第4話 守りたい、この

「皇太子よ。石川麻呂に謀反の疑い有りと聞くが、そなたはどう思う?」


大化5(649)年の年明け。


叔父であり現在の大王である軽皇子から、難波長柄豊碕宮に呼び出された皇太子・葛城は、突然の謀反の報せに驚いている。


「右大臣でございますか。彼はよく仕えてくれていますし、謀反を起こす理由がありません。しばらく様子を見ても宜しいのではないでしょうか。」


葛城は慎重に答えた。


石川麻呂の娘・遠智娘とは婚姻関係にあり、葛城から見れば石川麻呂は義理の父である。兄と大臣を葬り去ったあの時から、鎌足と共に手を取ってここまでやってきた、信のおける人物だった。


しかしそんな彼に謀反の疑いとは。葛城にとって、懇意な上に外戚である彼を大王に疑われるのは自身の身も滅ぼしかねないほど危ない状況である。


そんな葛城を試すように、大王は問いかける。


「そうか。でもこの話、蘇我日向から聞いた話なんだよね。信憑性高いと思わない?」


「蘇我日向ですって...?」


蘇我日向は、石川麻呂の弟だ。石川麻呂は今、弟からの裏切りに遭っていることになる。

蘇我本宗家が滅びた今、生き残った側の蘇我の一族内も足元が揃わない状況なのは、なかなか頭を悩ませる事態である。


そして極め付けに、大王は意地の悪い笑みを浮かべた。


「でね。その謀反の内容ってどんなものだと思う?」


「...私には想像もつきません。」


「葛城皇子を亡き者にせんとする謀反、だよ。」


「そんなこと...!!!」


葛城は大きく目を見開いた。

ありえない。彼が葛城の命を狙うことなど。


しばらく黙ったまま、葛城は大王の目の前で直立不動の状態だった。(今、大王は自分を試しておいでである。)そう思った。それだけの冷たく鋭い視線が突き刺さってくるのを、その身から感じている。


明らかに己の真価を吟味されている、氷点下まで冷え切った空気の中、葛城は重い選択をした。


「では...日向に右大臣の追討命令を出します。火のないところに煙は出ないと言いますから、これでうまく収まるでしょう。」


その答えを聞いた大王は、ふふっと笑いながら


「さすがは皇太子よ。きちんと自局を読めている。」


と、大層ご満悦の様子で答えた。


それと同時に、今皇太子の身分に甘んじている葛城に一つの疑念が生じた。これだけ多くの人々の死の上に大王になる道を歩まなければならない葛城だったが、現大王は自分の“大王への道”を遮断しにかかってきているのではないか、と。


将来、葛城が大王となった際に最大勢力の貴族として力を貸すと約束した石川麻呂を、大王は排除しようとしているのだ。明言していなくとも、あのような話をしたのだから、大王の意思は「石川麻呂の排除」だ。


じわじわと、葛城の力を削ぎにきているとしか思えない。


葛城は自分の皇子宮に戻った。椅子に座って机に肘をつき、文字通り頭を抱えた。いっそ命を捨ててしまえば、こんなに悩むことも無いだろうに、そう思いながらふと目を閉じる。


「弟よ。お前に娘を託す。約束してくれ。私が死んでも娘のことは守り抜いてくれ。よろしく頼む。」


朧げに瞼の裏に映し出されたのは、古人の姿とその声だった。


(そうですね兄上。約束も、あなたの娘も、王位も何もかも。私が守らなくては。)


重責に押しつぶされそうな若き皇太子は、目をゆっくりと開いた。そして紙と筆を用意して、墨をすりはじめた。石川麻呂追討の命令書を書くために。

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