第19話 私のものですわ!

「な、なんですの……この惨状は?」


 学校が終わって弥太郎君に会いたい一心で大急ぎで帰宅すると、そこには凄惨な現場が広がっていた。

 顔を真っ赤にして苦しそうに唸る弥太郎君。その両脇には鮫ちゃんと、何故か悠ちゃんの姿がある。少し離れたソファには修君の姿も。

 私の帰宅に気付いた修君がむくりと起き上がる。


「あ、おかえりなさいませ、深愛様」

「修君? これは一体どういうことですの?」


 どうやら修君をはじめ、鮫ちゃんと悠ちゃんもすうすうと寝息を立てて寝ているようだった。あろうことか弥太郎君を挟むようにして。


「あー……これはですねぇ……」


 ぽりぽりと頭を搔く修君は要領を得ない。ガサガサと動く音の方へ首を向けると、今度は悠ちゃんが弥太郎君に抱きついていた。

 あの子は元々距離感の近い子だ。けれど、あまりにも距離が近すぎる。

 弥太郎君の首に腕を回し、抱きつくようにグイッと顔を寄せる。

 そのまま顔と顔がくっつく距離まで近づいて……私は限界を迎えた。


 悠ちゃんを弥太郎君から引き剥がしてベッドの外にポイッと放る。空いたスペースにのそのそと乗り込み、弥太郎君の顔に手を触れる。

 そして、思いっきり唇を奪った。柔らかい唇の感触を存分に味わう。舌を伸ばし、弥太郎君の口の中で転がす。舌を絡め取り、粘液を舐め取る。欲望のままに。

 呼吸も忘れ、これまで我慢してきた色欲を発散するように、彼の体を貪る。

 一頻り欲求不満を解消した私は、体を起こして口元に垂れた涎を拭った。


「ふう……満足ですわ」

「いやまずいでしょ」


 修君からそんな冷静なツッコミが入るけれど、今の私はそれくらいじゃ止まらない。


「私は今ここで弥太郎君の衣服を剥がして生殖行為を始めてもよろしくてよ?」

「弥太郎が死んでしまうので本当に勘弁してあげてください」

「その時は私も腹上死しますわ」


 弥太郎君とまぐわいながら死ぬなら本望だ。どうせ死ぬなら彼に殺されたいとすら思う。

 私を止められないと悟った修君は助けを求めるように扉の傍で待機しているシャーリーに視線を送る。


「シャーロットさんも何か言ってください」

「淫靡なお嬢様も素敵です」

「……弥太郎の気苦労が理解できた気がする」


 シャーリーは何があっても私の味方だ。

 それならば、と今度はいつの間にか起きていた悠ちゃんと鮫ちゃんへ。


「深愛様すっごい……見てるこっちもドキドキしちゃう」

「お、俺は何も見てない……見てない……」


 悠ちゃんは勿論のこと、鮫ちゃんもこう見えてとてもウブだ。セクシャルな話題には一番疎く、今も爆発しそうなほど顔を真っ赤にしている。

 ここにはどうやら修君の味方はいないらしい。


「さて、修君? 私の何がまずいのかしら?」

「ね、寝てる相手を襲うのはまずいですって。弥太郎に知れたら怒られますよ」

「そんなの黙っていればいいだけですわ。皆様私の味方のようですし、修君を屠れば解決ですわね」

「じょ、冗談……ですよね? あの、目が怖いんですけど」

「神への祈りの時間くらいは差し上げますわ」

「や、弥太郎、助けてくれ! お前のお嬢様だろう!?」


 私の味方となった3人が修君を追い詰める。修君のことは嫌いではないけれど、これは仕方のない犠牲だ。もしも弥太郎君にバレてしまったら……


「弥太郎君?」


 気付けば彼はフラフラとした足取りでベッドの上に立ち上がっていた。


「うるせえぇ! お前らいい加減にしろぉ!」


 ドスの効いた怒鳴り声が部屋にこだまする。ちょっと騒がしくしてしまったとようやく正気に戻る。

 その一方で、本気で怒る彼にめちゃくちゃにされたいと思ってしまう私がいた。



 数分後、私は正座をしていた。

 隣には鮫ちゃん、悠ちゃん、そして修君と並んでいる。


「お前ら、俺が病人ってこと忘れてないか?」


 いつもの優しい目をした彼の面影はなく、鋭い目付きで私たちを見下ろす弥太郎君。

 そんな中、修君が恐る恐る手を挙げる。


「あのな、弥太郎。僕はお前を心配して」

「誰が発言を許可した?」

「……すみませんでした」


 抜け駆けは許されないよ、修君。私たちは一心同体なんだよ。

 ううん、それは少し違う。私だけは助かる道がある。

 私のどんなわがままでも許してくれた。この中で一番彼と関わりが深い私なら、弥太郎君もきっとすぐに許してくれる。

 だけど今は優しい女の子であるべきだ。弥太郎君を気遣う優しい女の子だ。そんな私を彼は蔑ろにしない。


「弥太郎君。あまり体調も優れないのですから、今はゆっくり休まれて」

「二度も言わせる気か?」

「……ごめんなさいですわ」


 ごめんなさい、怖すぎる。熱のせいで様子がおかしくなっている。今の彼には私の言葉すら届く気がしない。でも、あの目で睨まれながら首を絞められるのも悪くないかも。

 よく見ると彼は顔を真っ赤にして今にも倒れそうになっている。本当に大丈夫なのだろうか、すごく心配になる。

 私たちに鋭い視線を向けていた弥太郎君は、続いて傍に控えていたシャーリーにその目を向ける。


「シャーリー、こいつらを外につまみ出せ。俺が許可するまで部屋に入れるな」

「弥太郎様。お言葉ですがお嬢様だけは」

「答えは『はい』か『イエス』だ。それ以外は許可していない」

「……Yes,sir.」


 あのシャーリーまでもが陥落した。弥太郎君に臆して屈してしまった。もう私たちに抗える戦力は残っていない。

 朧気な表情の彼の目を盗み、悠ちゃんがひそひそと話しかけてくる。


「ねえ、やー君って怒るとこんな感じなの? 超怖いんだけど」

「私も初めて見ますわ。ちょっと興奮しますわよね」

「うんごめん、それはわかんないかな」


 どうやら悠ちゃんとはこの興奮を共有できなかったらしい。何でだろう、こんなにかっこいいのに。

 雄々しく声を荒らげる弥太郎君。獣のような目つきで私を睨む彼にドキリとする。

 熱のせいかその顔は真っ赤に染まり、やがてすぐに青ざめていく。


「弥太郎君!」


 ふらりと揺らぐ彼の体。声を上げるけれど、私の手は届かない。

 倒れちゃう──そう覚悟した私の目にタキシードの裾がひらりと舞った。


「……っと、危ねえ。まったく、人騒がせな後輩だな」


 すんでのところで弥太郎君の体を受け止める鮫ちゃん。ずっと静かにしていたけれど、もしかすると彼のことをじっと観察していたのかもしれない。

 鮫ちゃんは彼の体をひょいっと持ち上げ、悠ちゃんと修君に視線を送る。


「全員自室に戻れ。俺はもう少し弥太郎の様子を見ておく」


 そしてその目は私にも向けられる。


「深愛様もです」


 そこでようやく、私は自分の過ちに気付く。

 私は何を浮かれていたんだ。彼の体調が優れないことは周知の事実で、本来私がみんなを諌める立場になければいけなかったのに。


「鮫ちゃん、私も一緒に」

「今はお戻りください、深愛様」


 彼女はそう告げてシャーリーを見遣る。


「シャーロット。後は任せる」


 こくりと頷くシャーリーは私に手を差し伸べる。

 わかってる。私が居ては弥太郎君のためにならない。


「……ごめんなさい、弥太郎君」


 苦しみに顔を歪ませる弥太郎君の姿を横目に私は部屋を後にした。

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