『第十四章~ダブルチーム』

 露草葵の部屋、保健室から一分、大きな駐輪場が見えた。学園入り口のすぐ隣に、アルミ屋根がずらりとならんでいる。そこに四人の姿が見えた。一番背の高いシルエットは須賀だった。一番小さいのはアヤ。残り二人がリカとレイコ。方城らしき姿はなかった、バスケ部の練習だろうか。

「ごめん、待たせ……て」

 リカたちに向けて言いかけた久作だったが、言葉尻が消えた。リカたちの前、十メートルほど先に人だかりが見えたからだ。歩調と呼吸を緩め、久作はリカたちに近付きつつ、前方の人数を数えた。二十九、三十、三十一、三十二……三十七人。その中の男性七人が集団の先頭に立ち、学園入り口とリカさんや須賀の前にずらりと並んでいた。保健室から学園入り口まで全速力だったので、リカの隣に辿り着いた久作の息は荒かった。

「速河く――」

「速河ぁ! 待ちくたびれたぞ!」

 どこかで聞いた声だ。リカとアヤをそっと割って、三人の先頭に立っていた須賀と並んだ。

「大丈夫か、速河?」

 須賀が慎重に言った。視線は前方の群集に向けられたままだ。

「僕は問題ない。それより、これは?」

「つい五分ほど前、お前を待っていた俺たちに、この集団が声をかけてきて、こうなった。まだ会話らしい会話はないので先方の意図は知らんが、おおよその察しはつく」

「何だ? 須賀ぁ! 作戦会議でもやってんのか!? ナイトのお二人さんよ!」

「佐久間? 佐久間準か?」

 人の名前を覚えるのが苦手で、顔と名前が一致しないことが多々ある久作だったが、佐久間準の顔と、その荒々しい口調はぴたりと一致した。

「佐久間準、何か用事かい? 僕らはもう帰るところで――」

「帰れると思ってんのか!」

 久作の軽い口調の科白は、佐久間の怒鳴り声でかき消された。

「まあ待て。速河久作、1‐Cだったか? お前と隣の須賀、そして方城といったか、お前らは目立ちすぎだ」

 佐久間を制した男が、ゆっくりと言う。

「ミス桜桃学園は生徒全員が楽しみにしている行事だ。それを、お前らと、後ろの三人は滅茶苦茶にしてくれた」

 後ろの三人とは、リカ、アヤ、レイコのことだ。

「ミス桜桃はな、誰が一番美人か、それを決めるものだ。三人が並んで一位なんてのは、論外なんだよ」

 誰が一番の美人かなんてものは好みの問題だ、そう言ったのはラプターズのベース、真樹卓磨だっただろうか。

「実行委員会としての体裁もあるから、今回は三人全員がミス桜桃ということにしたんだが、そこまではいいとして、速河、須賀、そして方城、お前らは何だ? 三人と付き合ってるらしいが、それだと困るんだよ、こっちは」

 冷淡な口調が続く。こいつが河野だ、久作は確信した。3‐Eでサッカー部キャプテン、そして……リカさん襲撃の実行犯の一人。瞬間的に血液が泡立ちそうになった。まだだ、冷静に、久作は再び自分に言う。

「リカさんたちがミス桜桃になるのは良くて、でも僕らが付き合っていると困るというのは、どういうことですか? サッカー部キャプテンの河野先輩」

「ほう、俺を知っていたか、大した奴だ。佐久間が言っていただろう? 目立ちすぎだって。ミス桜桃は学園のアイドルなんだよ。そこにお前みたいなのがいると、アイドルに憧れる生徒が近づけない。お前らがガッチリとガードしているからな」

 話の意図がつかめない。この河野という男は、結局、何がいいたいんだ?

「速河、代われ。ラチがあかん。河野、先輩でしたか? ミス桜桃が生徒のお祭り行事で、学園のアイドルを決めるものだというのは解かりました。しかし、それと俺や速河が誰かと付き合っているという点に、何か問題がありますかね?」

「誰か、なら問題はないさ。しかしな、須賀といったか? お前らが付き合っているのは桜桃学園のアイドルだ。どこの誰だか知らんお前らのような奴らがそのアイドルと付き合うってのは、不釣合いなんだよ。不釣合いで、そして、俺たちには邪魔なんだよ」

「速河、そういうことらしい」

 須賀が言ったが、久作はまだ意図がつかめていない。それに気付いてか、須賀は言った。

「学園のアイドルの相手にふさわしいのは、自分たちだと、そういうことですか? サッカー部キャプテンの河野さん」

「高等部一年の学年成績ベストワンか、須賀。お前は話が解かる奴らしいな? それでだ、話の解かる須賀、提案だ。お前と隣の速河、そして方城とかいう奴、三人揃ってしばらく病院で眠っていろ」

 河野が軽く手を上げると、それが合図だったらしく、他の連中が少し散って、久作と須賀に近付いた。手に何かを握っている者もいる。

「はは、河野キャプテン、その提案はさすがにのめませんよ。俺は病院というのが嫌いでしてね。エタノール臭だけで逃げ出したくなるくらいなんですよ。河野キャプテンは病院が好きらしいみたいですから、そちらが全員、病院に行ったらどうです? 俺からの提案です」

 サッカー部キャプテン、河野が、くくく、と笑った。

「須賀恭介だったな? 面白い奴だ。その提案というのは、つまり俺たちに対する宣戦布告ってことか?」

「少し違いますね。宣戦布告をしたのはそちらで、俺のは、最後通告ですよ?」

「キャプテン!」

 誰かが大声で言った。元木? サッカー部レギュラー、2‐Dの元木というのがその声の主だろうか。河野より少し小柄だが、須賀よりも一回り大きく見える。河野と須賀の身長が同じ程度、百八十センチ強。元木であろう男がそれより十センチほど低い。

 身長は須賀のほうが上だが、体格に明らかに差があった。サッカー部は真面目に練習しているらしいが、肝心のキャプテンは先の通りで、桜桃サッカー部は弱小らしい。

「河野キャプテン!」

「……話はこんなところだ。佐久間、お前はあの速河とかいう奴だったな? 好きにしろ。元木! 井上! 藤原! 永山! 須賀恭介とミス桜桃だ!」

 須賀と、ミス桜桃? そこでどうして、リカたちの名前が出る! 三人が須賀に向かい、二人がすぐ後ろのリカ、アヤ、レイコに向かってくる。

「リカさん! レイコさん!」

「速河! 他人の心配してる場合か?」

 全速力で佐久間が久作に突進してくる。右腕が大きく振りかぶられていた。久作は背後と前方に素早く目を走らせ、全身に力を入れる。

 ドコン! と物凄い音がして、佐久間が頭を後ろにそらせ、一拍おいて、倒れた。久作と倒れた佐久間とは二メートルほど距離がある。久作はまだ構えてすらいない。何がどうした?

「あのさ、俺ってさぁー」

 場違いな軽い口調、聞き覚えのある声だ。

「アヤのいってた、ザコ扱い? それっぽくねーか? 授業でもテストでも全然目立ってねーしさぁ」

 久作は素早く声の主を見る。紅くなりかけた夕日の逆光のため、顔や服装はシルエットになっていて見えない。

「まあ、体育とかでは、それなりに頑張ったつもりなんだけどな、やっぱ学生はテストでいい点取らなきゃダメだよな?」

「方城?」

「方城護ー!!」

 久作の声は、背後のアヤの悲鳴に近い叫びで消えた。

「すまん、速河。バスケ部でミーティングがあったんで、少し遅れた、悪い」

 二歩ほど移動して、顔が見えた。方城だった。

「て、てめぇ……方城!」

 地面に這(は)いつくばった佐久間が、搾り出すように言い、方城を睨みつけている。既に全身埃まみれである。

「お前は、えーと、佐久間準だったっけ? いつだったか、速河にボコボコにされて気絶して、そのまま病院だったっけ?」

 方城が笑顔で佐久間を指差して、そして、くく、と笑った。

「誰がボコられたって!? あんな不意打ち! あんなで俺が気絶するか!」

 頭をふらふらさせて、佐久間が立ち上がった。顔が真っ赤になって、鼻血が流れていた。

「へー、立てるのか、タフな奴だなぁ。ああ、バッシュか。これがクッションになったんだな?」

 佐久間が久作に突進してきたところに、方城の右ハイキックがカウンターで顔面を捉えた、先ほどの凄い音はそれだったのか。久作の全身から力が抜けた。

「方城護ー!!」

 再びアヤが叫んだ。

「あいよー! 俺って何かザコっぽいんだけど、アヤ! 俺もなかなかカッコイイってところ、見せてやるよ!」

「おお! 行けー! スピンムーブ!」

「いや、だからそれは違うって! ……佐久間! お前の相手は俺だ。でもって、永山だったかな? お前もだ。あと、名前知らねーけどそっちの奴、あんたもだ」

 あんた、と呼ばれたのは2‐Bの藤原、野球部のベンチウォーマーだった。完全にキレた佐久間が何か叫んでいるが、もはや言葉になっていなかった。

 再び強烈な右ストレートが方城の顔面に向けて放たれたが、方城は上体をそらしてそれを交わし「スピンムーブ!」と叫んでから体を地面すれすれまでに下げ、地面を這う右ローキックを佐久間の右ふくらはぎに叩き付けた。佐久間が激痛で叫びバランスを崩す。方城は姿勢はそのままで地面でくるりと右回転して、バッシュの底を佐久間の右脇腹に入れた。佐久間が左に流れるのを待たずに方城は地面を蹴って飛び、「エアドライヴ!」、佐久間の隣にいた1‐C永山の胸元に両膝を突き刺した。

 五秒、それくらいだっただろうか。

「いけね、ダブルクラッチ、忘れてた。っつーか、さっきのスピンムーブじゃねーし、エアドライヴって何だよって話だ? まあ、いいか。アヤー! こんなんでどーだ?」

 気絶した佐久間と永山をバッシュの先でつつき、方城は、いつの間にか久作の隣に移動していたアヤに言った。

「……す、スゲー! 方城護! イカすー! 速河久作並のウルトラコンボじゃんか!」

 アヤの瞳がキラキラと輝いている。二つに束ねた金色の髪を揺らして、その場でぴょんぴょんと跳ねている。

「方城……方城! ダメだ! お前はバスケ部のエースで! 手を出したりしたら――」

「速河、俺、手は出してねーぜ。足出しただけだ」

 確かに、方城は手を出していない。蹴りを数発と膝を一撃、全て足だ。いや! そういう問題じゃあない。

「そうじゃないよ方城! 手でも足でも頭でも同じだ! 暴力沙汰になったらバスケ部は休部か廃部に――」

「あのさ、速河。俺は成績悪いんで、先のこととかまでは考えられねーんだ。目の前のことに集中、それしかできねー。それでもいちおう考えてな、バスケ部のキャプテンに退部届を預けてきた。ああ、言っとくけど、預けただけだからな? 俺はバスケやめるつもりは一切ない。ただ、バスケ部に迷惑かけるかもって思ったから、キャプテンに事情を話して、退部届を渡したんだ。最悪はそーなるかもしんねーけど、まあ、その時はその時でまた考えるさ」

 どうしてだろうか、久作は目頭が熱くなった。何事も自分一人でこなすべきだ、他人に下らない迷惑をかけない、ずっとそういうスタンスだった久作に対し、方城は、彼の命といってもいいバスケを賭けて、この場にいる。ミス桜桃への戦術、臨機応変に対応、ラプター編隊、そんなことを考えつつも、やはりどこかで自分一人でと考えていた久作の二歩ほど先に、方城が立っている、彼の命であるバスケを賭けた方城が。頼るだとかそういった言葉は浮かばなかった。ただ、嬉しい、それだけだった。

「方城!」

「ん? 何だ速河?」

 久作は方城を見詰めて、両手を強く握り締める。

「任せる! 自分の判断で動いてくれ!」

 一瞬の間。

「了解、ボギー1。さぁて、ザコその1と2は片付いた。あんたの番だ。二年? 名前知らねーけど、あんただよ」

 藤原、2‐Bで野球部のベンチウォーマーの「あんた」は気絶している佐久間と永山、そして方城を見た。十五センチ近く身長差があるので、藤原は方城を見上げていた。

「ふ、ふ、藤原だ!」

「え? ああ、あんたの名前? 別に名乗らなくてもいいって。どーせザコその3なんだろ? あー、何か俺の相手って全員ザコばっかしだな。なあ、アヤ? ザコ相手ってことは、俺ってやっぱザコなのかー?」

「いいぞ! 方城護! ザコ相手でもフルコンボ炸裂だぁー!」

 アヤがファイティングポーズから左右を繰り出している。

「誰がザコだ! おい! お前ら!」

 二年藤原の掛け声で、十五人ほどが方城に向けて走り出す。

「いいねー、規格外オールコートの超ゾーンプレスってか? 野球部だかサッカー部だかのザコ軍団、バスケのスピードについて来れるか? ……桜桃のスコアリングマシン、エースの俺、方城護をナメんなよ! でもって、いきなり全開ハイスピードドライヴ!!」

 上着を脱ぎ捨てた方城が、バッシュで地面をえぐり、集団に向けて鋭く駆け出した。

「やれやれ」

 と、隣で方城の様子を見ていた須賀が溜息をついた。

「速河。おいしいところを全部、方城に持っていかれたぞ、どうする?」

 須賀は、方城の雄叫び、技名だろうそれを聞きつつ半笑いで言った。

「俺たちは窮地(きゅうち)だったはずなんだが、すっかり状況が変わった。多勢にどうするか対応を考えていたんだが、方城がいきなり十五人近くも持っていった。残りはたったの十五人だ。これでは単なる小競り合いだ」

 そんなことを言いつつ、須賀は何やら周囲に目をやっていた。

「何か適当な……おっと、適当どころかそのものがあるじゃあないか。さて、速河、俺も十五人ほど貰うぞ?」

 須賀はそう言ってから二歩、前に出て、別集団の先頭の人物を半分閉じた目で睨んだ。

「サッカー部の河野さんでしたか? それと隣は、同じくサッカー部の元木さん。井上さんは、なるほど、見ての通りの野球部か。二つ三つ言いたいことがあるんだが、まずは、井上さん? その金属バットで俺を打ちのめしてみて下さい」

「須賀!」

「須賀くん!」

 久作と、背後のリカから悲鳴が響いた。須賀はその悲鳴に振り返り、まあまあ、とゼスチャーして、再び井上を向く。

「どうしました? 聞こえませんでしたか? ああ、こちらがまだ構えていないからですか。では……」

 そう言うと、須賀は、どこからか拾ったらしい棒を握り、その先端を井上に向けた。

「かなりくたびれているが、これでも立派なバンブーブレードだ。井上さん、俺は構えた……全く、耳が聞こえないのか?」

 井上は金属バットを右手で握り、しかし仕掛けてくる様子はない。

「下らんことに時間を浪費するのは大嫌いだ……井上! かかってこい! 野球部の補欠!」

 須賀が吼えた。そんな須賀を見るのは初めてである。久作だけではない、リカもアヤもレイコも、みんなだ。

「須賀に火が入った!」

 群集の中で駆け回っている方城が大声で言った。須賀と長い付き合いの方城は、須賀がどういう人物なのか、把握しているようだ。

「須賀! 俺は! 補欠だと? このバットが見え――」

「ごたくはいらんから、かかってこい! 何度も言わせるな! 補欠!」

 二年の井上が叫んで、その金属バットを須賀の頭に向けてフルスイングした。死ぬ! 久作は血の気が引く音を聞いた。が、その音とは別に、パン! パン! と二度、音がした。フルスイングの金属バットは須賀の頭の上を通過し、井上は、倒れた。何が起きたのか解からない。

「やはり補欠か。相手に後頭部を向ける馬鹿がいるとは、驚きを超えて呆れる。方城ではないが、こちらもザコか」

 須賀が何やら言っている。須賀が握っているのは、くたびれた竹刀(しない)だった。

「何と言うのか、俺もリカ君の前で少しはいい格好がしたい。付き合っている、ということになっている、というのもあるが、まあそれは置いておき、女性にいいところを見せようとするのは、まあ健全だろう? 速河?」

「え? 何? あ、ああ、そうだね。そうだけど、その……」

 笑顔の須賀は、久作と、背後のリカを見た。

「須賀くん? いいところって、喧嘩はダメよ! 危ないことはダメ!」

「危ないことは駄目、確かにそうだ。しかしリカ君。さきほどの、井上だったか? 奴のバットは危なかったかい?」

 リカは倒れている井上を見た。ピクリともしない。金属バットがごろごろと転がって、止まった。

「危ない……えっと、え? 須賀くんも棒を持ってて、井上? その人は倒れてて、何?」

 リカがしどろもどろで誰かに質問している。その相手が久作なのか、レイコなのか、須賀なのかは、当人にも解かっていないようだ。

「詳細は後ほどということで……サッカー部のキャプテン、河野さん。おさらいをしておきましょう」

 井上と須賀を交互に見ていた河野が、体をぴくりとさせた。

「俺たちは帰宅しようとした。そこにそちらの面々、方城のお陰で数人は既に寝ているが、それが学園入り口を塞ぎ、ミス桜桃に関して何やら言った。それがそちらの宣戦布告で、俺は、最後通告をした。またこうやって喋っているということは、律儀にも二度も最後通告をしているということだが、ついでだ、これも繰り返しておこう。俺は病院が嫌いで、そこにはあなたがたが行くべきだ。脳に障害があるらしいから、ついでにMRI精密検査を受けるといい。言語障害でも早期発見ならば治る可能性はある」

 須賀の科白にサッカー部キャプテン、3‐E河野の表情が変わった。倒れている井上の横の金属バットを手にして、冷たい笑顔で睨んでいる。氷の視線が須賀の眉間に突き刺さる。

「脳に障害……須賀、それはつまり、俺を挑発していると、そういうことだな?」

 目付きが変わった。冷静にキレる、そういった状態だ。サッカー部キャプテン河野と須賀の身長はほぼ同じの百八十センチ強。いや、河野のほうが若干上だろうか。体格は雲泥の差。そして、河野の手には金属バットが握られている。リカが久作の手を握った。危ないどころではない。河野が金属バットをバッターのように横に構える。と、須賀が構えを下げて、逆に声色を上げて河野に言った。

「ああ、一つ言い忘れていました。脳障害があるようなので理解できるかどうか解かりませんが、俺は剣道を少しかじってました。腕前はたいしたことはありません、殆ど素人ですけれどね」

 須賀のバンブーブレード、竹刀がゆっくりと河野に向けられる。対する河野は、須賀の言葉に若干困惑している。殆ど素人という須賀の竹刀は、二年の井上、野球部補欠をあっさりと気絶させた。河野は冷静に須賀の力量を測ろうとするのだが、須賀の科白がそれを邪魔する。

「金属バット、破壊力はあるでしょうが、サッカー部のあなたがそれを使いこなせるのか、気になりますね。横に構えて相手の攻撃をさばけますか? さて、雑談はこのくらいだろう。下らん時間はもういい……河野、あと元木だったか? いつでもこいよ」

 しかし河野は動かない、サッカー部レギュラーの元木も同じく。野球部の井上は倒れたまま。須賀の竹刀の先端がそれぞれをゆっくりと指す。ふう、と溜息を漏らした須賀は、構えたまま言う。

「キャン・ユー・スピーク・ジャパニーズ? 日本語が理解できないのか? 同じことを何度も言わせるな! 下らん時間に付き合うほど俺は暇じゃあない!」

 左足で地面を蹴った須賀が、サッカー部レギュラーの元木と距離を詰めるのに一秒。胴に竹刀が一撃で0.五秒、頭頂部に一撃で0.五秒。二秒で元木は倒れた。元木が構えていたかどうかは定かではない。須賀と須賀の竹刀の動きが早過ぎて、結果しか解からない。どさりと仰向けになった元木を見て、河野は呆然と立ち尽くしていた。

「リカ君、どうかな? 俺もなかなかのものだろう?」

 あの速度の動きをリカが追えるはずがない。久作の手を握ったまま、リカは、須賀とその科白と、倒れている元木を交互に見る。

「……え? 何? 須賀くん? えっと」

「す、須賀恭介スゲー! チョーチョーマッハコンボ?」

 アヤが簡単に解説した。

「河野、お前はサッカー部だろう? 蹴りのほうがいいんじゃあないのか? それとも、そのポケットに入っているナイフでも使うか?」

 文字通り秒殺された元木を見ていた河野が、須賀を睨んだ。そして、ポケットからナイフを出した。

「1‐Cの須賀恭介、お前は死にたいらしいな……」

 バタフライナイフが河野の手の上で器用に踊っている。リカが無言の悲鳴をあげた。須賀が手にしているのは竹刀。腕前は見ての通り、かなりのものだか、相手が刃物を持ち出すと……そこで久作の思考は止まった。須賀がそれを継いだのだ。

「アーミーナイフでも出てくるのかと思っていたが、まさかそんなオモチャだとは、話にならん。まあ、お前がそれでいいと言うのなら構わんが。いつでもいいぞ、来いよ、河野キャプテン」

「須賀……死ね!」

「そんなつもりは毛頭ない」

 一直線に突き出されたバタフライナイフは、須賀の竹刀でいとも簡単に弾かれ、植え込みに消えた。ナイフを弾き飛ばした竹刀は素早く方向を変え、河野の即頭部を打った。かなりの衝撃だったらしく、河野が悲鳴を上げてよろけた。

「キャプテン!」と河野の背後から声が聞こえた。すると、即頭部に手をやったままの河野に、あの冷たい笑顔がすぐに戻った。

「……須賀恭介、剣道というのは一騎打ちが基本だよな? 俺はサッカー部のキャプテンで、サッカーはチームプレイだ。ここで俺が仲間と一緒に貴様を囲んでも、卑怯ではないだろう? たまたまお前が剣道で俺がサッカーだった、単なる競技の違いで、ルール上は全く問題ない、違うか?」

 河野が手で合図を送ると、イレブン、ではなく十五人近くが須賀の目の前に広がった。くたびれた竹刀を中段に構える須賀と、その集団。久作の手をずっと握ったままのリカの手に力が入る。リカの訴えに応えて久作は一歩前に出た。が、須賀がそれを制した。

「速河、気持ちはありがたいが、最初に十五人ほど貰うといっただろう? リカ君の前で、俺もなかなかに格好がいい、というところを見せたい、ともな」

 言い終わらないうちに五人が須賀に殴りかかってきた。が、五秒で全員が倒れた。須賀の竹刀の残像だけがかろうじて見えた。立ち位置は数歩の範囲内で、周囲に五人が気絶して転がっている。久作とリカは目を点にして止まったままだった。一人、アヤだけが大騒ぎしていた。

「またまたまたの秒殺コンボー! 須賀恭介って何者だー!? 方城護! こいつ何者だ?」

「スティール! えー? 何? 須賀が何って? あいつは、フェイダウェイ! あいつは剣道やってたんだよ、ってザコ! ウゼーぞコラ! ダンク!」

 方城が技名らしきものを叫ぶたびに、誰かが倒れ、群集は既に数人にまでなっていた。方城はこの状況下で、喧嘩ではなく、バスケットボールをやっているらしく、アヤの声にもしっかりと応えるだけの集中力をキープしていた。

「いやだから! 剣道やってたのは見たらわかんの! 何でマッハコンボなのよ?」

「何でって、須賀は小学校から中等部一年まで剣道やってて、確か、中等部一年の冬の全国大会で三位だか四位だかになったからじゃねーの? スピンムーブ! あ、この技、結構使えるな」

 大声での方城からの解説に久作は納得し、リカも少し安堵したらしい。その解説に一番驚いたのは、サッカー部の河野だった。須賀が、やれやれ、といった風な溜息を一つ、竹刀を握りなおした。どうやら須賀は、自分の過去をあまり人に知られたくなかったらしい。その一端を方城とアヤによって暴露された須賀は、ならば仕方がないという表情で、河野を睨んだ。

「サッカー部キャプテン、三年の河野。人に向かって「死ね」などと言うのは最低だ。そもそもお前は、既に二度ほど死んでいるんだ。俺が手にしているのは竹刀だが、これが日本刀だったらどうなる? バタフライナイフと貴様の腕は一緒に植え込みの中だ。そこで大量出血によるショック死。頭に入れた一撃が鉄パイプならば頭蓋骨骨折で死亡。そして……」

 須賀がその竹刀を上段に構える。河野は、先の五人の様子、一瞬だったがそれを見て、完全に戦意を喪失していた。小さく悲鳴を上げ、やめてくれと必死にゼスチャーしている。その河野の頭頂部を、須賀の竹刀が一閃。大きく弾ける音は、河野の意識が飛んだ音だった。それを見た残りの軍勢は、八方に散って逃げ出していた。

「全く、下らん。何が一騎打ちだ。剣道が剣術であり、合戦を前提としたものだというのは常識だろうに。しかしまあ、リカ君、どうだろう? 格好のいいところを少しは見せられたかな?」

 河野が倒れ、須賀は竹刀を下ろして振り返り、小さな笑顔で尋ねた。

「格好のいい……ところ?」

 須賀が危険ではなくなったことは解かったが、リカは戸惑っていた。

「えと、ええ、格好いいけど、その、何?」

「ったくー。藤原とかいうの、野球部? こいつ。ザコ軍団で一番強そうだったから後回しにしてたのに、軽く蹴っただけで倒れやがった。いちおう必殺技っぽいのを考えてたのに、使うヒマもねーでやんの。だからザコ相手はイヤなんだよ」

 リカの言葉を消すように、方城が溜息交じりで寄ってきた。方城のかなり後ろに藤原とかいう男子が仰向けで倒れていた。少し離れた場所で佐久間準を筆頭に三十人ほどがうめき声をあげている。須賀の前では、井上、元木、そしてサッカー部キャプテンの河野とその仲間が、それぞれ倒れている。逃げ出した連中と合わせると三十七人近くになるだろうか。

 佐久間、永山。藤原、井上、元木、河野……。久作はそれぞれを見て、何かがおかしいと感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る