第24話 修羅場に乗り込むお嬢様

 俺が通う豊英高校は国内でも有数の進学校だ。

『未来を担う才能の開花』という校訓を基に文武両道の教育方針を定め、実際に高い進学率を誇っている。進学しない生徒も親の跡を継ぎ、社会に貢献する人間として羽ばたいていく。

 要は高い金を払って高い教育水準で学べるエリート私立高校だ。俺も学費を工面してもらえなければ退学することになっていたかもしれない。その点は父さんに感謝だな。


 名門校だけあって、学校の設備もなかなかのものだ。

 俺たちがいつも利用している学食はテラス席も含めてなかなかの広さがあるし、メニューも洋食から和食から中華やイタリアンと豊富。

 部活にも力を入れており、グラウンドや体育館は2つずつあるし、それ以外にもテニスコートや道場、弓道場に屋内プール、乗馬施設と持てる金と権力を存分に発揮した施設の数々がある。

 そんな広大な敷地があると、いくら千程度の生徒数が居ようと人目につかない場所も存在する。

 今俺の居る第2体育館もそのひとつだ。


 放課後はバドミントン部や卓球部の練習場所として使われるが、昼休みにこの場を訪れる生徒はそういない。

 何せ遠い。校舎から歩いて5分程度と普通ならそう気になる距離でもないが、昼休みの貴重な時間を使って来るような場所じゃない。

 そんな辺境の地にどうして俺がいるのか。当然、今朝の呼び出しだ。

 俺も好き好んでこんな場所には来ない。そもそも本来彼女の呼び出しに応じる必要もない。

 だが、俺はこの場に足を運んだ。何度も言うが未練じゃない。どうしても確かめたいことがあったからだ。

 悪ふざけで俺を呼び出し、まんまと釣られた俺を嘲るだけならそれでも構わない。既に俺の信用は底辺だ。これ以上下はない。

 もしもそれだけで済むならいいが、そうじゃないなら……と考えてしまう。何度でも言うが未練じゃない。


 第2体育館の周辺には当然人っ子一人見当たらない。本当にここで合ってるのかと心配になるほどだ。釣られクマーというオチならすぐに戻ろう。

 靴を脱いで体育館へ。靴下越しに踏む床がひんやりとしていて、僅かに寒気がする。もう10月も半ばだ。そろそろ冬が始まると思うと気分が下がる。今でも充分低いのに。

 周辺が静かなせいか、遠くから活気溢れる声が聞こえる。大方グラウンドで遊ぶ生徒たちが盛り上がっているのだろう。

 俺は倉庫に向けて歩を進める。当然ながらその足取りは重い。あんなことがあったんだ。面と向かって話すのは気が引ける。

 今更ながら後悔しつつも倉庫の前へ。今ならまだ引き返せる。この先に待つは地獄か冥界か。どちらにせよ良い予感はしない。


(まあ、ここまで来たんだ。どう転んでも戻る選択肢はない、か)


 昼休みに入ってだいぶ時間も経っている。もしかすると既に居ない可能性すらある。0.04パーセントくらいで良い方向に転ぶかもしれない。渋いガチャかよ。当たる気がしない。

 俺は覚悟を決め、ええいままよと引き戸を開けた。


 最初に目に入ったのは黒く艶やかな髪だった。

 薄暗い密閉空間にあっても吸い込まれそうなほど黒く肩ほどに伸びた髪がふわりと揺れる。

 次にその綺麗な瞳が目に入った。水分を多く含んだブラウンの瞳が、開いた引き戸から差す光を反射しキラキラと光る。


「弥太郎……? 来て、くれたの?」


 俺を呼び出した彼女──雪宮紫乃は泣いていた。

 予想だにしていなかった0.04パーセントよりも低い状況に俺は声を詰まらせた。

 幼い頃から長らく一緒に過ごした元許嫁であり、他の男とくっついて俺が勘当されるきっかけを作った張本人。

 そんな紫乃が泣いている。いつものような天真爛漫な笑顔でもあの日に見せた不敵な笑みでもない。昔一度だけ見た弱々しい紫乃の姿がそこにあった。

 呆気に取られていたが、ようやく声を絞り出す。


「紫乃……何で泣いてんだ」

「えっ……」


 俺が指摘したことでようやく自分が泣いていたことに気付いたらしい。紫乃は急いで目元を拭う。

 しかし、それでも涙はとめどなく溢れる。演技には到底見えない。


「ごめ、ごめん。そんなつもりじゃ……違うの、私はこんなことしたかったんじゃない……」


 要領を得ない彼女に俺は落ち着くよう言い聞かせる。一体何がどうなっているのか、俺にはさっぱりわからなかった。



「落ち着いたか?」

「う、うん……」


 どうにか泣き止んだ紫乃はやはり元気がなく、今にも消えそうな声で答える。

 この状況で会話が弾むはずもなく、床に並んで座ったまま沈黙が続く。


(……気まずい)


 恐らく彼女も同じことを思っているだろう。罪の意識があれば彼女の方が気まずさは上だ。

 相手がただの友人や恋人関係であれば泣いていた理由を聞いて慰めるくらいはしたかもしれない。

 だが、相手は紫乃だ。言ってしまえば俺の人生を破壊した張本人で、俺がそこまでしてやる理由もない。


「弥太郎は、体調……は、もういいの?」


 空気の重さに耐えかねたのか、紫乃はそんなどうでもいい話を切り出す。


「ああ、まあな。俺が休んだこと、知ってたのか」

「知ってるよ。弥太郎のこと、気にしてたから……」


 うーん、わからん。

 新しい恋人ができて、役に立たなくなった許嫁を切り捨てておいて何を気にすることがあるんだ。

 わからんことだらけでまた幼児退行しそう。何も考えたくなくなってきた。深愛との赤ちゃんプレイ、思えば悪くなかった……いやダメだろ。深愛の異常な言動に毒されてる。

 俺の頭がおかしくなり始めた頃、紫乃は突然立ち上がりこちらに向き直る。そして、深く深く頭を下げた。


「ごめんなさい。私のせいで弥太郎の人生を壊した。私が弱かったせいで、弥太郎が酷い目に遭った。全部、私のせいで」

「わかった、もういい」


 俺も慌てて立ち上がり紫乃を宥める。

 彼女には罪悪感があった。そして、俺をわざと貶めようと目論んでいたわけじゃなかった。

 その事実を知れただけで充分だと思った。

 納得できない様子の紫乃は「でも……」食い下がろうとする。


「私のせいで」

「謝られたところで紫乃との関係が修復することはない。俺が勘当された過去は変わらない。だから別に謝る必要もないんだよ」

「そう……かも、しれないけど……」


 彼女には酷な言い方かもしれないがこれが事実だ。

 だが、俺は別に彼女を責める気はない。元を辿れば紫乃が他の男に靡いたのも実家を勘当されたのも俺に原因があるからだ。

 こうなるのは必然だった。俺自身がこうなることを望んでいた。だから紫乃に別れを告げられた時も父さんに家を追い出された時も、突然のことに驚きはしても否定はしなかった。縋りはしなかった。

 それは、これで全員が幸せになれると思ったからだ。

 紫乃は対等な相手と結ばれ、もう泣かなくて済む。遥太郎は俺に嫉妬することも父さんに叱られることもなく、正式に神宮家を継げる。父さんも母さんも跡取りの問題で悩まずに済む。

 俺がひとり犠牲になるだけで全て丸く収まる。そう思っていたからだ。


 だが、実際はどうだ。

 紫乃は泣いていた。もう泣かなくて済むようにと選んだ俺の行動で彼女を悲しませることになった。

 いや、俺が原因かはわからない。それでも俺が何かひとつ選択を間違えなければ、彼女は泣かずに済んだはずだ。

 こればかりは本人から聞かなければ何もわからない。


「それで、何か用があったんだろ?」


 時間は有限だ。あまりゆっくりしていると深愛が心配してしまう。昼ご飯も途中だったし、そろそろ本題に入りたい。

 俺の言い方が悪かったのか、彼女は大きな瞳を丸くしておずおずと確認する。


「話、聞いてくれるの?」

「わざわざ人目につかない場所に、人にバレないように呼び出したってことは、それだけ人に知られたくない話だってことだろ。ちゃんと聞くから、話してくれないか?」


 できるだけ優しく問いかけると、紫乃は顔をくしゃりと歪め、また泣き出してしまった。


「お願い、助けて……弥太郎」


 そのまま倒れ込むように俺の胸へ。嗚咽を漏らし、しがみつくように俺の胸の中でそう懇願する。

 走る悪寒。読める展開。死亡フラグを検知。


「ちょ、ちょっと待て。それはまずい。こんなところ、万が一誰かに見られたら」

「そうですわね、有罪ですわ」

「そうだろ? だから……」


 そして、無慈悲に訪れる現実。僅かに開いた倉庫の扉から鬼の目がこちらを睨んでいた。明確な殺意を込めて。

 何故ここに居る。赤ちゃんプレイは望んでいないはずだ。


「よ、よう、深愛。奇遇だな」

「ふふ、ごきげんよう、弥太郎君?」


 ガラガラと音を立て、福の神のような笑顔でドス黒い殺意の波動を放つ深愛が入ってきた。

 紫乃が慌てて俺から離れるが手遅れだ。深愛は不規則にふらふらと頭を揺らしながら、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。


「この使用人さんはどうしようもない御方のようですわね。どんなお仕置にいたしましょう? アイアンメイデンがよろしくて? それともギロチンの方が頭もスッキリするかしら?」

「それスッキリじゃねえから! まるっきり無くなってるだろ!」

「大丈夫ですわよ。胴体と頭がバラバラでも愛して差し上げますわ」

「そういう問題じゃねえ!」


 ダメだ。目のハイライトが完全に消えている。まるで悪質なヤンデレだ。幻覚か、彼女の手にナタが見える。

 この場で切り刻まれると覚悟した俺の腕に深愛がしがみつく。普段は柔らかく感じる彼女の体。その力は強く、腕が悲鳴をあげる。


「そういうことですので、私たちは失礼いたしますわ。これから私の旦那様が二度と浮気をしないよう去勢しなければなりませんので」


 股の辺りがひゅっと縮み上がる。命が助かるだけまだマシだと思える。すまん、未来の子孫たち。俺のために犠牲になってくれ。

 なすがままの俺とは対照的に紫乃は深愛に対し、


「ごめんなさい、ごめん、なさい……」


 と何度も謝罪を口にする。


「ただ、私は……弥太郎に話を聞いてほしくて」

「あら、あまりに都合がよろしくなくて? 貴女様が選んだ未来ではありませんか?」

「そう……だけど、私が頼れるのは……弥太郎しか……」


 苦しげに声を絞り出す紫乃。俺の知る太陽のような溌剌な彼女の面影はなく、雪の中に独りで立ち竦むような悲しさや寂しさを思わせる。

 その姿を見ていられなくて彼女に声をかけようとするが、そんな俺を深愛が止める。


「恨むなら過去の貴女様を恨んでくださいまし。弥太郎君の優しさにつけ込む行為を見過ごすほど私は優しくありませんわ」


 そして、深愛はそう言って紫乃を突き放す。まあ、深愛の言い分はもっともだ。

 俺が紫乃の幸せのためにと望んだ未来であるとはいえ、紫乃が俺を切り捨てたのもまた事実。

 だから俺も深愛を強く否定はできない。それ以前に今説得したとて聞きやしないだろう。紫乃には我慢してもらう他ない。少なくとも今は。

 深愛に引きずられて俺は倉庫を後にする。酷く落ち込み後悔する紫乃に「悪い」と残して。

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