『第十二章~コ・パイロット』
四月二十六日日曜日、午前九時過ぎ。
久作は冷蔵庫にあった野菜ジュースをごくごくと飲みつつ、ケータイを片手にパソコンの電源を入れて、方城と須賀から昨晩送られてきたメールを読み返していた。
「ミス桜桃はバスケ部でも話題になってた。キャプテン以外の三年は、練習の合間にミス桜桃の話をしてた。今回のミス桜桃はレイコ。でもリカとヤアもミス候補だっていってた。――方城護」
「現時点ではリカ君、アヤ君、レイコ君がミス桜桃のベストスリーだ。野球部とサッカー部ではミス桜桃の話で盛り上がっている様子だった。そのミス桜桃学園の実行委員は五人。井上、河野、新田、藤原、元木という名前らしい。そして、英語教師の脇田がからんでいる節がある。――K.SUGA」
昨日夕方、音楽室でラプターズの加納勇介と真樹卓磨から聞いた話を合わせて、状況が理解できた。須賀のメール、ミス桜桃学園実行委員の構成に英語教師が入ってたが、かろうじて予想の範囲内だった。ただし、生徒主催の行事に英語教師がいるというのは、きっちりと頭にいれておいたほうがいいだろう。そこから予想外の事態が想定できるからである。思考をなるべくシンプルにするために、久作は重要な単語をいくつかならべた。
ミス桜桃学園に対して、リカのトラブル、レイコとアヤの噂、まずはこの三つ。
生徒主催で悪ノリに過ぎる、トラブルが絶えない、それが教師の耳に入ることはない、これはラプターズからの情報だ。
こちらの目的は「リカちゃん軍団をそういったトラブルに巻き込まない」、この一点だけである。
ただし、相手がミス桜桃学園全体、教師を含めれば千二百人ほどになるかもしれない。それに対してこちらは、自分と方城と須賀のたった三人。真正面から勝負して勝てる見込みは0%だ、断言できる。久作は本棚から一冊の雑誌を取り出した。表紙に戦闘機「F‐22」の真正面の写真が掲載された、軍事・航空機関連の雑誌だ。
多用途戦術戦闘機にして航空支配戦闘機、通称「ラプター」F‐22は3S、「ステルス性、スーパークルーズ(超音速巡航)、STOL(短距離離着陸)」を実現させた、久作が知る範囲内では世界最強の戦闘機である。手にした雑誌のラプターを見て、久作はにやりと口元を上げてパソコンのキーボードを叩く。
『速河久作 戦術プラン バグラチオン作戦(仮)』
・速河久作~F‐22、ボギーワン+レイコさん
・方城護~F‐22、ボギーツー+アヤちゃん
・須賀恭介~F‐22、ボギースリー+リカさん
・ミス桜桃学園の制空権を奪取し、敵機甲部隊に対して威嚇
・機甲部隊の進軍が著しい場合は、各個撃破
・事態が収束しないようであれば、拠点に絨毯爆撃
※意味不明だと思うけど、詳しくは月曜日にでも説明する
各自のケータイアドレスに対して、その謎の文章を送信し、久作はベッドに横になった。数分後、方城からメールが届いた。ケータイを開こうとすると、また着信音。止まったかと思うとすぐに着信、間髪入れずに再度着信。ケータイがやかましく鳴る。方城、リカ、アヤ、レイコの順番だった。須賀から返信がないのは、あの短文で意味が通じたからだろう、と思ったが、須賀からもメールが届いた。それぞれから届いたメールには「意味が解からない!」と書いてあったが、久作は気にせずケータイを閉じた。「詳しくは月曜日に」と書いたからだ。
静まったケータイに「焦るなよ」と声をかけ、久作はトーストをかじり、野菜ジュースで流し込んだ。準備と頭脳労働はこれで終わりだ、久作はそう確信した。
「ラプター編隊を甘くみるなよ、ミス桜桃学園実行委員会……」
明けて月曜日、四月二十七日。
普段より十五分ほど遅くにホンダXL50Sのキックペダルを蹴り、桜桃学園へと続く例の心臓破りの坂をゆっくりと登り、既にかなり埋まった駐輪場の、そこだけ空いている定位置にXLを入れる。左手のデジタル時計を見ると、八時四十二分、朝のホームルームまで十五分ほどしかなかった。
リュックを肩にかけ、フルフェイスを片手に、久作はのんびりと高等部校舎に向けて歩いた。空を見上げると、今日も晴れ渡っていた。偏西風、ジェット雲が放射状に並んでいる。ジェット雲の隙間にスーパークルーズで駆け抜けるラプターの姿を描くと、ジェット雲の一部に穴が開いた。世界最強の第五世代戦闘機、F‐22、通称「ラプター」が背面を久作に向ける。六角形のデルタ翼が太陽を背に黒いシルエットとなっていた。
「おはよう! みんな! 今日もいい天気だね!」
教室に入り、久作を追って走ってきていたリカたちに、笑顔で挨拶をする。
「お、おはよう……じゃなくって! 昨日のメール、あれって、何? 全然意味がわからない――」
「速河久作ー! おは。F‐22って飛行機だよな? ネットで検索したら出てきた。でもさー、敵機甲部隊って何よ?」
「おはよー! 久作くん! 今日もいい天気だねー!」
アヤとレイコが続ける。方城と須賀が目に入った。
「速河、昨日のメール、あれ、何だ? なんのことかサッパリだよ。ボギーワンって?」
「F‐22が飛行機? そうなのか? それで制空権を奪取して、敵機甲部隊を各個撃破だったか? ゲームか何かの話か?」
方城と須賀が真面目で、それでいて不思議そうな顔をして久作を見ている。リカ、アヤも同じくで、唯一、レイコだけがにこにこと微笑んでいた。
「ゲーム? いや、リアル、現実の話だよ。もうすぐホームルームだ、続きは後で」
久作が言い終わるのとほぼ同時に教室の扉が開き、担任が入ってきた。月末にテストがある、とかそういったことを告げ、他にも何か言って、十分でホームルームは終了した。
「晴れてるのはいいけど、先週くらいからずっと晴れっぱなしじゃなかったっけ? 少しくらい湿り気がないとね? ……解かってる、本題に入る」
レイコを除く全員の視線が突き刺さっていたので、久作は世間話を中止した。
「手短に要点だけを言うよ? 今日から十三日間、ミス桜桃学園が終わるまでの僕なりの戦術だ。須賀、戦略じゃあない、戦術だ。今日、ミス桜桃学園を決める集計用紙が配られるらしいから、このバグラチオン作戦、ネーミングは適当だよ、この作戦は既に始まってる。先手を取れたのは方城や須賀の情報のお陰だ。他からもかなりの情報が入ったから、こちらの準備はほぼ完璧だ」
方城と須賀が、頭をひねる。自分たちのメールが何かの役に立ったらしいことは解かったが、まだ全体がつかめない。
「今日は、数学と日本史、午後は体育か。先制攻撃は須賀だな。須賀、あとリカさんとアヤちゃんもだけど、数学の例の仲迫とかいう先生と君らの勝負だ。バグラチオン作戦の火蓋は君らが切る、当然、僕もだけど。方城とレイコさんも目一杯頑張ってくれ。二人が数学が苦手なのは知ってるけど、須賀と僕でフォローする」
「あの、速河くん? ちょっと……」
リカが不思議そうに言った。頭の上に「?」マークがくるくる回っている。
「結局のところ、私は何をどうすればいいの?」
「数学の授業で、出された問題を全部、完璧に解く。ついでだから仲迫とかいう先生もやっつけよう」
久作が笑顔できっぱりと言い放った。
「問題を全部、完璧に解く? で、仲迫先生をやっつける?」
「……なるほどな。了解だ、ボギーワン」
「なんだか知らないけど、乗ったー! 仲迫の技をキャンセルして、硬直したとこにフルコンボだぁー!」
リカは驚いていたが、須賀は趣旨を理解したらしく、にやりと口元をゆがめた。アヤは、見ての通りだ。方城と、そもそも話を聞いているのかどうか怪しいレイコは、それぞれ唸ったり歌ったりしていたが、始業チャイムと同時に数学の仲迫教師が教室に入ってきたので、全員が自分の机に向かった。
一限目の数学が始まって十分で、久作はこの仲迫という教師がどういった人物なのか解かった。ホワイトボードに並ぶ数式は、半分は高等部一年生に向けた、教科書に沿ったそれで、しかし残りの半分が二年か三年レベルのものだったからだ。
「じゃあ、この問題を、速河、解いて――」
「2x‐2です」
中等部じゃああるまいし、こんなものに付き合ってる時間は勿体無い。久作は座ったまま素早く言って、ホワイトボードの難解なほうの公式を眺めた。仲迫が呆けていたようだが、それも無視した。咳払いが聞こえた、仲迫教師だろう。何か言っていたが、久作はそれも無視した。しばらく高等部一年の数学らしい授業が続き、途中でいきなり流れが変わった。難解な公式が、須賀に向けられたのだ。その公式は、理数系大学の入試レベルのものだった。これがリカのいっていた「須賀潰し」か、と久作は教室中央の須賀に視線をやった。
「この問題を、そうだな、須賀、解いてみろ。お前は数学が得意らしいから、簡単だろう?」
ねばねばした口調で数学の仲迫教師は言った。五秒で教室が騒然となる。その公式を解ける人間など、高等部三年の成績ベスト五連中くらいだろう。解けはしないが、そうだとクラス全員が解かる。
「先日も言いましたが、俺は数学は苦手ですよ、仲迫先生。ちなみに解答は、x3乗‐3x=18ですけど」
ロックオンから一瞬の迷いもなく引かれたトリガー、須賀のサイドワインダーが中迫教師の額に命中した。十秒かそこらの須賀の科白で、仲迫教師は撃墜され、きりもみしつつ地面に自由落下していった。やれやれ、と久作は思った。須賀、あいつは手加減というものを知らないらしい。これではリカやアヤの出番がないじゃないか。微笑んだまま久作は、仲迫教師が姿勢を立て直すのを少しだけ祈った。その願いが通じたのかどうか、中迫教師は何事かを須賀に言い、別の、同じくハイレベルな問題を指差した。
「じゃあ、こ、この問題を、そうだな――」
「はいはーい! γ=30°、m=6n‐4のときに最大値2、でーす!」
指名されていないアヤが勢いよく立ち上がり、大きく叫んだ。五秒ほどだっただろうか。
アヤのウェポンベイから発射されたのは、短距離空対空ミサイル「サイドワインダー」ではなく、アクティブレーダーホーミング搭載の発展型中距離空対空ミサイル「アムラーム」、簡単にいうと、F‐22・ラプターの主兵装で、とんでもなく強力なミサイルである。
須賀といいアヤといい、手加減というものを全く知らない。サイドワインダーとアムラームを二発喰らって無事な相手などいない。久作は、今度は本気で、数学の仲迫という教師の無事を祈った。その後の仲迫がどうだったかは見ていない。授業は聞いていたが思考は別に向いており、教室も静かだったので、何事もなかったのだろう。一限目終了のチャイムが鳴り、煙を吹いて爆散した中迫教師が、教室からへろへろと立ち去った。あれで職員室まで辿り着けるのかどうだか。途中の廊下で残骸になっていても全く不思議ではない。
久作の机にリカちゃん軍団と方城、須賀が来て、その周りをクラスメイトが取り囲んでいる。
「須賀! またまたナイスだぜー!」
「橘、お前、スゲー! 仲迫、秒殺だよ!」
そんな言葉があちこちで上がっている。騒がしいことが苦手な久作だったが、先の須賀とアヤを見れば、それも当然だろう。小さく溜息をついて、窓の外をちらりと見た。早朝のジェット雲がまだかすかに残っていた。
「速河、あんなものでいいのか? もう少し過激なほうが、速河の戦術には効果的だったか?」
「だったかー? 速河久作ー!」
……つまり、久作は、須賀とアヤを見て口に出した。
「つまり須賀とアヤちゃんは、手加減したのかい? あれで?」
リカが、久作の問いに、うんうんとうなずく。
「それはそうだろう。バグラチオン作戦とやらの全体を知らない状態だ、手加減しないと、内容は知らんが作戦が台無しになるかもしれん」
「あたしは手加減しなかった! 仲迫ムカつくから、エディ・コンボ炸裂だー!」
久作は、戦術に少し修正を加えた。須賀とアヤの底なしのポテンシャルと性格、これを入れていなかった。微調整をしたが、戦術自体は土曜日夕方に描いたそれと同様だったので、このままでいいな、と再確認する。
「須賀、アヤちゃん。まあ、あんな感じでいいよ。出来ればリカさんや方城の出番も作って欲しかったんだけど、時間はまだあるから、どうにかなるかな?」
「出番? どうにかなるって、次の日本史でもあんな風にやるの? 日本史の野中先生はとってもいい人よ?」
「野中先生、ああ、あの、おっとりとした女性か。さすがにさっきの数学みたいにするのはちょっとね……」
久作はしばらく思案し、リカに提案した。
「リカさん、僕はその野中先生がどういう人なのか詳しくないから、どんな感じの人なのか解かるように、そんな風に授業で振舞ってくれない?」
「振舞うって?」
「えーと、ちょっとだけ難しい質問をしてみるとか、そんな程度かな? 勿論、さっきの須賀やアヤちゃんみたいなのは駄目だけど」
リカがうーんと唸り、十秒ほどして「まあ、やってみるわ」と返したところで、二限目開始のチャイムが鳴った。
ゆっくりと扉が開き、野中という日本史担当の女性教師が現れた。四十歳ほどだろうか、少しぽっちゃりとした体型で、薄く化粧をしている。
「はーい、じゃあ、授業を始めます。えーと1‐Cはどこまでだったかしら?」
手にした日本史の教科書をぺらぺらとめくり、野中教師は、あらあら、とのんびりと言った。
「相沢忠洋による岩宿遺跡の発見までですよ、野中先生」
教室最前列のリカが小声で野中という教師に言った。
「あらそう? 橋井さん、ありがとうね。じゃあ、授業を始めますね。えっと、相沢忠洋さんは昭和二十一年、群馬県笠懸村岩宿の丘の赤土の中から石片を発見したの。それは長さ三センチの――」
のんびりと朗読するような野中教師の声、久作は小さく伸びをした。この人は敵じゃあない、そう判断して、窓の外のジェット雲のかけらを眺めた。
生徒に対して質問することは殆どなく、教科書に書かれた文章を丁寧に噛み砕いてホワイトボードに要点を書く、そんな調子で授業は進んだ。教室入り口付近の方城が頭を揺らしている。どうやら眠気と戦っているらしい。日本史、野中教師の口調はまるで催眠術師のようで、方城以外にも数人が睡魔と格闘しており、何人かは既にその催眠術により眠っていた。
長い長い二限目、日本史が終わり、昼休み、昼食の時間になると、久作の机にリカを筆頭に全員が集まった。
「――それで速河、その戦術というのは具体的にはどういった内容なんだ?」
昼食を素早く終わらせた須賀が切り出した。
「ほう、ほれ……それそれ。なあ、速河久作、一限目の数学とその戦術? それって何か関係あるんだろう?」
「勿論あるよ、そして、もうかなりの成果が出てる、須賀とアヤちゃんのお陰でね」
「あたひ? あたひはなにもひてないへど?」
「アヤ! 食べながら喋るの、やめなさいってば! だらしない!」
「はーひふーへほー! あはは!」
レイコが小さなウインナーをぱくりと口に入れて、笑った。その様子をリカが再び注意する。
「僕の戦術はごく簡単だ……待った、あれは?」
ジュースを手にした久作の言葉が止まった。視線は教壇に向けられている。全員がそれに従う。
「こんにちは、ミス桜桃学園実行委員、2‐Bの井上です!」
井上と名乗った男の両脇にそれぞれ二名ずつ、男子がいた。久作の握ったペットボトルが、べこりと音を立てる。
「もう廊下のポスターで告知していますが、今年最初のミス桜桃学園が今日から開催されます! 詳しい日程は新しいポスターに書いてありますが、これから配る用紙に、この人こそミス桜桃! という方を記入して、校舎入り口前に設置した投票箱にいれて下さい! ゴールデンウィーク明けにそれを我々実行委員会が集計し、委員会で検討を加えて、その週の土曜日に……」
井上という男子はそこで一旦言葉を止め、次に声のトーンを上げて言った。
「土曜日に、今年最初のミス桜桃学園が決定します! アイドルを探すのは皆さんです!」
井上が言い終わると、残りの四人が、ハガキサイズの投票用紙の束を抱えて、昼食中のクラスメイトに配って回った。教室にいない人数分を教壇に置くと、A1ポスターを持ち出して、教室の壁に貼り付けた。
「ミス桜桃学園開催! アイドルを探せ!」
大きなフォントで印刷された例のロゴに、オレンジやピンクで彩られたポスター。花びらが舞い、ポスター下部に日程が記されてある。先日、須賀が持ち出したものと少しデザインが違っており、実行委員とやらの名前もあった。
・日程~四月二十七(月)ミス桜桃学園開催、投票開始。五月七日(木)委員会にて集計。五月九日(土)本年度ミス桜桃学園決定
・ミス桜桃学園実行委員~井上(2‐B)、藤原(2‐B)、元木(2‐D)、河野(3‐E)、新田(3‐A)
ミス桜桃学園実行委員とやらの面々が教室から消えて――おそらく次の教室に向かったのだろう――久作は、2‐Bの井上の言葉を反芻(はんすう)した。視線は教室入り口のすぐ脇、丁度、方城の机の辺りに貼られたポスターを凝視したまま、ぴくりとも動かない。
「アイドルを探すのは皆さんです!」
久作は手にしたペットボトルの中身を喉に流し込み、大きく深呼吸した。
乱れるな、速河久作! お前はラプターだ! 世界最強の戦闘機だ! 自分で自分の脳みそに怒鳴る。一分かそこらで思考の揺らぎが収まった。まだゆらゆらと揺れているが、許容範囲だった。と、誰かから用紙が渡された。相手はリカだった。渡されたのは、ミス桜桃学園の集計用紙だ。
「……速河くん、その……大丈夫?」
「え? 何? リカさん? 大丈夫って?」
方城が久作に寄り、軽く肩を叩いた。
「俺なんかが言わなくても解かってるだろうけど、冷静さを失ったら、勝てる試合も逃がしちまう、だろ?」
方城が、まるでチームメイトにでも接するように言った。いや、チームメイトと言ってもいいだろう。久作は、須賀やリカ、アヤ、レイコを見て思った。自分を含めてこの六人は一つのチームだと。そして相手はいうまでもなく、ミス桜桃学園という行事。千二百人強 対 六人。
無茶だといったのは、ラプターズのギタリスト、加納勇介先輩だったか? TVF・ハーマン・リーモデルのストラトキャスターが浮かんだ。隣にベーシストの真樹卓磨、背後のドラムセットに大道庄司の顔が見えた。思考を現実のそれに戻すと、リカ、アヤ、レイコ、方城、須賀の顔が見えた。全員が久作を見つめている。それぞれの手にハガキサイズの用紙があった。ミス桜桃学園の集計用紙。
「そうだ、方城の言うとおりで、僕はラプターだ。方城と須賀もラプターだ」
知らず立ち上がっていた久作は椅子に座り、集計用紙にボールペンを当て、素早く十個の枠を埋めた。
大塚楠緒子、与謝野晶子、永瀬清子、高群逸枝、伊藤野枝、金子みすゞ、石垣りん、茨木のり子、矢川澄子、中島みゆき。
久作の用紙を見たリカと須賀が、同時に吹き出した。
「はは! 確かに、これはミス桜桃だ! なあ、リカ君!」
「あはは! そうね! 誰が一位でも不思議じゃないわ!」
方城とレイコはその用紙を不思議そうに見ていた。アヤも、くくく、と腹を抱えている。
「あのさ、与謝野晶子って、教科書に載ってなかったっけ? 中島みゆきって、歌手だろ?」
「まあ、全員、そこそこの有名人だよ。どのクラスかは知らないけどね」
ぷっ! と久作自身も吹き出した。
「よし、俺もこのラインナップでいこう。リカ君?」
「そうね。アヤ、レイコ、方城くん。ほら、速河くんのこれ、写して」
しばらくの雑談で、今年のミス桜桃は、金子みすゞに決定した。ちなみに準ミスは石垣りん、須賀の推薦だ。
「どこまで話したかな? ああ、そう、僕の戦術の説明か」
笑いが収まり、ついでに思考のざわつきも消え、久作は普段どおりの口調で言った。
「今日を含めて十三日間、みんなに演技してもらいたいんだ。具体的には、まず、リカさんと須賀」
「演技?」
「私? 何?」
「二人は付き合ってるんだ」
「何?」
リカと須賀が同時に声を上げたが、構わず久作は続ける。
「方城とアヤちゃん、二人も付き合ってる」
「俺? アヤとか? いや、付き合ってねーぞ?」
「あたしと方城護ー? こいつミラージュやんねーし、たぶんやっても弱いぞー?」
「そして僕は……」
集計用紙に必死で名前を書き写している加嶋玲子を見る。
「僕はレイコさんと付き合ってるんだ」
「んー? 何? 久作くん?」
リカが飛び跳ねた。須賀と方城も飛び上がりそうになっていた。
「え! 速河くんとレイコって、やっぱりそうだったの?」
「対照的だが逆にお似合いかもしれん……いや! そういう話じゃあないだろう! 速河! 俺はリカ君とは付き合っていない!」
「なんだ須賀、リカさんじゃあ不満だってのかい?」
リカに目をやると、それに気付いたリカが真っ赤になった。
「不満などない! いや! そ、そういう意味じゃあなくてだ!」
「私は! 不満はないけど! そうよ! そういう意味じゃあないのよ!」
「方城?」
目が点になっている方城に声をかける。
「え? 何? 何だっけ? ああ、俺とこいつが付き合ってるって――ゴフッ!」
「こいつとかいうな! 方城護! アヤ様だ! エディ・アレックス使いのアヤ様だ!」
アヤの膝が方城のみぞおちを捉えていた。綺麗に決まったらしく、方城がよろめいた。
「リカさんと須賀、アヤちゃんと方城、僕とレイコさん、この三人はそれぞれと付き合ってる。そういう「設定」だよ」
話を聞いているのかどうか怪しいレイコはひとまず置いて、久作は続ける。
「最初に言っただろう? 今日を含めて十三日間の演技だって。十三日間、つまり、ミス桜桃学園が終わるまでだ。あくまで演技でいいんだけど、とにかく他人から付き合ってるように見える程度には頑張って欲しい。そして、肝心なのはここからだ」
リカと須賀、アヤと方城が自然と並んだ。レイコは久作の隣に座って、残った弁当箱と格闘している。
「リカさんとアヤちゃんに何かあったら、須賀と方城の二人がそれを全部、完璧に対処するんだ。ちょっとした冷やかしだとか、そういう些細なことも含めて全部だ。まずこれが絶対条件。次に、そういったことがあったら、ケータイメールなりで即座に全員にそれを連絡する。どんな下らないことでも全部だ。この二つを、十三日間、徹底して欲しい。これが僕の戦術、バグラチオン作戦だ」
しばらく間があった。
「あのさ、速河。そのバクナントカ作戦で、俺とアヤが付き合ってる演技? それやって、それが、ミス桜桃学園と関係あるのか?」
「あるよ、勿論。そもそも、そのための戦術だからね」
「……なるほどな。概要と趣旨、そしてお前の戦術も何となく解かった。確かに、戦術としてはかなりいい」
「あの! その、私にはその戦術? それが何なのかサッパリなんだけど、ああ、演技? それと連絡、それはいいんだけど……」
リカの言葉尻が詰まる。まだ戦術の全貌を明らかにしていないのだから当然だろうと久作は思ったが、そうではなかった。
「アヤと方城くん、レイコと速河くん、そして私と、須賀くん? この組み合わせには意味があるの?」
「組み合わせの意味は、まああるかな? 不満ならそれは変えてもいいんだけど、リカさんは須賀が嫌いだったの?」
「そうじゃないの! あ、ごめん、怒鳴ったりして。嫌いとかは全然ないわよ、ただ、その、ちょっと気になったから」
「あたしは方城護より速河久作のほうがいいなー。だってこいつ、ミラージュやんねーし、バスケばっかやってるしー」
アヤがちょっと不服そうに申し出た。
「こいつっていっただろ今! バスケ部の俺がバスケやってんのは当たり前じゃねーか!」
「うーん、そうだね。アヤちゃんの言いたいことも解かるんだけど、アヤちゃん、ダブルクラッチっていう技、知ってる?」
久作が悩んだ、フリをしてアヤに言った。
「ダブルクラッチ? 誰の技よそれ?」
「スピンムーブ、フェイダウェイ、フェイク、ドライヴ、エアウォーク、そのほか色々。誰の技かって? 方城のだよ」
「ええーーーっ!!」
アヤが二つの金髪を揺らし、飛び跳ねて叫んだ。瞳がキラキラと輝いている。
「そしてね、アヤちゃん。アヤちゃんがエディ・アレックスで対戦しても、絶対に方城には勝てない」
「速河、そりゃあ当たり前だろ? っつーか対戦にすら――」
「方城護! お前! 実は何者だぁー!? このアヤちゃんが勝てないって、ウルトラ強いじゃんかー!」
久作が今回の戦術を練る際、それぞれの組み合わせで一番悩んでいたのは、実はアヤだった。佐久間準との一件をリアルタイムで見ていて、かなりの頭脳と情報網を持つ彼女。与える情報を制限しても、アヤならばそこからこちらの真意だとか目的だとかを、すぐに割り出すだろうと思ったからだ。
対して方城を選んだのは、彼がアヤとはほぼ正反対だからだった。バスケ部所属で人脈は広いといっても、あくまでバスケ部やスポーツ関連に限定されている。桜桃バスケ部エースなので名は知れ渡っているが、ミラージュファイトなどのゲームをしないので、他の生徒との接点は意外に少ない。問題は、両者がそれに応じるか、この一点のみだったのだが、どうにか大丈夫らしい。
ちなみに、リカと須賀という組み合わせは、先日の数学と英語Ⅱの話を聞いて、リカが書いた英文を読んだからだった。久作の戦術で、それぞれの担当教師と対等以上に渡り合える、この二人は最強だった。自分と須賀と方城で編隊を組むなら、一番機は間違いなく須賀だろう。その両翼に、自分と方城。それぞれに専属のコ・パイロット(副操縦士)がいて、IFDLをフル活用、つまり、戦況情報をリアルタイムで交換し連携して行動すれば、相手が巨大なミス桜桃学園という行事であっても、十分に戦える。即興の仮想戦術だが、十三日間という短期間ならば、これで足りるだろう、そう久作は確信していた。
「久作くーん? ぼーっとしてる?」
レイコの顔が真正面にあり、久作は驚いた。どうやらまた考え込んでいたらしい。それにしても、彼女、加嶋玲子は、何というのか、どういった人物なのか解からないことだらけだ。ミス桜桃学園の有力候補。そしてランブレッタ48、中等部で陸上部だった。この三つしか知らない。学力はクラスでも学年でも真ん中辺りで、できるのかできないのか、それすら判断できない。
性格は、のんびりとしているようで、時に活発なこともあり、やはりつかめない。容姿や性格に欠点らしきものは微塵もないのだが、何とも把握しづらい。そもそも、リカやアヤと行動を共にしていることすら、不思議でもある。だからこそ、レイコは自分と組むのが得策だろうという判断だった。彼女がよほど突飛な行動を取らない限りトラブルなど起きないだろうし、仮に何か起こっても、相手が少人数ならばどうにでも対処できるだろうから。
「しまった、またか。えっと、レイコさん? 話、聞いてくれてたかな?」
久作は思考を浮上させ、レイコに尋ねた。
「えーと、うん! リカちゃんと須賀くんが付き合ってて、アヤちゃんと方城くんも付き合ってて、私と久作くんも付き合ってる! 何かあったらケータイ、メール? それで連絡する! あってる?」
「そう、その通り。ミス桜桃学園が終わるまでの十三日間、悪いけど僕らに付き合って欲しい。そうすればどうにかなる、と思う。あくまで戦術、頭の中で考えただけだけどね」
「速河。方城がこの戦術を把握していないようだが、それは構わんのか?」
須賀が方城を見つつ、そっと入ってきた。
「まあ、構わない。いや、かえってその方がいいかも、方城の性格からすると」
アヤとつかみ合っている方城を見て、久作は軽く返す。と同時に、十三時を告げるチャイムが鳴った。昼休みの終わり、そして三限目の始まり。と同時に、久作の戦術、バグラチオン作戦本格開始の号令でもある。
「じゃあ、みんな、頼むよ!」
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