無神経な幽霊

 視界の端に、人がいるような気がした。


 ばっと勢いよくそちらを向く。


「やっと気づいた」


 そこには、わたしとちょうど同年代くらいの少年が立っていた。


 ここはわたしたち家族の家のはずなのに、どうして。こんな人知らない。


 驚きで、なにも言葉が出ない。


 少年は悲しそうな表情をして、なにも言えないわたしを横目に見る。


「あ、あなたは……」


 ようやく小さく掠れた声が出る。両親に助けを求めるでもなく、ただその少年に尋ねる。


「僕は――そうだね、幽霊っていうのが一番正確なんだと思う」


 本人が言うにはあまりに曖昧なその答えに苛立つ。


 なにも知らないのに、そんな悲しげな表情をするな。せめて、自分の立場くらいははっきりしてくれ。


 でも、人間を敵に回し続けてしまったわたしは、もうそんな言葉は一つも発せない。


「幽、霊」


 小さな声で、少年の言葉を噛み締めるように反芻する。別に、少年の正体に興味はないのだけれど。


「霊くんとでも呼んでほしい」


 本名は言わないのかと思ったけど、人を避け続けてきたわたしに人の本名を呼ぶなんてことはできなさそうで、ちょうどいいかと思い直す。


「君は、かなり思い悩んでるみたいだ。気分転換に、外にでも出てみない?」


 霊くんは、優しい口調のわりに無神経な性格をしているみたいだった。


 外に出てみないかなんて誘い、わたしにとっては禁句に近いものだ。


 霊くんに言われて改めて外を想像してみても、いいイメージは一つもなく、ただただ恐ろしい場所ということだけ、心の奥底に刻まれていた。


 だから、霊くんに怒りをぶつけるのも、仕方のないことだと思う。


「……る、さい……」


「え? ごめん、聞こえなかった」


 この期に及んでデリカシーのない言葉。わたしは堪忍袋の緒が切れた。


「さっきから、うるさい……。わたしの辛さも苦しみも、なにもわからないくせに……!」


 これほどまでにはっきりとした怒りを抱いたのは、人生で初めてかもしれない。いじめられていると気づいた時でも、怒りは抱かなかったというのに。


「僕は、君の辛さも苦しみも、少しくらいわかってるつもりなんだけどなあ」


 霊くんはどうしても無遠慮で、わたしは怒りを抑えきれない。


「わかるわけない! わたしがどんな目に遭ってきたか! 今、どれだけ辛くて苦しいのか!」


 憎悪と怒りと悲しみと後悔と――数えきれない感情を、全部その叫びに乗せてぶつける。


 結果として、これまでとは対照的に声は大きくなってしまう。叫んでから、母に聞こえているかもと思ったが、母は今家にいないということを思い出し、胸を撫で下ろしかける。


 いや、違う。今目の前にいる、無神経で無遠慮でデリカシーに欠けるこの男が、腹立たしくて仕方ない。


 彼は、目を閉じていた。


 しかし、わたしが彼の方を向いたのに気づくと、彼は目を開いた。その表情からは、さすがに反省の色が伺える。


「ごめん。確かに、君の辛さも苦しみも、君にしかわからない」


 言い負かされたとかそんな空気は感じられず、ただ、自分の思う通りに言っただけのようだった。

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