならない言葉が喉につまって窒息しそうになった。

 「ま、まってくれ! いくらなんでも億なんて、そんな価値があるわけ……」

 そこまで言って気がついた。

 ほだかが怒りの目で自分を見ていることに。

 「ご、ごめん。お前の作品にケチをつけたわけじゃなくて……」

 まことはあわてて言ったが、ほだかの怒りは自分のためではなくまこと誠司せいじ冬菜とうな、代々の先祖たちのためのものだった。

 「なにを言ってるんです、師匠! この畑は師匠やお父さん、お母さん、代々のご先祖さまたちが必死になって守ってきた畑じゃないですか。その歴史の価値が『ひまわり』一枚にも敵わないなんて、そんなこと絶対にありません!」

 頬をふくらまし、拳を握りしめた怒りの態度でまことに迫る。

 その迫力にまことは一言もない。

 「ちょうど、『ひまわり』が出てきたけど……」

 白馬はくばが言ったのはまことにとっては天の救いだった。

 「『ひまわり』の価格は五〇億以上。一〇〇万円の絵に対して五千倍以上の値がついているわけだ。だけど、純粋に美術品としての価値を比べた場合、一〇〇万円の絵の五千倍もの価値があると思うかい?」

 「い、いや、それは多分、ないだろうけど……」

 絵に関してはまったくの素人。善し悪しなんてわかりはしない。まして、美術的な価値などわかるはずもない。それでも絵は絵。五千倍もの価値の差があるとは思えなかった。

 「そう。その通り。どんな名画だって一般的な絵画に比べて、五千倍もの美術的価値があるわけがない。これらの作品は『価値があるから高い』んじゃない。『高いから価値がある』んだ」

 「そ、そういうものなのか……?」

 「そういうものさ。

 高いからこそ、世間が感心する。

 高いからこそ、それを所有することがステータスになる。

 高いからこそ、『こんな高額な品を所有できる自分はすごい』と自慢できる。

 そしてまた、高いからこそ、転売して稼ぐことも出来る。

 富裕層というのは趣味や道楽で高い買い物をしたりはしない。転売して稼げるから、つまり、投資対象となるから買うんだ」

 「な、なるほど……」

 まことはよくわからないなりに、とにかくうなずいた。

 白馬はくばはつづけた。

 「その昔、豊臣秀吉はただの土くれに過ぎない茶碗に一国一城以上の価値をもたせることで武将たちを支配した。実際の価値なんて関係ない。世間に『これは価値がある』と思わせることが出来れば、価値が出来る。そのために……」

 「そのために?」

 「すでに、価値の確立している品と同列に扱う。高額な絵画と一緒にオークションに出品する。億単位の価格をつけ、同額以上の絵画と一緒に並べることで、オーバーアートにも同等の価値があると思わせることが出来る」

 「思わせることが出来るって……それじゃ、まるで詐欺みたいじゃないか」

 まことの言葉に――。

 白馬はくばはかなり手厳しい笑い方をした。

 「おや。聞き捨てならないね。君の口から『詐欺』なんて言葉が出るとはね。君にとって、オーバーアートは価値のないものなのかい?」

 「そんなわけないだろう!」

 まことは反射的に叫んでいた。

 「オーバーアートは、ほだかか一年近くかけて作り出した作品だ。価値がないなんて、そんなこと絶対にない!」

 断言するまことの横で――。

 ほだかはなんとも嬉しそうな表情を浮かべている。その様子を見れば日頃どんなに『自分は恋愛なんて興味ない』と言っている男でもうらやましくなっただろう。

 ニコリ、と、白馬はくばは笑みを浮かべた。

 「なら、いいじゃないか。実際に価値があるものを価値があるものとして売る。どこにも問題はないよ」

 ――いや、それと億単位の値をつけるのは別だと思うんだけど……。

 まことはそう思ったが、口に出すことはできなかった。

 「さらに、企業の間に噂を流す」

 「噂?」

 「そう。オーバーアートを買うことは『持続可能な社会作りに協力すること』だとね」

 「どういうことだ?」

 「このオーバーアートの舞台はどこだ? 江戸時代から代々つづく畑だ。数百年に渡るその伝統はまさに『持続可能な社会』そのもの。その畑の風景に金を出すことは『持続可能な農業』を営む農家を応援することであり、『持続可能な社会作りに協力する企業』としてのイメージ作りとなる。また、『人々の食を守る企業」としてのイメージも作れる。」

 「人々の食を守る企業? どういうことだ?」

 「オーバーアートを売ることで収入が増えればその分、農家は作物の販売価格を引きさげることが出来る。それどころか、タダで提供することだって出来るようになる。だろう?」

 「それはまあ、そうだけど……」

 「だから。オーバーアートを買うことで人々に安い食を提供することに協力する。そんなイメージ作りに役立つと言うことだ。つまり、企業にとって格好の宣伝となる。企業にとっては一億や二億、宣伝費と思えば、はした金だからね」

 「はした金……。一億、二億が」

 一〇円でも安い品を求めてスーパーをハシゴする……などという生活をしてきた身には『一億、二億なんて、はした金』という価値観は異次元過ぎて脳が理解を拒む。頭のなかでビッグ・バンが起きて、銀河系が出来上がってしまうぐらいの衝撃だ。

 「そして、あまの育館いくだての人脈を総動員して噂を流す。

 『オーバーアートを買う企業は持続可能な社会作りに協力する誠実な企業。どうせ、どこかの会社から製品を買わなくてはいけないならその企業から買う』とね。

 これも、嘘というわけじゃないよ。あまの育館いくだての出身者は教育の成果もあって地球環境やSDGsに対する関心が深いからね。黙っていてもそうするはずだ。それをはっきり伝えるだけさ。

 これだけの条件がそろえば、大企業ほどこぞってオーバーアートを買おうとする。オークションでの価格はたちまち跳ねあがるよ」

 「そ、そういうものか……」

 「そういうものだよ」

 一向に信じられないまことに対し、白馬はくばは自信満々で断言した。

 「まあ、とにかく、売るのは僕に任せてもらうよ。生産には生産の、販売には販売の、それぞれにプロの能力が必要だからね」

 ニッコリと――。

 どう見てもその裏になにかありそうな笑顔を浮かべ、白馬はくばはそう言った。そして――。

 白馬はくばの言葉通り、オーバーアートはオークションに出品された。

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