第34話 負けられないお嬢様
沈黙のままどれくらいの時間が経っただろう。
数分かそれ以上に感じるが、実際にはたった数秒なのかもしれない。
俺と深愛、そして紫乃は恐らく全員が現状に思考が停止していた。
誰に見られても構わないとは言ったが、その中でも最悪な相手に見られてしまったことは間違いない。
元恋人と今の好きな人の対面。それも前回とは異なり、俺と深愛がイチャついている状態だ。
別に弁明する必要もなければ隠さなきゃならない関係でもないんだが、なんだか居た堪れない気分だ。
紫乃からしても捨てたはずの男が、助けを求めていた男が可愛い女の子とベタベタしているのは気分の良いものではないだろう。
何にせよ、教室という公共の場で人目も憚らずに甘えていたことは反省しよう。
俺が1人で反省会を終えたところで紫乃もようやく頭が働き始めたらしい。「あー、えっと……」と声を絞り出して後ずさる。
「ご、ごめんね。私はその……忘れ物取りに来ただけで……」
踵を返して駆け出す紫乃を「お待ちなさい!」と深愛が呼び止める。
空いた扉から辛うじて姿の見える位置で紫乃が足を止める。
何故呼び止めたのか俺にもわからない。紫乃と2人、彼女の次の言葉を待つ。
「床が汚れてますわよ? そのままにしておくおつもりなのかしら?」
「あ、ごめ……」
「それに、私たちの逢い引きを垣間見て逃げるなんて失礼ではありませんこと? 何が目的ですの?」
「も、目的?って、言われても……」
想像以上に当たりがキツいな。深愛からすれば当然か。
表情こそ見えないが、紫乃はバツの悪さから逃げ出したい一心なのだろうと想像はつく。
だが、それはおかしな話だ。
俺の知る紫乃──とは言っても許嫁だった頃の話だが、彼女はどちらかと言えばさっぱりとした性格で、こんな状況でも気にせずけらけらと笑いながら話しかけてくるようなやつだ。
そうでなくとも俺を嫌悪しているのなら、無視するか悪態をついてでも目的を遂行してさっさと教室から出て行くだろう。
以前体育倉庫で会った時から様子がおかしかった。教室ではいつもと変わらない調子だったため気に留めないようにしていたが、やはり彼女と久瀬の件には何か裏があるように思う。
「そもそも貴女、私のむぐっ」
「なんで悪役令嬢風なんだよ。破滅しても知らんぞ」
深愛の伝えたいことも伝わらないまま一方的ないじめのようになってしまいそうだったため、深愛の口を塞いで無理やり止める。
悪役令嬢ってのは大抵負けフラグだ。変にフラグばかり立てていると先が怖い。生憎と俺が深愛以外の異性に靡くことはないが。
もごもごと何か言いたげな深愛を解放すると、ぷはっと大袈裟に空気を吸い込む。
「酷いですわ! "家庭"内暴力ですわ!」
「家庭を強調するな」
文句に見せかけたマウント。俺でなきゃ見逃しそうだ。
深愛をひょいと持ち上げて俺も立ち上がる。
紫乃に対し未練はないが思うところはある。最悪の偶然ではあるが、あの日話を聞けなかった詫びもあるし、このまま突き返すのも失礼だ。
紫乃の方へと足を進める俺を深愛は不安そうに見ている。
寂しがり屋と言うか嫉妬深いと言うか。そういうところも今は愛おしい。
「そんなにマウントを取るのに必死にならなくても、俺が深愛を好きだって気持ちは変わらない」
そう頭を撫でると、途端ににまにまと口角を上げる。人前でこうして好きだと告げるのはもっと緊張するかと思ったが、案外すんなりと口に出た。
俺は深愛が好きだ。その前提を2人に伝え、俺は紫乃に声をかける。
「悪いな、紫乃。今のは言葉のあやだ。深愛は『床が汚れたから掃除を手伝うよ』、『何か理由があって教室に来たのに用事は済ませなくていいの?』って言いたかっただけなんだ」
「な、なんでわかりましたの!?」
「深愛の考えることは大体わかるんだよ」
深愛は人を無闇に傷つけるようなやつじゃない。ましてや、怯えている相手をさらに追い詰めるようなことは絶対にしない。手を差し伸べて救いをもたらすようなやつだ。
相手が紫乃だから怒りや嫉妬から言葉が強くなっただけに過ぎない。俺と紫乃の関係を少しだけ知っている今ならなおさらだ。
複雑な気持ちはあれど、紫乃を傷つけたいとは思っていない。
深愛はそういう優しいやつだと知っている。ただそれだけのことだ。
「こんな場所でイチャついてるのが悪いんだ。迷惑かけたな」
「あ、ううん……私の方こそ、間が悪くてごめんね」
「忘れ物でもしたんだろ? 掃除は俺がしておくから取ってこいよ」
「い、いいよいいよ。邪魔したのは私の方だから、掃除も私がする。私のことは気にせずに……続けていいから」
「何でだよ。続けねえよ」
混乱しているのかおかしなことを言い出す紫乃に思わずつっこむ。何が楽しくて元カノの前で他の女の子とイチャつかなきゃいけないんだ。
「い、いいんですの?」
「良くねえよ」
俺の脇から顔を覗かせる深愛の頭をぺちんと叩くと、大袈裟に額を押さえてムッと口を尖らせる。
「続きは帰ってからな。とりあえず片付けよう」
「はいですわ!」
かと思えば、たった一言で表情をコロッと変えて掃除用具を取りに行く。単純でわかりやすいやつだ。
深愛が雑巾を濡らしてきて、俺は空き缶を拾いつつ深愛と2人で手っ取り早く掃除を済ませる。
紫乃も手伝おうとしてくれたが、そう大変な作業でもないため自分の用事を優先させた。
どうやら彼女は本当に忘れ物を取りに来ただけらしい。自席で何かを取り出してブレザーのポケットに入れる頃には俺たちの掃除も終わっていた。
深愛が雑巾を洗いに行っている間、少しだけ紫乃と2人きりの時間が生まれる。
なんとなく話しづらいなと思っていると、彼女が先に口を開いた。
「ありがと、弥太郎」
「俺は別に。深愛も手伝ってくれたから戻ったら礼でも言ってくれ」
困っている人がいたら助ける。俺はただ、深愛が言っていた言葉を真似しただけだ。
俺は何もしていないと軽く手を振ると、紫乃はくすりと笑う。彼女の笑顔は久しぶりに見る気がする。
「弥太郎、変わったね」
変わった、と言われても……当然ながら自覚しかない。もっとも、変わったのではなく変えられたわけだが。
何か行動を大きく変えたわけではないが、後ろ向きだった考え方が少し前向きになっただけで、人から見ても変化がわかるらしい。
「今日の試合見てたよ。すごい活躍だったじゃん」
「……そりゃどうも」
俺にとってはあまり掘り起こされたくない話だが、勝負のことなど知る由もない彼女は手放しに褒めてくれる。
紫乃は教室の扉に寄りかかり、何かを思い出すように視線を天井へと飛ばす。
「昔の弥太郎みたいだった。何でもできて、かっこよくて……ずっと憧れだったんだよね、私」
「……そうか」
彼女の言葉に俺は確信する。
「なあ、紫乃。やっぱりお前──」
「ピピー! イチャイチャオーラ検知ですわー! 離れてくださいましー!」
紫乃に聞きたいことがあったが、深愛の乱入により言葉が途切れた。腕でバツマークを作って俺と紫乃の間に割って入る。
「弥太郎君は私のものですわ! 雪宮さんには渡しませんわよ!」
「耳元ででかい声を出すなよ。ビックリするだろ」
「弥太郎君も弥太郎君ですわ! 何で良い雰囲気作ろうとしてらっしゃいますの!? 今夜は覚悟してくださいまし!」
「何する気だよ……」
「他の女性に欲情しないよう搾り取るに決まってますわ!」
「人前で言うな」
俺は紫乃に確認したいことがあっただけだ。その答えがどうであれ、今更紫乃と寄りを戻す気はさらさらない。
が、深愛にとってはあまり良い雰囲気ではなかったらしい。他の人間ならまだしも深愛に勘違いされるのは俺も嫌だ。
素直に「悪かった」と頭を撫でると、深愛は猫のように機嫌を取り戻す。ついでに首元も撫でるとくすぐったそうに身をよじる。可愛い。
「あっははは、ほんと、仲良いんだね」
俺たちのやり取りを見ていた紫乃は、突然声を上げて笑い始めた。
急にどうしたのだろうと俺たちは顔を見合わせる。こんなに楽しそうな紫乃は久しぶりだ。
我慢していた気持ちを吐き出すように一頻り笑い終えると、目元を拭って深愛を見遣る。
「雲母さんって、本当に弥太郎のこと大好きなんだ」
「当然ですわ! 私は弥太郎君さえ居てくれれば他に何もいりませんわ!」
「そっか。私もそんなふうに言えたら、こんなことにならなかったのかもね」
寂しげだが、どこか吹っ切れたように落ち着いた声色。
そんな紫乃に何を思ったのだろうか。
「雪宮さん。聞かせていただいてもよろしくて? 貴女がどうして弥太郎君を裏切ったのか」
深愛はそう問いかける。しかし、すぐに首を振って訂正する。
「いいえ、どうして裏切らなければならなかったのか」
深愛の言葉に俺は少し驚く。俺が感じていたことを深愛も感じ取っていたからだ。
「私はどうにも雪宮さんが弥太郎君を嫌っているようには思えませんわ。ましてや、弥太郎君よりも久瀬君を選ぶような御方には到底見えませんわ。話していただけますわよね?」
紫乃は眉間にきゅっと皺を寄せる。悲しいような、苦しいような、嬉しいような、いろんな感情が混ざり合った表情。
大きく息を吸い、紫乃は真剣な眼差しで俺たちを捉える。
「私の話を聞いてほしい。雲母さんも一緒に」
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