第10話 シリアスを壊すお嬢様

 昼休みを迎えると、雲母が勢いよく教室へと飛び込んできた。


「弥太郎君、お待たせしましたわ!」

「……ああ」


 今朝のことが思い出される。昼休みということもあり、大半のクラスメイトは食堂なり購買なりに足を運んでいるのか、その数はまばらだ。

 俺たちに注目する生徒は少ないが、それでもまた悪い流れが押し寄せつつあった。


「雲母、悪いが場所を変え」

「ちょっと待ったァ!」


 俺たちの行く手を阻んだのは与一だ。なぜか琉依も一緒にいる。


「昼飯だろ? 俺たちも誘えよ!」

「……俺はいいけど。雲母は」

「構いませんわよ。ご飯はみんなで食べた方が美味しいですもの」

「よしっ!」


 与一はガッツポーズを掲げた腕をそのまま俺の肩に回し、顔を寄せてくる。


「お前、約束忘れてないよな?」


 約束、とは与一と雲母をくっつける話だろう。抜け駆けしているとでも思ったのか。


「忘れてねえよ。今日は雲母に誘われたから声をかけなかっただけだ」

「誘われたァ? このまま絞め殺してやろうか」

「はいはい。時間ないんだから早く行くよ」


 与一はまたしても琉依後ろ襟を捕まれ、ギャーギャーとキレ散らかす。本当に賑やかなやつだ。


「無理言ってごめんね、雲母さん」

「大丈夫ですわよ。お気になさらず」


 琉依にそう声をかけられた雲母は、ふっと顔を伏せた。

 悲しくも見えるその表情に違和感を覚えたものの、次に顔を上げた時にはいつもの笑顔がくっついていた。

 やはり、今朝のことを気にしているのだろうか。雲母には無理をさせてしまったのかもしれない。

 彼女の表情を見ていた琉依も何かを察したように眉をひそめて笑った。



 食堂に場所を移し、俺たちがいつも使っている角の席に向かい合って座った。

 俺の隣に雲母とその正面に琉依。俺の前に座る与一からの視線が痛い。

 席は琉依が決めたのだから俺を睨まれても困る。きっと与一が騒ぎ始めても琉依が止めるつもりなのだろう。

 俺は今朝シャーリーに用意してもらった弁当を広げた。


「あれ、弥太郎も弁当なんだ」


 琉依が弁当箱を開けながら不思議そうに首を傾げる。そういや琉依には事情を話してなかったな。

 事情を知っている与一は舌打ちをしてギロリと睨みつけてくる。俺が起きた時にはもう準備されてたんだから仕方ないだろ。

 それにこれはシャーリーが用意してくれた弁当だ。与一が羨むようなことは何もない。


 与一には成り行きで話してしまったが、雲母としては俺を雇って一緒に暮らしているなんてあまり言いふらさない方がいいだろう。

 答えに困っていると、雲母も鼻歌交じりに自分の弁当を広げた。

 当然と言うべきか、中身はそっくり同じものだ。もう隠せないな、これは。


「雲母、話していいか?」

「え、何をですの?」

「何ってそりゃ……」


 雲母は今の会話を聞いていなかったらしく、素っ頓狂な声を出してぽかんとしている。察してくれ。何って聞かれても隠してることなんだから説明できないだろ。


「大丈夫だよ。だいたいわかったから」


 言い淀む俺に琉依は優しく微笑む。流石、気遣いのできる男は違う。男の俺から見てもこういうところは本当にかっこいい。普通の女の子なら今の一言でトキメキをメモリアルしてしまうところだ。


「あ、私と弥太郎君が一緒に暮らしてることですの?」


 対するは普通じゃないおバカさん。琉依のイケメンオーラにときめくことなく呆けている。

 はっきり言い切ってどうするんだ。与一が知らなかったら俺はこの場で死んでたぞ。今も箸で突き刺さんとばかりに握り締めてるのに。


「言っていいのかよ」

「そう言われましても、隠したがっているのは弥太郎君だけですわよ? お2人は弥太郎君のお友達ですし、隠す方が無理なお話だと思いますわ」

「それもそうだけど……」


 雲母が考えていることはよくわからない。教室の一件でもそうだったが、普通、俺なんかを匿っているなんて知られたくないと思うんだが。

 まあ、考えたって仕方がない。与一にも話したんだし、琉依にも知ってもらう方が何かと助けになってくれるかもしれない。


 俺は与一に話したことをそのまま琉依にも説明した。

 琉依はちゃんと状況を理解してくれるから助かる。なんなら、今にも暴れだしそうな与一を抑えてくれていた。お前はいい加減にしろ。


 粗方事情を理解した琉依は「なるほど」と顎に手を当ててどこか悩み込むような仕草をとる。


「二人が一緒に暮らしていることは、僕ら以外には内緒にした方がいいだろうね」


 琉依も俺と同意見のようだ。与一も頻りに頷いている。

 一方で雲母は「どうしてかしら?」と首を傾げた。疑問に思っていると言うよりは、どこか琉依に攻撃的なようにも見える。

 琉依は困ったように笑って答えた。


「弥太郎は今、悪い意味で目立っているからね。弥太郎に非が無くても、それを理解してくれる人は少ない。雲母さんが弥太郎を助けたことが善意だとしても、それを悪意的に捉える人もいるんだよ」

「私はそれでも問題ございませんわよ」

「雲母さんが良くても弥太郎はどうかな?」


 三人の視線が俺に集まる。

 俺は箸を止めて、真っ直ぐに雲母を見た。


「助けてもらっておいてこんなこと言える立場じゃないが、俺はあまり雲母を巻き込みたくないな」

「如月君たちはいいのに、ですの?」

「こいつらはなんと言うか……成り行き?」

「成り行きで巻き込むな」

「与一は黙っててね」


 琉依は口を挟んだ与一を締め上げた。そもそも俺が巻き込んだんじゃなくて、お前が勝手に首を突っ込んだんだろ。まあ、俺はそれが嬉しくもあったが。

 琉依や与一が俺の味方になってくれる気持ちはわかるんだ。もしもこの二人が俺のような立場に置かれていたとしても、俺はきっとこいつらの味方になっていたから。

 それだけ固い絆で結ばれていると思ってる。単に付き合いが長いだけとも言えるけど。


 しかし、雲母は違う。

 昔何度も顔を合わせたことはあったが、小中と別の学校へ通い、高校に入ってから久々に顔を合わせたが、俺たちは他人同然のように振舞った。

 俺と雲母以外に俺たちの関係を知る者はいない。だから、今朝のような空気が生まれる。

 片や許嫁に捨てられ神宮家を勘当された落ちこぼれ。片や品行方正で誰からも人気のあるお嬢様。これほど似合わない組み合わせもない。

 嘲笑の対象だった俺が嫉妬の対象になる。その矛先がきちんと俺に向けられるかは、俺にもわからない。

 そんな俺に対して親切にしてくれたからこそ、雲母をこれ以上巻き込みたくはなかった。今更手遅れな気もするけど。

 雲母の親切心は、俺以外にしてみれば反逆行為に等しいのだ。


 雲母は俺の意見に納得できない様子で、どこか悲しげな表情をしている。勝手にそう解釈しているだけかもしれないけど。


「まあ、今更何言ってんだって話なんだけどな。これ以上、俺との関係を表向きに見せる必要は無いだろ。ここで一緒に飯を食ってるだけでも雲母にとっちゃデメリットでしかない」

「メリットとかデメリットとか、そんな話じゃないですわよ」


 雲母はいつもの口調で、それでいて少し怒ったようにそう言った。

 真っ直ぐな瞳が俺を捉える。俺はその目から逃げることが出来なかった。


「弥太郎君は損得勘定で人との付き合いをお考えですの?」

「そんなわけないだろ」

「では、私がそういう人だとお思いですの?」

「それは……」


 強く否定できなかった。俺はつい先程、俺と付き合うことはデメリットだと語ったばかりだ。俺と関わることは損だと、そう言ったのだ。


「弥太郎君にご飯を誘おうと訪れた教室の空気。私はとても、とーっても嫌な気持ちになりましたわ」


 今朝の教室内の異様な雰囲気。雲母もそれを感じ取っていたらしい。


「確かに私はお2人ほど弥太郎君のことを知りませんわ。どうして許嫁さんに別れを告げられたのか、どうしてお家を勘当されてしまわれたのか。わからないことばかりですわ」


 俺は黙って彼女の言葉に耳を傾けていた。琉依と与一も静かに雲母を見守った。


「けれど、それがなんだと言いますの? 神宮弥太郎は家を追い出されてもただの神宮弥太郎で、私たちと同じ高校生ですわ。私たちと同じ十六歳の子供ですわ。何も変わらない。名前とか立場とか、そんなことばかり気にして、誰も弥太郎君のことを見ようとしない。私は、そういう空気がすごく嫌だったのですわ」


 雲母の言葉に偽りはない。

 真っ直ぐで自由で自分を貫き通すお嬢様。よく笑って、たまに怒って、いきなり暴走して、手が付けられなくて毎回頭を抱える。

 自分が立場を悪くしようと、周囲の視線を浴びようと、彼女は思いの丈を吐き出し続ける。


「私は今の弥太郎君のことを何も知りませんわ。けれど、誰よりも弥太郎君のことを知っているつもりですわ。だから私は何があっても弥太郎君の味方であり続けますわ」


 だからこそわかる。

 雲母がこうして放つ言葉は、雲母が感じている本心だ。

 本当にそう感じているから、心の底からそう思っているから、雲母はその言葉を口にする。

 優しく向けられた笑顔にも雲母の心の全てが乗っている。


「だって私は──」


 雲母は大きく呼吸をして、ゆっくりと口を開いた。

 そして──。


 弁当に視線を落とすと、白ご飯を口に運んだ。


「おい待て! 今なにか言いかけてただろ!」


 小さくゆっくりとした咀嚼を終え、雲母は再び口を開く。


「なんの話ですの〜? 忘れてしまいましたわ〜!」

「今のシリアスな空気を返せ」


 なんなんだこいつは。途中までめちゃくちゃ良い雰囲気だっただろ。青春漫画のようなひとコマのようだとさえ思ったのに。もしもこれが物語なら、読者は落丁じゃないかと出版社に問い合わせるレベルだ。

 雲母は何も悪気が無い様子で、こてんと可愛げに首を傾げる。


「んー、忘れたものは仕方ないですわよ?」

「お前なぁ……もう少し空気を読むってことを覚えた方がいいぞ」

「ま! 主人に対してなんてことを言うのかしら! めっ! おすわりですわ!」

「誤解を招く言い方はやめろ!」

「弥太郎てめえ、雲母さんと家でどんなプレイしてんだよオイ!」

「与一はいい加減にしろ!」


 あーもうめちゃくちゃだよ。

 雲母の言葉にうるっとしていた数十秒前の俺を殴りたい。


 ギャーギャーと騒ぎ始めた与一を押さえつけていると、今度は琉依が壊れた。

 腹を抱えて笑い出し、ゲラゲラと愉快な声が食堂に響く。

 俺もなんだか可笑しくなって、手を組み合っていた与一と顔を合わせて笑った。

 雲母はついていけずにぽかんとしているが、それでも堪えきれなかった。


 なんだか嬉しくて、楽しくて、どこか心地よくて、心が温まる。

 感動のシーンなんてまるでなかった。シリアスな空気なんて全部ぶち壊しだ。練りに練られた小説のように見せ場のある物語とは程遠い。


 それでもわかったんだ。

 ここが俺の居場所だと。俺を神宮家の人形としてでなく、神宮弥太郎という一人の人間として見てくれる人がまだいたんだ。

 雲母が教えてくれたその事実に、俺は救われた気がしたんだ。

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