第33話 甘やかすお嬢様
「お疲れ様ですわ、弥太郎君」
「深愛か。お疲れ」
誰も居なくなった教室でぼーっと座りこけて居ると、深愛が労いの言葉をかけてくる。
スポーツ大会1日目を終え、俺たちサッカーチームは見事勝ち進んだ。深愛も難なく2日目のトーナメントまで駒を進めている。
「皆様順調ですのに、どうして浮かない顔をしてらっしゃるんですの?」
「このままじゃダメなんだ……このままじゃ負ける……」
今日予定されていたトーナメント2試合に加え、空いた時間に交流戦称して用意されたエキシビションマッチの1ゲームを終え、俺は敗北を予感していた。
差し出されたスポーツドリンクを受け取り、疲れと一緒に流し込むと、深愛が不思議そうに顔を覗き込む。
「今朝はあれほど余裕綽々でしたのに、一体何があったんですの? 弥太郎君も大活躍でしたのに。もしかして、久瀬君が思ったより強敵だった、とか……」
「いや、それはない」
そんなわけないだろ、と首を振る。
時間が空いた際に久瀬の試合も見ていたが、やはり負けるビジョンは見えない。
そこそこ上手いがそこそこ止まり。あれじゃあ与一にすら勝てないだろうと早々に観戦をやめたくらいだ。
これほど力の差があるなら、サッカーで勝負というのは恐らくないだろうと思う。
「じゃあなんなんですの!」
「なんで怒るんだ」
「思い悩んだ顔をしてるのに何も言ってくれないからですわ!」
心配される程のことでもないが、こうして俺の身を案じてくれるのは嬉しいことだ。
ぷんすかと怒る深愛を宥めようと隣の席の椅子を引くと、表情は一転しニヤリと口角を上げた。
そのままこちらに近付き、椅子に──ではなく、座っていた俺の上に腰を下ろす。
「……なんだ、これは」
「お仕置ですわ。私のおっぱいを堪能しておいてなお変わらない弥太郎君は私の椅子がお似合いですわ」
「甘えたかっただけだろ」
「これでおしりの感触も堪能できますわね」
「ちょっと刺激が強いな」
深愛は俺がまだ隠し事をして、自分ひとりで背負い込んでいると思っているようだが、それは違う。何なら、柔らかくも少し筋肉質な臀部の感触を味わうだけの余裕がある。
深愛の腹部まで手を回して、後ろから彼女を抱きしめる。あれだけ動いた後なのに、彼女からは甘く蕩けるような匂いが漂ってくるのだから不思議だ。
「俺が懸念してるのはあいつらとの得点勝負のことだ。安心しろ。もう深愛を不安にさせたりはしない。深愛のことが好きだからな」
好きだ、ともう一度改めて口にする。これまでつっかえていたものがスっと抜けていくような感覚。俺は本当に深愛が好きなんだと再認識する。
なんの躊躇いもなく出た俺の気持ち。深愛はどんな顔をしているだろうか。
後ろからで表情は見えないが、固まったままこてんと背中を預ける彼女は耳まで真っ赤にしていた。それだけで彼女も同じ気持ちなんだと伝わる。
「ふ、不意打ちはずるいですわ」
「深愛だっていつも不意打ちだろ」
ベッドに引きずり込んだり、不意にキスをしたり、コンプラギリギリの下ネタを連呼したり。いつも振り回されているのは俺の方だ。たまにはこうして彼女を惑わすのも悪くない。
「誰かに見られるかもしれませんわよ?」
「琉依は部活中だし、与一はバイトで先に帰った。それに今は、そんなことはどうでもいい。好きな人と一緒に居たいって気持ちの方が強いんだよ」
「甘えん坊は弥太郎君の方ですわね」
自分でも驚きだ。一度我慢していた気持ちや感情を吐き出してしまうと、こうも歯止めが効かなくなるのか。リバウンドってこうして起こるのかな、なんて考える。
夕日に照らされ仄かに赤くなった深愛の肩に顔をうずめる。ここが学校だということも忘れてしまいそうだ。
「いい匂いだな」
「か、嗅がないでくださいまし! 今はその、汗臭いから……」
「そんなことはない。深愛の匂いがする」
「むぅ……やっぱり弥太郎君はむっつりスケベだね」
「深愛の色欲がうつったんだよ」
深愛はされるがままにじっとしている。嫌々ながら我慢している……ということはないだろう。大方、甘えようと俺の膝に座ったのに俺から甘えられることになり困惑しているのだろう。
「弥太郎君、今日すごく頑張ってたもんね。いいよ、いっぱい甘やかしてあげる」
「思い出させるなよ……このままじゃ琉依どころか与一にも負けそうなんだから」
「そうなの? 一番ボールに触ってたのに」
「競ってるのは得点数だからな。アシストじゃ意味ないんだよ」
今日の成績は俺が参加していない1試合目の琉依のハットトリックを除いても、琉依が3試合で7ゴールと圧倒的だ。続く与一も4ゴール。俺は僅か2ゴール。
アシスト数は俺が8回と圧倒的だが、それだけじゃ勝利には繋がらない。
「このままなら弥太郎君の奢りかぁ。ふふ、何食べようかな」
「まだ負けてねえよ。俺が奢る前提で話すな」
「折角奢ってもらうなら弥太郎君がいいなぁ?」
「……まあ、深愛に奢るなら悪くないか」
「いいんだ」
フォワードという優位に立っておきながら点を獲る度にドヤ顔をしてくるあの2人は癪だが、深愛にはこれまでの感謝も含めいずれご飯にでも連れて行きたいとは思っていた。
ただ、どうせ食事に行くなら……
「2人で行きたいね」
俺の思考を先読みしたように深愛が言う。
「次はどこに行こうかなぁ。弥太郎君と遊園地に行ってみたいし、水族館にも行きたい。あ、お泊まりで旅行とかもいいかも」
「全部行けばいい。これからもずっと深愛の傍で仕えるんだ。時間なんていくらでもあるだろ」
「……それもそっか。ふふ、楽しみがいっぱいだね」
少しの間があってそう答える深愛。「そっか」と呟く声はなんとなく寂しげだった気がした。
気にはなるが、楽しみだと言ってくれた彼女の気持ちも嘘じゃない。わざわざ気の悪いことを言うのも無神経だろう。
「そうだな。まずはあいつらに何を奢らせるか考えて──」
カラン、と何かが落ちる音。教室の入口に転がるそれは空き缶だった。
正確には空き缶になったと言うべきか。中身がバシャリと床に流れ、黒い水溜まりができている。
缶を落とした人物──雪宮紫乃と目が合う。
「え?」
と3人の声が揃うのにそう時間はかからなかった。
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