学校生活編

第22話 不気味な笑顔のお嬢様

 俺、神宮弥太郎は、傍から見れば羨まれる人生を送っていた。

 裕福な家庭。可愛い許嫁。幸せが約束された人生だったと思う。

 だが、その日は突然終わりを迎えた。

 許嫁が新しい男をつくったことをきっかけに、神宮家の名を穢されたと家を追い出され、名家の跡取りという立場を失った俺からはみるみる人が離れていった。さらには母親に持たされたお金も失くす始末。

 たった数日の転落劇。俺は家も金も人も失い、どん底にたどり着いた。


 だが、そんな俺にも救いの神はいた。女神と呼ぶべきか。

 昔馴染みで、現在同じ高校に通っていた雲母深愛によって俺は救われた。

 住む場所を与えられ、食事を与えられ、俺が無償の恩恵を断ると仕事も与えられた。

 それだけじゃない。彼女の愛を知り、下心を知り、仲間の大切さを知り、人に頼る弱さを知った。

 俺はひとりじゃない。俺がどんな人生を歩み、どれほどの人に後ろ指さされようと隣にいてくれる人たちがいる。そう教わった。

 次第に俺は周囲から向けられる好奇と嫉妬の目も気にならなくなっていた。


 同時に、俺は不安に思う。

 この人生はこの先ずっと続くのか。俺は与えられてばかりだ。何も返せてはいない。自分では何も変えられてはいない。

 過去は変わらない。わかっているのに、俺はまだ過去に囚われている。

 俺はふと考える。

 俺にできることは何だ。俺がすべきことは何だ。俺はこれからどうしていけばいいんだ。

 皆の幸せのためには俺が幸せを求めてはいけないのに、深愛が幸せになるには俺が幸せにならなければいけないと言う。

 俺の幸せとは、一体──



※※



 発熱により学校を休んだ翌日。

 俺は昨日の不調が嘘かのように体が軽くなっていた。

 もう数日休む必要があるかと思っていたが、特に重大な感染症でもないため、今日は普通に登校している。

 代わり……と言うべきか、双子の使用人である日下部修と妹の悠は見事に揃って寝込んでしまったらしい。あれだけ近くに居れば当然だ。

 看病してもらった身としては少し申し訳なく……ないな。感謝はしてるが、病人相手に悪ふざけしてきたことも忘れていない。

 彼らは後でお見舞いがてら様子を見に行くとして、隣に並ぶ少女に視線を送る。

 修たちと同じく俺と一緒にいたにも関わらず、雲母深愛は大層上機嫌に鼻歌を歌っていた。


「深愛は体調に問題はないのか」

「ないですわ♪ 今日も元気いっぱいですわよっ♪」


 語尾に音符でもつきそうなテンションで答える。俺は少し顔を引き攣らせた。

 彼女の機嫌が良いときはろくなことがない。俺と登校できて喜んでいるだけならいいが……

 と、その悪い予感はすぐに的中する。


「おはようございます、弥太郎様! 深愛様!」

「おはようございます!」


 突然のことにピタリと足を止めた。

 20人ほどの男子生徒が校門から校舎に向けて道を作り、両サイドから運動部さながらの肺活量で挨拶をしてくる。

 狼狽える俺。集まる視線。隣でにこにこの深愛。


「お前、何して」

「してませんわ〜」

「いや、これ」

「知りませんわ〜」

「嘘つけ!」


 ここに並ぶ男子のほとんどは深愛と同じクラスだ。彼女の言動からしても一枚噛んで……いや、彼女が原因であることは間違いない。


「なあ、大丈夫か? 無理すんなよ? 深愛に脅されてるなら相談に乗るぞ」

「失礼ではなくて?」


 近くにいた男子の肩に手を置き問い詰めようとすると、彼は突然ぶわっと涙を流した。いきなりだったもんで、驚きのあまり飛び退く。


「弥太郎様……こんな哀れな咎人にまでお慈悲を……なんと寛大な御心か……」

「本当に何があった!?」


 排他的な視線も心にくるがこれはこれで恐怖を感じる。

 深愛がろくでもないことを企んでいるのは想像に難くないが、これ以上目立つのを避けるため一先ず教室へ急いだ。


「本日もご安全に!」

「ご安全に!」


 そんな暑苦しい見送りを受けながら。工事現場かよ。



 1日休んだだけで学校の様子が明らかに変わっていた。


「神宮くんと雲母さん、おはよ!」

「おはようですわ」

「今日も2人で登校?」

「そうですわよ」

「きゃー! いいなー!」


 廊下で深愛が女子生徒2人と会話を交わす。これは明らかに異常だ。

 俺に挨拶をするのも俺と一緒に居る深愛に挨拶をするのもおかしな話だ。深愛と彼女たちが元々仲が良い可能性はあるが、それでも俺と一緒の時に話しかけてくることはなかった。

 これをおかしいと言えてしまうのが悲しいところだが。

 そして、やはり変わっていたのは深愛のクラスに所属する生徒が多数を占めていた。

 しかし当の深愛はなにも話そうとしない。一体何をやらかせばこんなことになるのか。


「それでは、またお昼にご一緒しましょう」

「……ああ」


 訝しく深愛を睨むも彼女はにこにこの笑顔のままひらりとスカートを舞わせて教室へと入っていく。

 与一か琉依が知っていることを願うしかないらしい。頭を抱えながら俺も自分の教室に入る。

 クラスの連中は……普通だ。いつものように鬱陶しい視線を向けてくる。これだよこれ、謎の安心感がある。本当にいいのかそれで。

 正常と異常がちぐはぐになり混乱する俺の元へ近づく人物が1人。

 うちのクラスにもあの異常の感染者が……と思ったが、その人物は俺の隣を通り過ぎてそのまま教室を出ていく。

 一瞬送られてきた視線。俺と目が合ったかと思えば、その視線は俺の机へと向けられた。

 本当に一瞬のことで、他の生徒たちが俺たちの動向に気づく様子はない。

 俺は彼女の行動に違和感を覚えつつ机の中に手を入れる。普段は空っぽの机には1枚の紙が入っていた。


『昼休みに第2体育館の倉庫に来てほしい。お願い』


 2つに折られた紙にはそんな簡単な文章だけが書かれていた。

 果たし状……じゃないよな。わざわざ『お願い』と加えられているくらいだ。

 彼女の真意は読めないが、会ってみなければいつまでもわからないままだろう。

 しかし、本当に会うべきなのだろうか。当然ながら気は進まない。それに昼休みは深愛との約束もある。

 深愛に話せば行くなと言われるのがオチだ。かと言って与一や琉依以外に友人もいない俺が昼休みに予定が入るはずもない。先生の呼び出しと言っても調べられて嘘がバレるだけだろう。

 私情を抜きにすれば行かない一択だ。だが……


 どうしたものかとくしゃくしゃにした紙をポケットに仕舞うと、いつも通りギリギリ到着の泉田与一と部活の朝練後の如月琉依が一緒に教室に入ってきた。こいつらいつも一緒に来るな。

 ちょうどいい。今朝のことを聞いてみよう。


「よう。与一、琉依」

「おはよう、弥太郎」

「お、元気になったか?」

「おかげさまで」


 流石に雲母家の屋敷まで見舞いには来なかったが、2人は『大丈夫か』『早く治るといいね』と連絡をくれたため軽く礼を言っておく。


「ところで、俺が居ない間に何かなかったか?」

「何か?」


 不思議そうに首を傾げる琉依。一方で明らかに動揺を示す与一。ほう、こいつも一枚噛んでるのか。


「今朝登校したら、校門で10人以上の男子から異常なくらい盛大に挨拶をされたんだ。俺のために道を作るみたいに挟み込んでな。おかしな話だろ?」

「なるほど、校門の辺りに人集りができてたのはそのせいだったんだ」

「一昨日までは誰からも敬遠されてたはずなのに、不思議なこともあるもんだよなぁ?」


 俺はわざとらしくその一部始終を説明しながら与一に詰め寄る。


「お前もそう思うだろ? 与一」

「お、おおう、そうだな。フシギダナー」

「大方深愛がなにかしたんだろうと思うんだが、もしかすると他にも関係者がいるかもなぁ?」

「そ、そうだな。フシギダナー」


 完全に狼狽えている与一はRPGのNPCのように同じ言葉を繰り返す。

 まさか知っているどころか共犯者だったことには驚きだが、これはむしろ好都合だ。

 犯人から直接話を聞く方が犯行の全貌や動機がはっきりする。


「さて、与一君よ。話を聞かせてもらおうか」


 体がぶつかる距離まで近付く。もう逃げ場はない。

 しかし与一は、


「俺は、深愛様の御心のままに!」


 と叫び両手で口を覆う。ブルータス。こいつもどうやら手遅れだったらしい。

 深愛の話術もとい洗脳術は大したものだ。与一の場合は好意を逆手に取られただけな気がするが。

 表向きの深愛は眉目秀麗で文武両道で名家の一人娘で人当たりも良いと非の打ち所がない。

 しかしその実、寝ている男を襲う下心全開の変態だ。

 こんな事実を知ったら与一や他の深愛に好意を寄せる生徒たちはどうなることやら。いっそ深愛の本性をばらすと脅して本人から聞き出すのもありかもしれない。

 ……無理か。「私の弥太郎君への想いを皆様にも知っていただきたいですわ!」とか言いそう。

 やはり与一を問い詰めるしかないと思ったところでホームルームの開始を告げるチャイムが鳴る。与一は好機と見てそそくさと自席に駆けて行った。

 まあいい。時間はいくらでもあるんだ。こちらの件は後回しでも構わないだろう。

 それよりも、昼休みにどうすべきかをちゃんと考えよう。

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