法界悋気

三鹿ショート

法界悋気

 彼女の生き方を見ていると、毎日が疲労困憊なのではないかと考えてしまう。

 何故なら、彼女は自身より優れている人間を目にすると、嫉妬を剥き出しにするからである。

 だが、彼女は嫉妬するばかりで、自身を向上させようとはせず、それに加えて自分が生きている世界とは異なっている人間に対しても嫉妬しているために、その行為に意味は存在しているのかと首を傾げてしまう。

 例えば、彼女は専門的な知識を有していないにも関わらず、報道番組で解説をしている人間を見て、舌打ちをしていた。

 何が不満なのかと問うたところ、

「同じ人間であるにも関わらず、注目されていることを許すことができないのです」

 注目されているのは、その人間が専門的な知識を持っているために、解説者として呼ばれているからである。

 ゆえに、何かしらの知識を蓄えておけば、何時の日か、同じように有名な存在と化すのではないかと告げた。

 しかし、彼女は首を横に振った。

「必ずそのような存在と化すのならば努力もしますが、確実な未来ではないでしょう。それならば、行動しない方が良いのです」

 それならば、事あるごとに嫉妬を剥き出しにすることは止めてほしかった。

 だが、それを伝えたところで、彼女が変化するとは考えられない。

 だからこそ、彼女を反面教師とすることにした。

 醜い姿を見せる彼女を目にしていれば、自身もまた同じような存在として見られることがないようにと、行動には注意を払うことができるようになるのだ。

 そのように考え、行動した結果、周囲からの私に対する評判は良いものと化すようになっていた。

 そのことに対して彼女が嫉妬するのではないかと思ったが、彼女が気にする素振りを見せたことはない。

 あまりにも奇妙だったために問うたところ、彼女は表情を変えることなく、

「あなたが褒められているということは、そのような人間を選んだ私の目が良いということになるでしょう。あなたの評判が良いものである限り、私の評判もまた、悪くなることはないのです」

 どうやら、彼女は鏡というものを見たことがないらしい。

 しかし、彼女に嫉妬されるよりは良かったために、私がそれ以上言及することはなかった。


***


 入社して数年が経過した頃、不意に上司が自身の娘の写真を私に見せながら、

「きみのような人間ならば、安心して娘のことを任せることができる。娘の良き夫となってくれないだろうか」

 それは、寝耳に水の話だった。

 即断即決することは出来なかったために、私は上司から娘の人となりを聞き、やがて上司の娘と共に外出し、食事を重ねることで、どうするべきか判断をすることにした。

 彼女の存在を思えば断るべきなのだろうが、上司の顔を立てるためにも、上司の娘と共に時間を過ごす必要があったのである。

 だが、上司の娘と同じ時間を過ごしていくうちに、その相手が温厚篤実であり、友人も多い素晴らしい人間であることが分かったために、私の心は揺れた。

 彼女と上司の娘を天秤にかけて他者に意見を求めたとき、おそらく全ての人間が、上司の娘を選ぶべきだと告げてくることだろう。

 私もまた、そうするべきだと考えている。

 しかし、彼女に別れを伝えるとなると、躊躇してしまう。

 何故なら、彼女は私と結婚するものだと、信じて疑っていないからだった。

 そのような話をしたことはなかったのだが、子どもの人数や両親との同居などについて彼女が口にしていたために、彼女の中では、未来が決まっているのだろう。

 その相手に別れを伝えれば、どうなるのか。

 嫉妬深い彼女のことを思えば、私だけではなく、上司の娘もまた、徒では済まない可能性が高い。

 それを避けるためには、このまま彼女と共に過ごす必要があるのだろうが、私の心は既に上司の娘に移っていた。

 それならば、私がどうするべきなのかは決まっている。


***


 地下室の扉を開けると、彼女は満面の笑みで私に抱きついてきた。

 彼女の頭部を撫でながら腰を下ろすと、彼女と共に穏やかな時間を過ごし始める。

 地下室に閉じ込められているというにも関わらず、彼女が不満を露わにしていないのは、私に大事にされていると考えているためなのだろう。

 だが、私が愛しているのは、上司の娘である。

 それでも彼女が私のことを疑っていないのは、私が彼女をこの地下室に閉じ込めた理由によるものだろう。

 私は彼女に対して、他の人間に奪われないようにするために、地下室で過ごしてほしいと頭を下げていた。

 当然ながら彼女は悩むだろうと考えたために、私は彼女が思考する時間を奪うかのように、彼女を愛しているからだと畳みかけた。

 思考することも反論することもできなかった彼女だが、私が心から愛しているということを言葉から知ったのか、地下室で孤独に生きることを受け入れてくれたのである。

 仕事をせずとも生きることができるためか、彼女は以前よりも嫉妬を剥き出しにすることはなくなり、穏やかとも言うことができる人間へと変化していたが、それでも私は、上司の娘を愛している。

「また明日、会おう」

 彼女と接吻を交わすと、私は地下室を後にした。

 そして、そのまま上司の娘が待つ寝室へと向かった。

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法界悋気 三鹿ショート @mijikashort

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