第45話 終わり良ければ

 2日にかけて行われたスポーツ大会が幕を閉じた。

 思い返せば長かったようで短かったような不思議な感覚が残っている。

 俺を取り巻く環境。人間関係。気持ち。たった2日間で多くのことが変化した。

 俺にとっては良い変化……と言っていいはずだ。

 少なくとも俺の心は穏やかな白い雲が浮かぶ快晴だ。とても心地よく落ち着いている。


「お疲れ、神宮!」

「また明日なー」

「ああ、またな」


 俺の前を過ぎ行く他クラスの男子たちと挨拶を交わしながら、そんなことを考える。

 憑き物が落ちたと言うか、肩の荷が降りたと言うか。数日前に比べると随分生きやすい環境になったと思う。

 サッカーの決勝とその後のエキシビションの話は瞬く間に流れたようで、校門に佇む俺を見る周囲の目が明らかに変わっていた。

 たまに怯えるような視線を向けられることもあるが、大半は軽く挨拶を交わすか興味ありげにチラチラと見られるくらいだ。以前の敵意に比べれば居心地の悪さはない。


 そうして1人で待つこと数分。友達と会話をしながら紫乃が姿を見せる。一緒に居るのは同じクラスの坂本と竹下だ。紫乃とよく一緒にいる姿を目にする。


「弥太郎、お待たせ。皆は?」

「まだ来てない。深愛はともかく、琉依と与一はどこに行ったんだろうな」

「うーん……部活の打ち合わせとか?」

「今日はどこも休みだって聞いたんだがな」

「それでもほら、ミーティングくらいはするんじゃない?」

「まあ、それもそうか」


 俺たちが普通に会話を始めると、紫乃と一緒にいた2人は不思議そうに目を丸くした。


「教室でも見てたけど、やっぱ変な感じだよね」

「ほんとほんと。あんなことがあったのに」


 あんなこと、と言うと紫乃が人前で俺に別れを切り出したことだろう。確かに、あの時は俺もまさか再び紫乃と話す日が来るとは思ってもみなかった。

 2人の会話に紫乃も思うところがあるのだろう。少し悲しげに眉を下げた。


「あの時のことは反省してるって……弥太郎と深愛ちゃんには頭上がらないんだから」

「神宮君がお人好し過ぎるんだよ」

「そうそう。紫乃が見捨てられてもおかしくなかったのに」


 3人の会話を聞くに、紫乃はこの2人に事のあらましを話しているのだろう。

 本人が話していいと思ったのなら俺が否定することでもないが、俺と深愛に話した内容を誰それに伝えるのは勇気がいっただろう。

 もしかすると、紫乃にとってのけじめのようなものかもしれない。隠そうと思えば隠せる話ではあるが、久瀬との関係を完全に断ち切るためには避けては通れない道だ。

 紫乃の話を聞いてなお付き合いを続けてくれる彼女たちは、紫乃にとって良い友人なのだろう。俺たち以外にもこうして接してくれる人がいたことに安堵する。

 会話を弾ませる3人の声に耳を傾けていると、坂本が「神宮君」と俺に話を振る。


「紫乃を助けてくれてありがとう」

「酷い女だけど、これでもうちらにとっては大事な友達なんだよね。ほんと、ありがと」


 竹下も続けてお礼の言葉を口にする。友人2人が自分のために感謝を述べる姿に紫乃は顔を赤らめる。

 2人とは高校に入ってからの付き合いのはずだが、そこには確かな絆が見える。

 今朝紫乃に向けられていた好奇と嫌悪の混じり合った視線を思い出す。紫乃も俺と同じように他者から避けられて生きて行くことになるかと懸念したが、どうやら杞憂だったらしいな。


「良い友達だな。俺の方こそ礼を言わせてほしい。紫乃の友達で居てくれてありがとう。酷い女だが、これからも仲良くしてくれ」

「ちょっと、弥太郎!」


 竹下の言う『酷い女』という言葉がおかしくて真似をすると、紫乃に背中を叩かれる。

 俺たちのやり取りに竹下がほつりと疑問をこぼす。


「もしかして、2人って寄り戻したの……?」

「違うから。それは絶対にないよ」


 しかし紫乃はその疑問を即座に否定する。


「私はもう弥太郎に未練なんてない。私たちはただの友達だから。それに言ったでしょ。私を助けてくれたのは弥太郎と深愛ちゃんだって。私は深愛ちゃんを裏切るようなことは絶対にしないよ」


 紫乃の真剣な目に竹下は「ごめんごめん」と両手を合わせる。竹下にとっては冗談だったのかもしれないが、紫乃は冷やかしでも勘違いされまいと断固として否定する。

 これは紫乃の決意。本当に未練がないかどうかはこの際どうでもよくて、深愛への感謝を絶対に忘れないという想いの表れだ。

 この2日間で様々な変化が起きたが、紫乃もまた新しい一歩を踏み出した。そんな気持ちが伝わってきた。



「弥太郎君! 紫乃ちゃん!」


 竹下たちと別れてすぐ、今度は深愛の声が聞こえてきた。

 綺麗なストロベリーブロンドの髪を揺らし、満面の笑みを浮かべる彼女は道行く生徒の視線を引っ張りながら俺たちの元へ駆け寄る。


「お待たせしましたわ! ……って、まだ揃ってませんのね?」

「ああ。琉依はすぐに行くと言っていたんだがな」

「大事な用事なのかもしれませんわね。気長にお待ちしますわ」


 そう言いつつ、深愛は俺の腕にぎゅっとしがみついてピタリと寄り添ってくる。

 スリスリと頬を擦り寄せる深愛からはふわりと甘い香りが漂ってくる。

 下校していく生徒たちの視線をこれでもかと集め、俺は居心地悪く深愛に視線を送る。


「……何してんだ?」

「可愛い女の子と2人きりなんて許せませんわ。弥太郎君は私のものだと示しませんと」


 先程の紫乃の決意など露知らず、深愛は嫉妬と独占欲に塗れて紫乃をライバル視する。元はと言えば俺から距離を取ると言った紫乃を止めたのは深愛だったはずなのに。


「安心しろ。ついさっきまで紫乃の友達2人も一緒だった」

「ハーレムですわ!? 4Pですわ!?」

「人前だぞ。少しは隠せ」

「無理ですわ! 今夜のことを思えば今から発情が止まりませんわ!」

「そこまではしないって言ったはずなんだけどな……」


 複雑な顔で若干距離を置いた紫乃に首を振って勘違いだと伝える。

 このスポーツ大会で勝つ度に深愛にご褒美をあげようと約束したものの、途中からそれどころではなくなって初戦以降何もしてあげられなかった。

 そのツケが回って来たのだろう。深愛の欲望が限界に達したとも言える。


「まあ、実際に優勝したわけだしな。一線を越えない程度なら今日は深愛の言う通りにしよう」

「ほ、ほんとですの!?」

「お手柔らかにな。その目怖いからやめろ」


 ギラギラと目を輝かせる深愛。本当に何事もなければいいが……。


「その……そういうことするなら弥太郎の部屋にしてね。深愛ちゃんの部屋、私の部屋と近いから」

「しないって言ってるだろ……」


 深愛が何を求めてくるかわからないが、紫乃の言う通り念の為に今夜は俺の部屋に呼ぶことにしよう。鼻息を荒くする深愛を見てそう誓った。


 深愛に食われないようどうにかいなしていると、ようやく最後の2人が現れた。


「ごめん、遅くなった」

「さーて、飯だ飯だ!」

「お前はまず謝れよ与一」

「そう言うなって。今日は俺の奢りだ。皆好きなだけ食えよ!」


 何やら上機嫌な与一に俺は首を傾げる。


「どうしたんだ? どうせ与一の奢りに違いないが、やけに機嫌が良いな」

「まあな。今日は最高の気分なんだよ。お前とも勝負できたし、さっきも──」


 何かを言いかけた与一が急に押し黙る。

 ここに来る前に何かあったのだろうかと続きを待つが、与一は「なんでもねえ」と首を振る。


「それより、皆もお腹空いたよね。待たせちゃったし、すぐ出発しよう」


 琉依が不自然に会話を挟み込んだことで、俺は2人が今まで何をしていたのか、ある想像が浮かんだ。

 だが、俺はすぐにその想像を頭の奥に仕舞う。例え不自然だろうと2人が話そうとしないのなら、深く追求しない方が良いのだろうと思ったからだ。少なくとも今この場で話すべきことじゃない。

 代わりに俺は琉依の提案に乗ることにした。


「そうだな、行くか」

「お店はもう決まってるの?」

「うん。与一のお父さんが経営してるお店にしようかなって。学生のために比較的安く焼肉の食べ放題が楽しめるお店らしいよ」

「そりゃいいな。与一の親父さんの店なら味も確かだろうしな」

「親父は店創っただけだけどな。ま、味は期待していいぜ」

「ふふ、楽しみですわね」


 そんな話をしながら俺たちは揃って歩き出す。

 多くの変化を経験した2日間。その終わりは新たな友人を囲み、変わらない笑顔に包まれていた。

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