前編「車の両輪」

第1話 こういうこともある

──────3/10。AM:8:12。

──────「機動支援係ノーマッド(仮)」、式杜シキモリ 明菜アキナ


「あーー、どーなってんのよ~~~ッ!!!」


 背中まで達した髪をゴムバンドで縛り、毎朝車両を停めている署の分駐所から発つ度。カーボンカバーのハンドルを拳で殴り付けながらこう叫ぶ。

 いつもなら押し殺すところだが今日は任務が控えてる。だから余計に。形式張ったパンツスーツはもううんざりだ。

 私は元々生活安全課の警察官。こんな誰かの命を脅かす側に回る部署なんて願い下げだったのに、どうしてこうなってしまったのか。


『今朝も荒れてるね』


「...レイ、黙ってて。これから忙しいから。」


 十中八九、コイツのせいだ。脳内に割り込んでくる少女の声に悪態をつく。

 ずっと生きていく上で信じてきた正義感。それを崩されざるを得ない場所へ、コイツのせいで放り込まれた。

 私に憑いている幽霊。暫定として幽霊だから、安直に「レイ」と呼んでいる。特に危害を加えてくるわけではないけど、ことあるごとに人懐っこくしょっちゅう話しかけてくる。

 学生時代に、友人たちの肝試しが心配だったからついていった。あの心霊トンネルに行ってからずっと。

 その存在を恐れ、騒ぎ立て大事にしてしまった自分のホラー嫌いが恨めしい。噂に聞いていたオカルト専門の窓際部署、特殊事象対策課の耳に入ってしまったから。


 ただ一方的な会話なら良かった。でも、こいつはただの幽霊じゃない。限定的な予知能力に似たものを持っている。

 冷たい気配を漂わせるモッズコートの男から呼び出されて受けたテストで、形としてではないがそれが実証されてしまった。

 投げたコインが表か裏か。私の身の回りで起こることのみをアバウトに予知するレイの力を測るには十分だった。

 なにも考えず投げたのに、表、裏、裏。頭の中で完璧に言い当てられ、苦し紛れに続行したエキシビションのコイントスも全て。

 私の焦りようを見て、男は憐れむように視線を逸らしてクリップボードの書類にチェックマークを打った。


 誰かが認知できなければ犯罪でも、取り締まるべき存在でもない、と私は反論したけど、その先入観を根本から覆し、掻い潜り人類を脅かす存在をいくつも相手にしてきた、と男は大真面目な顔で言った。

 言い返せなかったが、確かな説得力があった。この時点で私は、テストの成否に関わらず特事課の予備スタッフとしての名簿に登録済みだったらしく、課についての詳細な説明を受けてからはまったく怒涛だった。

 魔術。異能力。奇妙な怪物。かくいう私も、さも通過儀礼のように。体内に充填した液体金属の操作を行う魔術である「クロム」を埋め込まれた。


 私はすぐに、民間人の知り得ない水面下で行われる化け物退治の担当を想像した。

 しかし違った。長い時間をかけ私が送り込まれたのは、僻地の集落。ここには「吸血鬼」が肩を寄せ合い暮らしているらしく、私の役目はこの村の監視だった。

 堅苦しいデスクワークでもなく、身体を酷使する苛烈な戦闘でもない。血を主な栄養とすること以外温厚な人々との交流が日々のタスクとなり、自ら勝手に荒ませたばかりの心が顕著に洗われていった。


 正義感。私が警察となった契機もそれに準ずる出来事に因っている。最悪だった。私の青春は15になってから初めて始まっていた。

 両親は、酒と男にそれぞれ溺れて、私をいつも蔑ろにしてきた。それを反面教師にした。こうはなりたくないと。

 ありふれていると言われればそれまでだが、当人の身になればわかる。それでも騙し騙しやってきた。中学を出たらすぐ一人暮らしをして、わかりやすく解放を求めて、それだけを希望にして。

 あの冬の夜、中身の泡立ったビール瓶が母の頭蓋を砕いてしまうまでは。


 当然の報いだった。あの時はそう自分に言い聞かせていた。だが親戚の家に移り住んでから彼らの過去を遡ると、彼らもまた被害者であることを知った。

 この世に蔓延る蟠りや、如何ともしがたい問題の数々。取り除けない欠陥。人の意志。

 諦めきれない。その思いで私は生き延びた。まず自分の心を救いたかった。新しい地でできた友人たちに支えられながら、私は晴れて警察になった。

 そこからも、付きまとうものは同じ。マニュアルに沿っただけ。上辺だけの正義感を引っ提げた同僚や上官は、私の突っ走りたがる性分を認めない。


 これもまた、当然かもしれない。私だって、誰だって自分が一番可愛い。自己犠牲の精神なんて高潔すぎて手が出せない。

 そうでなくても、許せないだけ。「あいつがいるとむしろ安全な生活が侵されかねない」。そう陰口を叩いていた彼らは、今や私が飛ばされせいせいしていることだろう。

 まだ信念は固まりきってないけど、私は配られたカードで戦う。世界の不条理と。


『難しいこと考えてるね~』


「人の心を勝手に読むな!」


 以前まで十忌村とおいみむらを一緒に担当してた甘利さんが失踪しなければ、私が機動支援係ノーマッドに移されることもなかったのだろうか。

 蠱毒が始まって三ヶ月。虫マスクの殺人鬼を皮切りにして、ネット上を主に東京全体に張り詰めたムードが流れている。

 そんな様々な脅威への対処。きっと直接的な交戦は免れないだろう。しかし、そのために訓練を詰んできた。無駄にはならないはず。

 車両の後ろに詰んだアンテナが通信電波を拾い、無線機が声を張り上げる。きっと催促だ。私の管轄エリアで、昨夜から続く膠着状態を終わらせるための。


「はい、こちらノーマッド013ゼロイチサン。」


『オイまだなのか援護はァ!?いい加減古典的な説得も利かんぞ!!』


「今向かってますから!N-R非正規課員の到着は?」


『着いてりゃとっくに突入してる!!』

『使い捨ての駒が...元々俺達はテメエらみたいな超能力部隊なんぞ信用してねえんだよ!!』


「...訂正してください。」


『ああ!?』


「私たちは駒じゃありません。しかし、相手が異常犯罪を行っているのは知っています。」

「百歩譲って、ポイントマンと。貴方たちが私に預けるのは背中じゃない。」

「盾として呼ばれたのもわかってます。ただし、使い捨ては撤回してください。死にに行くつもりなんてさらさらないので。」


『チッ、ハズレかよコイツは...』


「...はい!?」


「わかったッ、わかったからとっとと来やがれ腐れポイントマンが!!」


 老いぼれが。ややしゃがれた刑事の通信を乱暴に打ち切り、グローブボックスを開け収納してある拳銃をフリーにする。

 後味の悪いやり取りだ。思考を凝り固まらせるにも、もうちょっと方向性ってものがあると思うが。

 ともかく、今回の件で荒事を請け負うのはあくまで私達だ。気を引き締める必要がある。この手の現場はいくつか踏んできたけど、不要なトラブルを生むのは慣れ。

 必要な犠牲を説いているけれど、私はこの考えを部分的に拾い上げて支持したい。味方と敵に線引きをつけ、正義感を損なわないよう事を終わらせる。

 命を落とした仲間へ、必要な犠牲だったと慰めをかけることなく。死者は極力出さない。


 頭を切り替えよう。今回発生したのは立てこもり事件。現状集まった情報によれば、犯人は中年の男。裏口から逃げ出せた分を除いた十数人の職員を人質に銀行で籠城を決め込んでいるという。

 問題は、その犯人がクロム魔術を操作していた点にある。特異な性質を顕すメテオクロムの有無は別として、あれがあれば手頃な凶器の作成は楽勝。あとは個人による操作精度か。

 集まる野次馬や、報道陣のバン、ヘリコプターが見えてきた。そろそろ到着する。


「うおっ!?」


 その時、曲がり角から飛び出してきた人影。驚いたのは向こうも同じだったのだろう、車体におののき足を止めた紺のスーツの若い男。

 細長い筒のようなものを肩にかけ背負っていて、慌てた顔をして片目にかかった前髪を横に流した。

 口をつぐんだままバッと頭を下げ、慌ただしく肩紐をずり落としそうになりながら男は路地を駆けていく。


「危なっかし....あ!?」


 男が向かった方向は、私の目的地である銀行と一致していた。格好から察するに、同時に召集を受けたN-R非正規課員は。


『あの人、仲間みたいだね』


「マジかよぉお~~ッ!!」

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