『第十一章~スーパークルーズ』

「加納先輩、真樹先輩、大道先輩、ありがとうございました。お陰で頭がスッキリしました」

 脱ぎ捨ててあったブレザーを着て、久作は、加納勇介、真樹卓磨、そしてドラムセットの向こうにいる大道庄司にそれぞれ軽く一礼した。ブレザーのポケットから取り出したデジタルの腕時計を腕につけつつ目をやると、十六時四十四分と表示されていた。

「いや、礼なんていらねーよ、速河。俺らも目一杯楽しんだ。っつーか、お前、かなりの腕だな? コードメインで「GET UP」をカヴァー、アレンジだか何だか知らねーけど、真樹がいつもいってる音楽理論とかいう奴か? 速河は、須賀だったか? あいつと方城と彼女らでバンドやってんのか?」

「1‐Cの須賀恭介だったよな? ベースは今日が始めてらしいが、あの曲であれだけリズムキープが出来るのなら、お前は立派なベーシストだよ。あっちの、方城といったか? 彼も同じくだ。バスケにもリズムみたいなものがあるんだろうな。半年もやれば、大道を追い抜けるだろうよ」

 加納勇介と真樹卓磨が、久作と須賀、方城を見つつ言う。須賀と方城はどう応えたらいいのか迷っているらしく、はあ、とうなずくだけだった。すぐ後ろにいるアヤは、レイコと一緒に踊っていた。鼻歌は先の「GET UP」だった。

「以前、少しだけギターをやっていたんです、我流ですけど。バンドとかそういうのとは無縁ですよ。楽譜もまともに読めませんし」

 身支度を済ませた久作が、青紫色のエレキギター、アイバニーズのTVF・ハーマン・リーモデルを抱えた加納勇介に笑顔で言った。それから十分ほど、加納と真樹、そして大道庄司とギターだとかバンドだとかの話をして、久作が「今日はありがとうございました」と締めくくり、音楽室を出た。

「また来いよ! 速河! 今度は俺たちの腕前を披露してやっからなー!」

 加納の声に振り返り、笑顔で一礼して、久作を筆頭にした全員が廊下に出た。

「もうすぐ十七時か、もう少しだけ動けそうだな。一旦、別行動を取ろうか、方城、あのさ――」

「速河ぁー!」

「おい速河!」

 方城と須賀が同時に言い、久作を睨みつけている。

「速河くん! ちょっと!」

 それにリカの声が重なる。

「ストレス発散がしたいって、あなた、そう言ってたわよね? そこでどうして二年生のいる音楽室なわけ?」

 声色が棘だらけだ。方城と須賀の無言の訴えも同じくであった。

「何? えっと、最初に言わなかったっけ? ちょっとストレスを発散したかったって。僕もだけど、みんなも少しそうしておいたほうがいいと思ったから、だから加納先輩たちの楽器を借りて大声で怒鳴り散らした。かなりのストレス発散になったんだけど、リカさんや須賀は違うのかい? ほら、アヤちゃんとレイコさんは……」

 廊下の五歩ほど先で小躍りしているアヤとレイコが「ゲラーップ!」と大声をあげていた。

「そりゃあ、まあ、バスドラムっていうのか? あれをドカドカ踏んで鳴らして、棒でナントカってのをバンバン叩いて、いい運動にもなったしストレス発散にもなったかな?」

 方城がうんうんとうなずいている。その様子に先ほどの棘はもうなかった。須賀が、ふう、と小さな溜息をついた。

「真樹先輩は壊してもいいといっていたが、まさかそういうわけにもいかん。俺がどれだけ必死だったか、どうせ見ていなかったんだろう、速河は?」

「その真樹先輩は須賀を褒めていたじゃないか? もし壊したら、謝って弁償すればいいさ。真樹先輩は、加納先輩と大道先輩もだけど、自分の楽器を傷付けられたくらいで怒るような人じゃあないよ。それはそれとして、ストレス発散にはなっただろう? ねえ、リカさん?」

 須賀の返事を聞かずにリカに声をかけた。

「え? あ、ええ。その、歌詞だとかは滅茶苦茶だったけれど、速河くんのギターの凄い大きな音で、アヤとレイコと一緒に大声で騒いだから……うん、ストレス発散になった! アヤとレイコは、見ての通りね」

 リカが、ぷっ、と吹き出した。前方で、アヤとレイコが、未だに歌いながら踊っていた。久作は左腕のデジタル時計を見てから、方城を向く。

「もうすぐ十七時だ、方城はそろそろバスケ部に行ったほうがいいんじゃないかな?」

「げっ! もうそんな時間か? まだ何か用事があるんだろう? 俺、抜けてもいいのか?」

 久作は数秒、思案してから、方城の肩を軽く握り、廊下の隅に引っ張った。リカとの距離をあけたのだ。久作は小声で方城に耳打ちする。

「方城、例のミス桜桃学園。あれの現時点での情報、噂をそれとなくバスケチームの人たちに聞いておいてくれないかな?」

 方城の目が光る。

「……そうか、解かった。連絡はメールでいいのか? 速河、それって急ぎなんだろう?」

「他には内緒だけど、急ぎだ。ケータイとパソコン、両方に送信してもらえると助かる」

 それにうなずき、リカと須賀の傍に戻った方城は、久作をちらりと見てから、普段の様子に戻った。

「俺はバスケ部に戻るよ。音楽室、楽しかったな、じゃあな!」

 軽い駆け足で方城が立ち去った。次は、と、久作は須賀を見た。

「須賀、こんな時間で悪いんだけど、ちょっと頼みたいことがある」

 リカが、前方のアヤとレイコに向かったので、普段どおりの声色だった。

「いや、この時間だからいいのか。運動部関連の連中に聞き込みをやって欲しいんだ」

「聞き込み? 何だ? 速河?」

「ミス桜桃学園の、今日、土曜日十七時現在での評判と、そこで上がっている名前、それが知りたい」

 殆どの情報を共有している須賀には、それで全て通じた。須賀が一瞬、何かを考えていた。

「うむ、ついでにミス桜桃学園の実行委員のメンバーも割り出しておこう。どのみちそいつらと関わることになるからな。優先順位からするとこちらのほうが上のような気もするが、まあ、同時進行だ。情報がまとまり次第、メールか何かで連絡する」

 久作に向けて口元をにやりとさせ、リカちゃん軍団に挨拶をして、須賀は消えた。

「準備はこれで完璧だ。さて、肝心の僕は、どうするかな?」

 数秒の思案、前方のリカちゃん軍団が視界に入った。時間も時間だ、彼女らはとりあえず帰宅させるのがいいだろう。久作は笑い合っている三人に近付いて、「そろそろ帰ろうか?」と持ちかけた。言われた三人がそれぞれ自身の腕時計を見ている。久作も自分のデジタル時計を見た。十六時五十六分。

「もうこんな時間だったのね。アヤ、レイコ、そろそろ帰る?」

「そだねー、って、あたし! コンピ研無視ってるし! まあいいやー!」

「ふぁーっ、うん、帰ろう帰ろうー。久作くんはー?」

 レイコが問う。久作には、まだもう少しやっておきたことがあった。今日、四月二十五日土曜日、十七時前の時点だからこそ出来ることが。

「僕は少し散歩でもしてから帰る、みんなは先に帰っていいよ」

 リカが「散歩?」と不思議そうに言い、しばらく三人でわいわいとやっていたが、全員が駐輪場に向かった。

「それじゃあ、お先に」

「んじゃな、速河久作! アディオース!」

「ばいばーい、また明日。明日は日曜日? また明後日ー!」

 桜桃学園高等部二階、二年生のクラスと音楽室があるフロアに、久作は一人で立っていた。窓の外からかすかに声が聞こえるが、それ以外はほぼ無音の静寂。久しぶりに一人になった気がした。また、久しぶりに自分らしくなった気もした。その余韻をしばし味わい、久作は転身して音楽室に戻った。


「あれ? 速河? どうした? 忘れ物か?」

 2‐Aの加納勇介が不思議そうに尋ねる。ハーマン・リーモデルのエレキギターはケースに仕舞われているらしく、音楽雑誌らしきものを手にしていた。

「ええ、ちょっと忘れ物が……」

 久作はゆっくりとラプターズに向かって歩きつつ、思考を回転させる。歩調と思考がシンクロしたかのように慎重になっている。ラプターズの三人以外に誰もいないことを確認する。

「加納先輩、真樹先輩、大道先輩、少し聞きたいことがあるんですけど」

 じっくりと科白を吟味する。次の単語を出すかどうか、相当に悩んだが、一種の賭けのような気持ちでそれを口に出した。

「加納先輩、今度のミス桜桃学園、どう思いますか?」

 知らず険しくなっていたらしい久作の表情を読み取ったのか、半笑いだった加納勇介の表情が変わる。

「ミス桜桃? あのミス桜桃か? どう思うって……どうだろうな。あくまで俺個人の意見でいいのか?」

「はい」

 素早く返す。口に出してしまった以上、後は待つしかない。

「俺は、あのミス桜桃ってのは、あんまり好きじゃないな。ま、誰が桜桃で一番美人なのかってのは気になるよ、正直」

 音楽雑誌が机に置かれた。

「単なる生徒のお祭りで、それで学園が盛り上がるってのはいいんだけどな、フェミニズムっていうのか? どっかの女子を無理矢理引っ張ってくるみたいなノリは、俺は嫌いだな。何ていうのか、悪ノリに過ぎる、そんな気がする」

 加納の言葉に真樹が続ける。

「そうだな、あれは完全に悪ノリだ。やたらと規模がでかくて、毎年、何かしらの問題が起きる。しかも、その問題の殆どは教師の耳に入らない。悪ノリで陰湿、タチが悪いことこの上ない。誰が一番の美人かなんてのは個人の好みの問題だ。そこで多数決が出てくるのがそもそもおかしい。といっても、これは俺個人の見解で、桜桃学園は多数イコール正義の民主主義の学園だ」

 カカン、と音がした。ドラムの大道庄司がスティックで机を叩いた音だ。それが加納と真樹に同意だ、という意味だと気付くのにしばらくかかった。

「下らん連中が山ほどいる、学年を問わずに……」

「ん? どうした? 速河?」

 久作は、いつだったか、須賀が言った言葉を口にしていた。

「ああ! すいません! えっと、そういう意味じゃないんです!」

「いや、その通りだ、速河」

 慌てる久作をなだめるように、加納勇介が言った。

「真樹がいったように、大勢が正しいってのが正論で、その大勢の殆どは下らん連中だ、教師も含めてな。だから、ってこともないんだが、俺、俺らはロックバンドやってんだ」

「何だ加納、その強引な理屈は? ……とは言っても、大筋では同じくなんだがな。ロックの真髄は反社会だ。そこに加納がこだわる気持ちはよく解かる。そこに固執(こしつ)することもないだろうが、芯ががっちりしてなけりゃ、そこいらの音楽サークルと同じだ。そう見られてもいいが、誰が何と言おうが、ここだけは絶対に譲れん」

 加納勇介と真樹卓磨が、断言した。下らない連中が学年を問わずで山ほどいる、確かに。しかし、そうではない人間もいる、いや、いた、目の前に二人も。カツンと音がした。二人ではない、三人だった。久作は、改めてラプターズの三人を見た。ギターの加納勇介、ベースでリーダーの真樹卓磨、ドラムの大道庄司、全員二年だ。ラプターズは、他の連中とは違う。バンド、音楽で繋がっているからなのか、考え方がきっちりと揃っている。それも飛び切りハイレベルで。久作の両腕に知らず力が入る。

「ありがとうございます。時間をとらせてすいませんでした。失礼しま――」

「で? 本題は何だ? 速河?」

 力強い味方を得たような気分で頭を下げようとした久作に、加納勇介が言葉をかぶせた。

「俺や真樹の、大道もそうだが、ミス桜桃に関する個人的な意見はさっきの通りだ。それで、速河はそんな俺たちラプターズに何を相談しに来たんだ?」

 軽い口調に、真樹卓磨がこくりとうなずく。

「さっきのスリーヴォーカルの彼女たち。1‐Cの速河、ミス桜桃がどうこうというのは、橘君ら彼女たちと関係があるんだろう?」

 セルフレームに指をやり、真樹卓磨がゆっくりと言った。この、ラプターズというロックバンドのリーダー。2‐Aの真樹卓磨という人物は、どことなく須賀恭介に近いものがあった。加納との短いやりとりで出てきた「多数イコール正義の民主主義の学園」といった科白。須賀にベースを持たせれば、いや、実際に持ったのだが、そうして一年ほど経過すれば、須賀はこの真樹卓磨というベーシストになるのではないか、そう久作は思った。リードギター、2‐A加納勇介は、ラプターズというバンドの実質的なリーダーだ。茶色に染めた髪や軽い口調とは裏腹に、独自の音楽理論を持っており、その、真樹の言葉を借りるなら、偏った音楽理論で物事全てを判断しているようである。髪の色や、シャツの裾(すそ)をだらしなく出しているのも、彼の音楽理論からだろう。

「速河、安心しろ。俺や真樹、大道は誰かにチクったりはしない。お前がそうしろと言うのなら、さっきの方城だとかにも何も言わない。当然、橘だったか? 彼女たちにもだ」

「加納先輩?」

「悩み事があるんだろ? 俺たちはラプターズで、同時にお前の先輩だ。まあ、大したことは言えんが、何だ、グチくらい聞いてやる器量はあるつもりだぜ? なあ? 真樹、大道?」

 真樹がセルフレームに手をやったままこくりとうなずき、いつのまにか傍に座った大道も大きく同意する。神経質になるな、プライバシーを守れ、慎重にしろ、そんな単語がいくつか頭に浮かんだが、久作はそれらを追い払った。残った単語は「大丈夫だ」この一言だった。小さく溜息をつき、久作は口を開いた。

「今度のミス桜桃学園に、リカさん、ああ、橋井利佳子さん、クラスメイトです、彼女や橘さん、加嶋さんを巻き込みたくないんです。かなりのトラブルが過去にあったと聞いて、自分なりに対応策を練っている最中なんですけど、これぞ、という得策がなかなか出てこなくて、悩んでいる、そう、悩んでいるのはそこです」

 加納と真樹に向けて喋っていたのだが、そこで久作は、自分が悩んでいることに始めて気付いた。いくつか考えていた戦略には、これならば、という決定打がなかったのだ。

「橋井利佳子と加嶋? で、ミス桜桃、うーん、どこかで聞いたような気がするんだが……」

 加納が頭をひねっていると、真樹が助け舟を出した。

「加納、橋井利佳子というのは、一昨年のミス桜桃学園の準ミスだ。加嶋玲子は、今回、いや、今年のミス桜桃学園の最有力候補だ」

 ああ! と加納が手を打つ。

「そうだ! それだ! 橋井というのはリードヴォーカルをやっていた、あのロングヘアの彼女だろ? どっかで見たような気がしていたんだが、準ミスだったか! 一昨年ってことは、俺たちラプターズがミス桜桃で始めてバックバンドをやった年か! 加嶋玲子ってのは、名前しか知らないが、橘だっけ? 金髪じゃないほうの、ショートボブの彼女か? あれが噂の加嶋玲子か」

 加納が記憶を巡らせ、うんうんとうなずいている。真樹が、その記憶を丁寧に掘り起こす。

「速河、過去のトラブルというのは、準ミスの、橋井? その彼女の件だろう? 断片だが、俺もその話は聞いたことがある。野球部と空手部の数名が彼女を強襲したとか、確かそんな内容だったと思うが」

 久作は心底驚いた。リカの準ミス、こちらが知れ渡っているのは当然だろう。真樹卓磨というベーシストがそれに関するトラブルを知っているのは、ラプターズがその年にバックバンドをやったからだろうか。野球部と空手部と言っている。空手部まで出てくるのか。露草葵が大きなアザと擦り傷で済んだといっていたが、よくそれで収まったものだ。

 そして、レイコ、加嶋玲子。彼女の「噂」、こちらも問題だ。加納の「あれが噂の加嶋玲子か」という科白が、レイコの立場を表している。さらに、アヤちゃんこと橘絢、彼女の名前も、ミラージュファイトという格闘ゲームを媒体に、レイコと同じくらいに知れ渡っていた。

「おい、おい! 速河! どうした? 大丈夫か?」

 加納勇介らしき声が聞こえた。大丈夫か? 大丈夫どころか、最悪の構図だ。久作はゆっくりと頭を上げ、力のない目で加納と真樹を見た。最悪だが、ともかく状況が読めた。音楽室に戻ったのは大正解だった。まだ土曜日だ。時間は、十七時四十三分。

「十七時四十三分……もう十八時前? 加納先輩、すいません! こんな遅くまで下らない話に付き合わせてしまって!」

「遅くまでって、いや、時間はどうでもいい。っていうか、下らない話じゃないだろ、それって? なあ? 真樹?」

「ミス桜桃学園に、橋井利佳子、加嶋玲子、そして、橘だったな? この三名の女性陣。速河、お前が何を心配しているのかは解かる。下らんどころか、これほど深刻な話はない。まずは……」

 そう言うと真樹卓磨は、ポケットからケータイを取り出した。

「お前が良ければだが、アドレスを交換しておこう。加納、大道、お前らもだ。速河、どうだ?」

 真樹に言われ、うなずき、久作は自分のケータイを取り出して、それぞれにパーソナルデータを送り、三人のそれを受信した。

「それで速河、お前はどうするつもりなんだ?」

 ケータイをズボンのポケットにしまった加納が、久作に尋ねる。が、返答が浮かばない。フルスロットルの思考と口が自動的に言葉を発する。

「アヤちゃんたちがミス桜桃に選ばれなければこれが一番最善なんですけど、下手をすると、今回のミス桜桃のベストスリーが、リカさん、アヤちゃん、レイコさん、なんてこともあり得る。他のクラス、学年でもいいですけど、そこにミス桜桃のベストテンをぎっしりと埋める人がいれば、何も心配することはないんですけど……そうか!」

 久作、そして須賀の懸念は、リカちゃん軍団がミス桜桃学園に選出されて、ベストスリーに入るかも、という前提のものだった。桜桃学園の女性陣にリカちゃん軍団以上の人材がいれば、そもそも悩む必要すらない。

「単純な話だった。リカちゃん軍団がミス桜桃になるかもって思ってたから心配してただけで、そうなる可能性なんてそもそもない――」

「あるぞ? 速河?」

 一人で延々と喋っていた久作に、加納が割り込んだ。

「俺の知ってる範囲だけど、リカちゃん軍団? 彼女ら三人は殆ど別格だ。決勝戦のシード枠状態だ。アヤちゃんってのは、橘、あの小さくて元気な子だろ? ミラージュで滅茶苦茶強い。それでいてあのルックス、性格もいいんだろう? 準ミスだった橋井に、噂の加嶋玲子、そして橘……今回のミス桜桃はこの三人の独壇場だ。ミス桜桃を狙ってる女子連中にしてみりゃ、完全に敵扱いだ。空手部と野球部が総動員で取り囲んでも全く不思議じゃないくらいにな」

「空手部と野球部が総動員? 何人くらいなんでしょうか?」

 高回転の思考のまま、口が勝手に動いた。

「え? 確か、野球部は三十人くらいかな? 桜桃の空手部は弱小らしいが、それでも二十人くらいはいたと思うが?」

 野球部三十人に空手部二十人、合計で五十人。それがリカちゃん軍団を取り囲んでいる。体育館方向に一転突破をかけてこじ開け、そこから三人を逃がし、方城と須賀に任せるか? いや、それは駄目だ。バスケ部で暴力沙汰など論外だ。加納の声がした。高回転の思考が若干鈍る。

「おい速河! 大丈夫か? さっきから顔色が悪いぞ? いきなり黙ったりで」

「え? ああ、すいませ。その、考え事をする癖みたいなものがあって……」

「ちなみに、その考え事ってのは、野球部三十人と空手部二十人、対、速河一人、そんな図式だろう?」

 真樹がセルフレームを上下させる。真樹卓磨の言葉に久作は驚いた。この真樹という人物には、テレパシーだとかそういう能力でもあるのだろうか、と。

「何をそんなに驚く? これまでの話とお前の質問、これを組み合わせればすぐに解かるさ」

「五十対一で勝負しようってか? おいおい、速河! いくらなんでもそりゃ無茶だろう? 喧嘩なんてレベルじゃねーぞ、それ」

 真樹、加納に言われて、久作は一拍置いてうなずいた。

「そう、ですよね。ちょっと、焦ってるというか、そんな感じみたいです」

「まあ、それは無理もないな。だがな、速河。焦っちまったらおしまいだぜ? どんだけ練習しててもガチガチでステージに上がったら、全部パーだ」

「しかしだ。もうすぐミス桜桃が始まって、あのチャーミングな三人組、ナントカ軍団がそれに巻き込まれるというのは……酷な言い方だが、紛れも無い事実だ。だからこそ速河は悩んで焦って、今、俺たちの目の前にいる。加納先輩よ、かわいい後輩に的確なアドバイスを出せ、それが先輩の務めってもんだろう?」

 淡々と真樹が言う。話を振られた加納は、真樹と久作の顔を交互に見て、うーん、と唸る。

「そりゃあそうなんだが、何だ、話のスケールが大きすぎてなー。桜桃学園全部と数人だろう? ……っていうかさ、こういう頭脳労働は真樹の仕事だろうに? お前ならどうするんだよ? リーダー?」

「リーダーはお前が勝手に押し付けただけだろうが。まあそれはいいとして、ミス桜桃学園、桜桃学園全体とナントカ軍団か。そもそも勝負にすらならんが、そうも言ってられんらしい。そうだな……とびきりの美人を十人くらい編入させるか? いや、これは冗談だ」

 ラプターズのリーダー、真樹卓磨が久作に向けて素早く手を振った。そしてしばらくの沈黙。唐突に、沈黙をやぶる音がした。音楽室は無音のままだが、久作の頭でエキゾーストが響いたのだ。

「美人を、編……入? ラプターズ……ラプター、ラプター! そうか! F‐22だ!」

 立ち上がった勢いで椅子が転げる。加納、真樹、大道は止まっているが、久作の視線は音楽室の窓の外、夕焼けの遥か彼方に向けられていた。

「徹底的なステルス性能、スーパークルーズにSTOLの3S! ファーストルック・ファーストショット・ファーストキルだ!」

「お、おい、速河?」

「目視は出来るのに相手のレーダーには映らない! アグレッサー部隊と三百回の模擬戦闘出撃をやって、一度もミサイルの射程内に捉えられない! 凄い! 無敵じゃあないか!」

 久作が、加納たちには意味不明な言葉を連ねる。久作は自分の言葉を自分の思考に叩きつけ、視線の先、紅い大空を飛び回っていた。

「加納先輩! ラプターズは凄いですよ! ラプターの三機編隊に勝てる相手なんて世界中のどこにもいやしない! 三人は無敵です! そして僕だ! 僕と方城と須賀、三人のラプター編隊! 千五十人? 何機だって問題ない! 何百回こようが、ミサイルの射程内に入らないんだから、敵にすらならない! そう! 僕はラプターだ! 方城と須賀もラプターだ! 山ほどの武装を搭載した、世界最強の戦闘機だ!」

 久作の大声は、それまで無音だった音楽室に延々と響き渡り、ぴたりと止まった。唖然としている加納らに満面の笑みで振り返り、久作は、加納、真樹、大道の「ラプターズ」を順番に見た。無敵と呼ばれたどの顔もこわばったままである。

「戦術はこれで完璧だ! 戦略は須賀に任せよう! 方城も何か情報をつかむだろう! イン・フライト・データリンク全開だ! 加納先輩、ありがとうございました!」

 一礼した久作は、全く状況が理解できていないラプターズの面々を残して、全速力で駆け出して音楽室を後にした。窓の外にかすかに残る夕焼け、久作はマッハ1.58の「スーパークルーズ=超音速巡航」で飛び抜けていった。

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