Side-B 雪宮紫乃①
人は誰しも自分が一番不幸だって思う瞬間がある。
テストで成績が奮わなかった時。宝くじが外れた時。傘を持ってきていないのに通り雨に降られた時。告白が成功しなかった時。友達だと思ってた人が自分の悪口を言っていた時。大きな事故に遭った時。
努力でどうにでもなる問題もあれば、避けられない本当の不幸もある。人から見れば小さなことで凹む人もいれば、どんな難関にも立ち向かえる人もいる。
私はどうだろう。不幸な人生を送っているのか。小さな不幸にも悲しむタイプなんだろうか。
私は多分、人よりも幸せな人生を送ってきた。そして、多少の不幸じゃへこたれない精神の持ち主だ。
裕福な家庭。恵まれた容姿。人と話すことを苦に思わず、友達もたくさんいた。
嫌なことがあっても寝たら忘れられるし、そもそも嫌だと思うこともそんなにない。
でも、私が自分の人生を幸せだと思えたのは弥太郎がいたからだ。
少なくとも、弥太郎を裏切ってからの日々を幸せだと思ったことは一瞬たりともなかった。
罪悪感と後悔に苛まれ続ける日々。苦痛と孤独に耐え続ける日々。
あの時、弥太郎に助けを求めていたら。全てを捨てて弥太郎を選んでいたら。何度そう思ったか、今はもう数えることすら諦めた。
私が弥太郎と出会ったのは小学生低学年の頃。パパに許嫁だと紹介されたことがきっかけだった。
学校が違う私たちは週末にしか会えなかったけど、私が彼を好きになるのにそう時間はかからなかった。
運動も勉強も人より頭ひとつ抜けていて、顔もかっこいい。小学生にはそれだけでもモテる要素がふんだんに盛り込まれてるのに、彼の努力を人に見せないスマートさや明るく気さくな性格が私の恋心に拍車をかけた。
許嫁という言葉の意味を知って、私がどれほど舞い上がったか。彼に会える日が毎日どれほど遠く恋しく感じたか。今でもはっきり覚えている。
私はこのまま一生彼と人生を共にする。そんな未来が待ち遠しくて、そんな未来を考えるだけで幸せだった。
でも、そんな幸せは長くは続かなかった。
幸せは積み木みたいだ。積み上げるのは難しいのに、壊れるのはほんの一瞬。
恨むに恨めないのは、その原因が私にあると自覚しているからだ。
最初の失敗は中学生になってすぐのこと。中学生最初の期末試験だった。
私は正直、勉強が得意じゃない。勉強することが嫌いとか、努力を怠るとか、そういう話じゃない。
ただ単純に理解力が低かった。教わったことを何度も何度も学び直さなきゃ覚えられない。暗記なんて数日もあればすぐに忘れてしまう。
弥太郎に勉強を教わって辛うじて入った名門中学校。当然私がついていけるはずもなかった。
それでも弥太郎につきっきりで教えてもらって、どうにか真ん中くらいはキープできた。でも、パパはそれじゃ満足してくれない。
「なんだこの体たらくは。毎日部活だ何だと遊び呆けているからそうなるんだ」
期末試験の結果を見せてから、パパは毎日のようにそうやって私を叱った。
「神宮の息子はあんなに出来が良いのに。お前のせいで婚約が破談になったらどうしてくれるんだ」
それがパパの口癖だった。
初めての部活は楽しかったけど、それだけにかまけていたわけじゃない。友達や弥太郎と学校帰りや休日に遊びに行くことはあったけど、皆が私のことを心配して息抜きとして誘ってくれただけだ。
むしろ、毎日毎日死ぬ気で勉強した。軽々と学年1位を取った弥太郎に少しでも追いつけるように、弛まぬ努力を続けていたつもりだった。
でも、パパはそんな私のことを見てはくれない。過程なんてどうでもよくて、結果だけで判断される。大人になればそうなるのかもしれないけど、中学生の私には抱えきれない重圧だった。
そして夏休みのある日、私はついに我慢できなくなった。
決して私を見捨てない弥太郎の優しさに、思わず涙を見せてしまった。
理由を問う弥太郎にパパとの会話を全て話してしまった。
それが1つ目の失敗だ。弥太郎に話せば、優しい彼が次にどうするかを考えきれなかった。
「大丈夫、安心しろ。俺が紫乃を泣かずに済むようにしてやる」
その言葉の意味はすぐにわかった。
1年生の2学期から弥太郎の成績は徐々に落ちていった。
小テストでは平均近い点数を連発。授業中も適当に窓の外を眺めたりうたた寝をしたり。中間考査では順位を大きく落とし、次の期末試験を迎える頃には私と変わらない点数になっていた。
やがて、彼にはとある蔑称がつく。
『堕ちた天才』と。
それから中学生の間、私の2つ目の失敗が続くことになる。
成績を落として周囲から煙たがれるようになった弥太郎を見て、私の中には黒い考えが渦巻いていた。
弥太郎が人に嫌われれば、弥太郎とずっと一緒に居られるんじゃないか、って。
勉強も運動もそつなくこなして容姿も優れていた弥太郎は、それはそれはモテた。
本人は自覚してないかもしれないけど、私が許嫁だと公言しているにも関わらず弥太郎を狙う女子生徒は少なくなかったし、私に弥太郎との中継役をお願いする傲慢な人もいたくらいだ。
でも、弥太郎が変わってからはどうだろう。何人かの友達がたまに声をかけるだけ。神宮家の人だから人当たりよく接しているだけで、本当に彼のことを気にする人なんて私か彼の幼馴染の如月君くらいのものだ。
弥太郎のことをわかってあげられるのは私だけ。弥太郎も私のために何でもしてくれる。そんな関係が心地よくなってしまった。
悪質なマッチポンプだ。原因は私にあるのに、私は彼を救おうとはしなかった。そのままでいてほしいと願ってしまった。
あの時、元の弥太郎に戻ってと私が願えば、彼はそれを叶えてくれたはずなのに。私はそうしなかった。
弥太郎が元に戻れば、いつか弥太郎は私の元から離れてしまう。それが怖くて仕方なかったんだ。
それが2つ目の失敗だ。
「後悔、してるんだ。弥太郎は私のために自分を傷つけた。それなのに、私は弥太郎を傷つけて自分を守ったから」
私の話を聞く2人は真剣に……真剣に?
「え、何でジュース飲んでんの? 何でお菓子食べてんの?」
弥太郎はぽけーっとした顔でパックのりんごジュースを吸い、雲母さんに至っては全く興味なさげにポップコーンの袋菓子をむしゃむしゃと頬張っていた。
「久々に頑張ると糖分が欲しくなってな」
「そう仰るかと思って用意しておきましたわ」
「深愛は何でポップコーンなんだよ。映画じゃねえんだぞ」
「人の人生はドキュメンタリー映画みたいなものですわ。おひとついかが?」
「いる」
どんだけ自由なの、この人たち。なんで私は自分語りしながら元彼とその彼女の食べさせ合いを見せられてるの?
「え、話聞いてたよね?」
一応確認してみると、雲母さんは元気に頷く。弥太郎に放り込まれたポップコーンを頬に詰めていて、小動物みたいでちょっと可愛い。状況さえ整えば。
「ひひへはひはは」
「聞いてたってさ」
「わかるけど、そうじゃなくて」
2人があまりにも平然としてるから、私の方がおかしいのかと思えてきた。百年の恋も冷める……ことはないけど、なんかお似合いだと思ってしまう。
なんでこんな人のことが好きなんだろうと考えていると当の弥太郎が言う。
「別に、その話って紫乃が悪いわけじゃないだろ。俺のやり方が間違ってただけだ」
「ほーへふはへ」
「飲み込んでから喋ろうな」
けろりと言ってのける弥太郎に呆気に取られていると、雲母さんもポップコーンをジュースで流し込んで同意を示す。
「そうですわね。雪宮さんの気持ちはとてもわかりますわ。まさに共依存、憧れてしまいますもの」
「共依存はろくなことにならんぞ」
「あらあらあらぁ? 体験したような言い草ですわねぇ?」
「違うけど似たような体験してんだよ。実際、ほんの少しの要因で簡単に崩れる関係だったろ」
「その割には雪宮さんに振られてもあっさりしてましたわよね?」
私がずっと気になっていたことを雲母さんがさらりと聞く。
弥太郎は私との関係が終わっても、生活環境が大きく変わっても、本人には特に変わりなかった。
私のことなんて最初から好きじゃなかったんだとばかり思っていたけど……。
「俺は紫乃が幸せに暮らせるならそれで良かったからな。久瀬と付き合うことが紫乃の幸せなら俺は口を挟む気はない」
「初志貫徹ですわね」
「まあな。だが、それで紫乃が苦悩していたのなら俺のせいだ。紫乃の気持ちをわかってやれなかった」
弥太郎はそう言って「悪かった」と頭を下げる。彼が謝ることなんて何もないのに。
私は慌てて口を開いた。
「あ、謝らないでよ! 弥太郎は何も悪くないじゃん! 弥太郎は私のために」
「ピピー! ラブコメオーラ検知ですわー!」
「それが俺の生き方で、俺にとっての幸せだったってだけだ」
「無視しないでくださいまし!?」
なんだろう……弥太郎の優しさに今にも泣きそうなのに、雲母さんのおかげで涙が出ない。
なんだか今まで悩んでいたのが馬鹿らしくなる。同時に、これから話すことも2人ならちゃんと聞いてくれるって安心できる。
2人のやり取りに崩れそうになる表情を引き締めて、私は今回の件について話すことにした。
私はこれからどうしたらいいのか、その答えを見つけるために。そして、弥太郎にきちんと謝るために。
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