第38話 30点差

「弥太郎よ」

「なんだ」

「なんだ、じゃねえよ。何でそいつが一緒に居やがるんだよ!」


 紫乃を含め3人で登校するや、与一が声を荒らげた。

 それだけじゃない。俺と紫乃の関係を知るクラスメイトたちはこぞって当惑している。

 親の仇のような勢いで威嚇する与一を紫乃から遠ざけ、俺はため息をついた。


「いろいろあって和解した」

「そのいろいろを聞いてんだよ!」


 それは理解しているが、紫乃の話は人前でするようなものじゃない。そうでなくとも人に広めたい話でもないだろう。


「やっぱり、学校では今まで通りの方がいいんじゃ……」


 紫乃は俺を案じてか、顔を近づけて耳打ちする。

 元々俺と紫乃は互いのためにもそのつもりでいたが、


『お友達なんですから他人のフリなんておかしいですわ!』


 というわがままなご主人様の勅命により今に至る。当の本人は既に自分の教室に行ってしまい、俺たちはなんとも言えない空気に取り残された。


「紫乃の気持ちはわかるが今更だろ。あんま気にすんなよ」

「そう言われても……」


 宇宙人でも見たかのような驚愕と好奇の目にあてられ、紫乃はバツが悪そうに身動ぎする。

 俺も最初はそうだったなぁと思いつつ彼女に声をかける。


「最初は不快かもしれないが、案外慣れるぞ」

「その、返答しにくい助言やめてほしいんだけど」

「責める気はない。これで腫れ物ファミリーの一員だな」

「腫れ物でも弥太郎に邪険にされないだけマシ……ってことにしよ」


 紫乃の答えに俺は笑顔を返す。

 紫乃は全て自分のせいだと言っていたが、こと俺の一件に関して言えば彼女は関係ないと言い切れる。

 だから彼女には以前のように接してほしいし、俺もそうしたいと思う。深愛は俺たちの本心を見越してこんな提案をしたのかもしれないな。考え過ぎか。

 一方で与一は理解できないと言いたげに首を振る。


「いやいやいやいや! なんで普通に会話してんだよ。そいつがお前に何したかわかってんのか?」

「さあな。俺は特に何かをされた記憶がない」

「お前……記憶喪失か?」

「違えよ。あれは俺が招いた結果だ。紫乃に非はない」


 むしろ紫乃を追い詰めたのは俺にも責任がある。だから俺は糾弾しない。ただ1人を除いて。


「お前が良くても俺は」

「まあまあ、弥太郎がいいならいいんじゃないかな?」


 遅れて教室に入ってきた琉依が納得を示さない与一の言葉を遮る。


「僕らが彼女に何かされたわけじゃない。それに、僕らは弥太郎に何もしてあげられなかった。そうでしょ?」


 俺は彼らが変わらず隣に居てくれただけで感謝の気持ちでいっぱいだったんだが、2人にとっては思うところもあるのだろう。与一は言い返せずに口を噤む。


「僕はまた弥太郎と雪宮さんが並んでる姿を見れただけで嬉しいよ。良かったね、2人とも」


 にこりと向けられた笑顔に俺は紫乃と顔を見合わせる。

 確かに琉依の言う通りかもしれない。もう二度と訪れないと思った、紫乃と普通に話す機会。これから再び友人として歩んでいけるのなら、この選択は何も間違っていないと思う。


「与一。お前が俺のために怒ってくれるのは嬉しい。だが、俺は紫乃の話を聞いて、俺の過ちを知って、今やらなきゃならないことを見つけた。紫乃も俺と同じなんだ。だから」

「あー、わかったわかった。弥太郎がそこまで言うなら俺も何も言わねえよ。それでいいだろ?」

「ああ、そうだな」


 どうにか与一の怒りも収まったようだ。琉依は与一の親か何かか?

 当の琉依は申し訳なさそうに俯く紫乃に優しく微笑む。


「ごめんね。与一は弥太郎のことが好きだからさ」

「キモいこと言ってんじゃねーよ」

「雪宮さんに何があったかは知らないけど、僕も話せて嬉しいよ。これから改めてよろしくね」


 甘いイケメンフェイスでさらりとこんなことを言うのだから、琉依がモテるのも納得だ。何故浮ついた話のひとつも聞かないのか本当にわからない。

 しかし、紫乃もまた琉依に絆されることなく首を横に振る。


「私の方こそ、泉田君にも如月君にも迷惑かけてごめん」

「僕たちは別に……ねえ?」

「弥太郎のメンタルケアには苦労したぜ、まったく」

「そんな事実なかっただろ。捏造するな」


 メンタルケアどころか、公開寝盗られの話を聞いた与一は必死に笑いを堪えていた記憶がある。今思えばムカついてきたな。

 まあ、同情されるより笑い話として受け取ってくれる方が俺も気が楽ではあったが。


「ほら、そろそろ席に戻ろう。今日は焼肉を賭けた大事な日だからね」


 一旦解散の流れ……かと思いきや、紫乃が「あのっ」と俺たちを呼び止める。


「その、私なんかを受け入れてくれて、ありがとう」


 呼び止められたのは俺以外の2人だったらしい。2人は何を言っているのやらと肩を竦める。


「どういたしまして」

「俺はまだ認めてねーよ」

「素直じゃないなぁ」


 ケッと吐き捨てながらも与一はどこか照れくさそうに見えた。可愛い女の子には弱いもんな、お前。

 自席に戻る2人の背中を追いかけようとすると、紫乃が俺の背中をトントンと叩く。


「弥太郎もだよ。ありがとね、本当に」

「……まあ、気にすんな」


 紫乃らしさが戻りつつある明るい笑顔に俺は言葉を詰まらせる。俺も人のことは言えないな。




 2日目ともなれば試合は昨日以上に白熱し、勝ち上がった猛者たちも次第に脱落していく。

 そんな中、俺たちは危なげなく勝利を収め、優勝まであと一歩のところまで来ていた。

 バスケで優勝を収めた与一を交え、俺たちはグラウンドへ向かっていた。


「さーて、サッカーもサクッと勝って焼肉食うぜー!」

「人の金だからって呑気なもんだな」


 現在焼肉を賭けた得点勝負の成績は琉依が10ゴール、与一が7ゴール、俺が5ゴールと全員が均等に点数を伸ばしている。

 点差は離されていないものの、俺は少なくとも次の試合で3点を決めなければ負けが決まってしまう。せめて与一と同率で割り勘には持ち込みたい。


「そういえば、点数が並んだら割り勘でいいんだよな?」

「その時はアシスト数で決めたらどうかな? それも同数なら割り勘ってことで」

「へえ、それはいいルールだな」


 アシスト数なら俺が圧倒的だ。となれば、与一と同点に持ち込めば俺の勝ちということになる。

 しかし、そうなると不利に追い込まれるのは与一の方で。


「いいや、ダメだ。割り勘にしようぜ、弥太郎」


 負ける可能性が浮上したことを危惧してか、そんな提案をする。

 サッカーにおいて1点の差は大きい。少しでもリスクを減らしたいという考えだろうが、それは俺も同じだ。


「へえ、負けるかもしれないって思ってんのか。昨日はあれだけイキってたのになぁ。中学の頃に比べて随分大人しくなったんじゃないか?」

「あぁ?」

「俺は別に割り勘でもいい。やっと全力勝負ができるというのに、与一が逃げ腰じゃ俺の最下位はなさそうだしな」


 そう煽ってみせると、予想通りにピキピキと青筋を立てる与一。


「上等だコラ! 割り勘なんざ甘っちょろいルールは必要ねえ! 琉依もぶち抜いてお前らで最下位争いさせてやらァ!」

「だそうだ。今日は与一の奢りだな」

「たらふく食って破産させてやるから覚悟しとけよてめー!」


 さて、これで首の皮一枚は繋がったな。とはいえ、本気になった与一がどれほどの実力かは未知数だ。次は俺も本気でやらなきゃならないな。


「弥太郎君、なんだか燃えてますわね」


 深愛に指摘され、俺は高揚感を自覚する。

 これまで我慢していた感情を、抑えていた自分の能力を解放できる。

 まさかこんな日が来るとは思っていなかった。今は次の試合が楽しみで仕方ない。


「ああ。この勝負、負けられないからな」

「ふふっ。私も精一杯応援しますわね」


 俺たちから少し離れて紫乃が微笑ましそうに会話を聞いている。他人事のようなその目に少しもやっとする。

 紫乃を誘ってやりたい気持ちはあるが、与一たちの言い分もわかる。だから今回は遠慮してもらって、今度深愛と3人でご飯にでも──


「なに自分は関係ないみてえな顔してんだ、雪宮。お前も来るだろ?」


 与一の一言に俺は目を見開いた。紫乃もまた同じ顔をしている。

 今朝はあれほど嫌悪していたのにどんな心境の変化だろうか。


「弥太郎を破産させるにゃ人が多いに越したことはねえんだ。しみったれた顔してねえで話に入ってこいよ」

「わざわざ自分の出費を増やすとはなかなかやるな」

「言ってろ」


 与一に誘われたことで紫乃もどこか安堵の表情が見える。が、それ以上に申し訳なさが勝っているようだ。


「わ、私は……邪魔しちゃ悪いから」

「泉田君もこう仰っていますし、紫乃ちゃんも一緒に行きますわよ!」

「与一はこう見えて一緒に行きたいって思ってるんだよ。悪いと思うなら与一に付き合ってあげてほしいな」

「思ってねえよ。俺はただ直接こいつの本性を暴いてやろうと──」


 紫乃の拒絶はあっという間に飲み込まれ、断れない雰囲気が完成してしまう。戸惑う紫乃に俺も声をかける。


「ま、そういうことだ。諦めて与一に付き合ってくれ」

「聞こえてんぞ弥太郎」


 琉依と話していたため問題ないかと思ったが、与一にぎろりと鋭い目を向けられる。

 やべ、と視線を逸らす俺を他所に紫乃がふっと頬を緩めた。


「……ほんと、素敵な人たちだね」


 穏やかな雰囲気に包まれ、俺たちも自然と笑みがこぼれる。

 だが、その空気は突如凍りつく。紫乃の表情が急変したからだ。


「紫乃……てめえ、なんでそのヘタレと一緒にいやがんだ?」


 先にサッカーコートに到着していた久瀬との対面。そういや居たな、こいつ。

 紫乃の話では毎日久瀬の相手をさせられていたらしいし、昨日連絡もなく紫乃が姿を見せなかったことに大層憤りを感じている様子だ。

 怯える紫乃を護るように深愛が彼女に寄り添い、与一と琉依が2人の前に立つ。


「てめーじゃ満足できなかったんじゃねえか?」

「与一、はしたないよ。事実でも人前で言うべきじゃないね」


 一触即発の空気が流れる中、俺はというと久瀬の登場にシラけていた。

 紫乃を傷つけたことは許せない。その報いは必ず受けさせる。

 だが、その相手は久瀬家であり、雪宮家だ。久瀬なんてその気になればいつでも潰せる。

 そんな小者よりも、俺は琉依たちとの勝負に熱が向いていた。

 俺は琉依と与一の前に立ちはだかり、2人の額にデコピンをかます。


「いってえ! 何しやがんだ!」

「いちいち挑発に乗るなよ。行くぞ」

「なんだよ。弥太郎が真っ先に噛み付くと思ってたのによ」


 与一の言う通り久瀬への怒りは当然あるが、くだらない口喧嘩をしていたところで何も変わらない。久瀬が望む殴り合いも人前で堂々とできるものじゃない。

 久瀬の処遇は後回し、というのが俺の結論だ。


「俺はこの試合で少なくとも5点は獲らなきゃならないからな。俺からの挑戦も受けられないヘタレに構ってる暇はないんだよ」


 特に悪意もない事実を連ねただけの言葉だったが、どうやら久瀬は気に食わなかったらしい。

 声を荒らげて俺に掴みかかってくる。


「何様だてめえは! 今からてめえをぶっ殺してどっちが上か教えてやる!」

「殴るのは構わないが、もう少し周囲の状況でも見たらどうだ?」


 俺の気遣いも頭の弱い久瀬には伝わらなかったらしい。グラウンドには既に多くの生徒が集まっている。これだけ騒動になれば当然目立つわけで。

 ようやく周囲の視線に気づいたらしい久瀬は荒っぽく俺を突き飛ばそうとするが、大して力が込められておらず俺はバランスを崩すこともなく久瀬に向き直る。目に見える感情の割にそこまでの怒りはないのかもしれない。


「てめえの勝負とやらに乗ってやるよ。この試合でてめえを潰して、そこの女共をてめえの前で犯し尽くしてやる」


 戯言を吐き捨てて踵を返した久瀬を見送り、俺は4人へと向き直る。

 琉依と与一は当然として、深愛も紫乃もそこまで怯えた様子はなく少し安心した。


「悪いな、恥をかかせて。大丈夫か?」

「私は大丈夫ですわ。でも紫乃ちゃんが……」


 表情にこそ恐怖は見えないが、怖かったのは間違いないだろう。ただ俺たちに心配をかけまいと気丈に振舞っているだけだ。


「紫乃。久瀬に会いたくないなら教室で待っていてもいいんだぞ」


 できる限り優しい声色を心がけて声をかけるが、紫乃ばぶんぶんと首を振る。


「そんなことできないよ。私は当事者だから。何も力になれないけど、せめて皆の応援はさせてほしい」


 そう強い眼差しを向ける紫乃に首肯する。彼女がそう言うならこれ以上言うことはない。


「まあ、紫乃と和解したのは見ての通りってことだ。勝つことに変わりはないが……どう思う?」

「10点差かな」

「20点差だろ」


 久瀬とのやり取りで粗方状況を察したであろう琉依たちは平然とそう答える。頼りになるやつらだ。

 しかし、久瀬がサッカーでの勝負に乗ってきたことで、俺は内心勝利を確信していた。これで俺の奢りはなくなった、と。


「残念、30点差だ」

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