Side-B 雪宮紫乃②

 その日は突然訪れた。


「お前は久瀬の長男に嫁がせることになった」


 パパから告げられた一言に私は真っ白になった。

 何の前触れもなかった。そんな話、私は全く聞いてない。


「な、何言ってるの? 私は弥太郎と」

「神宮には未来がない」


 パパは厳しい顔で私の言葉を遮る。


「聞いているぞ。兄は中学高校と身の丈に合わないレベルについていけなくなった落ちこぼれだと。弟は兄よりマシだが、所詮は凡骨だ。どちらが跡継ぎでもこの先衰退するだろう」


 言っている意味がわからなかった。弥太郎はただ私に合わせてくれてるだけ。本当の彼は大人でも目を見張るくらいすごい人なのに。

 でも、それを知っているのは私だけだ。周囲の目に疎いのか気にしていないのか、彼は自ら真実を口にすることはないから。

 私が言わなかったせいだって、その時ようやく理解した。

 弥太郎は本当はすごい人だって、私のためにわざと落ちぶれたフリをしているだけだって、私が言わなかったせいだ。

 私のせいで、私も弥太郎も望まない結果を招こうとしていた。


 その時、はっきりと言えばまだ間に合ったのかもしれない。

 私は弥太郎とずっと一緒にいたい。弥太郎との未来を奪わないでほしい。

 そう自分の意思を伝えられたら、まだ後戻りができたのかもしれない。

 でも……


「パパ、私は」

「口答えするな。これは決定事項だ。お前は女だ。弱い存在だ。神宮の愚息と結ばれてはお前の未来も雪宮の未来もない。久瀬はいずれトップに登り詰める。神宮の愚息よりも聡明で人を惹きつける良くできた息子だ」


 パパは私に反抗の隙を与えず、冷たい声で続ける。


「お前は女だ。私の跡は継げない。女にできるのは優秀な跡継ぎを産むことだけだ。お前にはその義務がある。神宮など捨ておけ。お前自身も久瀬と結ばれる方が幸せになれる」


 私の苦手なパパの顔。怒っているでも諭しているでもない。ただパパの考えが全て正しいと刷り込まれるような冷淡な表情。

 その顔を見ていると、私は声が出なくなる。何も言い返せず、黙ってパパの話を聞いていることしかできない。

 逆らえば私の居場所がなくなる。私の存在意義がなくなる。そう、思えてくる。


「これは決定事項だ。明日、久瀬の息子と正式に見合いをする。神宮にも私が話をつけておく。いいな?」


 嫌だ。そんなたった一言が出てこない。

 私から弥太郎を奪わないで。弥太郎を悪く言わないで。私の想いは喉につっかえて出てきてくれない。

 わかってる。パパが怖くて言い返せないだけじゃない。

 これは、私が招いた結果だからだ。

 私がもっと出来が良ければ。私のために変わっていく弥太郎を止めていたら。欲に溺れて弥太郎を私の身勝手に巻き込まなければ。

 全部、私のせいだ。だから私は、この結末を受け入れるしかなかった。

 弥太郎がさらなる不幸に見舞われるとも知らずに。

 そうして私は弥太郎と別れることになった。これが、私の3つ目の失敗。


 それからは地獄だった。

 私は久瀬と顔を合わせたその日に処女を散らした。知らないうちに撮られていた動画をネタに、大好きな弥太郎に酷いことを言わされた。

 女性を性欲処理の道具としか思ってない久瀬に毎日毎日満足するまで犯される日々。何回お願いしてもゴムなんてしてくれなくて、ピルを飲まされて好き放題中に出された。

 気が立ってる時は行為も過激になって、痣ができるくらい縛られたり、死ぬんじゃないかって思うくらい首を絞められたり。

 泣いたり抵抗したりすると怒鳴られて、拒絶しようものなら暴力を奮われる。

 何度も死のうと思った。いっそ久瀬との行為中に死ねたらいいと何度も願った。

 でも、私にそんな資格はない。私よりも弥太郎の方がもっと苦しいと思ったから。これは私が犯した罪への贖罪だから。


 私が痛みと苦しみに耐える一方で、弥太郎にも変化が起こっていた。

 雲母さんと一緒に居るようになって、弥太郎が少しずつ昔の弥太郎に戻っている気がした。

 最初は雲母さんに嫉妬した。弥太郎のことを憎くも思った。

 どうして私がこんな目に遭ってるのに、弥太郎は私のことも忘れて幸せそうに暮らしているんだろう。どうして私じゃなくて雲母さんが彼の隣に居るんだろうって。


 だけど、そんな気持ちはすぐに霧散した。

 私が奪ってしまった弥太郎の幸せを叶えてくれる人が傍に居る。

 弥太郎は最初から私と一緒に居るべきじゃなかった。私みたいな弱い人間と一緒に居ると、彼までダメになってしまうから。

 弥太郎の笑顔が見れるだけでよかった。私のことなんて忘れて、弥太郎が幸せになれるならそれでよかった。


 でも、久瀬がそんな弥太郎のことを見逃すはずもない。彼はある日、私を犯しながら言った。


「あのクソ七光り野郎! 調子に乗ってんじゃねえよ! あの女も絶対に奪ってやる……まとめて犯せる日が楽しみだなぁオイ!」


 許せなかった。私のことをどうしようと我慢する。このまま一生奴隷みたいな扱いを受けてもいい。

 ただ、弥太郎の幸せを壊そうとする久瀬を見過ごせなかった。

 だから私は弥太郎に手紙を出した。弥太郎に伝えなきゃって思った。

 こんな私でも弥太郎の幸せを護りたいって。



「でも、ダメだったね。実際に会っちゃうと気持ちが抑えられなくなったんだ。そのせいで雲母さんに悪いことしちゃった」


 これまでの経緯を話し終えて、私は改めて2人に謝罪する。


「本当にごめん。私のせいで2人に嫌な思いをさせた。私を助けてほしいわけじゃないんだ。ただ、久瀬がどんなやつで、2人に何をしようとしてるのか伝えたかったの」


 謝罪だけでこれまでの罪が帳消しになるとは思っていない。それでも私は精一杯の気持ちを込めて頭を下げる。

 2人は何も言わない。きっと怒っている。私が招いた結果だ。私が2人を危険な目に遭わせようとしている。

 けど、怒られたっていい。弥太郎に嫌われたっていい。私は久瀬のことを伝えられただけで満足だ。弥太郎ならきっと、雲母さんのことを護ってくれる。あとは久瀬の鬱憤を私が受け止めればいいだけだ。

 痛いのは嫌だ。あいつの子供を産むなんて絶対に嫌だ。それでも弥太郎が幸せになれない方がもっと嫌だ。

 伝えることは伝えた。こんなところを誰かに見られたら大問題になる。

 早いところこの場を離れようと思った時、ぐすんと鼻をすする音が聞こえた。

 恐る恐る顔を上げると、雲母さんが可愛らしい顔をくしゃくしゃにして涙を流していた。


「え、雲母さ」


 どうしたのかと考える暇もなく、彼女は私を強く抱きしめる。

 頭がついて行かない私を彼女はそっと撫でてくれる。


「話してくれてありがとう。辛かったよね。苦しかったよね。痛かったよね。怖かったよね。もう大丈夫だよ。もう我慢しなくていいんだよ」


 私よりも小柄な体で力強くも優しく抱きしめる雲母さん。そんなことを言われたら、私は……


「泣けばいいだろ」


 必死に堪えようとしていたのに、弥太郎までそんなことを言う。

 ゆっくりとこちらに近づいて、弥太郎は穏やかに言う。


「深愛の言う通りだ。もう我慢することもない。自分はどうなってもいいと言ったが、俺は深愛だけじゃなくてお前も護るよ」


 私の頭に置かれた大きな手。そこで私の心は決壊した。


「気づいてやれなくて悪かったな」


 これまで抑え込んでいた感情が涙となってとめどなく溢れてくる。心に折った傷が、体の穢れが洗い流されていくみたいだ。

 彼らが許してくれても私の罪が消えることはない。弥太郎を傷つけてしまった過去は変わらない。

 だけど、少しだけ、私は彼らの優しさに救われた。

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