第28話 ご褒美が欲しいお嬢様

 女子バレー1回戦は深愛の活躍により彼女が属する2年C組が快勝した。相手は3年生だったらしいと聞くから少し不憫だ。

 勝利を労ってやろうと体育館の外で待っていると、急いで体育館へ駆け込んでいく人物と目が合う。

 本人の試合の予定はなかったはずだし、大方彼氏の応援にでも行っていたのだろう。額に汗を滲ませた紫乃の大きな瞳が俺を捉える。

 だが、彼女は何を言うでもなくすぐに友人たちとの会話を再開し、体育館の中へと消えていった。


 体育倉庫で紫乃と会ったあの日以来、彼女と話す機会は得られていない。

 あの時紫乃は何を話そうとしたのか。俺しか頼れないとはどういう意味なのか。

 気になることは多いが、深愛が嫌がるのなら俺が介入できる余地はない。

 言い方は悪いが、天秤に掛けてどちらか1人しか幸せにできないと言われれば俺は深愛を選ぶ。

 その選択すら俺は納得しきれていないわけだが。


(良くないな。これじゃあまた深愛を悲しませる)


 雑念を振り払っていると、ちょうど頭に浮かべていた深愛が姿を見せる。

 俺を見つけるや首に巻いたタオルで汗を拭い、嬉しそうに破顔する。飼い主を見つけた犬みたいだ。心做しかしっぽも見えてきた。


「弥太郎君! いかがでしたか、私のプレーは!」


 あれだけ動いておきながら彼女は元気いっぱいだ。俺は買っておいた清涼飲料水を手渡す。

 褒めて褒めてと言わんばかりの視線に苦笑しながら素直な感想を述べる。


「あのスパイクは凄かったな。皆湧き上がってた」

「ふふ、これでも鍛えてますのよ!」


 深愛はそう言って力こぶを作ってみせるが、白くしなやかな腕に筋肉らしきものは見当たらない。

 もしかすると彼女は体の使い方が極端に上手いのかもしれない。余計な力を使わず、効率よく筋力をスパイクの威力に変えられる。それがあのスーパープレーの仕掛けなのだと勝手に分析する。


「深愛ってバレーが得意なんだな」

「バレーだけじゃありませんわ。体を動かすことは大好きでしてよ」


 彼女の意外な一面になんとなく変な感情を抱く。かっこいい姿に憧れるような、何事にも全力な姿に嫉妬するような、そんな感じ。

 深愛は渡された飲料水をこれまたゴクゴクと飲み始める。


「もう少し落ち着いて飲めよ」

「ふふふふふんふんふふ」

「何言ってるかわからん」


 無理に話そうとしたせいか、飲み物が器官に入ったようでげほげほと咳き込む深愛。

 息苦しそうに咳き込むため、言わんこっちゃないと思いながらも彼女の背中を擦る。


「大丈夫か?」

「だ、大丈げほっ」

「ダメそうだな」


 誤嚥には背中を叩くのが良いと聞いたことがある。彼女が倒れないように手を握り、空いた手で背中を叩く。

 さっきのかっこいい姿はどこへ行ったのか。ダンゴムシのように背中を丸くする深愛はどこか抜けているいつもの彼女だ。


(なんであんなこと思ったんだか……)


 不意に可愛いと思わされたことを少しだけ恨む。

 しばらくトントンと背中を叩いてやると、落ち着いてきたのかゆっくりと呼吸し始める。

 もう大丈夫そうかと立ち上がろうとした俺の腕を深愛が掴む。


「もうちょっとだけ……背中を撫でてほしいですわ」

「……もう問題ないように見えるが」

「ごほごほっ! た、大変ですわ! このままでは死んでしまうかもしれませんわ!」

「病院行け」


 チャンスと見るやこれでもかと甘えようとしてくる深愛に半ば呆れつつ、彼女に言われるがままもう少しだけ付き合うことに。

 既に次の試合がスタートしており、体育館の前と言えど人通りはない。抱っこして運べなどと言われるよりはマシだ。

 もう一度深愛の隣に屈み、彼女の背中に手を当てる。バレーで動き回った後だからかしっとりと汗で滲んでいたが、別に嫌な気はしなかった。


「弥太郎君、もう少し上ですわ」

「上?」


 言われた通りに腰の辺りから肩甲骨の付近まで手を動かすと、途中でゴツゴツとしたものに手を触れた。

「その辺ですわ」と止められた辺りを擦るが、手に何度もゴツゴツとした感触が当たって撫でにくい。

 一体何を考えて……と彼女の思考を想像し始めた瞬間に手に当たっていたものの正体に気づき、俺は慌てて手を引っ込めた。


「お前、もしかして……」

「まあ! 弥太郎君ってば、何を考えていらっしゃいますの? もしかして、何かいやらしい想像でも?」


 いたずらっぽい笑みを浮かべる彼女に確信する。わざとそれを触らせていたのだと。

 まんまと彼女の思惑に嵌められた俺の耳元にそっと顔を寄せる。


「弥太郎君のえっち」


 吐息のように優しく吹きかけられた声に思わず赤面する。怒りや恥ずかしさが入り交じった感情から逃げたい一心でいそいそと立ち上がった。


「ほら、もう行くぞ。与一が試合中だ」

「手」


 踵を返した俺に彼女は屈んだまま手を伸ばす。指先まで白くほっそりと伸びたその腕は完成された彫刻のようにも見える。ホント、この腕からどうやってあの威力のスパイクが打てるのやら。


「……それは何の真似だ?」

「手を引いてほしいですわ。優しく、それでいて力強く。あわよくばそのまま胸の中に飛び込みたいですわ」

「注文が多いな」


 バレーの話をしていた時もそうだが、少女漫画の影響を受けすぎてないか。

 ああいうシチュエーションは偶然起こるからときめくものであって、事前の打ち合わせをしていようものならただ冷めるだけな気がする。

 そんなところを人に見られたら反感は強まる一方だ。深愛のためにも良くない。どうにか断り文句を考えていると、


「ご褒美、ですわ」


 と頬を赤らめる。夕日のせい……ではない。まだ朝だ。そんな顔をされては参ってしまう。


「活躍したご褒美が欲しいですわ」

「まだ1戦目だろ」

「勝つ度にご褒美が欲しいですわ」

「貪欲なやつめ」


 苦笑しつつも深愛のわがままにも慣れてきた俺。一応彼女の従者でもあるし、誰も見ていないなら問題もないだろう。

 伸ばされた手をそっと握る。強く掴んでしまうと壊れてしまうんじゃないかと心配になるほどその手は小さい。

 これまでも何度か彼女と触れ合うことはあったが、こうして明るい場所で触れるのは初めてのことで少し緊張する。

 彼女の手を優しく、それでいて力強く引っ張り上げると、深愛の体は翼でも生えたかのようにふわりと浮かぶ。

 そのまま俺の胸に飛び込んでくる彼女を──俺は両手で肩を掴んで止める。


「な、なんで抱きしめてくれないんですの!?」

「今全部やると後のご褒美が過激になりそうだからな。小分けにしてやろうと」

「ば、バレてましたの……?」

「当たり前だろ」


 勝つ度にご褒美となると、勝ち進める度にその要求は高くなる可能性が高い。

 最初に抱きしめるとその先、またその先とエスカレートするのは彼女の言動からも想像に難くない。

 であれば、こちらでペース配分をしておあずけをくらわせてやればいい。


「残念だったな。続きは次の試合で勝ってからだ」

「や、やりますわね……私のことは何でもお見通しですのね」

「まあな。手に取るようにわかる」

「それはそれで悪くないですわね」

「いいのかよ」


 深愛の考えはよくわからない。何故嬉しそうなのか。何故照れるのか。さっぱりわからん。ただ、よからぬ事を考えているのはわかる。

 変な妄想をしているであろう深愛に冷たい視線を送っていると、彼女はこほんと咳払いをする。


「ま、いいですわ。勝ち続ければその分甘え放題ですもの」

「それでやる気になるならまあ……」

「勝って勝って勝ち続けますわ! そして明日の夜には弥太郎君の子供を孕みますわ!」

「声がでけえよ! あとそれだけは絶対に無しだからな!」

「ゴムありならよろしくて!?」

「そういう行為は無しって話だ!」


 やる気になるのはいいが、ヤる気になるのは困りものだ。上手いこと言ってる場合じゃないんだが。

 深愛には勝ち進んでほしいと応援しながら、心のどこかで負けてくれと願う自分がいた。

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