第36話 新しいお友達ができましたわ!

「弥太郎君、おまたせしましたわ!」

「別に待ってないんだが……」

「つれないですわねぇ。ね、紫乃ちゃん?」

「ほんとにね。美女2人のパジャマ姿に何もないわけ?」

「自分で言うな」


 一緒にお風呂に入ってすっかり仲良くなった私と紫乃ちゃんは2人で弥太郎君に詰め寄るも、弥太郎君は変わらず素っ気ない態度だ。

 もこもこパジャマのお揃いコーデ。自分で言うのもなんだけど、今の私たちはとびっきり可愛いと思う。

 それなのに弥太郎君はペンをクルクルと回して問題集と向き合っている。


「珍しいですわね。弥太郎君がお勉強なんて」

「一応毎日してるんだけどな。やることもないから予習でもしようかと思って」

「ふーん……って、それ3年生の範囲じゃない?」

「ああ。慧さんが使っていた問題集を借りたんだ。あの人、勉強は嫌いだとか言って真っ白のままだったからな」


 鮫ちゃんがうげぇって顔をしながら問題集を渡す姿が容易に想像できて、私はくすりと笑う。


「慧さん……慧さん……あ、鮫島さんか。あの超美人な人」

「ですわ。大人の女性って雰囲気で憧れますわよねぇ」

「ほんと、何食べたらあんなふうになれるんだろ」

「食生活の問題ですの?」


 食事だけなら私も鮫ちゃんと変わらない生活をしているはずなのに、私の身長は完全に止まってしまった。あれだけ高ければ弥太郎君の顔をもっと近くで見れるのに。キスだってしやすそうで……

 ってだめだめ。今は紫乃ちゃんが一緒なんだ。発情しないように気をつけなきゃ。


「ところで、弥太郎君?」

「……なんだ?」

「なんだ、じゃありませんわ。いつもは人前で勉強なんてしませんのに、今日は一体どういう風の吹き回しですの?」


 私の質問に弥太郎君はぴたりと手を止める。やっぱり、私の思った通りだ。

 弥太郎君に私の考えがわかるように、彼の考えも私にはお見通しだ。

 ソファに座る彼の隣に腰を下ろして、腕をぎゅっと絡ませる。


「も・し・か・し・て、緊張してますの? 意識しないように必死ですの?」

「……違えよ」

「ふーん?」


 私から顔を背ける弥太郎君。嘘つきにはお仕置が必要かなぁ?

 私は顔を真っ赤にしてこちらを見ている紫乃ちゃんに手招きする。


「ほら、紫乃ちゃんもこちらへ」

「へ? 私も?」

「弥太郎君の照れたお顔を拝見するチャンスですわ」


 紫乃ちゃんを逆サイドに座らせて、弥太郎君の逃げ道をなくす。


「ふふ、これで両手に花ですわね」

「……何のつもりだ?」

「弥太郎君が素直になりませんので、ちょっと意地悪したくなりましたの」


 胸を押し付けてみると、弥太郎君は首まで真っ赤にして俯く。困ってる姿も可愛くて私は好きだ。

 それと同時にやっぱり不安になる。弥太郎君は紫乃ちゃんも幸せにしたいって言っていた。

 彼が私のことを好きだと言ってくれた言葉を疑うつもりはないけど、こんなに可愛い女の子に対して好意のひとつもないなんてほんとにあるのかな。

 紫乃ちゃんを助けたい気持ちは私も同じだけど、これから一緒に暮らしていて恋心が再燃しないとも限らない。

 だから、ちょっとだけ試したくなった。


「そろそろ自分の気持ちに正直になったらいかがですの?」


 弥太郎君はどう返すんだろう、と思いながらそう挑発してみる。

 優しい弥太郎君は紫乃ちゃんを傷つけるようなことは言わない。だから、弥太郎君の本心を引き出せるとは思わない。

 ただちょっとでもこの焦燥感が払拭できればいいと思ってた。

 それなのに、


「紫乃、悪いな。少し目を閉じていてくれ」


 弥太郎君はそう言うと私の頬を両手で挟み込む。身動きの取れない私に弥太郎君が近づいてくる。

 長いまつ毛。綺麗な二重。スっと伸びた鼻筋。凛々しくもどこか哀愁の漂う表情。薄いピンク色の唇。


「弥太郎く──」


 私の口が無理やり閉じられる。柔らかくて温かい感触が唇に伝わってくる。これ以上ない幸福感に私は一瞬で蕩けてしまう。

 唇が離れても頭がぼーっとしていた私は額に響く痛みで我に返る。


「で、デコピン……?」

「俺を試そうとした罰だ」


 彼の考えなんて私にはお見通しだ。それと同じで彼にも私の考えは筒抜けだった。


「不安になるくらいならこんなことするなよ。紫乃が幸せになれるように協力はする。だが、俺が好きなのは深愛だけだ。これでわかっただろ」


 心臓の鼓動がドクドクと身体中に響いてくる。ああ、ずるいなぁ。私の考えも私のして欲しいことも彼は全部わかっていて、その通りにしてくれる。


「……ずるいですわ。お風呂に入ったばっかりなのに、もう下着が濡れてきましたわ」

「お前、紫乃が居ること忘れてないよな?」


 忘れてなんていない。でも、こんなことをされては私も我慢できなくなる。

 紫乃ちゃんには悪いと思うけど、弥太郎君のことをずっと好きで居続けたのは私だから。弥太郎君だけは絶対に譲れない。

 彼女は怒るだろうか。勝手に連れてきてこんな姿を見せられて、きっと良い気はしない。

 おずおずと紫乃ちゃんに目を向けると、彼女は顔を真っ赤にして私たちを見ていた。


「その……私部屋に戻ろっか?」

「いやいい。お前が居ないと深愛に襲われる」

「いやいや、これは抱いてあげる流れでしょ! あんた、ほんとに男なの?」

「お前に言われると複雑なんだが」


 2人のやり取りがおかしくて、私は思わず笑ってしまう。

 なんだ、何も心配することはなかったんだ。弥太郎君は私のことが好きで、紫乃ちゃんも弥太郎君との関係を割り切って私の応援をしてくれる。

 私だけ余計なことを考えていたのが恥ずかしい。でも仕方ないよね。紫乃ちゃんは私の知らない弥太郎君を知ってる。2人にしかわからない関係がある。嫉妬くらい許してほしい。


「折角なら3人でもいいですわよ?」

「しないよ!」

「しねえよ!」


 2人にとっては悪くない提案なのに、声を揃えて拒絶する。大きな安心感と小さな嫉妬。それも何だか悪くない気がした。



 それからしばらく他愛ない話をしていると、ふと弥太郎君が口を開く。


「ひとつ聞いていいか?」


 そう問いかける弥太郎君はどこか思い詰めた顔をしている。

 彼の表情に私と紫乃ちゃんは顔を合わせる。私たちにまで深刻な空気が波及してくる。


「久瀬って頭良いのか?」

「え?」


 突拍子もない話に私たちは声を揃えて聞き返す。


「いや、紫乃の話の中で久瀬が聡明だとかなんとか言ってただろ? あいつと話してもそんなイメージが一切ないんだが」


 変なところを気にするなぁと思いながらも弥太郎君の言いたいことはわかる。失礼だけど、私も彼と話していて知性を感じられない。

 ただ、勉強ができるのは本当だ。紫乃ちゃんに久瀬君の話をさせるのは忍びないと思って、代わりに私が答える。


「お勉強はできる方だと思いますわよ。試験ではいつも10位前後をキープしていますわ」

「へえ。どいつもこいつも結果しか見ないから判断を誤るんだな」

「ですわね」


 肯定する私を他所に弥太郎君は悪い顔をしていた。初めて見るけれど、この顔も好きだ。この顔で焦らされたい。

 一旦発散したい気持ちを抑えて弥太郎君に聞く。


「何か考えがありますの?」

「ああ、まあな」


 彼は曖昧な返事をすると「少し外す」と告げて部屋を出た。

 取り残された私たちは何事かと首を傾げる。


「弥太郎、変なこと考えてないよね」

「弥太郎君はいつも変ですわよ」

「まあ、それもそっか」


 弥太郎君のことをよく知る彼女も思い当たる節があったんだろう。簡単に納得してしまう。

 2人して笑っていると、紫乃ちゃんは僅かに表情に影を落とした。


「ねえ、深愛ちゃん。私も聞きたいことがあるんだけど」

「どうされましたの? 改まって」


 一呼吸置いて、紫乃ちゃんは口を開く。


「本当に良かったの? 私のこと受け入れて」


 深刻な顔をするから何事かと思ったけれど、そんなことかと安堵する。

 弥太郎君のことを変だとは言ったけれど、彼女もまたおかしなことを気にする。

 以前の弥太郎君も似たようなことを言っていたと懐かしくなった。


「何も心配することはありませんわよ」

「でも、私が弥太郎を狙ってるとか、不安になったりしないの? 私のせいで深愛ちゃんのご両親にも迷惑が」

「紫乃ちゃんのことは既にお伝えしましたわ。2人とも快く受け入れてくださいましたわよ」

「だ、だけど……」


 紫乃ちゃんを安心させようと私は彼女の手を握る。不安になった時、誰かと触れ合うとすごく安心すると知っているから。


「もちろん、弥太郎君とのことは嫉妬する気持ちもありますわよ。ですが、先程その心配も必要ないとわかりましたもの。私はお友達を疑うようなことはいたしませんわ」

「友達……?」


 紫乃ちゃんはそう繰り返して、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。何かおかしなことを言っただろうか。


「紫乃ちゃんは私のお友達ですわよね?」

「え、その……」

「嫌……なの?」


 私も不安になってきてそう確認すると、彼女は首が切れんばかりにぶんぶんと横に振る。


「そんなことない。ただ、こんな私でも友達って呼んでいいのかなって」

「当然ですわよ」

「私、こんなに汚れてるのに」

「綺麗な体でしたわよ。おっぱいも大きくてちょっと嫉妬しますわ」

「え、ええ……?」


 一緒にお風呂に入ったけれど、紫乃ちゃんの体はとても綺麗だった。胸も私より1カップくらい大きいし、それでいてウエストはくびれていて。むっつりスケベな弥太郎君が惹かれてしまわないか心配してしまうくらいに。

 そうでなくとも彼女の穢れなんて友達であることにはなんら関係のない話だ。


「私はもう紫乃ちゃんのことをお友達だと思っていますわ。紫乃ちゃんはどうですの?」


 私は彼女がどう答えるかを知っていて、意地悪な質問をする。

 彼女は弥太郎君と似ている。自分の置かれた立場や状況を鑑みて、自分と付き合うとどうなるかと相手のことばかり優先する。

 そんなの、我慢しているのと何も変わらない。


「私は……深愛ちゃんと友達になりたい」

「なりたい、ではありませんわよ」

「と、友達だと……思ってる」

「ですわ」


 友達という関係に明確な定義はない。だったら、お互いに友達だと思えばそれでいいと私は思う。

 過去に何があっても、1人の異性を好きになった恋敵であっても、友達かどうかとは全く関係ない。

 でも、これから恋敵になるなら、それはちょっと困るかな?


「もしも紫乃ちゃんが弥太郎君を好きになるなら受けて立ちますわよ」

「深愛ちゃんには敵わないや。大丈夫だよ。私は何があっても2人の味方になるから」


 ずっと嫌悪していた元許嫁が友達になることに複雑な気持ちがないと言えば嘘になる。

 でも、今は紫乃ちゃんのことも少しは知っているつもりだ。その上で私は彼女と仲良くしたいと思った。彼女はただ純粋で、弥太郎君のことを一途に想い続けていた仲間だと知っているから。

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