第39話 初めての感覚

 天気、快晴。気温、適温。湿度、なんとなか良い感じ。体を動かすには絶好の日だ。

 これまで35分間で行われていた試合とは違い、決勝戦はハーフタイムを挟み前後半の70分で試合が行われる。

 これまで以上に体力が要求されるが、これほど心地よい気候であれば特に問題なく走りきることができるだろう。


「弥太郎くーん! 頑張ってくださいましー!」


 観客が多い中、深愛の声はよく通る。人混みの中から彼女の姿を捉える。隣には紫乃も一緒だ。

 2人は何やら耳打ちをしている。かと思えば、


「頑張って!」


 と紫乃が声を上げる。応援されるのもなかなか悪くない。

 2人に向けて軽く手を振っていると、どっしりと肩に負荷がかかる。


「お前だけいいよな。何様だよ」

「与一か。久瀬かと思った」

「あのカス野郎と一緒にしてんじゃねーよ」


 与一と久瀬のガラの悪さは割と近しいところがある。性格は全く別だが。

 なんと言うか、与一は綺麗な久瀬というイメージだ。


「応援してほしいならアピールしたらどうだ?」

「んな恥ずかしいことできっかよ」

「与一は意外にピュアなところがあるよね」

「プライドだ、プライド」


 そんな会話をする2人の目を盗み、深愛にアイコンタクトを送る。

 目線だけで伝わるものかと少々不安だったが、深愛はこくりと頷いて再び紫乃に何かを伝える。


「泉田君と如月君も応援してますわー!」

「2人とも頑張って!」


 言葉にしなくとも伝わるとは良いものだ。心が通じ合っているようで、むず痒くも心地よい。


「……だってよ」


 彼女たちの声は2人にもしっかり届いたようで、目をぱちくりと瞬かせる。


「俄然やる気出てきた」

「だね。応援は力になるよ」


 応援は力になる。確かにそうだな。

 しばらく感じていなかった燃え上がる熱意のようなものが体の内から湧き上がってくる。


「さ、やるか。目指すは圧勝だ。精々足を引っ張るなよ」

「てめーがな」

「弥太郎に言われちゃやるしかないね」


 そう言葉を交わしてそれぞれのポジションにつく。

 久瀬はフォワード。俺のポジションからそう遠くない位置だ。

 こちらを睨む久瀬の表情には、未だに俺に勝てるという余裕が半分、俺を潰すという怒りが半分。歓声は久瀬を後押しする声も多い。まさに絶好の舞台だ。

 抑えきれない高揚感を深呼吸で整える。

 そして、試合開始のホイッスルが鳴った。



 久瀬チームのキックオフで試合が始まると、真っ先に久瀬へとボールが回る。

 やや乱れたファーストタッチから俺の居る方へと全速力で迫ってくる。俺も受けて立とうと久瀬の方へ駆け上がる。

 開始1分も経たずに訪れた最初のマッチアップ。一定の距離を保ちつつ、これ以上久瀬が進めないよう応戦する。

 が、しかし。


「なんだァ、その腑抜けたディフェンスは?」


 右、左とボールを動かし、ジリジリと迫る久瀬。次の瞬間、左へと大きく踏み込んだ。

 俺も素早く反応して行く手を遮る。だが、久瀬の体は即座に右へと流れ俺の横をするりと抜ける。

 俺もすぐさま足を踏み込み、久瀬に追いつく。

 しかしそれもフェイク。俺が追いついた瞬間に久瀬はスピードを殺して俺の進行方向の逆をつき、コートの内側へと切り込む。勢い余った俺は反応が遅れて置き去りにされる。

 俺のカバーに回ったディフェンダーも勢いそのままに抜き去り、久瀬のシュートがネットを揺らす。

 前半2分。あっという間の出来事だった。

 観客も呆気に取られ、遅れて歓声が上がる。


 俺と目が合い勝ち誇った顔をする久瀬に内心素直な賞賛を送っていた。

 思っていたよりは速い。よく決勝までたどり着けたものだと見下していたが、そのスキルは大したものだった。


「何やってんだ弥太郎!」


 わざわざ最前線から自陣に戻っていた与一がガッと肩を掴む。


「悪い、普通に負けた」

「てめー……負けたらどうなるかわかってんだろうな?」


 久瀬がサッカーでの勝負に乗ってきた以上、あの時交わした約束が果たされるということだ。即ち、俺が負ければ、深愛や紫乃にまで危険が及ぶ可能性が高い。

 それは理解している。当然、負けるつもりはない。

 だが……


「なんだろうな。地に足がつかないと言うか、体がふわふわと宙に浮いているような感覚なんだ」

「……?」


 何を言っているのか、と首を傾げる与一の肩を叩く。


「安心しろ。あいつのレベルはわかった。もう俺より後ろにボールが回ることもない」


 そう告げると、与一も困惑しながらも「そんならいいけどよ……」とポジションに戻って行く。

 俺もゆっくりと持ち場に戻りながら、地面を踏む感触をしっかりと体に覚えさせる。

 コート全体を見渡して、俺の中に不思議な感覚が沸き上がる。


 この感覚は一体なんだろう。

 久瀬は紫乃を傷つけたやつだ。深愛を辱めたやつだ。絶対に許してはいけない相手だ。

 俺が勝手に挑んだ勝負だ。勝たなきゃならない。負けるはずがない。

 目的はちゃんとわかっている。それなのに、俺の意識は全く別の方向へと向いている。

 俺を睨む久瀬の顔。怒りや余裕の見える表情。それを応援する観客。久瀬が得点した時の空気。

 今からそれらが全て塗り替えられる。ここまで積み上げられたステージが壊れていく。

 そんな未来を想像した時、俺の中に芽生えた小さな感情。これは一体なんなのだろう。

 喜び。怒り。哀しみ。楽しさ。そのどれとも少し違う気がする。

 生まれて初めて感じるこの感覚。その正体を掴めないまま、試合が再開する。


 自陣内で数回のパスを回して、俺までボールが回ってくる。この時を待っていたと言わんばかりに距離を詰めてくる久瀬。

 落ち着くまで一旦パス回しに専念しようとコート内を観察する。

 だが──


「気づいたかよ」


 久瀬の声と同時にコート内の違和感に気づく。

 俺のチームメイト全員に久瀬チームのメンバーが一人ひとりピッタリとマークをしていた。

 チームメイトはどうにかマークを剥がそうと動き回るが、その動きに合わせて相手も離れず追いかける。

 琉依の相手はサッカー部員だろうか。彼でさえ久瀬チームの──いや、久瀬の戦略の餌食になっている。

 パスの出しどころがない。これは即ち──


「俺とてめえの一騎打ちだ。これでてめえをぶっ潰してやるよ」


 久瀬がサッカー勝負に乗った理由がわかった。これならば与一や琉依に邪魔をされずに俺と1対1で勝負できる。

 よく思いついたものだ。


「なるほど。これならほぼ俺たちの実力差勝負になるな」

「今更逃げんじゃねえぞ? それとも今から泣いて詫びるか?」


 久瀬の挑発に俺は思わず口元を綻ばせる。久瀬の頭が悪いと言ったことは撤回してもいい。

 俺が思い描いていた状況をよく理解してくれたものだ、と。


「お前も俺と同じことを考えていたようで安心した」


 眉間に皺を寄せる久瀬。俺は右、左とボールを動かし、ジリジリと距離を詰める。そして、久瀬の重心がズレたタイミングでボールを強く蹴り込んだ。

 あいつにとっては一瞬のことだったのかもしれない。反応に遅れた久瀬は慌てて俺を追いかける。しかし、距離が縮まらないように俺はスピードを上げる。

 久瀬チームのメンバーが自ら動く様子はない。恐らく久瀬にそう言い聞かされたのだろう。

 本当にありがたい話だ。おかげで俺は何の邪魔もなくゴール前までボールを運ぶ。久瀬が同じタイミングで追いついてくる。

 その瞬間、俺はその場でピタリとボールを止め、勢い余って通り過ぎていく久瀬の背中側へとターンする。

 そして、キーパーだけになったゴールへ軽くボールを放った。

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