第6話 物言わぬ貝

古代の結婚というのは、夫が妻の寝所に通うことで成立する。かくしてこの葛城と倭姫も、初めての夜を迎えることとなった。


今日の日まで段取りなど倭姫への世話の一切を取り仕切っていた書麻呂は、ギリギリになりながらも遣唐使船に乗り込み、途方にもない中国・唐を目指す旅の道を急いだ。


そしてこちらも。


同じ敷地内で過ごしてきたとはいえ、一緒に寝るほど距離が近かった訳ではない。お互いに探り探りのままではあるが、倭姫の方は、大后になる話を聞いてから少し覚悟が決まっていたので、今日という日を緊張することなく迎えられていた。


むしろ緊張していたのは葛城の方である。


「書麻呂が旅立ってしまって寂しいだろう。」


そういう葛城の挙動は妙に他人行儀で、倭姫のほうを見ても目も合わせようとしない。


「寂しくはありません。今日からは嫌でも葛城様の妃のみなさんと良好な関係を築きませんと。」


「良い心がけだ。」


2人は同じ布団に横になった。向き合って、という勇気はなかったので背中合わせになった。自分の背中の向こうで、葛城の細い声が聞こえてくる。


「...私を襲わないのか?」


そう彼は言った。


「襲う?」


「お前の父を殺した張本人が、無防備で隣にいる。敵を討つ絶好の機会だぞ。」


葛城は倭姫が自分をまだ恨んでいないか、ずっと気にしていたようだ。葛城と同じように、葛城の前では倭姫もあまり多くを語らなかった。大王の血を引く者は、そのようにして育てられるから。


本音こそ心の奥底にしまっておくのだ。


しかし葛城はおそらく今、まごうことなき本音をぶつけてきている。それは相手が何の利害関係も外戚関係も何も考える必要のない、血筋だけは完璧な妃であるからなのだろう。


葛城の問いに対して、倭姫は


「たしかに。」


とだけ言って、スヤスヤと寝息を立て始めた。


葛城は弄ばれたような気分がして


「もっと何か言いなさい。」


と、倭姫の背中に自分の背中をくっつける。負けじと倭姫も葛城の背中に自分の背中をギュッとぶつけた。


「背中を合わせているのですよ、私たち。こんなのじゃ、襲うにも襲えません。」


「じゃあ、振り向いてみるか?」


葛城がそう言うと、背中越しの倭姫の声が、優しく響く。


「いいえ。背中合わせぐらいが、私たちにはちょうど良いでしょう。」


そして


「明日の政務にさわりますからゆっくりお休みください。」


と言うと、倭姫は再び静かに寝息を立てた。


葛城にとって、誰かと寝る夜でこんなに静かな気持ちになったのは久しぶりだった。他の妃相手では、余計なことをごちゃごちゃと考えて、あまり寝ることができなかった。

ここ数年、ずっと不眠の状態だった彼に、ようやく安息の眠気が訪れると、彼もそのまま深い眠りについた。


背中合わせに感じる温もりは、葛城の心を安心させた。この温かさがずっと彼に足りていなかったのだろう。


物言わぬ貝のように、何も言わずに誰かがただ側にいてくれる事を、どこかでずっと望んでいたのかも知れない。


その日、孤独な為政者の隣に、孤独な姫が寄り添う。彼らはもう、孤独ではなくなったのだった。

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