第9話 祓い給え
人一人抱き抱えているというのに、アスファルトがわずかに歪むほどの走力を発揮し混迷を極める群衆へ真っ直ぐ突っ込んでいく。
そして、跳んだ。数メートルを容易に飛び越え、街灯に足をかけて猫のように渡る。歯でがっちり噛んだ刀は震えの一つも見せない。
なんなんだ、この姿は。角を持った赤鬼。蔓延しつつある異能のそれと言う他ない異形。質問には答えてくれそうにもなく、声を出す気力もとうに失せていた。
あっという間に火事場を抜けると、路地の向こうで噴出する紫の煙が見える。両掌を起点に噴射し推進力を得ながら移動する、パーカーのフードを目深に被った男の人影も。
頻りに後ろを確認しては焦りを見せる。全身黒ずくめで、怪しさは満点。紫の物質という共通点、見つけた時点では勘だったようだが、あれが犯人で確定らしい。
柄をギリギリと噛み締める軋みが強くなる。車通りにも構わず、駿河はビルの壁面を蹴って踏み切り男の目の前に着地する。
あれだけの勢いなのに息が上がってない。睨む鋭い目はいつものそれとは逸脱していた。
私を路傍の電柱に寄りかからせる形で寝かせ、止める言葉をかけられないまま刀を手に対峙する。
「よう、爆弾魔。」
「今更言い訳はしねえよな?」
「ふざけるな...こんなッ、こんな相手がいるなんてあいつは言ってなかった...!!」
「やってやる...俺の「
「生憎逃がすつもりはない。」
「すいません、式杜さん。連れ回すようなことしちゃって。」
「あの人たちに預けたら、ぞんざいに扱われそうで心配だったんすよ。」
「待って....ダメ...ッ!!」
「すぐ終わらせます。楽にしてて。」
精一杯絞り出したような穏やかな声色。いつもと違うぎこちない笑顔。そして地面を抉らせながら刀を手に、弾けるように駿河は跳び上がっていった。
振り下ろされる刃を受け止めたのは、突き出した男の右腕から一瞬にして作り出された四角い紫色の壁。
怒りに戦慄く刀身は全く食い込んでおらず、力押しではびくともしない。先ほどのものとは厚さがほとんど変わらないのに強度だけが上がっているようだ。
その裏側から、男は空いた左手を出す。
「"
そう呟いた。次の瞬間には螺旋状に先が尖ったドリル型の形成物が突き出し、勢いよく発射された。
頭を狙い飛んだが、駿河は寸前でそれを掴み止めた。回転が加わり手の肉を削ぎ取られながらも怯まず投げ捨てる。
あの物質、生成できる量、硬度共に自由自在か。しかし動力を伴っていないにも関わらず殺傷するには十分な速さを与え飛ばした。
加えて「
そんな気づきは同時に、悪い予感も与える。口頭であるからこそバリエーションの多さを含んでいるように思えてしまった。
すると突如、壁が霧散する。間隙に反撃を差し込もうとするが、今度は数珠繋ぎになった二つの小さな球体が親指で弾かれ目の前に飛び出した。
双方が雫を垂らしながら回転し宙を舞う。液体にも変化させられるのか。
「"
「
粒が割れて飛び散り、まばゆい光を辺りに撒き散らした。ホワイトアウトした視界の中、反対方向へそれぞれ吹っ飛ぶ二人の姿が見え。
閃光が晴れた時には、既に距離を取られていた。光と弾く力を同時に放出されたらしい。
駿河は飛び道具を持たないパワーファイター。こちらのペースに持ち込むには再度接近する必要がある。
その状況を嘲笑うように、地面に手をついた男は一斉に、大量に作り出した物質を個体として放出。タイルのように広く展開し一面を埋めていく。
触れられた時の危険性を考えたのだろう、駿河は咄嗟にジャンプしてそれを回避した。
「"
それが間違いだった。待ってましたと吊り上げる口角、目下にはすでに紫色の床面があり、為す術もなくそのまま着地してしまう。
その時、力なく足を滑らせ強かに身体を打ち付ける。まさか、「
刀を突き立てて支えにしようにも、摩擦がないおかげでそもそも刺さりすらしない。
ステージを作り上げやがった。明確な拘束もなしに、相手のやることを理解した上で無力化できる状況を。
しかもご丁寧に自分の周囲だけ安全な、円形にくりぬいた足場を用意して。
「これでわかったろ...「
「生み出した物質の形態を変え、それぞれに別途性質を付与できる...
掌から、尖鋭化させた杭が現れる。先を駿河に向けながら。駿河のあれだけの身体能力なら弾き落とすのは容易いだろうが、摩擦のない床の上では身体の制御がまともにできない。
物質の生成も無尽蔵、出来上がったジリ貧の構図にも屈さず何度も立ち上がろうとしては転倒している駿河に、男は勝利を確信した高笑いを惜しみ無く浴びせた。
殺される。このままじゃ。動け。叶わない嘆願ばかりが脳内で渦巻く。
そこへ、レイが消え入りそうな声をして割り込んだ。
『"お姉ちゃん"...』
『私なら、なんとかできるかも』
「は...あ...?」
『...私だって役に立ちたい』
『あの人が大切なら、命令して』
聞き慣れない二人称。やっぱり。嗜好もなにもかも私に似ていた。どこか確信めいた思いがあっても目を逸らしてきた。
でも、なりふり構ってられないよ。私のせいで殺されそうになってるのに、黙って見てなんかいられるかよ。
いけ好かない、頭の中の声。大事な人になるはずだった、私の人生を変える存在になるかもしれなかったその声。
もう誰だっていい。縋れるなら、なんだっていい。ただ私は単純に、駿河を死なせたら。自分が自分じゃなくなりそうだったから。
「早くッ、なんとか....」
「しろ....!」
『りょーかい!』
快活な返事。ふっ、と肩が軽くなる感覚と同時に、男が今にも撃ち出そうとしていた杭を落とし、呆けたような顔で動きを止めた。
瞬間、駿河は身体をよじって身体の向きを変えながら、逆手に握った刀を遥か向こうへ放り投げる。
作用反作用の法則。重い刀を放った反動で、床の上を滑りながら男へと近づいていく。男が我を取り戻した時には、既に駿河が渾身の蹴りを鳩尾に突き刺していた。
なにが隙を作ったのか。そんなことはどうだっていい。今はただ祈るだけ。
呻きながら、自らが作り出した床の上を滑走していく男。焦りながらそれを解除し、なんとか体勢を立て直した。
今度は駿河のターンだ。立ち上っては消えていく紫の霧の中、両の足でしっかりと大地を捉えている。
表情は未だ変わらない。強い憎悪だけが原動力となり、身体を突き動かしている。
手中に現れる日本刀のコピー。離し離され、一向に縮まらない距離をしめたと思ったか、男は指でピストルを作った。
対して、駿河は防御の体勢も取らず切っ先を地面に擦らせる下段の構えを取った。
「来い。」
「認め...られるかぁあ...!!」
「"
飛翔する凶弾。同時に振り上げられる刀。しかしそのリーチは、切っ先が彼方を向いたその時には。彼我の距離を無きものにするほど長く伸びていた。
異能がもたらしたのであろう怪力により、あのサイズでは到底振り回せない鉄塊であるはずの刀を持ち上げている。
そして弾丸ごと、刃が男の脇腹を薙ぎ、勢いのまま吹き飛ばす。横一線、真っ二つになるかと思われたがそうはならなかった。
刃を、最初から潰していた。ただ激しく身体を打つのみに留まっている。舞い上がった男はそのまま建物のガラス窓を突き破っていき見えなくなった。
終わった。助けられた。そんな安堵よりも先に、駿河がこれからどうなるかを考えた。
地面にわざと刀身を沿わせ、仕込んだ種を隠した急激な伸縮。疑う余地のないメテオクロムの覚醒が起こった。
それ以前にこの異形だ。これが課に知れ渡ったらどうなる。保護される分には構わない。私の実力を上回る人員がある程度の安全を担保してくれるだろう。
それでも同じ異能力者を篭絡し手駒に変えようとする人間はどこかにいる。点々と設置されたセーフハウスの班編成もいつどこで崩されるかわかったもんじゃない。
「式杜さんっ!!動かないで、すぐ助け呼ぶっすから...!!」
優しいんだ。これほどまでに。命を賭する価値などないのに、逃げればいいのに。わざわざ死地へ飛び込んで。
私は一度だって課の人間を信用したことはなかった。出会う人間人間全員がおかしくて、心のどこかが壊れてたり戦いが唯一の生きる場所だったり。
駿河は、まさに一輪の花だった。損得ばかりで物事を考えるのはもうやめにしよう。今までの自分を裏切っても、嘘をでっち上げてでも。
「駿河...私っ、私は...」
「まだ喋んなって......!!」
「お前が...いなくなった、ら...」
「寂しいんだから....」
意識が遠退いてきた。もう少しだけ迷惑をかけてしまいそうだ。気絶ついでに伝えた本心は、やっぱり薄っぺらかった。
私だって許せないよ。人をこんな性格にしておいて、一人で背負おうだなんて。
「バカ...だよなぁ...」
「私も、大概....」
「式杜さん...?式杜さん!?」
「おいッ、目ェ開けろって!!」
「式杜さ─────」
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