第25話 断罪するお嬢様
「……何してんだ、弥太郎」
「お嬢様にお仕置きという名の拷問を受けているところです」
「何したんだ、お前」
場所は雲母家、その中庭。
両手を後ろ手に縛られ、三角にカットされた板に正座する俺の大腿には数枚の石のプレートが積まれている。俗に石抱きと呼ばれる拷問だ。
この姿勢のまま既に30分は放置されている。足の感覚はとうに失われ、痛みすらなくなってきた。あるのは尿意くらいだ。
「慧さん、トイレに行きたいので一旦助けてくれませんか」
「深愛様の命令じゃあな……俺にはどうしようもないだろ」
偶然通りかかった先輩使用人の鮫島慧さんに助けを求めるも、彼女は肩を竦めて哀れみを視線を向けるだけ。深愛の付き人ではないが、屋敷の使用人として勤める以上深愛には逆らえないか。
「せめてお嬢様に伝えてきてやるよ」
「その必要はございませんわ」
そう口を挟んだのは屋敷から出てきた深愛だ。少し後ろに付き人のシャーリーの姿もある。
深愛の姿を捉えるや、俺はできる限り頭を垂れて乞う。
「深愛、ちょっとの間でいい。トイレだけ行かせてくれないか」
「その場でなさっては如何でしょう?」
無慈悲にも提案は退けられる。この歳で女性3人の前で漏らしたとなれば俺はきっと生きていけない。
いっそ舌を噛み自害するか羞恥心に耐え漏らすかという究極の2択に頭を悩ませる。そもそも何故俺は囚われているんだ。
同じくこの状況を不思議に思ったらしい慧さんがシャーリーに問う。
「シャーロット、弥太郎は一体何をしたんだ?」
こくりと頷いたシャーリーは懐から何やら書状らしきものを取り出し、蛇腹折りになったそれをサッと広げる。
「罪人、神宮弥太郎は深愛様という御方がありながら、元恋人の雪宮紫乃と人気のない体育館の倉庫にて逢い引き。その体を抱きしめ合っていたため極刑とする」
やけに横長の紙だったが、それだけ言い終えると彼女は手際よく書状を畳み、再び懐に戻す。色々とツッコミどころ満載だが、まずは一言。
「い、異議あり!」
「罪人は口を謹みくださいまし」
「魔女裁判かよ。弁解くらいさせてくれ」
人の笑顔をこれほど恐ろしいと思ったことがあるだろうか。深愛がにこりと微笑む度にぞくりと背筋が凍る。
先程まで味方だった慧さんでさえ「うわぁ……」と汚物を見る目で俺を見下す。
もう俺の仲間は居なくなった。そろそろ漏らして俺の人生も終わりにしようかと諦めかけた時、俺の元へ神が舞い降りる。
「それくらいになさいませぬか、深愛様」
両手を後ろに組みピンと背中の張った立ち姿。低く渋い声や目尻に皺を寄せた笑顔は、優しくもあり荘厳さや貫禄を纏っている。執事長の茂野厳さんだ。
「何やら中庭が騒がしいと思えば……鮫島君、弥太郎君の縄を解いてあげたまえ」
「……お言葉ですが、これは深愛様の」
「深愛様もよろしいですかな?」
逡巡する様子の慧さんを遮り、茂野さんは深愛に視線を送る。
俺たち使用人は決して逆らえない相手だ。慧さんもここは大人しく引き下がる。
しかし、茂野さんと対等かそれ以上の立場にある深愛は別。彼女は頬をぷくーっと膨らませていた。
「や! ですわ!」
「や、と申されましても」
「イヤイヤ期ですわ!」
これほど反抗してくるのは茂野さんにとっても想定外だったのだろう。彼は困ったように眉根を寄せる。
あの茂野さんですら手を挙げるとは、深愛のわがままにも困ったものだ。まあ、深愛がこうなったのも俺のせいなんだけど。
駄々っ子のようにやだやだと言う深愛に対し、茂野さんは優しく諭す。
「深愛様のお気持ちはわかりました。ですが、弥太郎君の気持ちはきちんと確認されたのですか?」
「弥太郎君の気持ち……?」
茂野さんはこくりと頷くとこちらを見遣る。
「何故このような事態に至ったのかは最早問いませぬ。しかし、弥太郎君が望んで受け入れたようには到底思えませぬ。弥太郎君がどうして深愛様の怒りに触れてしまうような行いをしたのか。弥太郎君が何を思っているのか。その心を聞かねば事態は解決しませぬ」
おお、流石は茂野さん。ただ深愛を叱るのではなく、せめて俺の話を聞くようにと誘導する。
倉庫で起こった事の全てを話せば深愛もきっと納得してくれる。俺にとっては唯一とも言える救済だ。
「弥太郎君の気持ちにも沿ってあげなければ嫌われてしまうやもしれませぬぞ」
その言葉がトドメとなったのか、深愛の膨らんだ頬はみるみると萎み、しょぼんと落ち込んでしまう。
「わかりましたわ。弥太郎君とゆっくりお話をしますわ」
ようやく話を聞いてくれる気になったらしい。これで一先ず安心だ。とりあえずすぐにトイレに……
「弥太郎君を解放するかはお話を聞いてから決めますわ」
「まずトイレだけ行かせてくれ」
どうやら俺の裁判はまだまだ続くようだ。
石抱きの刑に処されている俺の前には深愛、シャーリー、そして慧さんが並び俺を見下ろす。
唯一の救済措置だった茂野さんの姿はない。この場に現れたのも様子を見に来ただけだったらしく、すぐに仕事に戻ってしまった。
とりあえずトイレだけは許されたため、俺は緊縛されていながら妙な開放感に満ちていた。
「さて、話を聞かせてもらいますわよ」
深愛の声を皮切りに裁判が再開する。
シャーリーは当然のこと、慧さんも先程の流れから深愛寄りの立ち位置だ。
上手く運ばなければ俺は今夜ここで夜を明かすことになりそうだ。
「まず訂正したいんだが、紫乃と抱きしめ合っていたという表現は間違いだ。俺は別に抱きしめちゃいない」
「抱きしめられたことは否定しねえのか……」
「そこはまあ、事実ですし。深愛も見てたんですから否定しませんよ」
俺は別に嘘をついてその場しのぎがしたいとは思っていない。元々深愛にはきちんと話す気でいた。それがどうしてこうなったのか……。
「じゃあ何でそんなことになってんだよ。相手は泣いてたんだろ?」
俺は時系列に沿って今日起こったことを話した。
手紙で人気のない場所に呼び出されたこと。俺が勘当されたことを自分のせいだと後悔していたこと。それなら、せめて話は聞こうと紫乃を慰めたこと。「助けて」と縋るように俺に抱きつくに至った経緯。
それらを話し終えると、慧さんは納得がいかないようにため息をつく。
「お前なぁ……お人好しって言うか、甘いんじゃないのか?」
「おっしゃる通りで」
俺を見捨てた相手が困っていたところで助けてやる義理はない。縋った相手に見捨てられようと自業自得だと切り捨てるべきだと俺もわかっている。
だが、紫乃の表情を見ていると俺は非情になりきれなかった。
一度は幸せにすると誓った相手だ。彼女が幸せになれるならと受け入れたが、あの時の紫乃は幸せには到底見えなかった。
普段は明るく爛漫に振る舞う彼女の見せる翳り。それは昔一度だけ見せた彼女の弱さだった。
彼女を幸せにすると誓ったあの日と同じ顔をしていた。
そんな俺の過去を知る慧さんは再びため息をつきながらも「お前らしいな」と笑う。
「それで、その話って何だったんだ?」
「わかりません」
慧さんは「はぁ?」と目を細める。その気持ちは痛いほどわかる。俺が慧さんの立場でも同じ反応をする。
だが、そうなってしまったのは話を聞く前に乱入してきた人物がいたからだ。
「話を聞く前に深愛に連れ戻されたんですよ」
慧さんとシャーリーの冷たい視線が深愛に向けられる。
ここにきて詳細を初めて知った深愛はあわわと慌て始める。
「だ、だってだって! 弥太郎君を泥棒猫さんに取られると思ったんですもの!」
「泥棒猫って今日日聞かないな」
俺を取られるどころか俺は取られた立場なんだが……まあいい。この話は何だか虚しくなる。
深愛は親の顔色を窺う子供のようにおずおずと尋ねる。
「弥太郎君は、まだ許嫁さんに未練がありますの?」
「そんなわけないだろ」
「やっぱりあの体が良いんですの?」
「だからそんなわけ……うん?」
「あの方のおっぱいの方が良いのかと聞いていますのよ!」
「待て、何でそうなった」
真面目な話かと思いきや突然の脱線事故。それでも暴走列車は止まらない。
「あの方は確かに可愛らしいお顔でおっぱいも私より大きいですけれど、抱きつかれて鼻の下を伸ばすなんて!」
「伸ばしてねえよ」
……ねえよな? 確かに気にはなったけど。顔には出てないよな?
深愛の言う通り紫乃は誰もが羨む容姿をしているが、それだけで人の評価は決まらない。
それを言うなら深愛だって日本人離れした目鼻立ちに豊満な体と男性から見てとても魅力的だと思う。
だが、それだけで人の魅力は測れない。少なくとも俺は内面を見たいと思う。ホントに。
「で、では、私の方が魅力的だと思ってますの?」
「ああ、そう言ってる」
「一緒に寝ている時に私の体に欲情してましたの?」
「いやそれは……」
「やっぱりあの方の方が……」
「した! したから! 我慢するのに必死だった!」
今度は慧さんとシャーリーの冷たい視線が俺の方へ。今のは仕方ないだろ。こうでも言わなきゃ深愛がぐずりそうだったんだから。
俺の評価が一気に下がったところで、深愛は満足そうに顔を綻ばせる。
「では、これで裁判を終わりますわ」
「ちょっと待て、判決は?」
なんの脈絡もなく閉廷を迎え、思わず口を挟む。彼女はわざとらしくこほんと咳払いをした。
「弥太郎君が私に黙って許嫁さんと逢い引きした事実は変わりませんわ。よって有罪! 今夜は私の部屋で一緒に添い寝の刑に処しますわ!」
「お前、もしかして最初からそれ目的じゃ」
「なんのことですわ〜?」
一体なんの時間だったんだ。結局紫乃の話の内容も深愛の目的もわからないまま、俺の足が犠牲になった1日だった。
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