呪田屋事件

 現在で言う所の京都、その某所、旅館の前。

「ここが例の坂本龍馬がいるっていう旅館か」

 誠の一文字を刻んだ羽織を着た新選組局長近藤勇が帯刀して仁王立ちしている。

「ええ、そうみたいです。しかし二人だけで良かったんですか? いくら相手が一人といえど、坂本は妙な術を使うって噂ですよ」

 同じく誠の羽織を着た新選組一番隊隊長、沖田総司が声をかける。

「そんな眉唾物の噂信じるな。さあ踏み込むぞ」

 旅館の戸を開ける近藤。

「御用改めである! 坂本龍馬を差し出せ!」

 旅館の中居が悲鳴を上げる。

 そして、無言で震えながら階段の上を指さす。

「上か、協力感謝する」

 階段を駆け上がる二人。

 二階の部屋の戸を勢いよく開ける近藤。

「坂本龍馬! 御用改めである! 大人しくお縄につけ!」

 そこには浴衣にブーツ姿の不気味な男が一人。酒飲みの途中だったようで盃をくゆらせている。

「おお。怖やか。怖やか。そんなに血気立つ事ないんじゃないが?」

 どこか飄々とした態度。

「何を言う、討幕派の一派が!」

 近藤が叫んだ。

「同じ国を思う同士じゃないが。ここは話し合いといかんぜよ?」

 坂本が盃を傾ける。

「問答無用!」

 沖田が刀を抜いた。

「総司! 先走るな!」

 近藤が沖田を制する。

「止めないで下さい! 近藤さん!」

 しかし、それを無視して沖田が斬りかかった。

「おっと、噂の天才剣士さんか、こういうのはどうが? 急々如律令奉導誓願何不成就乎」

 坂本が呪文を唱える。

 喀血する沖田。

「何をした坂本!」

 近藤が叫ぶ。

坂本「呪術って知っちょうか? これは呪詛って言ってなぁ。まっこと便利なものよ」

「怪しい技に手を出して! 何が国を思う者同士だ!」

 近藤の頭に血が上る。

「これは由緒正しき技ぜよ。そこまで否定される筋合いはないで」

「こんぐらい平気です近藤さん……早くコイツを打ちましょう」

 息をぜえぜえと切らしながら沖田が言った。

「仕方ない」

 抜刀する近藤。

「まっこと怖き事ぞね。これならどうや? ――オンキリキリソワカ」

 またも坂本が呪文を唱える。するとどうだ近藤の動きが止まる、

「身体が動かん!?」

「密教の真言さね。悪しきを祓うき」

 にやにやと笑う坂本。

「うおおおお!」

 沖田が口の端から血を流しながら坂本へ斬りかかる。

「おっと。危ないぜよ」

 さっと躱し、懐から銃を取り出し、構える坂本。

「やっぱり呪術より、こっちのが分かりやすいのかのお。しっかし呪術のが恐ろしいと思うんじゃが?」

「うるせぇよ。呪詛だろうが、銃だろうが、俺は刀を振るうだけだ!」

「血気盛んじゃのお。そろそろ病でくたばらんか?」

 その時だった。

「うおおお!」

 近藤が金縛りを自力で打ち破る。気合いだ気合いだけで呪術をなんとかしてしまった。

「なんじゃと!?」

「誠の旗に誓った俺らの心意気を舐めるんじゃねぇ!」

「行きましょう! 近藤さん!」

「応よ! 総司は銃を斬り落とせ! 俺は坂本の口を塞ぐ!」

 斬りかかる二人、坂本は引き金を引く、

 斬撃の音と発砲音が同時に響く。

「相打ちか……」

「俺らの勝ちだ坂本」

 坂本に刺さる刀。

 確かに手応えはあった。

 しかし近藤の腹から硝煙が上がっている。

「近藤さん!」

 沖田が近藤へ駆け寄る。

「心配いらねぇ。かすり傷だ」

 そこで坂本が不敵に笑う。

「九字護身法って知っちょうか? 臨兵闘者皆陣烈在前って奴じゃ」

 そこには怪我もしていない坂本の姿があった。

「まさか今の一瞬で、それを唱えたって言うのか!?」

「さてさて。お遊びもそろそろ終わりにしちょうか」

 坂本の姿が掻き消えて行く。

「逃げる気か!?」

「隠形術。立派な呪術の一つじゃけぇ。恨んでな? まだおたくらとは決着を付ける時ではないと思ったぜよ」

「何……?」

「もう少しこの幕府の終わりを楽しもうや、なあ幕府の犬」

「テメェ!」

 近藤が刀を振り投げた。

 それは虚空を抜けて壁に刺さった。

「じゃあ生きてたらまた会おうや。新選組」

 そうして坂本は消えた。

「逃がしましたね……大丈夫ですか近藤さん?」

「……なあ総司、俺らも呪術を覚えるべきだと思うか?」

「何言うんです近藤さん! 俺らは刀振るってなんぼでしょ!」

「悪い、血迷った。次こそは逃がさんぞ、坂本龍馬」

「はい! その調子ですよ近藤さん!」


 坂本は一人、暗闇でごちる。

「人を呪わば穴二つ。呪詛は伝播する」


 結局、近藤は呪術に手を出すのだが、それはまた別のお話。

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