Side-A 泉田与一①

 俺は恵まれてると思う。

 裕福と呼ぶも烏滸がましい大企業の跡取りとして生まれ、何の不自由もなく育ち、将来も約束されてる。

 運動神経は抜群に良いし、勉強は……まあそこそこだけど、顔も体格も悪くない。

 俺は自分の人生に満足してた。あいつ──弥太郎に出会うまでは。


 弥太郎と初めて言葉を交わしたのは中学2年生の時だった。

 お互い神宮財閥、泉田グループの跡取りとして知ってはいたけど、協力会社でもありライバル企業でもある2つの会社に表立った交流はない。だからか、俺と弥太郎もそれまで大した接点もなかった。

 社交界だか何だかで顔を合わせても会話はない。そりゃそうだ。いずれはライバル企業になる因縁の相手。仲良くしろって方が無理がある。

 だけど、そんなガキみてえな価値観は簡単に壊された。

 きっかけはなんてことない。中2のスポーツ大会だった。


 俺たちが通ってた中学では毎年スポーツ大会が行われていた。

 各クラスの男女別でいくつかのスポーツでチーム分けをして競い合う。よくある学校行事だ。

 その日、俺が所属していた2年2組のサッカー部門は快進撃を続けていた。

 優勝候補だった3年のチームも破って、優勝まであと2つってところまで来ていた。

 準決勝の相手は弥太郎が属する2年1組。奇しくも同じ2年生同士の潰し合いになった。


 いや、あれは必然だったのかもしれない。

 挫折を知らずのうのうと生きてきた俺が敗北を知り、生き方を修正するチャンスが与えられた日だったんだって今なら思う。


「次の相手、神宮らしいぜ」

「うわマジかー、勝てるかな」


 チームメイトたちが憂う。その気持ちも無理はない。

 神宮弥太郎と言えば、かつては神童と謳われた天才児だ。

 その才覚は勉強に限らず、スポーツも芸術のセンスもずば抜けて高いと有名だった。

 だけど、それは過去の話。

 中学の時には既に別の異名で呼ばれていた。


「どうせ『堕ちた天才』だろ? 俺の相手じゃねえよ」


 俺はそうチームメイトに息巻いた。そう、堕ちた天才。それが中学時代の弥太郎につけられた蔑称だ。

 小学生の頃は何を取っても右に出る者は居なかったあいつも中学生のレベルにはついていけなかった。周りのレベルが低すぎて持て囃されていだけ。それが弥太郎に対する評価だった。

 俺もそんな噂を鵜呑みにしていた。神宮家の跡取りだろうと、落ちぶれ者じゃ相手にならないと、本気でそう思っていた。

 だけど俺はあの日から改めることになる。

 弥太郎に対する評価と自分の生き方を。


 サッカーのゲーム内容はほぼ互角。一進一退の攻防を繰り返し、点を獲っては獲られる殴り合いだった。

 その中心にいたのは俺と、当時サッカー部の副部長だった琉依。俺たちがどれほど点を獲れるかが勝負の鍵になっていた。


 そして最終局面。4-4で琉依と弥太郎の居る1組がボールをキープしていた。

 1点でも獲られれば逆転は厳しい。時間の都合上、引き分けはじゃんけんで勝敗をつけるという謎のルールがあり、運に身を委ねるのも避けたい状況。

 最前線でフォワードを張っていた俺は、ディフェンスや相手の動きにも注視してカウンターの機会を窺っていた。

 ワントップの琉依が中盤にいた弥太郎に目配せする。俺はその瞬間に嫌な予感がして走り出していた。

 琉依に回ったパスをワンタッチで弥太郎に繋ぐ。予想通り、弥太郎は完全にフリーの状態だった。

 だけど、それは俺の予想通り。カバーが間に合った俺は弥太郎が振り抜こうとしたボールの軌道上に足を伸ばす。

 堕ちた天才には負けられない。俺の方が、泉田グループの方が上だと証明しなきゃならない。


 その瞬間、弥太郎の足がピタリと止まる。重心が俺の進行方向と逆に傾いていた。

 完璧なフェイントだった。勢いに任せて足を伸ばした俺には為す術もない。そのまま俺を抜いてフリーでゴールを射抜かれる。

 俺が負ける。下に見ていたやつに、圧倒的な差を見せつけられて負ける。まぐれや運じゃない、俺と弥太郎のセンスと努力の差をこれでもかと思い知らされる。

 完全に俺の負けだ──そう、思った。


 だけど、現実はそうはならなかった。

 弥太郎はそのまま足を振り抜いた。無理な体勢で放たれたボールは力なく俺の足に当たって、そのままタッチラインを割っていた。

 結局、俺たちボールから再開したゲームは、俺のシュートで5-4となり決着した。

 湧き上がる客席。僅かに聞こえるブーイング。決定打を止めた俺と決め切れなかった弥太郎への2つの声が混ざり合う。

 そんな中でも弥太郎は何ひとつ気にした様子もなく、涼しげな顔をしていた。


「悪いな、琉依」


 俺も歓声なんか気にしてなかった。その視線は弥太郎に向けていた。


「あの状況じゃ仕方ないよ。泉田君のファインプレーだったね」


 そう言った琉依は悔しそうな表情ひとつせず、どこか悲しげに笑った。まるでこうなることを予見したいたように。

 琉依にだけ声をかけた弥太郎は悔しい素振りもなく校舎の方に戻っていく。


「あいつのせいで負けた」

「堕ちた天才が調子に乗るからだ」


 そんなチームメイトからの罵倒を背に校舎裏に消えた弥太郎を追いかけた。

 悔しくて仕方がなかった。俺が勝ったのにあんな気持ちにされるなんて思いもしなかった。

 俺はすぐに追いついた。あいつは自販機で買ったジュースを飲みながら背伸びをしていた。

 俺に気づいた弥太郎は軽く手を挙げる。


「ああ、泉田か。お疲れ」


 その態度も気に食わなくて、俺はあいつに噛み付いた。


「お前、手抜いてただろ!」


 澄ました顔をしていた弥太郎の表情が一変して、さも面倒臭そうに目を細める。


「何の話だ?」

「とぼけんなよ。最後のシュート、お前なら決められた。俺を抜いてフリーになれるチャンスだっただろ」

「なるほど。でも俺にそんなセンスはない。泉田の戻りが早くて止められた。それだけだ」

「ふざけんなよ!」


 俺は怒りに任せて弥太郎の胸ぐらを掴んだ。

 負けたのに悔しくて仕方ない。それは、あいつが手を抜いたからだ。

 俺には到底届かない抜群のセンス。それに胡座をかかず、たくさん練習したんだと伝わる研ぎ澄まされた動き。俺はあの一瞬に感動してたんだ。

 負けても悔しさはなかった。それどころか、賞賛する気さえあった。

 堕ちた天才なんかじゃない。こいつは、本当にすごいやつなんだって、そう思った。

 それなのに弥太郎は、自らの意思で才能と努力を隠した。それが何故か悔しくて、許せなかった。

 文句のひとつでも言わないと気が済まない。そう思って追いかけたんだ。


「痛えな。離せよ」


 でも俺は、その一言で凍りついた。

 あの時のあいつの目は、酷く絶望に満ちていた。

 灯りのない暗闇みたいな、全てを諦めた失望みたいな、そんな目。

 気がつけば俺は弥太郎の言われるままに手を離していた。


「話が終わったなら行くぞ。泉田はバレーも出るんだろ? 頑張れよ」


 軽く励ましの言葉を残してどこかへ行ってしまった。俺は追いかける気力もなくしていた。

 試合に勝って勝負に負けるってのはああいうのを言うんだろうな。

 何でもできる無敵の俺はあの日、呆気なく敗北を知った。




「ってことで、最初はあいつのこと大嫌いだったんだよな。懐かしいぜ」


 そこまで語り終えると、深愛ちゃんは何故か感動したように目を輝かせていた。


「弥太郎君、おっかないところも素敵ですわね」


 弥太郎の怖い話でもすりゃちょっとは諦めるかと思ったけど全然そんなことはなかった。

 せっかくの弥太郎が休みの日。深愛ちゃんに呼び出されて2人きりで話すチャンスかと思ってたのに、開口一番に出た言葉が「弥太郎君のことを教えてほしいんですの!」だった。

 薄々わかっちゃいたけど、深愛ちゃんは弥太郎のことが好きなんだ。俺がどんだけ足掻いても、弥太郎が深愛ちゃんのことを嫌っても、彼女は弥太郎以外のやつを好きになることはない。懇願する彼女の目を見てりゃそんな想いがビシビシと伝わってきた。


(ああ、あいつには何をしても勝てねえな)


 最早笑えてくる。何をしても弥太郎には敵わないのに、先に好きになった女の子すら取られるなんて。

 いや、そうじゃねえのかも。聞いた話じゃ深愛ちゃんと弥太郎は昔からの顔馴染みだったんだっけ?

 たぶん深愛ちゃんはその頃から弥太郎のことが好きだったんだろうな。そりゃ勝てるはずもねえや。

 何か腑に落ちない様子の深愛ちゃんはこてんと首を傾げた。


「お2人はどうしてご友人でいらっしゃいますの? 今のお話ではとても仲良しさんになるような関係では……むしろ険悪なように思えてしまいますわ」

「あー……それはもっと単純な話でさ──」




 俺が敗北を知ったあの日から、俺は弥太郎に付きまとうようになった。事ある毎に勝負をふっかけた。

 バスケ。野球。バドミントン。卓球。弓道。陸上。腕立て伏せとか、コーラの早飲みとかもやったっけ。いろいろやり過ぎて全部は覚えてない。

 その度に俺は勝った。そして悔しさを重ね続けた。

 そんな生活が続いて、何かの勝負で俺が勝った時に弥太郎が聞いてくるんだ。


「お前、何で俺に突っかかるんだよ。俺何かしたか?」

「言ったろ。お前が手ぇ抜くからだ」

「だから勘違いだって」


 そう言って弥太郎は面倒臭そうに頭を搔く。何度聞いてもあいつは絶対に認めなかった。だから俺は、弥太郎が絶対に勝てるもので勝負することにした。

 恥ずかしい話だけど、俺は勉強が苦手だ。机に向かい続けるとか頭を使うってのがどうも性に合わない。

 それなら、試験の点数ならあいつの化けの皮が剥がせると思った。試験ならあいつもそれなりに頑張らなきゃならないし、手を抜く方法もないだろって思ったんだ。


 だけど、その作戦も失敗した。

 科目は俺の一番苦手な数学。俺は全力でやって22点。一方の弥太郎は、


「2点だった」


 とか言って、俺に解答用紙を証拠として出してきた。

 あいつは最初の問題以降の全問、解答欄をずらして書いてやがったんだ。

 ありえないだろ? 俺もそう思った。

 だって、あの頃の数学の解答用紙は式を書いて部分点が貰えたりするから、解答欄の大きさが疎らなんだよ。

 俺もその点を突っ込んだ。そしたらあいつ、


「あー、道理で解答欄が狭いと思った。ちゃんと考えきれなかった俺の負けだな」


 そんな馬鹿なことを言ってすっとぼけた。

 なんかもう、怒る気もなくなった。馬鹿馬鹿しくて思わず笑ってしまった。


「いい加減俺に負けさせろよ。そろそろ無理があるだろ」

「むしろ、何で俺に勝たせたがるんだ」


 その時、俺は初めてその理由を考えた。弥太郎に負けたくないのに勝ってほしいっていう矛盾。その理由を。

 そして、ひとつの答えを見つけた。


「最初はわざと負けたお前に腹が立って、俺の方が上だって証明したかった。けど今は、お前が何でそんなに自分を貶めるのか知りてえだけだ」

「人には言いたくないこともある」

「じゃあ、話してくれりゃ二度とお前に付きまとわない。それでどうだ?」


 不思議だった。俺を突き放したいなら、さっさと力の差を見せつけて二度と関わるなって言えばいいだけだ。そういう条件をつけて勝負しても俺は乗ったと思う。

 でもあいつはそうしなかった。俺に負け続けることを選んだ。そうしなきゃいけない理由があるみたいに。

 弥太郎はどこか遠くを見つめて、消えそうなほど小さな声で答えた。


「俺はただ、みんなが幸せになってほしいだけだ」


 俺が求めていた、予想してた答えとは全く違う言葉が返ってきた。

 どういうことだってその真意を求めた。


「あの時俺が勝てばお前はどうなる。堕ちた天才に負けたって言われるかもしれないだろ。俺が負けるだけでお前は救われる。他のやつもそうだ。俺が頑張れば頑張るほど、努力すれば努力するほど悲しい思いをするやつがいる。俺はそれが嫌なんだよ」


 弥太郎はずっと俺のためを思っていた。

 俺の立場を考えて、自分の身を削っていた。

 それで誰にどう思われようと、弥太郎は自分を犠牲にして他者を守ろうとする。

 そんなあいつの考え方に俺も少し思うところがあった。


「よし、決めた。お前は今日から俺の親友な」

「はあ?」


 肩を組む俺と嫌がる弥太郎。それでも俺はこの決定を曲げるつもりはなかった。


「つか、チームメイトはいいのかよ」

「あの中で真面目にやってたやつなんて、お前と琉依くらいだろ。文句言う権利なんかない」

「くくっ、優しいやつなんだかひでえやつなんだか」

「どっちでもねえよ。俺は頑張ったやつこそ正当に評価されるべきだと思うだけだ」

「言ってること矛盾してねえ?」


 その基準で言えば一番評価されるべきは弥太郎本人だ。でも、あいつはそれを望まない。

 だったら親友として、俺が弥太郎を評価する。

 あいつが自分を犠牲にするなら、その分は俺が少しでも埋めてやる。

 弥太郎が自分の幸せを望まないなら、俺が親友としてその考えをぶっ壊してやる。


「てか離せよ。何が親友だ」

「そう固いこと言うなよ、弥太郎」

「さっきと言ってることが違うだろ」

「いいんだよ。お前も矛盾してんだからおあいこな」

「お前のは矛盾じゃない。ただの嘘だ」


 それからも俺が弥太郎に付きまとう日々は続く。

 だけど、俺たちの関係性はその日から大きく変わった。




 話を聞き終えた深愛ちゃんは深々と頭を下げる。


「ありがとうございます。とても参考になりましたわ」


 やっぱ彼女は俺から弥太郎の話を聞きたかっただけだった。

 だから代わりに俺も一つだけ聞きたいことを聞いた。


「雲母さんは、その……弥太郎とはどういう関係なんだ?」


 彼女は言う。


「弥太郎君は私の人生を変えてくれた大切な御方ですの」


 そう笑った彼女はこれまでで一番綺麗に見えた。

 彼女も俺と一緒なんだ。弥太郎に人生を変えられた人の1人。俺が弥太郎を親友だと思うように、彼女が弥太郎に焦がれる気持ちもわかった気がする。


「雲母さんは、これから何をしようとしてんだ? 弥太郎のことを聞いてきたってことは、あいつのためにしたいことがあるんだろ」


 弥太郎が休みの日にこんな話をしたのは偶然じゃない。

 それなら、彼女は今日何か行動を起こすつもりなんだと思う。


「良かったら、俺にも手伝わせてくれねえか?」

「い、いいんですの?」


 巻き込んでしまう不安が見える表情。こういうところは弥太郎に似てる。


「俺も弥太郎に借りがあるんだよ。勝手に借りてたもんだけど、そろそろ返してやらねえとな」


 俺の言葉に深愛ちゃんは少し安心したような笑顔を見せた。弥太郎もこれくらい素直になれりゃな。

 そんなあいつの姿は全く想像できなくて、思わず笑ってしまった。

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