第5話 紫煙の弛み

 食事を終え退店する。奢ろうとしたが駿河がごねたので、結局割り勘に落ち着いた。発言の結論を受けても良心のせいで振り切ることができず、ズルズルと密行を再開。

 余計な事態が起こらないよう祈りながらハンドルを握る時間が流れ、日が落ちていく。夕食は適当なファミレス。風呂はいつものように銭湯で。

 そして夜間担当の車両と交代する形で分駐所に車を停め、就寝準備を開始した時恐れていたことに気づいてしまう。


 どうやって寝るか。今までは座席を折り畳んでベッドにしていたけど、二人で寝るには狭い。肩が密着して動きにくい。


「なにさっきからうんうん唸ってんすか?」

「別に俺助手席で....」


「それはダメ。骨格が歪む。」

「私が助手席で...」


「骨格歪むっすよ...」

「まーだ俺の言ったこと気にしてるんすか!?勢いで出ちゃったから深い意味はないって!」


「う~~ん....」


「ていうか寝るんすよね?灰皿あります?」


「...え?」


 駿河は、持ってきた荷物入りのバッグをまさぐるとライターとタバコを取り出した。

 細かい星のマークが全面にあしらわれたクシャクシャのソフトパッケージ。ライターのプラスチックの裏に透けるオイル残量は少なく、使い込んだ形跡が見られた。

 こんな人畜無害そうな面しといて喫煙者とは。気休めにしかならないけど、尋問が要る。


「アンタ吸うんだね...一日何本?」


「日の〆に嗜む感じなんで一本か二本っす。」


「てか二十歳?」


「もちろん!警察と提携してる手前、そこんとこはしっかりしないとっすよ!」


 駿河の財布から出てきたのは、バイクの運転免許証。確かに二十歳だ。というかバイクあるなら自分のに乗れよ。


「吸い始めたきっかけは?」


「爺ちゃんっす。勧められたわけじゃないっすけど、こんな仕事してるなら拠り所の一つや二つ欲しくなっちゃうんで~。」

「爺ちゃんが昔から言ってましたから。「酒と煙草は心の栄養」、「一利に勝る百害なし」だって!」


「んなワケ...いや、身体の健康気にしてれば嗜好品に手は出さないか...」

「灰皿なら車両貸与の時のカスタムで取り外し済み。車内禁煙。」

「いい?くれぐれも吸いすぎんな。あと密行中タバコ休憩欲しいとか抜かしたら走行中に蹴り出す。」


「了解っす!」


 続いて、バッグから携帯灰皿を引っ張り出す駿河。用意周到だった。それらグッズを手に車から降りると、駐車場の脇に歩いて行きタバコを咥え火をつける。

 別に喫煙者を糾弾する意図はない。元々まともな警察官だった身として、ガキ根性で時勢に逆らって所構わず煙を吐き散らしたり、ポイ捨てしたりする人間が許せないだけ。

 喫煙なんて個人の自由。私としては知ったこっちゃないけど、害を及ぼすのは間違いない。だから警告を兼ねた尋問。

 あと、あのクソ親父と銘柄が被ってるのが引っ掛かったというか、ムカついただけ。


『明菜~』


「...なに?」


『私、タバコってキラーイ』


「レイ、食わず嫌いは良くない。」


『そーだけどさあ。カラダに悪いよ?』

『...まさか吸おうとしてる?』


「まだしてない。」


『まだ?まだってなに?』


「うるさい。」


 拠り所か。確かに言われてみれば、私にそんなものはなかった。灯りの下で紫煙をゆっくりと燻らせている駿河の満足げな顔を眺める。

 正義だけを信じて、死地に飛び込む。いつ命を落とすかわからないこの責務の中で、私の拠り所は私の心そのものだった。

 私だってタバコは好きじゃない。酒も頭が痛くなるから飲まない。火をつけて出てくる煙を吸い込んで心が安らぐなら、こんなに楽なことはないだろう。

 肩を回し、携帯灰皿に吸い殻を突っ込んだ駿河が早歩きで車両へ戻ってくる。乗り込んだかと思うと、トランクを開けてそこに足を垂らし座り込んだ。


「ちょっと、これから寝るんだってば。」


「一曲!一曲だけいいっすか!」

「タバコ含めてルーティーンなんすよ~、すぐ終わるんで!お願い!」


「...大人しめのやつにしてね。」


 ケースからアコースティックギターを持ち出し、ストラップを肩にかける。軽く咳払いをしてから演奏が始まった。

 メロディーはありきたりだが、歌詞を聞く限りオリジナル。バンドマン志望だって言ってたしそのくらいはするか。

 癖がない歌声。響きが滑らかで、透き通っていてバラード調の曲に合っている。世に出ている第一線のアーティストと比べればどうしても見劣りしてしまうが、カラオケで聞かされたら驚くレベルだ。


『上手っ』


「上手いね...いやマジで。」


「あざっす!」

「いやいいなあ...人に聞いてもらえるの。心が充実するっす。」


「じゃあ...寝ますか?そろそろ。」


「はいっす!」


 駿河には抵抗も躊躇もなかった。私がベッドに横になるとすぐに隣に寝てきて、五分ともたないうちに寝息を立て始めた。

 無警戒にも程がある。なんとなく濃い一日だったけど、初対面は初対面。この生活を続けることに、ネガティブな意味ではないが漠然とした恐れがある。

 巻き込むのではないか。本当に、私一人に駿河の命の責任が持てるのか。いや、そうだとしても犠牲になるのは私だけだ。私だけでいい。

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