第13話 抜錨
久代は振り返らない。手にした糸だけがたわみ液体となり、吸収と同時に繋がっていた剣を手元へ引き寄せる。
それだけならどんなによかったか。部分的な液状化というこのメテオクロムが有する異常性をもってしても、接合した部分が手で触れているならポータルは直通。技術は要るが変形そのものはできてしまう。
剣は既に、係留するそれよりも小さな錨の形に変わり。空中にいるせいで回避もできない駿河へ迫る。跳躍の勢いは一切死なず、身をよじる間もなく。
「がぁアッ....あ...」
穿ってしまった。腹に深々と沈み込み、夥しい出血と共に返しのついた血濡れの尖端が背中から飛び出す。
赤く染められる直前のピンク色をした筋肉。引き裂かれた服の裏に見える皮膚の裏側。たった数枚を剥がしてしまった先に見えるものが、こんなにも心を抉るグロテスクさを孕む。
喪失感と、なにもできなかった無力感。入り雑じった感情から込み上げてくる吐き気をこらえ、機関部を傷つけられ使い物にならなくなった拳銃を久代に向け役に立たない引き金をガチガチと引き続ける。
腹を貫かれた反動で、のけぞりながら床に身体を打ち付ける駿河。肺に穴が空き空気の抜ける音、呻き声にも満たない微かな声。
抜き取られた錨が融け、手中に戻り再び元の剣の形を取る。それを手に、満足げな笑みを浮かべた久代が近づいてくる。
同僚を失ったことがあった。その時でさえ私は怒りを糧に、合理的に動き敵を排除した。なのに何故今、それができない。
武器ならいくらでも落ちてる。逃げ出した雇われが残した拳銃がそこら中に。盾だってまだ握ったままなのに。
「一目見た時から感じていました...引き裂きたくはありませんでしたが。」
「貴女たちならきっと逢えますよ。僕は天国の存在を信じています。」
例え地獄でだって、お前の顔を二度と見るのは御免被る。急激に磨耗しボロボロになった神経を逆撫でるような言葉から湧き出す淀んだ活力が、横目で視認した拳銃に意識を移す。
その時。滴る水音を響かせながら立ち上がる影が見えた。腹に大穴を空けられながらも動いている。
だがどうして、足を動かすことすら無理な規模の重傷だ。その疑問に答えるように、頭の中で声がした。
『私だって...』
『やれば、できるんだから』
まだ意識がわずかに残っていたのだろう、駿河の身体を乗っ取ったレイが、取り落とした刀を握り直して構える。
それは私にとって悪手だ。足元がおぼつかず、手だって震えている有り様。触覚、すなわち痛覚の共有がなくてもただでさえ瀕死の肉体を無理に動かすのは。
踏ん張る度に出血が増す。起死回生の一手を見舞ったとしても、久代は常人ならざる動きを見せるだろう。私を道連れにすることなど造作もないこと。
浮かばれない、というやつだ。絶対に二人とも生還しなければダメだ。そんな結果じゃ死んでも死にきれない。
「おっと。」
拙い縦振りは、難なく察知された。半身で避けるだけで退けられ、制御の効かなくなる身体は再び床に臥せる。
当たり前の話だ。いくら身体の主導権を奪ったとしても刀を振るってきた経験までは写し取れない。ブレた太刀筋でよたよたと、重力に従い落とすような動きをしただけ。
その惨たらしい様が、さらに私の足を疎ませてしまった。やっとの思いで拳銃を手に取った時には、また一瞬で距離を詰められ。振り上げた腕は蹴倒されて縫い止められる。
「まだ動けるなんて...感服しましたよ。」
首にあてがわれた刃が変形する。刺さることなく突き刺さったそれはコの字を描き、断頭台のごとく私の動きを封じた。
その気になれば今度こそ泣き別れだ。下手な抵抗は自殺行為であるとこの捕縛が如実に語っている。
倒れた駿河の息がみるみる浅くなっていく。動かなければ。ここで私がやらなきゃ誰がコイツを救えるんだ。
「いい加減気づくといいですよ。悲しいかな、僕と貴女は生きる次元が違う。」
「お前と私は、同じ三次元に生きる人間だ...」
「少し生き方を間違えた...たったそれだけなんだよ...!!」
「理論的な人なんですね、貴女は。それでいて稚拙だ。」
「とことん相容れない、言葉のニュアンスすら読み取ろうとしないだなんて。」
「すぐ処置すればまだソイツは...!!」
「頼むッ...頼むから...!救けさせて...!!」
「良いですよ。」
「愉しかったですから。それに、貴女をここで殺してしまうのは勿体ない気がします。」
「ただ、救うのは貴女だけ。そうしないと、僕がここまでやったのはとんだ無駄骨になってしまいますから。」
みっともない命乞い。空いた片足が上がり、踏み躙る靴底が目の前に見える。そんな絶望を最後に映し、揺らいでいた思考はついに断ち切られた。
辺りが暗転する。それでもなお喧しく耳鳴りが騒ぎ立てる。必死の抵抗とばかりに。
全部私が悪いんだ。私が弱いから。必要な実力も持ち合わせていないクセに、一丁前に事態の解決の足しにもならない正義感ばかりを並べ立ててばかり。
終わりなんだ。大切だと心から思えた人間でさえ、自分のせいで失った。蹂躙された。喪失のショックなんて、慣れてるから跳ね除けられると思い込んでいた。
だから、私は。
『弱くないよ』
陥った自己嫌悪を否定する、穏やかな声色。思わず閉じていた瞼を開くと、私はいつの間にか知らない場所に立ち尽くしていた。
果てさえ見えない、真っ白な空間。唯一見えるのは、少し離れたところで燃え盛る炎に包まれている一台の乳母車。
立ち上る煙と猛火で中は見えない。しかし確かに私を起こした声の主がそこに寝かされているとわかった。レイの声だった。
近づこうとすれば火の粉が弾け、ごうごう音を発して炎が荒ぶる。景色を歪ませる陽炎。まるで私の好奇心を拒むかのように。
『お姉ちゃんはよくやったよ』
本当なら、生きて生まれてきたならその中で寝息を立てていたはずだ。腹を同じくした私と一緒に。
嗜好の一致、私への承認欲。私を姉と呼んだあの時からずっと。ただでさえ頭の中でしか会話できない眉唾な存在だったのに、顔すらわからないのに。
99%の壁を越えられない未熟な確信が底に澱んだままだった。それでも、この光景を見て隙間が埋まった気がした。
献身。触れたい、私の意思を拒絶してまで成したいことがあるのだろう。生を授からず消えていく、そんな運命に抗っても。
せめて身体を持って生まれてくれていたら。これまでの艱難辛苦でさえ、少しは和らいだまま。こんな思いをすることなく生きられたかもしれないのに。
『泣くなよー、こんな時にさ』
「だってお前っ...なんでもっと早く言わなかったんだよ...!!」
『ごめん。そっちの方が色々都合よかったの』
『どんな非科学テキなやり方をしても私に会おうとするじゃん、お姉ちゃん』
『迷惑かけたくないなーっていう、妹心?』
いつもの調子で、朗らかに笑んだ声がどんどん遠くなっていくような気がした。強いてこの場所を表現するなら、「夢」といったところだろうか。
ここで何をしたところで、きっと妹は私のために全てを投げ出す。そうだって知ってたらもっと優しくしたのに。幽霊だから「レイ」だなんて、安直な名前をつけたりしなかったのに。
久代に指摘された頭の固さ。それでずっと自分が正しい側に立てていたと信じてた。なんでもっと、厭がらずに解ってあげようとしなかったんだろう。
「私...どうすればよかったかなぁ...」
『全部、私に任せて』
『これが最後になっちゃうけど』
『ほんの少ししか持たないけど、なんとかするから。後はお姉ちゃんに任せた!』
「待っ、ダメだって....待ってってば!!」
『コイツを倒して、
『長生きしろよ......私の分までさ』
冗談交じりの遺言。炭になり朽ちていく乳母車の脚、籠が崩れ落ち、そこから螺旋状に立ち上る真っ赤な霧。
理論的。意外とこの生き方は融通が効かない。損得ばかりで生きていたら本質を見失う。
気まぐれ、思うがままに生きる。それも結構悪くないかも。私もやってみる。思うがままに、現実だって、なんだって。
空気の匂いが変わる。もうすぐ目が覚める。あのサイコ野郎、絶対に吠え面かかせてやるんだから。
感覚だけが流れ込んでくる。形としては見つけられないけど、確かな死がそこにある。遺してくれた力の名前も。
その名前は。
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