後編「葵花向日」

第8話 ダークマター

───────3/16、PM:13:07。


 緊張と緩和。そのサイクルを促すため定期的に溜め息をつく。字限は日頃の振る舞いから問題視されていたらしく、お咎めは京都支部への強制送還、及び厳重注意という形に落ち着き。

 スッキリしたとはいえ傷が痛む。そこのところを掻き消そうと、あの日は昼食をわざとうどん屋にしてうどんをかっ食らった。

 独り善がりの憂さ晴らしだが、とにもかくにも美味しいものを食べるのは良いこと。気づけば険しい顔をしたまま啜り続けていた私を見た駿河は若干引いてたけど。


 しかし今日は車内に走る緊張が段違いだ。脅威となり得る存在が確認され、なにが起こるでもなく今も現場に置き去られたまま。

 完全な膠着状態。一目でわかるほど強く放たれる「異常」の気配に、刑事たちは即座に私達へこの案件を投げる選択をしたようだ。

 それもそのはず。白日の下、大胆不敵な犯行が行われた。路地を進んでいくと報告よりも早い段階で規制線が見え、早々に停車し武器を手に踏み込んでいく。

 あれだけ珍妙な事態、野次馬も多く、交差点という環境が取り締まりを妨げる。


 怪訝な顔をした刑事たちに会釈をしながら通行止めされた車道を進む。手にしている凶器が証明書の代わり、いつもの蔑視はありつつも、疑う目を向けられることはなかった。

 あんなものの対処を買って出る人間がいないことなんてわかってる。胸を張って任せておけとは言えないが、担当として割り当てられている以上無視はできない。

 目の前まで行かずとも異様な存在感が辺り一帯を満たしている。そして同時にのしかかる、「どうしろと」という疑問符。


「...写真のまんまっすね。」

「...てか何アレ。」


「それ調べるのが仕事でしょ...」

「とはいえっていう気持ちはわかるよ。」


『宇宙から降ってきたじゃん』


 車道のど真ん中にふんぞり返る、暗い紫色をした巨大な球体。軽トラの車高を超えるか超えないかくらいのサイズで、半透明の外殻の内側には同色の靄が渦巻いている。

 とりあえず5mほど距離を置いたところまで近づいたが、今のところこの球体は通行の滞りしか悪を為していない。

 ビジョンが見えなさすぎる。なにかをされた結果が不明瞭さを招いてるわけじゃなく、性質があまりにも読めないからだ。

 叩き壊せばいいのか、銃弾は通るのか。もし歯が立たなかった場合は?攻撃されることをトリガーに発動するものの存在は?


「もうちょい寄ってみないっすか...?メチャクチャ怖いっすけどね...」


「まあ、突っ立ってても埒明かないわ...」

「ゆっくりね...?マジでゆっくりで...」


「あっ、肩組めばいいんじゃ?」


「並んで行きゃあいいだろバカ。」


「バカって言わないで!?」


 いつでも攻撃できる体勢、二人肩を並べて、じりじりと球に近づく。どこでどんなものが飛び出すのか見当がつかない緊張が走り続ける。

 異常は「異常」であるが故に、常にあらゆる予測を引っくり返してくる。しかしその逆もまた然り。

 4m。3m。2m。靴の裏をすり減らしつつも順調に接近している。ところがここで、息を呑んだ駿河が私の肩をバシバシと叩いた。


「なにっ、何だ!?」


「なんか...気のせい?え、なんか聞こえないっすか?」

「耳澄ましてください!」


 呼吸を緩やかなものに留め、聴覚に意識を流し研ぎ澄ませていく。言動からして半信半疑だったが、次第に物音が耳に飛び込んできた。

 時計の針が進むような、カチカチという微細な音が内部から響いている。血の気が引くのを確かに感じた。

 正体不明の物質だけじゃない。タイマー式の何かが中に仕掛けられている。時限爆弾と考えるのが妥当だが、もし大勢の殺傷が目的ならもっと分かりにくい場所に置くはずだ。

 この外殻、満たされた靄に絡められていないわけがない。そして中身が爆弾であると仮定すれば、外殻がその威力で砕ける範疇でなければ意味がない。

 サイズもかなりある。被害は計り知れない。目と鼻の先にいるのは私達だ。


「...駿河、これ割るよ。」


「ええ!?大丈夫なんすか!?」


「...多分、爆弾かなんか入ってる。」

「早く取り出して解除しないと、死ぬの私達だけじゃ済まないよ!!」


「くうッ...!俺がやるっす!!」


 駿河を矢面に立たせるのは気が進まないが、誤射の可能性がある銃が使えず膂力にも差がある。適任であることは間違いなかった。

 液体金属の結合、幅を急激に広げバットのような形状まで膨れ上がった刀を構え、踏み込みと共に球体へ叩きつけている。

 すると、分厚い防火扉を打ったような鈍い音と共に、表面にわずかなヒビが入った。すかさずそこを狙い集中攻撃を重ねていく。

 飛び散る細かな破片がいくつか。拾ってみると厚さは5センチにも満たないがどうやら強度が高いらしく、体重をかけたかなりの剣速であるにもかかわらず、穴のサイズは未だに頭を突っ込めるかどうかといったところ。


「おかしいっしょ...!硬ってえ...!!」


「待てっ、駿河...ちょっとどけ!」


 この靄、あるいはガス。随分な量が内部に立ち込めているが濃度はそこそこ。見通せるようなものがあれば「爆弾」の正体がわかる。

 私はスマホを引っ張り出し、ライトを点灯させようやく出来上がったわずかな隙間にあてがった。

 光が漂う隙間を塗って届き、奥に見えてきたものを視界に映し出す。台座となった椅子に塗られたニスの照り。透けるプラスチックの奥で動く秒針。

 一瞬にして仕掛けの全容が明らかになった。これは時限式でありながら、爆弾じゃない。ただの導火線に過ぎなかったんだ。


 気づいた時には、すでに駿河の襟首を引っ掴んで後ろへ投げ飛ばしていた。

 暗雲の先にそれを見つけた瞬間にタイマーは動きを止め、連動するアームはコードと簡易的な機械で雁字搦めになった使い捨てライターのスイッチを押してしまった。

 この靄はガスだ。それも可燃性、そうでなければライターなんてみみっちい火力をこんな手の込んだ仕掛けに結ぶはずがない。

 カチッという音が聞こえ、生まれたわずかな火はガスの燃焼を助けに爆発的に増大。刹那の間に目の前がオレンジ色に変わった。


 気化した可燃物は液体のそれより着火した際の威力が大きくなる。この球体は言わば巨大な手榴弾。

 衝撃波を伴う爆風が発生し、内側から殻を粉々に砕きながら飛散させる。盾の生成は間に合わなかった。せいぜい不格好な即席の防御壁を薄く張るのが限界。

 それもこの爆発の前では易々と砕かれ、アスファルトの上に身体が投げ出される。飛散した破片が頭を打ったのだろう。意識が束の間飛び、激しい耳鳴りでかろうじて目を覚ます。

 ところどころ皮膚に火傷を負ったが、奇跡的に致命傷は避けられたらしい。せっかく検査して問題ないと言われたばかりなのにまた頭を打った。まともに四肢を動かすのも叶わないダメージだ。


「式杜...さんッ...!!」

「式杜さん!!式杜さぁあんッ!!」


 仰向けのまま、上下反転した視界で群衆の方へ目を向ける。予想通りのどよめき。そしてやはり捨て駒か、控えていた警察陣は被害者の有無を確認するのに忙しいらしい。

 ガンガン響く叫びを上げながら私の肩を抱える駿河。視線の先は同じだったが、一点に向けられた目は見開かれ、荒くなっていたはずの呼吸が一転して引っ込んでいる。


「アイツ...」

「アイツが......」


 ふと、身体が浮き上がる感覚が訪れる。刀を口に咥え保持したまま、駿河がお姫様抱っこの要領で私を軽々抱え持っていた。

 見上げると、陽炎に揺らぐ顔がそこにある。しかし明らかな変容を伴い。

 赤い鱗のようにまだらな皮膚の変色、額の右側から突き出した、緩くカーブを描くツノ。鬼のそれと化した姿の駿河は、群衆の向こう側を真っ直ぐ見据えながら怒りに震えていた。


「駿河......?」


「.......」

「.....絶対、許さねえ。」

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