第32話 三バカとお嬢様

「ところで、もう1人って誰のことなの?」


 話も落ち着いてきた頃、深愛がそんなことを聞いてくる。

 別に隠す必要もないが、話していて楽しい話題でもないため、軽く言葉を濁す。


「俺の憧れの人だ。いつも凛々しくて、かっこよくて、時々変なことを言い始める人だった」

「……もしかして、女」

「そうだけど、お前の想像するような関係じゃない」

「うーわ、また女ですわ〜。元許嫁といいその女といい、弥太郎君ってば女のことしか考えてませんわ〜。もう私のことしか考えられないように毎日搾り取るしかないですわ〜」

「キャラがブレてんぞ。じゃなくて、本当に深愛の思ってるような人じゃないんだよ」


 なんとなく、深愛と慧さんを足して2で割ったような人だと思う。

 中学以来一度も会っていないため、今がどうなのかは俺も知らない。


「あの人だけは紫乃や遥太郎とは違うんだ。理不尽なんかじゃない。俺のせいで、彼女は──」

「あ、ここに居たんだ」


 また少しナイーブになりつつあったタイミングで琉依たちが姿を見せる。

 今の話を聞かれていないかと琉依をちらりと見るが、明るく手を振るだけで変わったところはない。


「試合、終わられましたの?」


 深愛はいつものお嬢様モドキ口調に戻っている。俺以外の前ではそのキャラで通し続けるらしいが、正直俺は話し方が崩れた深愛の方が好きだ。

 まあ、俺だけの特権と考えれば悪い気はしないか。


「無事に……とは言えないけど、ちゃんと勝ったよ」

「何があった……って聞く必要もないな」


 明らかに落ち込んだ様子の与一が何かやらかしたのだろうと容易に想像がつく。

 話す気がない与一の代わりに琉依が説明する。


「ハンドでイエローカードもらっちゃってね。その後ファウルで退場になったんだ」

「それで勝ったって言うんだから凄いよな」


 肩を竦める琉依に俺も苦笑する。

 与一の退場も驚きだが、琉依の有言実行っぷりにも驚愕の一言だ。

 試合前に大見得切っていたが、俺と与一を除いた9人で本当に勝ってしまったらしい。


「運が良かったんだ。相手が1年生だったし、サッカー部の後輩が居なかったから勝てただけだよ」

「……そうか。まあ、勝ってくれてよかったよ」


 手放しに褒めても謙遜の姿勢を崩さない琉依。これが彼の強さの秘訣なんだろうな。

 自分がサッカーでそう簡単に負けるはずがないという自身。それを裏付ける努力。勝っても調子に乗ることなく勝因を分析して、どんな小さなことでも成長に繋げられる。

 大人びた端正な顔立ちに温厚で人当たりの良い性格から異性にとことんモテるのに、浮ついた話のひとつもないのは、当の本人がサッカーバカだからに過ぎない。

 中学時代の借りもあるし、今回は琉依のためにも活躍しないとな。

 改めてそう決心していると、深愛が「あの……」と控えめに手を挙げる。


「次の試合、大丈夫なんですの? 泉田君が抜けて10人で挑まれるんですわよね?」

「え?」


 そうなのか?と琉依に視線を送ると、彼は残念そうに頷く。


「僕もさっき知ったんだけどね。どの競技でも退場した生徒は次の試合まで出場不可になるらしいんだ」

「なるほど、危険行為を抑制するためなんだろうな。それで与一はこんなに落ち込んでたのか」


 合流してから一言も話していない与一は頭にキノコでも生えそうなくらいジメジメとした空気を漂わせている。


「すまねえ……すまねえ……」


 亡霊のように生気のない顔で謝罪を繰り返す。なんだか、こんなに落ち込んでいる与一を見ていると……


「なんか、面白いな」

「動画でも撮る?」

「そうだな。後で共有してくれ」

「お前ら人の心とかねえの? こちとら本気で凹んでんだよ」


 与一にも罪悪感というものが存在するんだな。新たな発見だ。

 与一は頭を搔いて大きくため息をつく。


「そもそもサッカーで勝負とか言い出したのは弥太郎だろ? 責任取って俺の分まで頑張ってこいよ」

「言われなくてもそのつもりだ」


 俺があっさりと答えたことが意外だったのか、琉依と与一は目を見開いてお互いの顔を見合う。


「弥太郎、変なものでも食べた? 熱でもあるの? 大丈夫?」

「なんで心配されてんだ?」


 体調の心配をされるのは不服だが、これまでのことを鑑みれば彼らが驚くのも不思議じゃない。

 俺にはやらなきゃならないことがある。だからサッカーだろうと何だろうと、今回は本気でやりきるつもりだ。


「久瀬が勝負を飲むかは半々ってところだが、それ以前に負けてましたじゃ何言われるかわからないだろ。琉依と与一が居て負けるとは思わないが、万全を期しておく。それだけだ」


 驚きの表情だった2人は、俺の決意に「へぇ〜」とニヤけ面を浮かべ俺と深愛を交互に見る。余計なことを言ったかもしれない。

 恥ずかしげに俯く深愛も可愛らしいが、その表情を2人に見せたくなくて、俺は「何だよ」と威嚇する。


「いやいや、嬉しいだけだよ。僕も俄然やる気が出てきた」

「どうせなら敵でやりたかったよなぁ」

「与一は参加できるかも怪しいだろ」

「もう退場しねえよ!」


 先程の失敗が相当堪えているのか、与一はそそくさと話題を変える。


「久瀬が途中で負けてたりしてな。あんだけイキっといて口だけだったり」

「久瀬の実力がどの程度かは知らないが、あの様子だとまず決勝までは上がってくるだろうな。俺を潰すために。どんな手を使っても」


 久瀬は頭は弱いが小賢しさはある。

 公衆の面前で許嫁を寝盗ったと豪語したのも俺を辱めるという一点だけを見ればあれ以上ない手段だったように思う。

 その結果久瀬の為人が見え透いてしまうと理解できていない点は論外だと言えるが。


「たかがガキの喧嘩だろ。考え過ぎだって」

「お前が言うな」


 喧嘩っ早く、以前俺に付きまとっていた与一が言えたことじゃない。

 ただ、与一の言うことも一理ある。

 たかが喧嘩だ。しかし、されど喧嘩でもある。

 生まれ育った環境がそうさせる。


「確かに、たかが子供の喧嘩だ。考え過ぎだと言われればそうなのかもしれない。だが、あいつも名家の名を背負う人間だ。一度の失敗でも人生は大きく狂う。高校生だからといって、大人は甘やかしてはくれない」


 俺が良い例だ。人の幸せのためにおちぶれたフリをする。たったそれだけの選択で、俺は全てを失った。

 その俺の姿を見ているからこそ感じているはずだ。格下だと見下している俺から逃げられない。そして、絶対に負けられないと。

 俺に何かひとつでも遅れを取れば。それが周囲の人間や親に知れれば。神宮家の落ちこぼれに恐れをなしたと思われれば。

 そう考えれば、今の久瀬は気が気じゃないだろう。

 与一なら俺の言っている意味がわかるだろう?と目で訴えかけると、彼はこくりと頷く。


「弥太郎が言うと説得力あんな」

「そうだね」

「お前ら人の心とかないのか? そこじゃねえんだよ」


 俺の憂慮など何ひとつ伝わらず頭を抱えていると、けらけらと笑う与一が、


「何なら俺たちも勝負しようぜ。誰が一番点獲れるか」


 などと提案する。既に久瀬は全く眼中にないらしいが、俺も別に負ける不安なんて微塵もない。

 なんならこの勝負の方があっさり負けてしまいそうな気さえする。


「お前らフォワードだろ。俺守備的ミッドフィールダーなんだが? ガン不利じゃねえか」

「いいね。最下位は今度ファミレスで奢りってことで。もちろん雲母さんの分もね」

「聞けよ」


 守備的ミッドフィールダーはどちらかと言うとディフェンス寄りのポジションだ。点が獲れないこともないが、フォワードと比べると当然ながら攻撃に参加できる回数は格段に少ない。

 最近給料をもらったばかりなんだが、早速出費の予定ができてしまったのかもしれない。

 そうこうして、すっかりいつもの調子で談笑していると、深愛が困惑した様子で尋ねてくる。


「なんだか余裕そうですわね……?」


 俺たちの話を聞いていて久瀬のことなど気にも留めていないことが気になったのだろう。

 そうでなくとも、これだけ余裕綽々な会話をしていれば、深愛にしてみれば混乱してしまうのも当然だ。

 しかし、琉依と与一は何を言っているのやらと軽く首を傾げる。


「そりゃあ……ね?」

「ぶっちゃけ俺が居なくても負ける気しねえよな」


 深愛の心配する気持ちはもっともだ。だが、俺は琉依たちと同じ気持ちだった。

 久瀬と試合をするまでは負けられない。深愛を傷つけた罪は必ず償わせる。

 そのためなら多少の犠牲は厭わない。深愛とその他大勢。天秤にかけるまでもない。

 そのためなら落ちこぼれというレッテルが剥がれようとも構わない。

 3人の視線を一身に受け、俺は少し気が大きくなる。


「そうだな。俺が本気でやるんだ。負ける道理がない」

「自分で言うなよ」

「事実だろ。プロ相手ならまだしも、そこらの同年代相手に俺が負けるところが想像できるか?」

「僕は負けないけどね」

「俺は負けねえけどな」

「サッカーバカとフィジカルバカめ。そこは同意しろよ。かっこつかねえだろ」


 たまには深愛の前でかっこつけようとした結果がこれだ。やはり普通が一番だ。イキっても良いことはない。

 何故か恥ずかしい思いをさせられたが、なんだかそれも面白くなって俺たちは声を上げて笑う。

 バカな連中だが、俺に何があってもこうして一緒に居てくれるバカな親友たちには感謝してもしきれない。

 俺がこの先どんな扱いを受けるかはわからない。凄いやつだと見直されるかもしれないし、嫌味なやつだとさらに嫌われるかもしれない。

 それでも彼らだけはこれからも一緒に居てくれる。彼らの笑い声がそう思わせてくれる。

 俺らのバカ笑いに混じって、深愛もクスクスと声を漏らす。


「おバカさんばっかりですわね」

「それ、俺も含んでないよな?」

「ふふ、私の前でかっこつけたい下心おバカさんですわ」

「一番恥ずかしいやつじゃねえか」


 深愛に下心なんて言われたくはないが、そんなことを知っているのは俺だけで充分だ。

 けたけたと笑う琉依たちにつられて俺も笑みが溢れる。


「まあ、安心してくれ。俺は負けない。深愛が悲しむところは見たくないからな」


 深愛に心配をかけまいとそう伝える。

 人前でこんなことを言うなんて思わなかったのだろう。深愛はぽっと顔を赤らめて、ポコポコと俺の肩を叩く。

 そんな彼女を見ていると、負ける想像なんてまるでできなかった。

 深愛のためならサッカーだろうと殴り合いだろうと、久瀬が相手だろうと誰を相手にしようと負けることはないと、そう思える。


 そして、にたにたと薄気味悪い笑みを浮かべる琉依と与一に俺はもうひとつ決心する。

 絶対にこいつらに奢らせてやる、と。

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