第9話 学校でも自由なお嬢様
怒涛の週末を終え、月曜日がやってきた。
億劫だ。俺が神宮家を勘当されたことによるあの独特な空気もそうだが、何より与一と雲母をくっつけるなんて約束をしてしまったことを少し後悔している。
そして死に方もまだ決まっていない。できるだけ痛みがない方法を所望したい。
雲母は間違いなく俺に好意を寄せている。それが恋愛感情かどうかはさておき、今の雲母が俺を差し置いて他の異性と付き合う姿は想像できない。
そうなれば与一はどうするか。裏切り者の暗殺して悲しむ雲母を慰めて懐に入るという強硬手段に出る。やはり墓だけでも用意しておくべきだったか。
まあ、奥手な与一が自分1人で雲母と親しくなれるはずもないか。雲母と与一の接触を増やしてやるだけでも満足するだろ。ああ見えて女の子の前では緊張しがちだしな。
「弥太郎君? 早く行かないと遅刻しますわよ」
「ああ、すぐ行く」
さも当然のように一緒に登校する流れだが、それはそれでまずい気がしなくもない。
「なあ、俺と一緒に登校していいのか?」
「ダメなのかしら?」
「ほら、俺と一緒にいると変な噂立てられるかもしれないぞ」
「学校にもお買い物にも行ったのですから今更ですわよ? 弥太郎君は私のお付き人ですし、一緒に行かない理由がありませんわ」
確かに。簡単に言い負かされた。
「それに、私はそんなこと気にしませんわよ」
雲母は穏やかに目を細めた。
なんだかその言葉が嬉しくて、俺は「そうか」と素っ気なく返すことしかできなかった。
取り留めのない会話を交わしながら学校への向かう。普段はシャーリーに送ってもらうそうだが、雲母が2人で登校したいと言い出したからだ。
「あ、そうですわ」
会話の途中でそう切り出すと、雲母は鞄をゴソゴソと漁り、スマホを取り出した。
そのままそれを俺に差し出す。
「こちら、私との連絡用に用意させていただきましたの」
「いや、俺まだ金も払えないぞ」
「大丈夫ですわ。使用人さんに支給される連絡用端末ですもの。私だけでなく、私の両親や他の使用人さんの連絡先も入ってますわ」
「なるほど、そういうことか」
雲母家は敷地が広い分使用人も多い。使用人同士も連絡が取れる手段がある方が何かと便利だ。
「そういうことなら貰っとく。ありがとな」
「それから、そちらの端末は一応仕事用となっておりますので、雲母家以外の方との連絡先の交換は厳禁ですわ」
「他の人と連絡が取りたいなら私用で買わなきゃってことだな」
当然と言えば当然か。業務連絡に使うのなら、社外秘の情報も飛び交う可能性がある。好き勝手に使えるものでもない。
だが、そうなると琉依や与一と気軽に連絡を取るのはもっと先の話になりそうだ。
「そう悲観しないでくださいまし。あくまで一応、ということですわ」
顔に出ていたのか、雲母が宥めるように言う。
「私の許可があれば外部のお方とも連絡先の交換ができますわ」
「え、いいのか」
「もちろん、誰も彼もとはいきませんが、如月君や泉田君なら問題ありませんわ。弥太郎君が私用のスマホを持つのはもう少し先でしょうし、それまでは自由にお使いいただいて結構ですわよ」
「それはありがた……」
い、のか?
琉依はともかく、与一と連絡先を交換すると毎日のように雲母と何も無いのか、私生活の雲母のことを教えろと電話がかかってきそうだ。
事が落ち着くまでは黙っていた方が良いな、うん。
「どうかされましたの?」と小首を傾げる雲母に大丈夫だと返しつつ、スマホは鞄の中に仕舞った。
クラスが違う雲母と下駄箱で別れ、教室へと向かう。どうにも足取りが重い。あの空気が待ち受けていると思えば仕方のないことだ。
教室の扉を開けると、異様な空気が漂っていた。
先週まで感じていた俺を迫害するような空気じゃない。好奇の目に当てられるような居心地の悪さ。妙に俺を気にしているような視線が集まっている。
なんだか嫌な予感がする。
「落ちぶれ者のくせに」
そんな声が教室のどこかから聞こえた。
その先は口にはしなかったが、それだけで何があったのか容易に想像がついた。
この土日に俺と雲母はあちこち足を運んでいた。
それも高校生が足を運ぶ可能性のある場所に、だ。
どこかで出会ったサラリーマンのように、クラスメイトや俺の事情を知る者に目撃されていてもおかしくない。
それも一緒に居た相手はあの雲母だ。
『Mia Production.』を運営する雲母家の令嬢。この学校でもその名を知らない者はいない。
要は嫉妬だ。落ちぶれ者の俺が雲母深愛と一緒にいたことが妬ましくて仕方ない。そういう目だ。
子供っぽいったらない。勝手な勘違いを多分に含んだ解釈で一方的に嫉妬する。真っ向から言及してくる与一より余程タチが悪い。
教室にその与一の姿はない。琉依もそうだ。与一はいつも遅刻ギリギリにしか来ないし、琉依は部活の朝練だろう。あの二人が居たらこの空気が少しは緩和されていたはずだ。
無い物ねだりをしても状況は変わらない。雲母がこの場に居ないことが唯一の救いか。
俺だけならば我慢すればいいだけの話だ。我慢強さには自負がある。
浴びせられる視線を無視して自席へ向けて足を踏み出したその時、閉めたばかりの扉が勢いよく開いた。
「弥太郎君!」
淀んだ空気を一蹴するような活気。きらきらと輝く声色に惹かれるように振り返る。
「お前、なんで」
「お昼のお約束をしておりませんでしたわ!」
「……は?」
突拍子もない話に困惑する。突然何を言い出すんだ。
俺の反応が気に食わないのか、雲母はむすっと頬を膨らませる。
「ま! その言い方は酷いのではありませんの? お昼を一緒に食べようと誘っただけですのに!」
「いや、それはわかるんだけど」
わかるんだけど、タイミングが悪すぎる。
現にこうして俺に向けられていた排他的な視線が雲母に集まっている。中には雲母の言葉に呆然としている男子もいる。
なんて間の悪いことだ。こんなことを言わなければ、俺が雲母を連れ回していただけだとでも理由をでっち上げるだけで済んだのに。
しかし、雲母の発言により彼女が俺に好意的であることがはっきりしてしまった。こうなってはもう雲母を巻き込まないようにするのは至難だ。
程なくしてようやく教室内の異様さに気づいた雲母は「あら?」と素っ頓狂な声を上げる。
「もしかしてお取り込み中でしたの?」
「取り込み中と言うかなんと言うか……」
「もう、はっきりしませんわね。弥太郎君らしくありませんわよ」
「俺らしくって言ってもな」
どうにかこの状況からでも雲母を巻き込まないようにと考えているのに、俺の心情を知らない彼女は勝手なことばかり言ってくる。
「とにかく! お昼は一緒に! はい、復唱ですわ!」
「いや、だから……」
くそっ。なんなんだよ、本当に。俺の気も知らないで。
「弥太郎君の考えてることならわかりますわよ」
俺の心を詠むように彼女ははっきりとそう言った。
いつもと変わらない優しく温かい笑顔。自分の立場が危うくなるというのに、逆風だろうとものともせずわがままを通す凛々しいお嬢様の姿がそこにある。
「お昼まで会えなくて寂しいのでしょう? お屋敷に戻ったらたっくさん甘やかして差し上げますわよ!」
ザワっと教室内の喧騒が一層大きくなる。こいつ……やりやがった!
「雲母さんの屋敷ってどういうことだ?」
「もしかして一緒に暮らしてるんじゃ……」
耳障りな喧騒の中にそんな会話が聞こえてくる。ああ、完全にバレてしまった。
それまで雲母との関係を知られないようにとどうにか手立てを考えていたのに、全て台無しだ。
同時に抑えていた感情も溢れ出す。
「全く違えよ! お前な、俺がどれだけお前を心配したか」
「あら? 今日は意地悪をしたい気分ですの? 仕方ありませんわね、少しお恥ずかしいですけれど、弥太郎君に辱められるのは嫌ではないですわ」
「聞けよ!」
あまりにも自由が過ぎる。やかましかった教室も呆気に取られたクラスメイトたちが呆然と俺たちのやり取りを見ていた。
俺たちの関係を知らない連中にとっては、これまで一度も会話をしたことがない2人が突然仲良く(?)なって、さらには一緒に暮らしているという状況。俺ならタイムスリップでもしたのかと錯覚しそうだ。
当の本人は全く気にした様子もなく、可愛らしくニコニコしている。ほんと、なんでこうなっちまったんだ。
「おいおい、なんだよこの淀んだ空気。換気しろ、換気」
「おはよう、弥太郎。雲母さん」
「おはようですわ、如月君、泉田君」
「お、おおおはよう! 雲母さん!」
程なくして与一と琉依が教室に入ってきた。
琉依は教室内を一瞥して俺たちに向き直る。
「なにかあったのかい?」
「弥太郎君と一緒に登校してお昼ご飯をお誘いに来ただけですわよ」
「一緒に!? おい弥太郎、どういうことだよ!」
「いや、どうもこうも」
ああ、段々とおかしな方向に。
今にも殴りかかりそうな勢いの与一を琉依が引き止める。
「そうだったんだね。たったそれだけで排他的な空気になるなんて、まるで小学生みたいだ」
「けっ。ホント、しょーもねえ奴ら」
「与一も似たようなものだけどね」
「うるせえよ。つか襟引っ張んな。苦しいだろうが」
与一と琉依の登場により、その場の全員が我関せずと目を逸らし、各々小声で会話を始める。
この二人の学内に対する影響力は大きい。中でも、誰にでも優しく紳士的な琉依が人を小馬鹿にするようなことを言ったのは、少なからず先の空気を生み出した連中の心に刺さったのだろう。
悪い空気が弛緩していく。結局俺は、クラスメイトに対して何も言えなかった。
俺の事情に雲母を巻き込み、琉依と与一に助けられただけだ。情けないったらありゃしない。
その場を収めるように予鈴が鳴り響く。
雲母は「また後ほどですわ!」と言い残して自室に戻って行った。
俺は自責の念に駆られながらその背中を見ていることしか出来なかった。
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