第11話 従者と従者
放課後。学業に囚われた学生たちに訪れる自由な時間だ。
部活で汗を流したり、アルバイトに勤しんだり、或いは異性とのデートで青春を謳歌したり。その過ごした方は十人十色だ。
かく言う俺も今日は予定が入っていた。
「よお、弥太郎。帰りに寄り道付き合ってくんね? いつものゲーセンに新しい筐体が入ったらしいから久々にバトろうぜ」
そう声をかけてきたのは与一だ。彼は格闘ゲームが好きで、たまに対戦相手として付き合っている。
嬉しい誘いだが、生憎と都合が悪い。
「今日はちょっと予定があるんだ。また今度埋め合わせしてもいいか?」
断りを入れると与一の穏やかだった表情は一変し、殺意のこもった鋭い眼光を向けられる。
「てめえ、雲母さんとあんなプレイやこんなプレイをするつもりじゃねえだろうな」
「どんなプレイだよ。何もわかんねえよ」
「2Pプレイに決まってんだろォ!」
余計にわからん。こいつの思考回路はどうなってんだ。
と、そこへタイミング良く教室の扉が開かれる。与一に絡まれ続けても面倒だ。今のうちにさっさと帰ろう。
「弥太郎君、お待たせしましたわ」
すまん、最悪のタイミングだった。
「おうおう、どういうことかなァ弥太郎クンよォ? デートで忙しいってか? アァん?」
ググッと力を込め、絞められそうになる俺の首。同じ大企業の跡取りなのに雲母とは精神年齢に天と地ほどの差がある。輩かよ。
「ふんっ!」
「ぐはぁっ!」
そこへ現れたのは俺の救世主、琉依だ。
「琉依、てめえ腹パンは無しだろ腹パンは」
「お昼に言ってたでしょ。弥太郎には仕事があるんだから、しばらくは付き合えないって。ちゃんと聞いてた?」
琉依はやれやれと肩を竦めて、蹲る与一を他所にこちらへ笑顔を向ける。
「悪いね、弥太郎。与一は弥太郎とは違ってちゃんと嫌われてるからさ。遊びに誘える相手が弥太郎しか居ないんだ」
「違えよ!」
「それにしても大変だね、弥太郎も。お屋敷の使用人なんて骨が折れそうだよ」
雲母の屋敷で世話になることになった俺は、いよいよ今日から本格的に執事としての職務を学ぶことになっている。
ある程度の自由は許されており、平日は学業や友人との時間に費やしてもいいと言われているが、いつまでもダラダラと過ごしたくなかった俺は平日にも働かせてもらえるようシャーリーに頼んでいた。
琉依の言うように与一にも昼休みに説明したはずだが……雲母の世話をするという部分にばかり反応してあまり話を聞いていない様子だったからな。
「ま、大丈夫だろ。体力なら有り余ってるし、しっかり働いてくる」
「はは、弥太郎には無用な心配だったね」
俺は部活動にこそ所属していないが、怠けてしまわないようにと筋トレやランニングは毎日欠かさず行っている。
どれほどの仕事量かはわからないが、ついていけない体力ではないと自負しているつもりだ。
雲母も待っていることだし、名残惜しいが帰ろうとしたところで、ふと今朝のことを思い出す。
「そうだ。連絡先を教えてくれないか」
「え? 弥太郎、財布は見つからなかったって」
「そうなんだが、実は業務用としてスマホを預かってな。業務以外の使用は好ましくないが、琉依と与一ならってことで雲母の許可は取ってある」
「へえ。あれだけ大きなお屋敷になると、そんなものまで支給されるんだね」
琉依は目を丸くして俺の取り出したスマホをじっと見つめる。俺もこれを預かった時には驚かされた。
いそいそとスマホを取り出した琉依と簡易チャットアプリで連絡先を登録。
痛みを堪えながら立ち上がる与一とも無事に交換し、俺の連絡先に友人2人の名前が並ぶ。
「ありがとな。土日もほとんど仕事だろうから遊べるタイミングは少ないかもしれないけど」
「大丈夫だよ。僕も土日は部活だしさ。暇なのは与一くらいじゃないかな?」
「ハンッ! 残念ながら俺も土日は店の手伝いだ」
「ああ、また親父さんに怒られたんだ」
「違えよ! 俺が手伝ってやってんだ!」
琉依が揶揄うと与一はムキになって反論する。俺の知らない話だな。
与一が怒られたという話は気になるところだが、その話はまた今度ゆっくり聞くことにしよう。いつでも自由に連絡できるようになったことだしな。
「じゃ、そろそろ帰るわ」
「おう。精々こき使われてこい」
「またね、弥太郎」
2人と挨拶を済ませて教室を出ると、雲母が廊下の窓からぼーっと外を眺めていた。
声をかけてようやく彼女は俺の存在に気付く。
「お話は終わりましたの?」
「ああ、待たせて悪かったな」
「お気にならさないでくださいまし。さ、帰りましょう?」
放課後と言えど、廊下を行き交う生徒は少なくない。
向けられる好奇と嫉妬が入り交じった視線。ヒソヒソと囁かれる根も葉もない噂。
だが不思議と俺は気にならなくなっていた。誰にどう思われようと、俺と親しくしてくれる友人が居るだけで心強いと知っているからかもしれないな。
※※
「それじゃあ、俺は着替えてくる」
「かしこまりましたわ。お部屋でお待ちしておりますわね」
雲母家の屋敷に戻り、俺は与えられた自室へと急ぐ。荷物を部屋の隅に置き、クローゼットに仕舞っていたタキシードへと着替えた。
姿見鏡を見ながら襟が曲がっていないか確認し、蝶ネクタイの形を整える。
「我ながら悪くないな」
見てくれだけなら合格点だと自画自賛する。タキシードと俺の組み合わせはどうも想像つかなかったが、服に着られている感じはなく意外と似合っている。
以前父さんのスーツ姿を見て憧れたことがある。街ゆくサラリーマン然り量販店の店員然り、働く人の姿というのはあまり気に留められないが、学生には体現できない格好良さがあった。
俺も今日からその仲間入りができるかと思うと胸が高鳴る。
準備を整えたところでタイミングを計ったようにノックの音が響く。
「弥太郎様。ご準備の程はいかがでしょう」
「シャーリーか。悪い、すぐに行く」
俺を迎えに来たシャーリーと合流し、長い長い廊下を進む。
ここに住み始めて改めて雲母家の凄さを実感した。
どこぞのホテルかと言いたくなるほどの部屋の数。それらを繋げる長い廊下は毎日歩き回るだけでも相当な運動量になりそうだ。使用人が食事を行うキャンティーンはパーティー会場かってくらい広いし、使用人への福利厚生として用意された温泉や娯楽施設まで存在する。
さらにはこれほどの屋敷を取り囲む広大な敷地は徒歩で移動するには一苦労で、窓から見下ろせば何台もの車が行き交っている。
「お屋敷での生活は慣れましたか?」
前を行くシャーリーがこちらを見ることなく問いかける。いつもに比べるとやや声が低く、少しばかり緊張感がある。雲母が居ないとこんな感じなのか。まさに仕事モードだ。
「まだ屋敷内でも迷うことが多くてな、本当に苦労する」
「この場からお嬢様のお部屋までのルートはご存知ですか?」
「……いや、まだ覚え切れてない。今朝も雲母が部屋まで迎えに来てくれたしな」
「そうですか」
素っ気なく返すシャーリーに困惑する。
シャーリーは雲母と出会ってしばらくした頃から雲母の付き人として顔を合わせていた。当然ながら、2人きりで話すこともこれまで少なからずあった。
だが、今のシャーリーはどこか気を張っているようで、これまで見たことのない殺伐とした雰囲気を醸し出していた。
身震いするような空気の中、彼女は立ち止まり身を翻す。
「弥太郎様。不躾ながら申し上げます」
深々と一礼し、彼女はキリッと鋭い視線で俺を捉えた。
「これから貴方様が働く場所は、深愛様や旦那様方のお膝元です。貴方様は神宮家の人間としてではなく、神宮弥太郎という一個人としてその身を尽くす立場にございます。御身の在り方、ゆめゆめ忘れぬようお願いいたします」
もう一度頭を下げるシャーリーの姿にハッとする。
そうだ。これは職場体験じゃない。俺はこれから雲母家に仕える者として職務を全うすることが義務付けられる。
だというのに、俺は未だに主人となる雲母の部屋への行き方すら知らず、あまつさえいつもの調子で呼び捨てにしていた。
緊急時に主人を助けられず、主人への認識を変えられないまま同列に扱う。働く者として、雲母家に仕える者としての認識が全く足りていなかった。
思い出せ。俺がこの話を引き受けたのは何のためだ? 雲母の仕えると決めた時、俺は何を考えていた?
行き場をなくして途方に暮れていた俺を助けてくれた人。居場所をなくして周囲の視線に飲まれていた俺を救ってくれた人。
その雲母への恩返しのためだったはずだ。
俺は両手で自分の頬を思いっきり叩く。ズキズキとした痛みでスっと頭が冷静になる。
「シャーリー……さん、君の言う通りだ……です。まだまだ認識が甘かった。おかげで気が引き締まったよ。ありがとう……ございます」
シャーリーの言うことは間違いなく伝わっているのだが、どうにもシャーリーに対して敬語を使うというのは変な感じだ。
日本人の血が混ざっていないシャーリーよりも下手な日本語に彼女は可笑しそうに笑う。
「ご理解いただければそれだけで充分です。私に気を遣う必要はありませんよ。これまで通り、普通に接していただける方がありがたいです」
そう言ってくれたシャーリーは俺のよく知る彼女その人だった。
あの主人にしてこの従者あり、だな。その笑顔は素敵な主人によく似ている。
……っと、俺が彼女と共に働く以上、ひとつ気になることがある。
「シャーリー、俺のことはもう主人の友人ではなく、後輩の1人として接してくれないか?」
「後輩……ですか?」
そう繰り返して首を傾げる。シャーリーはどう接していいのか困惑しているわけではなく、後輩という言葉の意味を理解できていないようだ。
「俺はこれからシャーリーに教えを乞う立場だ。そんな相手を君の主人である雲母と同列に並べるのはおかしな話だろ? 他の使用人に教えるように俺にも平等に接してほしいんだ」
上手く説明できたかわからないが、彼女は納得したように頷いた。
「わかり……ううん、わかった。では、気兼ねなく……弥太郎、と。そう呼ばせていただきます」
「シャーリーもまだ慣れるまでには時間がかかりそうだな」
「……意地が悪いですね」
長年俺を敬っていた相手が急にタメ口で話してくれると思うと、それはそれでむず痒い。
シャーリーにはもう少し敬語のままでいてくれる方がありがたいかもな。
「さて、立ち話も終わりにしましょう。お嬢様に聞かれると、きっと嫉妬されてしまいますので」
「あー、確かに……」
自分の知らないところで仲の良い異性と自身の従者が親しげにしていると、彼女でなくても良い気はしないだろう。それが雲母となると尚更だ。
頬をぷくーっと膨らませて「ずるいですわ!」と怒る彼女の姿が容易に想像できて、俺たちは顔を合わせて笑った。
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