Side-C 如月琉依①

 僕の親友は凄いやつだ。

 弥太郎は小学生の頃から地元では有名で、神宮財閥の跡取りにして神童と謳われるほど何事にも優れた子供だった。

 同じ学校に通っていた僕も子供ながらにして彼の凄さは身に染みて感じた。

 勉強面ではテストで常に100点だし、人より豊富な知識を持ち、わからないことを聞けばなんでも答えてくれた。

 運動の面で言えばどんなスポーツもそつなくハイレベルにこなし、例え一度負けようと二度目には必ず誰よりも上手くなる負けず嫌い。

 どちらにも言えるのは、弥太郎の能力の高さは生まれ持った才能やセンスも当然あるけれど、それ以上に努力家で何事にも手を抜かないということだ。

 常に1つ2つ上の学年で習う範囲を独学で勉強し、空いた時間に走り込みや技術向上のための練習をする。

『神童』だとか『天才』だとか言われていたけれど、彼はただ『努力家』なだけだ。強いて言えば努力の天才ではあるかもしれない。

 どうして僕が弥太郎のことをそこまで知っているのか。それは僕らの出会いに起因する。


 出会いは小学2年生の時。初めて話したのは授業でサッカーをしていた時だった。

 当時の僕は姉さんの影響でサッカーを始めたばかりの素人。地元のサッカークラブに所属する人たち相手では歯が立たなかった。

 そんな中、1人で何人ものディフェンスを抜き去り、得点を積み上げる凄いやつがいた。それが弥太郎だった。

 彼にパスをするとあっという間に得点に繋がる。「ナイスパス」と爽やかな笑顔でハイタッチをしてくれる。敵にも味方にも囲まれて楽しそうに笑う彼の姿。憧れるのにそう時間はかからなかった。

 弥太郎と仲良くなりたい。弥太郎をもっと近くで見ていたい。最初はそんな気持ちで声をかけた。

 あの時の緊張は今でも覚えているし、あの時勇気を振り絞って良かったと今でも思う。

 それから僕らは昼休みによく一緒にサッカーをするようになった。

 弥太郎に少しでも近付きたい。姉さんに少しでも追いつきたい。そんな目標を胸に必死に努力した。


 それから暫くして、昼休みに偶然姉さんと遭遇することがあった。

 姉さんは地元のサッカークラブで男子に混ざってサッカーをしていた。

 姉さんも弥太郎ほどじゃないけど学校では有名な人だった。上級生相手にも張り合えるほどのサッカーの実力。ハーフ特有の綺麗な顔。明るく気さくな性格と弟から見ても自慢の姉だった。

 どこに行くのかと問う姉さんに弥太郎のことを伝えると、姉さんも一緒に行くと言い出した。

 僕が憧れた弥太郎と姉さん。果たしてどちらが勝つのだろう。そんな好奇心から僕は姉さんを連れて運動場へと向かった。

 その選択が後に大きな後悔へ繋がるとも知らずに。


 結論から言うと、ことサッカーに於いてあの小学校の中で弥太郎の右に出る者はいなかった。

 姉さんと弥太郎の勝負は最初こそ姉さんの方が勝っているようにも見えたけど、弥太郎は即座に姉さんの動きに順応し、昼休みが終わる頃には姉さんが辛うじて食い下がる結果となった。

 僕にとっては姉さんに有利を取る弥太郎も弥太郎に食らいつく姉さんも憧れに違いはなかったけれど、姉さんにとっては違った。

 歳下に遅れを取ったという屈辱。このまま引き下がれないというプライド。そして、自分より格上の相手を見つけたことへの喜び。

 人一倍負けず嫌いだった姉さんは息を切らす弥太郎に指をさす。


「私、如月亜莉朱。あんたの名前は?」

「神宮……神宮弥太郎」

「弥太郎、明日もここで私と勝負して。明後日も。明明後日も!」

「ちょ、ちょっと待てって! 明日はクラスのやつと遊ぶ予定が」

「キャンセルして! 私と勝負して! 上級生命令!」

「そんなこと言われても困るって! 琉依も笑ってないで止めろよ! お前のねーちゃんだろ!」


 弥太郎はそう言って僕の肩を掴んだけど、僕はけたけたと笑い続けた。顔を真っ赤にする姉さんもその対応に困り果てた弥太郎も珍しくておかしかったんだ。

 憧れの2人が大好きなサッカーを通して仲良くなる。これ以上嬉しいことはない。

 それから予定が合う日には昼休みでも放課後でも休日でも3人でサッカーばかりしていた。

 その日々は僕にとっての宝物で、もう二度と戻れない残酷な思い出となった。



 スポーツ大会が閉幕し、気だるげな先生の短いホームルームが終わるや、僕は弥太郎に断りを入れて一足先に教室を出た。

 どこの教室もまだホームルームの途中。1人廊下を駆ける僕は人目を浴びながら目的の人物を探す。

 ある教室の前に来て、僕は足を弛めて歩き出す。横目で教室内を観察しながらその前を通った。

 やっぱり居ない。思った通りだ。

 僕は足を早めて階段を駆け降りる。この後彼はどうするだろう。弥太郎を待つならどこへ向かうだろう。頭をフル回転させながら外へ飛び出す。

 左右に視線を飛ばし、身を潜められそうな場所を探す。

 違う、ここじゃない。あれ程の人が見ていたんだ。これ以上騒ぎは大きくしたくないはず。だとすれば……

 僕はもう一度校舎へ戻り、階段を駆け上がった。


 数分後、僕は校舎裏にいた。

 情報通りにやって来た彼は僕を見て眉間に皺を寄せる。


「なんでてめえがいやがる、如月」

「やだな、偶然だよ。久瀬君こそ、こんな場所で何をしてるのかな?」


 そうとぼけてみるも、久瀬君は僕の足元に転がる2人を見て舌打ちを鳴らす。


「あのカス野郎を連れて来いって言っただろ。役立たずが」

「そう言わないであげてよ。あんなことがあっても君のためにって僕に食ってかかったんだ。友達は大切にするべきだよ」

「友達だァ? そいつらは俺の下僕だ。てめえらのおままごとと一緒にしてんじゃねえよ」


 クク、と喉を鳴らす久瀬君。気味の悪い笑みを浮かべていてとても不愉快だ。

 幸か不幸か、完全にのびている2人には久瀬君の声は届かない。どの道久瀬君についている時点で僕にとっては敵意の対象でしかないけれど。


「で? てめえがわざわざこんな場所に何しに来た?」

「わかってるでしょ? 僕がここに居る時点で弥太郎は来ないよ。君がまだ弥太郎を狙っているようだったから、僕が代わりに来たんだ」

「ハンッ! やっぱあいつはヘタレだな。護ってもらわなきゃ何も出来やしねえ」

「まだそんな妄言を垂れる余裕があるんだね。随分と打ち負かされたはずなのに」

「あんな遊びで認められるかよ! 俺はあのカスより上だ! あいつをぶっ殺して証明してやる! あのカスよりも俺の方が強え! 俺が全て奪ってやる!」


 これ以上話しても無駄らしい。ただただ不愉快でしょうがない。

 やっぱり僕がここに来てよかった。せっかく弥太郎が自分を受け入れられるようになってきたのに、もしも彼と喧嘩をしてしまえば弥太郎はきっと自分を責めるだろうから。


「もういいよ。よくわかった。君と弥太郎と会わせるわけにはいかない」

「だったら何だ? てめえが俺の相手でもするか?」

「いいや。てめえの相手は俺だぜ、久瀬!」


 思わぬ横槍に僕は驚きを隠せず目を見開く。


「与一……?」

「お前だけ良い格好してんじゃねーよ。俺も誘えよな」


 僕が居ないことに気づいて探しに来たんだ。ほんと、こういう時だけ妙に察しが良いって言うか……お節介な親友だ。

 でも、今日だけはダメなんだ。これは僕がやらなきゃならないことだから。


「ありがとう、与一。嬉しい提案だけど、今日は手を出さないでほしい」

「つってもお前、喧嘩したことあんのか?」

「一度だけね」

「だったら俺に任せとけって。久瀬程度に負けやしねーよ」

「違うんだ」


 頑なに譲らない僕に与一は怪訝な目を向ける。

 確かに与一の言う通り、彼の方が体格も良くて喧嘩だって怖くないのかもしれない。

 今だって僕は震えを抑えるのに必死だから。人を殴るのは怖い。自分が殴られるのも怖い。誰かを傷つけるのが怖い。誰かに傷つけられるのが怖い。

 僕は臆病者だ。怖いことからはいつだって逃げてきた。弥太郎が塞ぎ込んだあの日もそうだった。

 僕のせいで、僕の憧れの人が2人も傷ついた。それなのに僕は、自分が傷つくことが怖くて、これまでずっと逃げてきた。

 弥太郎も姉さんも僕のせいじゃないと言ってくれた。その言葉に甘えて、これまでずっと逃げてきた。

 だから、今日はダメなんだ。与一の力も弥太郎の力も借りずに、僕が弥太郎を護らなきゃ。やっと過去のしがらみから解放されつつある弥太郎の邪魔は誰にもさせない。


「僕が弥太郎を助けなきゃダメなんだよ。そのために僕はここに来た。ここで逃げたら、僕は弥太郎の隣に並べなくなる。弥太郎の隣に立つ自分が嫌いになる」


 こんなことで弥太郎に恩返しができるとは思えない。罪が償えるはずもない。

 それでもせめて、弥太郎が幸せを望もうとしているのなら、僕は彼の手助けがしたい。久瀬君が弥太郎の邪魔をすると言うなら、僕が彼を止めたいんだ。


「……そうかよ」


 与一は短く返事をする。

 そして、トンと僕の背中を押した。


「ま、お前がそこまで言うなら俺は後でいいぜ。俺だってお前と同じ気持ちなんだよ。弥太郎のためなら俺は何だってやる。だから、今日はお前に譲ってやる。安心しろよ、骨は拾ってやるから」


 もう1人の親友の優しい後押しに僕は頬を緩める。

 僕だけじゃないんだ。弥太郎の幸せを願う人が他にも居てくれる。僕はただ、そのことが嬉しかった。

 こくりと頷いて久瀬君に向き直る。手の震えはいつの間にか止まっていた。


「安心してよ。僕、これでも弥太郎と引き分けたことがあるんだから」


 喧嘩なんてできることならしたくない。

 それでも憧れの人のためなら、親友のためなら、僕は何だってやってやる。


「話は終わったかよ」

「君こそ、泣いて詫びる準備はできたのかな」


 僕の挑発に久瀬君が雄叫びを上げて突っ込んできた。


 決着は一瞬だった。

 地面に転がって腹部を押さえる久瀬を僕たちは冷めた目で見下ろしていた。

 この程度のやつに弥太郎は傷つけられて、1人で背負い込んでいたんだ。

 久瀬の髪を掴み上げる。苦痛に歪む顔は酷く醜い。


「約束してくれるよね? 二度と弥太郎たちの前には姿を見せないって」

「て、てめ……ぶっ殺」

「別に誓わなくても僕は構わないけどね。その度に君の顔が醜く歪んでいくことになるよ」


 まだ弥太郎に危害を加えそうな雰囲気を醸し出す久瀬に対し、僕は思いっきり拳を握った。

 けれど、与一がその拳を掴み、首を横に振る。


「やめとけよ。心も汚えのに顔までブサイクになったら一生人前に出られなくなるぜ」

「いいんじゃないかな。こんなクズの末路なんてそんなものだよ」

「ま、それもそうか」


 与一はここから先は自分がやると僕を引かせ、代わりに久瀬の胸ぐらを掴み上げる。

 久瀬の体格もなかなかのものだったけど、与一はそれをひょいと持ち上げた。


「決めろ。このまま弥太郎に執着して原型も留めねえくらいボコボコにされるか、大人しく逃げ帰るか。今ならこの件はなかったことにしてやる」

「て、てめ」

「まだわかんねーのか。俺を敵に回した時点でてめーの人生は終わってんだよ。俺が泉田を継げば、てめー程度いつでも消せる。弥太郎たちに手出せば雲母家も黙ってねーよ」

「うるせえ! 俺は久瀬家の」

「久瀬のジジイがてめーなんざ護ってくれると思うのか? 泉田と雲母を敵に回して? てめーにその価値があるって本気で思ってんのか?」


 与一の言葉に久瀬が怯む。名家のことは詳しくないけれど、久瀬は父親に対してなにか思うところがあったんだろう。


「安心しろよ。てめーが弥太郎たちに手を出さねえって誓うならこの件は見逃す。ほら、選べよ」


 久瀬は血が出るほど唇を噛み締めて目線を逸らす。あの久瀬が拒否しないということは与一の提案を認めるということだろう。

 与一もそう判断したのか、久瀬をポイっと放り捨てた。


「わかったらそいつら連れてさっさと行け。二度と弥太郎たちの前に姿見せんなよ」


 久瀬は縄張り争いに負けた獣のように、のびている2人を引きずってそそくさと逃げて行った。最後まで憐れなやつだ。


「これでいいだろ?」


 そう確認を取る与一に首肯して返す。


「今追い詰めると何をするかわからないからね。与一にしては良い判断だと思うよ」

「一言余計なんだよ」


 ともあれ、これで窮地は去った。与一もうんと背伸びをして「行こうぜ」と踵を返す。

 少しだけ思考をめぐらせて、そんな彼を引き止める。


「この事は僕たちだけの秘密にしよう」

「なんでだよ。あの3人にも教えてやった方が安心するだろ?」

「僕たちが久瀬君と喧嘩をしたと知ったら3人は少なからず悲しむんじゃないかな。皆僕らを巻き込みたくないって思ってるだろうからね」


 弥太郎は僕らに詳しいことを話してくれなかった。何か別の事情があるのかもしれないけど、少なからず僕たちには関係のない話だと思っているはずだ。

 それは僕らも同じこと。これは僕たちが勝手にやったことで、彼らには関係のない話だ。

 喧嘩が発覚して怒られることになっても、久瀬が僕たちに恨みを抱いたとしても、これ以上弥太郎たちが傷つく必要はない。


「わかったわかった。黙っとくから早く行こうぜ。あんま遅くなると弥太郎に勘繰られる」

「弥太郎も目敏いからね。友達想いなところもそっくりだよ」

「そっくりって誰にだよ」

「さあ、誰だろうね」


 僕は隣を歩く親友に心の中で感謝する。

 僕1人じゃこんなにすんなりと解決はしなかった。もしかすると、また弥太郎たちに迷惑をかけることになったかもしれない。

 本当に感謝している。僕みたいな一般家庭の生まれが彼らと出会えたことに。

 同時に思う。僕にはきっと弥太郎を救うことはできないんだと。

 でも、別にいいんだ。少しでも弥太郎の近くに居られたら、僕はそれで満足だから。

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