第10話 不撓不屈

───────3/18、AM10:37。


 うなされる自分の声が耳を通して意識に飛び込んでくる。痛みはなくとも、深く刻まれた怨恨に似た記憶が精神を蝕んでいるのが不快感として理解できた。

 蛍光灯の明かりに焼かれながらゆっくりと瞼を開ける。見知らぬ、というほどでもない白い天井。ここは病院だ。

 横目で辺りを見てみると、丸椅子に座り祈るような姿勢のまま壁にもたれ掛かり眠りこけている駿河がいた。


 しかし、運び込まれた身だというのに随分と治療が大人しい。人工呼吸器もなければぐるぐる巻きの包帯もない。あるのは栄養補給のための点滴だけ。

 傍ら、テーブルの上に置かれたテレビで放送されている番組。曜日の感覚と記憶にある放送日がズレている。少なくとも丸一日は寝ていたらしい。


「......レイ?」


『....ん』


 声をかけるが、反応が薄い。いつもなら茶化し気味に皮肉の一つでもかましてくると思っていたのに。

 レイはただ私に取り憑いているだけの身だ。それなのにこの疲弊した声はなんだ。

 あの時男に行った妨害。男の魂が抜けたような挙動、そしてレイが仮定として幽霊であるという性質を鑑みるに、「憑依」みたいなものだろうか。


「あの黒ずくめになにしたの?」


『...私もわかんない』

『ほら、私幽霊みたいなもんだからさ...念じたらなんかできるなってのはわかってて...』


「...で、成功しちゃった感じ?」


『...そんなとこ』

『アイツがどんな風になったかはわかんない...まあ、助けられたからよかったよ...』

『でもなんかすっっごい疲れた....』


「...お疲れ様。休んどきな。」

「幽霊にそういうのあるのか知らないけど。」


 なにはともあれ、今は生還を喜ぶべきだ。隣で目を真っ赤に腫らしたコイツも。

 身体を起こし、軽く握った拳で頭を小突く。緩く呼吸していた身体が跳ね、状況の整理が追い付いてない顔でこちらを見ている。

 寝ぼけ眼が段々と見開かれてくる。ぱあっと表情が明るくなると同時に、これから飛んでくる特大のリアクションに身構えた。

 しかし予想とは違い、目をじっと見たまま手を握られる。ずっと手を組んでいたせいでほんのり温かく、そして汗ばんでいる。


「...なんか、言うことないっすか。」


「無理して...ごめんなさい。」


「...うん、うん。こちらこそ...!」

「打ち上げでもやりたいところっすけど、今色々マズイ状況っす...」


 強く頷き、湧き起こる喜びを振り切るように立ち上がった駿河。単刀直入に切り出された報告の触れ込みは、あの爆弾魔を唆した別の第三者が存在しているという内容だった。

 対峙した時、苦し紛れの責任転嫁に男が言及した「あいつ」。確かにずっと引っ掛かっていた発言ではあった。

 現在あの男は異能を発動させないよう麻酔で昏睡させた上手足を拘束されているらしく、あっさり黒幕の名前を喋ったのはガラス片の上で虫の息となっていたところを見つけた際に口をついて出たうわ言。

 久代クシロ 鹿伏兎カブト。これは偽名ではない。私が寝ている間に裏も取れた。IT企業に勤める若い男性の派遣社員だそうだ。


 一般人に紛れて他の能力者を遣い欲望のままに暴れさせるべく暗躍している、蠱毒に遍在する小さな黒幕の一つ。

 身元、顔も割れたが、案件も案件。やはり刑事課は逮捕に踏み切らず、例のごとく役割の違いというテイのいい責任逃れ、漠然とした恐れを理由に対処をこちらに投げた。

 しかしたまには優秀なところもある。勤務先への調査は既に済んでおり、勤務態度は証言によれば至って真面目。積極的に残業にも取り組み、掃除などの雑用でさえ笑顔で受け入れる好青年。

 しかし、そんな人格と件の行動との関係がどうにも解せない。人は大概の場合二面性を有しているものだが、ここまでのギャップならそれ相応のワケがあるはず。


「...とりあえずは、了解。」

「それでさ...私の傷治したのって誰?一日二日で回復するとは思えない。」


「護衛の班に匿われてる雛端ヒナバタってお姉さんがくれた薬っす!まあ、俺がめちゃくちゃ無理言って頼んじゃったんすけど...」

「効能とか自由にいじってオリジナルの薬を作れる異能を持ってて...その点滴がそうっす。一日点滴すれば全快するって!」


「便利なのがいるもんだね...」


「式杜さん、動けるんすか...?パッと見ピンピンしてるっぽいんすけど...」


 被せられていた布団をめくり、ベッドの上に腰を下ろす形で足を垂らす。あれだけ激しかった頭痛も意識の混濁も消え去っている。

 袖や裾を捲ってみても火傷痕一つ見当たらない。どうやら薬の効果は本物らしい。


「うん、全然動けそう...」


「よかった~!それじゃ久代の勤務先にはもうアポ取ってるんで、行きましょう!」


「そんな気軽に相手していいもんなのかよ...」


「いざとなれば逃げればいいっす!俺、なんか式杜さんくらいなら余裕で運べるようになったんすよ~!」

「火事場の馬鹿力ってヤツッすかね!」


 よかった。文字通りの馬鹿力で助かった。駿河の発現させた異能が周知されていたなら、今駿河はここにいないだろう。

 だが本人すら異能の存在に気づいていないとは思わなかった。まあ、気づいてたらビビってペラペラ喋りそうだからこれでいいか。

 病室を後にし、駐車場に停めてあるいつもの車両に乗り込む。目的地は程近く、ビル群の合間を抜けていけばすぐにたどり着けた。

 どうやらベンチャー企業に近い趣と社風を持つ会社らしく、ロビーには私服の人々がコーヒーやら軽食やらを片手にうろついている。


 受付もすんなり。この中にスーツの人間が二人いればわかりやすいことこの上ない。

 あくまでアポを取ったのは会社であり、久代本人ではない。ここにいるはずだ。

 エレベーターで階を上り、オフィスエリアへ立ち入る。スマホの画面に映る、履歴書の顔写真の写しとオフィス内を代わる代わる見て、同じ顔を探す。

 駿河も同じように捜索するが、まったく発見した素振りを見せない。うんうんと唸り首をかしげている。


「いた...!?」


「全っ然いないっす...!」


「でも、今日のタイミングで不在だったら久代はクロに近づく...」


「...同じこと思ってました。爆弾魔の出任せじゃないってことになるっすよね...」


「...アイツに聞くか。」


 これだけ探してもいないのなら、危険を察知して逃げられたと考えるのが自然。刑事の参入が仇になったか。

 だったら確証を得てから、ヒントを見つける。制止する駿河の手を払いながらオフィスへつかつかと入っていき、私は奥のデスクでふんぞり返る頬のこけた上司らしき男に声をかけた。


「...失礼、久代 鹿伏兎はどこに?」


「え、あぁ...話にあった刑事さんか。」

「久代なら来てませんよ...」


「やっぱり...」


「連絡も寄越さないで、バックレたんですかねえ?次来たら即首切ってやりますわ!」

「あ、いやいや...ははっ、パワハラじゃないっすよ?社会人として当然の躾をね...?」

「大体アイツになんの用が...?」


「...彼のデスクは?」


「デスク?それならほら、あの端っこの...」


 まあ、久代が悪として立ち回るようになったきっかけはなんとなく分かった。まずオフィス内の雰囲気が暗い。

 ほぼ全員が深く隈を落とした目で黙々とキーボードを叩いている。堪えていないのはこの取り繕う下卑た笑いをする上司だけ。

 指差されたデスクに向かうと、まるで劇画における残業のそれってくらいに書類が積み重なっており、IT技術の類いには詳しくないが明らかに派遣にやらせる作業量を超えていることが見て取れる。

 ただのクセのプロファイリングだ。気に留める程のことではない。今は早く居場所を特定するのが先決。どんな事情を抱えていようと敵は敵である。


 引き出しを次々に開けていく。なんの足しにもならないよくわからない書類、事務用品ばかりが飛び出してくる。

 鍵がついたところも施錠されていなかったが中は空っぽだった。


「ああ!!」


「なんだ!?なんかあった!?」


「式杜さんホラ、これ見てください!!」


 駿河が配線を引っこ抜き、持ち上げて裏返したキーボード。そこには走り書きのメモが記された付箋紙が貼り付けてあった。

 その文字列はどこかの住所で、滑る指を押さえながらスマホの検索エンジンに打ち込むと、ある施設がヒットする。

 コワーキングスペース「FLUIDフルード」。利用代金と引き換えに供される、事務作業ができるオフィスを共有しながらフリーランサーなどが働くための場所だ。

 ここでは誰も久代を信用してない。聞き込みも全て上辺だけだ。自分を探している人間がいることを知った上での仕込み。


「こんなの行くしか....!」


「...なさそうだね。」

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