第29話 因縁にも乗り込むお嬢様

 与一のバスケの試合も無事勝利を収め、俺たちの出番が回ってくる。

 グラウンドでの開会式から体育館へ、そしてまたグラウンドへと移動だけでも慌ただしい。

 ただ観戦していた俺や琉依はまだしも、試合に出ていた深愛や与一が心配になる。


「与一、お前連続で試合だけど大丈夫なのか?」

「あ? 問題ねえって。まだ町内3周くらいは余裕余裕」

「そこは割と現実的だね」

「現実的なのかしら……?」


 与一のことをよく知らない深愛にとっては町内3周だけでも異常な体力かもしれないが、俺と琉依にとってはおかしな話でもない。

 以前与一は俺に勝つためと言って毎週休みの度に町内エンドレスマラソンをしていた時期がある。あの頃に比べると3周なんてまだ可愛いものだ。

 当然、俺が心配しているのもそこじゃない。


「バスケとサッカーじゃ別の競技だからな。手は使うなよ」

「使わねーよ! 何だと思われんだ」

「中学の時はやらかしたことあるよね。サッカーの後のバレーで」

「うるせえうるせえ」


 俺たちの昔話についていけない様子の深愛は頭にハテナを浮かべる。


「あいつ、直前までやってたサッカーの影響でバレーの時に思いっきり相手コートにボール蹴って退場させられたんだ」


 そう小声で教えてやると、深愛は「ま!」と声を殺して笑う。


「泉田君、手は使ってはダメですわよ」

「き、雲母さんまで……」


 そんな他愛ない会話をしていると、グラウンドから向かってくる数人の男子生徒が目に止まった。いや、正確にはその中の1人か。

 その相手、久瀬遼雅も俺に気付いたらしく、進路を変えてわざわざ俺の目の前に陣取る。

 紫乃の今の彼氏……許嫁か。多くの生徒が見ている中で俺の許嫁を寝盗った宣言をして、今俺が置かれている状況を作り出した張本人の1人だ。

 とは言え、俺は別に久瀬に対して恨みも妬みもない。一言あるとすればあんな辱めはやめてほしかったことくらいか。紫乃が久瀬と幸せに過ごしているのなら俺が口を出すこともない。

 だが、相手はそうでもないらしい。取り巻きと共にニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべて俺を見ている。

 余計ないざこざは避けたいものだ。相手が立ち止まらないことを願いつつ、その隣を通り過ぎる。

 と、その時。


「とっとと消えろよ、ヘタレ野郎」


 通り過ぎざまに一言。まあ、小言で済めば安いか。久瀬が立ち止まって騒動に発展するという最悪の展開は避けられた。

 幸い俺が端を歩いていたおかげで誰も気付いては──あれ?

 隣に居たはずの深愛の姿がない。


「謝ってくださいまし」


 彼女の声が背後から聞こえ、嫌な予感と共に振り向く。

 やはり、と言うべきか、深愛は久瀬一行と対峙していた。何やってんだ、あいつは。


「は? 雲母家のお嬢ちゃんが何の用だよ」

「聞こえませんでしたの? 貴方はお口だけでなくお耳もわるむぐっ」


 とんでもなく喧嘩を売り始めた深愛の口を押さえ、暴走する彼女の体を拘束する。


「何してんだよ。変なことしてないで行くぞ」


 そう諭してみるも、彼女は抵抗を示す。


「あの方は弥太郎君の悪口を言いましたわ。絶対に許せませんわ! 全裸で市中引きずり回しますわ!」

「はいはい。文句は後で聞いてやるから」

「弥太郎君は何で言い返しませんの! 本当にヘタレですの!?」

「急に寝返るなよ。そんな必要がないだけだ」


 突然のチクチク言葉に少し傷つきつつも、ここは荒事を立てないよう久瀬たちにも優しく声をかける。


「引き止めて悪いな。もう行っていいぞ」


 まったく、お節介焼きと言うかなんと言うか。俺の事となるとすぐ後先考えずに行動するところはどうにかならないものか。まあ、俺のために何かをしてくれようという気持ちは嬉しいが。

 一先ず退散しようと身を翻した俺を久瀬が「待てよ」と呼び止める。


「まだ何か用か?」

「喧嘩売っといて謝罪もねえのか?」

「謝っただろ」


 とは言ったが、俺は引き止めたことについての謝罪しかしていなかったか。久瀬は案外細かいやつらしい。

 かと思いきや、彼の求めていたのはそういうことではないらしい。


「土下座しろよ。謝罪なら土下座だろ?」


 いやいつの時代だよ、と出かかった声をすんでのところで引っ込める。これ以上喧嘩を売るのは火に油だ。

 また辱めパターンで少し気分は悪いが、土下座で終わるなら話は早い。


「雲母、てめえがやれよ?」


 まあ、そうですよね。喧嘩を売ったのは深愛なのだから久瀬がそう求めるのも理解はできる。

 が、深愛にそんなことをさせるのはごめんだ。元はと言えば俺のせいでこうなっているのだから、俺を庇っただけの彼女に罪はない。


「俺じゃダメか? 深愛は俺のために言ってくれただけなんだ。元を辿れば俺のせいだろ」

「文句があるなら代案でもいいぜ? けど、ヘタレ野郎の土下座なんざ興味ねえ。雲母の体を貸してくれりゃ今回は許してやるよ」

「は?」


 なんだその代案。要は深愛を好き勝手犯したいって話だろうが、そんな話が通るはずもない。いや、通らないとわかっているからこの2択なのか。


「別にいいだろ? 許嫁も俺に譲ってくれたんだ。その女も飽きるまで可愛がってやるよ」


 ギャーギャーと騒がしい久瀬の言葉の中、俺は1つ引っかかる点を見つけた。

 先日のことが頭をよぎる。同時に胸の中で深愛が大人しくしていることに気付いた。

 憤りを久瀬に向けながらも、彼女は震えていた。

 性差や体格差、相手の威圧感にも懸命に立ち向かいながらも、嫌だという気持ちが、怖いという感情が溢れ、縋るように俺の腕をきゅっと掴む。

 細く華奢な体がさらに小さく感じてしまう。それほどに彼女は弱く、脆く見えた。

 普段は気高く欲望に塗れた彼女も恐怖することがあるんだと少しおかしくなる。


 そして、思ったんだ。

 深愛を守らなきゃいけない、と。


 俺は誰かの幸せのために生きている。自分の犠牲で誰も傷つかずに済むなら、それでいいと。

 だがあの時、紫乃は確かに泣いていた。深愛はこの手の中で震えている。

 彼女たちは今、幸せだと思えているのだろうか。

 今やるべきことは自分を犠牲にすることでも他の誰かの幸せを守ることでもない。

 幸せにしたい人の幸せを守るために、俺の犠牲だけじゃ足りないなら。

 深愛の幸せをこの手で守れるなら、俺は──


 深愛が安心できるように強く抱き寄せる。空いた手で彼女の頭をそっと撫でる。こちらを見た彼女の瞳は潤んでいた。


「ほら、早く選べよヘタレ。女差し出すのは慣れたもんだろ?」

「そうだな……じゃあ、ひとつ勝負でもしないか?」

「勝負だ?」


 オウム返しをする久瀬の言葉に頷く。


「サッカーの試合、俺たちが勝ち抜けばそのまま決勝で当たるだろ? その試合で勝った方が負けた方に何でも命令できるっていうのはどうだ?」

「何でも、なぁ?」

「ああ、そうだ。お前が俺に消えろと言うなら俺はこの学校を辞めよう。お前の奴隷になれと言うなら飲もう。だが、安心していい。俺はお前に情けをかける。俺が勝てば俺と深愛には近付かないという命令だけでいい。どうだ? お前にとって都合の良い勝負だと思うが」


 俺の提案に久瀬は高笑う。つられて取り巻きの連中もけたけたと声を上げる。思い出し笑い……ではないか。彼らの笑いのツボはわからない。


「てめえはそうやってオトモダチに頼らなきゃ勝てねえもんな。てめえの力で勝てずに勝負だ? 笑えるぜ」

「そうだね。このルールじゃ弥太郎に有利すぎるんじゃないかな?」


 そう言って間に割って入ったのは琉依と与一だ。さっきまで静かだったのにな。まあ、巻き込んだのは俺なんだが。


「僕がいるんじゃ優勝は決まったものだからね」

「俺たちな」

「僕1人でも充分なんだ。弥太郎が出る幕なんてないよ」

「俺たちな!」

「漫才でもしに来たのか?」


 琉依は意外とサッカーのことになると熱くなるんだよなぁ。実は中学生の頃一度だけ怒られたこともあったり。

 サッカーでも勝負はできるだろうと思ったが、琉依のことを考えると間違いだったかもしれないと思い始める。


「おーおー、七光り野郎は守ってくれるお仲間がいていいなぁ」

「てめー相手に弥太郎が出る必要もねえって言ってんだよ」

「なんだ? 俺はサボっていいのか」

「いいわけねえだろ! 全力でやれ!」

「どっちだよ」


 与一が絡むと途端に漫才になるのはどうしてだろうか。シリアスな空気も何もなくなってしまった。

 だが、こうして俺のために体を張ってくれる親友がいるというのも案外悪くない。


「やっぱてめえはヘタレ野郎だな。なんなら今から殴り合いで決着つけてやってもいいんだぜ?」

「お前のための提案だったんだが……残念だ。あと、それは遠慮しておく。痛いからな」

「くはは、そりゃあそうだよな。てめえ1人じゃ俺には」

「いや、お前程度に殴られる気は一切ない。だが、殴ると手を痛めるだろ?」


 久瀬は体格は良いが如何せんおつむが弱い。そんな相手と本気の殴り合いをしたところで一方的になるのがオチだ。

 あれでも久瀬家を背負う人間だ。せめて恥をかかないようにと思ったが、俺の情けは届かなかったらしい。

 頭に血が上った久瀬が臨戦態勢を取る。その様子に俺も咄嗟に身構えた。

 が、


「お前たち、何をやってるんだ!」


 誰かが報告したのだろう。教員数名がこちらに駆け寄ってきた。久瀬は煩わしそうに舌打ちをする。


「覚悟しとけよ、落ちこぼれ」


 そう吐き捨てて去っていく。

 俺を睨むその視線は何か恨みのようなものを孕んでいる気がした。

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