二三章 その価値、一二億五千万!

 「一億円」

 「一億二千万」

 「一億五千万」

 「二億」

 「二億一千万」

 PCのモニターのなかに次々と途方もない数字が表示されていく。

 まこと、ほだか、誠司せいじ冬菜とうな伊吹いぶきたかし。その六人がまことの家の事務室に集まり、刻々と変化するオークション結果を見守っている。白馬はくばは出品者として現場にいる。

 まこと誠司せいじ冬菜とうなの三人は自分たちの常識とはかけ離れた数字にすっかりビビっている。親子三人で震えて、しがみつきあい、まるで、夜の夜中にホラー映画を見ている一〇代女子のように怯えている。

 ほだかは競馬狂いの親父のように興奮顔で両手を握りしめ、全身をワナワナさせながらモニターに見入っている。伊吹いぶきは中二病患者らしく冷静・無関心を装っているが、チラチラと横見する表情がすべてを物語っている。たかしだけはひとりお茶など飲みながら余裕をもって見守っている。

 そんな一同の前で数字はどんどん跳ねあがっていく。

 「八億五千万」

 「八億八千万」

 「九億」

 「九億一千万」

 「九億三千万」

 「九億七千万」

 「一〇億!」

 「……一〇億。う~ん」

 「きゃあ、あなた!」

 まさかの大台突破にまずは誠司せいじが限界を迎えた。その場で泡を吹いてぶっ倒れた。冬菜とうながあわてて支え、看護をする。

 まこととしてはいっそ気絶してしまえた父親がうらやましい。自分もそうして、このかつてない事態から逃げられたら……。

 しかし、当主である父親が先に逃げ出してしまった以上、跡継ぎである自分が結末を見届けなくてはならない。その決意のもと、どうにかこうにか意識を保ちモニターを見守りつづける。

 そのまことの前で数字はさらにさらにあがっていく。

 「一〇億一千万」

 「一〇億五千万」

 「一一億」

 「一一億一千万」

 「一一億二千万」

 そして、ついに――。

 「一二億五千万!」

 その数字が表示された。

 それ以降、数字がかわることはなかった。ここに、ほだかの制作したライフ・ウォッチング・オーバーアートは一二億五千万という価格で落札されたのだった。

 「やったあっ!」

 ほだかが叫んだ。

 まことに抱きついた。と言うより、飛びついた。まことの胴体に両腕をまわし、まるで万力のように締め付ける。その力の入り方は、ほだかの喜びの大きさそのものだった。

 まことは自分の胸が濡れるのを感じた。見てみるとほだかはまことの胸に顔を埋め、笑いながら泣いていた。

 「お、おい……」

 「やりました、師匠!」

 ほだかは泣き笑いの表情でまことを見上げた。

 「ライフ・ウォッチング・オーバーアート、成功しました! あたしを信じてくれた師匠にお父さん、お母さんに報いることが出来ました。よかった、よかったです……」

 ほだかはそう言いながら泣きじゃくる。いつもの天真爛漫で、生まれてこの方、笑顔しか浮かべたことのないようなほだかからは考えられない表情だった。

 「自信……あったんじゃないのか?」

 「自信はありましたよ。隕石が落ちてきても揺らがないぐらい。でも、自信と結果は全然、別物じゃないですか。これでも『失敗したらどうしよう、売れなかったらどう償おう』って毎晩、悩んでたんですよ。最近はちっとも眠れなかったんですから」

 「そ、そうなのか……?」

 まことは思わず尋ねた。

 そんなそぶりは全然なかった。というより、気付かなかった。

 ――ほだかがそんなに思い詰めていたのに気付いてやれなかったなんて。

 まことは自分の鈍さを罵った。

 ほだかはそんなまことを涙をいっぱいに溜めた目で見上げながら笑っている。その表情に――。

 まことの口から思わず言葉が飛び出した。

 「あ、あの……!」

 「はい?」

 「い、いや……なんでもない」

 そう言って、視線をそらすまことに対し、

 ――このヘタレが。

 と、その場にいた全員が思ったのは言うまでもない。

 「まこと

 と、すでにお互い、敬称をつける必要もない『仲間』となっているたかしがスマホを差し出した。

 「現場の白馬はくばから電話だ」

 まことはスマホを受けとった。小さな携帯機器から伝えられる白馬はくばの声に何度もなんどもうなずいた。

 「うん、うん。ちゃんと見ていたよ。本当に夢のようだ。親父なんて幸せすぎでぶっ倒れてるよ。ありがとう。心から礼を言うよ」

 白馬はくばとの電話がすむと、まことはほだか、伊吹いぶきたかしを見回した。一人ひとりと視線を合わせた。その顔には充実の微笑みが浮いていた。

 「……みんなにもお礼を言うよ。本当にありがとう」

 頭をさげた。すると――。

 「……なにが『ありがとう』だ。あんたのためにやったとでも思っているのか。ふざけるな。すべては、自分のためだ」

 「そうです! あたしたちは全部、自分のためにやったんです! 師匠がお礼を言うことじゃありません!」

 「まあ、少々、失礼な言い方だが、その通りだな。おれも、ほだかも、伊吹いぶきも、白馬はくばも、自分の都合でやったんだ。お前のためにやったわけじゃない。礼を言われるなんてお門違いだな」

 伊吹いぶき、ほだか、たかしにそれぞれに言われ、まことは気圧された。

 「うっ……。そ、それはそうなのかも知れないが……でも、なにか礼をしないとおれの気がすまない」

 「なら、こういうのはどうかな?」

 まことの言葉にたかしが提案した。

 「これからみんなそろって、お前の奢りでうちの店でパアッとやるっていうのは? とっておきの食材を提供させてもらうよ」

 もちろん、その分、値は張るけどね。

 と、片目を閉じてイタズラっぽく笑うたかしだった。

 まことは満面の笑みでうなずいた。

 「うん! それはいい。いまから行こう!」

 「はい! 今日はとことん騒ぎましょう!」

 「ふっ。生命を御する地獄の炎にさらされながら貪食の罪をむさぼるか。サバトと呼ぶにふさわしい光景だな」

 「よし。そうと決まればすぐに行こう!」

 たかしはそう言ったが――。

 「ちょ、ちょっとまって! その前にお父さん、なんとかしてえっ!」

 泡を吹いたままの誠司せいじを抱えている冬菜とうなの叫びが響いたのだった。


 その夜。

 たかしの店はほんの数人の貸し切りでありながら、まるで一〇〇人以上の人間がそろった大宴会のように豪勢な料理と、賑やかさに包まれた。

 「わっはっはっはっ! 酒はうまいし、料理は極上! おまけに気分は最高と来たもたんだ! これぞ極楽!」

 浴びるように酒を飲んで上機嫌の誠司せいじが叫んだ。オークションの現場から駆けつけた白馬はくばの背中をバンバン叩く。

 「いやあ、ほんと、あんたのおかげだよ。さすが、販売のプロ。見事な腕だったな」

 「とんでもない。どんな売り方も結局、素材の良さがあればこそですよ。つまり、誠司せいじさんたちが代々、守ってきた歴史と伝統。その価値が認められたと言うことです。僕のしたことはその価値を知らしめることだけですよ」

 「わっはっはっはっ! ますます嬉しいこと言ってくれるねえ。さあさあ、飲めのめ、食えくえ。全部、うちの息子の奢りだあっ!」

 わあっ、と、店のなかを歓声が包み込む。

 そんななか、まことはひとりオロオロした様子で父親に近づいた。

 「お、おい、親父。嬉しいのはわかるけど少しは控えろよ。息子として恥ずかしいぞ」

 「なあに、カッコつけてんだい、この子は!」

 と、こちらもすっかり出来上がっている冬菜とうなが酔いに顔を真っ赤にして息子の背を叩いた。

 「こんなときに騒がなくって、いつ騒ぐんだい」

 「おう、その通りだ。さすが、おれの女房。惚れ直したぜ」

 「あたしもだよ!」

 と、ふたりは酔った勢いなのかなんなのか、まるでアメリカ映画のワンシーンででもあるかのように抱きあい、熱烈なキスを交した。

 息子としてはある意味この世で一番、見たくないものを見せられて、まことは思わず顔を覆った。

 「……あのふたりがここまで酒癖、悪いとは知らなかった」

 「あはは。いいじゃないですか。それより、師匠。師匠の生活もこれからかわりますよ。ド~ンと豪邸おっ建てて、最高級スポーツカー乗りまわして……神崎物産の御曹司に目にもの見せてやりましょう!」

 ほだかの言葉に――。

 まことは場違いなほど真剣な表情になった。

 「いや。それはダメだ。そんなことはしない」

 「なんでですかっ⁉ せっかく、大金が入ったのに使わないなんてもったいないじゃないですか。それに、オーバーアートを広めるためにはちゃんと暮らしのかわったことを見せないと……」

 いかにも不満げに頬をふくらませてそう訴えるほだかに対し、まことは真剣な表情のまま、かぶりを振った。

 「その点は海外における農業支援ではっきり結果が出ているんだ。ある農家が支援を受けることで新技術を導入し、収入が増え、生活水準があがる。そのあがり方が『多少』という程度ならまわりはみんな興味をもつ。自分でも真似てみようと思う。そうやって、広まっていく。

 ところが、あまりにも大きく生活水準があがるとも今度はまわりからやっかまれる。誰も真似しなくなる。だから、生活水準の向上は『ある程度』に収めなきゃならない。うちも同じだ。成金みたいな真似はしないし、するわけにはいかない」

 「そういうものですか?」

 大きな目をますます大きく見開いて尋ねるほだかに対し、まことはうなずいた。

 「そういうものだ」

 「君はよくそういうことを知っているね」

 白馬はくばが感心した声をあげた。

 まことは当然のように答えた。

 「当たり前だ。農家として最先端の農業を学んでいれば、これぐらいの情報は入ってくる」

 「ならば、此度こたびの代償はどう活かす? 自らの血と汗を、錬金術をもって形にかえたその宝、暗き洞窟のなかに眠らせておく気か?」

 もちろん、と、まことは答えた。

 「オーバーアートに挑戦したい。そう望む農家を助けるために使うさ」

 その言葉に――。

 ほだか、伊吹いぶき白馬はくばたかしはそれぞれにうなずいた。

 ――かのがほだかと出会ったのは確かに幸運。しかし、その幸運を生かせたのはかの自身が準備していたからだ。

 「師匠」

 「えっ?」

 「やっぱり、師匠って素敵です!」

 ほだかが全力でまことに抱きついた。

 勢いに押されてまことは床に倒れ込んだ。ふたりの体が寝そべった姿勢で重なった。その姿に――。

 たかしの店は大きな笑いに包まれた。

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