第11話 蜘蛛の巣

 私達は弾かれるようにオフィスを後にする。予想される動機が単なる憂さ晴らしなら、相当稚拙な思想を持つ犯人だ。

 ただ他者を誑し込み動かせるほどの知略を有しているのも事実。それを踏まえ、ファーストコンタクトを務める責任が降りかかった。

 幹部へ伝達したところで、力の大多数は現在護衛班に割かれてしまっている。駿河のように適当な非正規N-Rや下っ端を捕まえ捨て駒じみた斥候として向かわせるに決まってる。

 そもそも相手がどんな力を持っているのかがわからない。実力者を寄越そうにも相性というものがある、噛み合わなければ終わりだ。

 黒幕にケジメをつけさせる。あわよくば私達の手で。間接的とはいえ、一回は一回。直情的なのはポリシーに反するが、どうにも腹の虫が治まらない。


「駿河...あんたホントについてくる気?」


「さっきから何回も言ってるじゃないっすか!俺だってムカついてる、ヤツにも、結果式杜さんのこと巻き込んだ俺自身にも...!!」

「...それこそ何回目っすかこの確認。」


「...四回目。」


「変に決心揺らがせようとしても無駄っす。俺は非正規のままでも正規になっても式杜さんについてくって決めてるんで。」


「そういう真っ直ぐなこと言われると、こっちも揺らぐんだからお前も.....やめろ...」


「えっ?なに聞こえないっすよ?」


 うるせえな。二回も言うわけないだろ。コイツはいちいち筋を通しすぎる。

 駿河がもっと強かったら、私にもっと守れる力があったら。そんな子供じみた願望だけが頭の中をグルグル回って止まらない。

 勝てる勝てないじゃない、やるしかないんだよ。相手がなんだろうとこっちの引いた線を踏み越えた人間は全て、振りかざされる法を逸した正義の下に裁く。それだけ。

 いつだって信念だけで動いてきた。今こそその経験が最大限に発揮される時なんだ。


 決定的な根城になったコワーキングスペースまであと少し。しかし停止線の手前、信号待ち。歩行者の群れが途切れた白線の上を進む。

 ごくありふれた、ごくわずかな苛立ちを誘うだけの事柄。そのはずだった。

 目の前を横切ろうとしていた人々が全て、こちらを向きピタリと足を止めた。そして身に纏っている、普段なら見逃すはずの要素が途端に不安を帯びる。

 サングラス、マスク、上着のフード。全員が全員それら全てを揃えたわけではないが、顔を隠したいという意図だけは確かに見えた。

 ゾクッと背筋に嫌な気が過る。それに隠した視線はそのままに、一斉にポケットへ手を突っ込んでいる。


「マジ....!?」


 撃たれる。そう告げた直感だったが、展開した即席の盾は杞憂に終わった。腕を振りかぶるモーションの直後、破裂したビビッドカラーの塗料がガラスを埋めていき視界を大きく遮る。

 ペイントボールか。虚仮威しかましやがって、一体何者だ。すると、事態の把握のため飛び出そうと手を掛けた非施錠の扉が外側から強引に開かれる。

 そして鈍色に光を反射する鋭いナイフの刃が躊躇もなく突き入れられた。寸前で防御が間に合い、擦れ合った火花が散る。

 同時に身をよじって、がら空きの腹に蹴りを見舞う。しかし相手は防御策を取らない。モロに食らって呻きながらたたらを踏んだ。


「能力者じゃない....!?」

「駿河ぁあ!!」


「このッ、なんなんだよ一体!?」


 駿河の方も同じだった。ドアを無理矢理開けられ、振り下ろされた警棒を受け止め腕力だけで押し返している。

 同時に聞こえる、くぐもった破裂音。勢いよく空気が抜ける音。張り付いた塗料のせいで見えないが、誰かが車のタイヤに穴を空けた。

 ふざけんな。もう少しだっていうのに。だが割り切って考えれば、使えなくなったこの車を守る意味はなくなった。

 一瞬の隙を突き、ダッシュボードから拳銃を引き抜いて迷わずフロントガラスへ薙ぐように撃ち込む。

 粉々に砕きようやく見通せるようになった路地には、雑多な刃物や鈍器で武装し臨戦態勢に入った十人ほどが立っていた。


「式杜さァん!!もうこの車両ッ、棄てるってことでいいんすかぁあ!?」


 鞘がついたままの刀を水平にかざし、警棒の乱打を耐え続ける駿河が叫ぶ。そりゃパンクさせられたのに後生大事にするのは合理的な話じゃない。

 なにか企んでるな。だがどっちみちこの車は無用の長物と化す。早く乗り捨てないと運転席が棺桶に変わる可能性すらある。


「棄てるしかないでしょ!!」


「なら、安心したっす...!!」


 警棒持ちを押し退け、助手席から飛び出した駿河が素早く裏に回る。ガソリンタンクを叩く腹積もりかと思ったが、軋む音を立てながら勾配ができていく車内にそれは覆された。

 荒ぶり、唸る駿河の声が聞こえる。視野がだんだん上を向き、割れたガラスの向こうが空一色になる。

 アイツ、また角を出したんだ。まさか車を、キャンピングカーを丸ごと持ち上げるほどの膂力があるなんて。

 手前に立つ暴徒がたじろいだ隙に転がり出ると、歯を食い縛りながら両手で車体を抱えている駿河がそこにいた。


「化け物かよ...!!」


「しっかり避けろよォオオアあ!!!」


 車体が空を切り裂き、風を巻き起こす。武装こそしているがやはり素人の集まり。金で雇われたかなにかだろう、駿河の暴れっぷりを見てすっかり萎縮してしまっている。

 一転して混乱に包まれた戦場、あえて回避する猶予を与えるように、斜め上に車両を放り投げた。

 放物線を描き、影を落とす。この時には既に戦意喪失状態。各々が悲鳴を上げながら散り散りに逃げていく。


 そして、衝突。アスファルトにヒビを入れ抉りながらのワンバウンド。威嚇にしてはあまりにもインパクトの大きい一撃。

 武器を放り投げる者。足がもつれ逃げ遅れている者。だがターゲットではない。息の一つも上がっていない駿河は追う素振りをまったく見せなかった。


「コレ...替えとかあるんすか?投げちゃった後で言うのもおかしいっすけど...」


「...持ち帰った成果次第かも。」


「あぁ~...なんか寒気してきたっす...」


 メキメキと鳴りながら引っ込んでいく角の根元を爪で掻きながら複雑な表情で乾いた笑いを漏らしている。

 それに角への接触、異能の発現には既に気づいていた。紛らわしい、主語を「なんか」で代用されると困る。

 とにかく火の粉は払えた。砂埃にまみれた体のまま目と鼻の先であった目的地へ足を進めると、スマホ片手に騒ぎを嗅ぎ付けた野次馬たちと何人もすれ違う。

 きっともうサイレンの群れが迫ってきている頃だろう。特事課ここって始末書とか書かされるのか。書いたことないから不安だ。


 施設のエントランスへ踏み込み、受付の声を振り切って店内を見渡す。写真の人物がいないのを確認し、次は目についた階段を一段飛ばしで駆け上がる。

 幸い高層ビルの上層に構えられているわけでもなく、カフェ調の二階建て。屋外に面したガラス張り。

 こちらを誘うメッセージが残されていたとはいえ逃げられる可能性はゼロじゃない。時間がないんだ。謀略に基づいた罠だとしてもこの目で確認しに行かない理由がない。


 そして二階。バーカウンター、丸い机、椅子のセットが並ぶエリア。その場にいた全員がいじっていた機材を放っぽり、ぎょっとした面でこちらを見る。

 私達の視線はごく一点に向く。唯一、悠々と背を向けたまま街並みの観察を決め込む男がいたからだ。

 それを確認した瞬間だった。ひずんだ金属音がいくつも響く。接触へ一歩踏み出そうとするやいなや、無数の銃口が顔をめ付ける。

 やられた。この異様な状況に怯みすらしないあの男。車両を襲撃した連中ごと仕込みか。


 この数。各座席にまんべんなく立つ射手。避けきれない。いくら私の展開速度でもこの角度を補完できる程速くはない。

 一先ず両手を挙げ降伏を示す。こういう時は少しでも時間を稼いで、隙を探すんだ。

 さっきの例もある。おそらくコイツらは射撃に関してズブの素人。握った銃把グリップから伝わる震えが隠しきれておらず、セーフティを解き忘れた者さえいる。

 背後には出入口、一旦盾を出して下がり応援を呼ぶか。それでは目標を逃がしてしまう。

 となるとやむを得ず排除だが、早撃ちには自信がない。外した時のことを考えれば、さっき窓を割った分の消費もあって足りるかどうか。

 どうする。見て取れる恐慌状態、そもそも策の完成まで待ってくれるか怪しい。引き金にかかった指がもし弾みで曲がったりしたら。


「全員、銃を捨てて。」

「気が変わりました。」

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