第四十二告  鎌波亥縫

 兎川橙萌のノートを読み終えて、多門真夕貴は自分の想いが通じていたことを知った。大声を上げて泣きたかったがそれはこらえた。橙萌の代わりに付けられた城戸琉侍が父親に何でも大げさに報告するからだ。

 城戸は番犬としては忠実だが雑な性格で機微には疎かった。実際うっとうしさに辟易して女子校に転校したくらいだった。


 何度もノートを読み返すうちに真夕貴は亀津川慎児への怒りを募らせていく。正義のヒーロー気取りで自分から橙萌を奪っておいて、用がなくなれば釣った魚に餌は要らないとばかりに放置する。そんな仕打ちは女を食いものにする三下ヤクザと何の変わりもない。

 直接的な暴力でも亀津川の父親を巻き込んでのスキャンダル報道など仕返しの方法はいくらでもあるしいつでもできる。しかしどうせならその前に、橙萌のできなかったことをしてやろう、【シニコク】の呪いを亀津川にかけてやろうと真夕貴は思った。

 しかしそれには【シニコク】のことをもっとよく知る必要がある。呪いを跳ね返したものが何なのかということも。

 そんなことを思っている矢先、その答えを持った人物が向こうから接触してきた。

まだ30前と思われるその男は鎌波亥縫かまなみいぬいと名乗った。呪禁道を祖とする傀儡道士だという触れ込みだった。


「傀儡道士は呪術を生業とする一族で、特に人心にかかる術を得意としている。【シニコク】の呪いを君に返したのはおれのじじい、鎌波丹午かまなみたんごの仕業だよ」

 雑然としたショッピングモールのフードコートに腰を据えたあと、鎌波亥縫は多門真夕貴にそう話した。呪術と聞けば陰気な男を想像するものだが亥縫はにこにことメロンソーダをすすっている。反対にその貼り付けた笑顔で内面が読み取れない。

「そうは見えないって顔だね、お嬢さん。おれも君が呪いに手を出すような人間には見えないんだけどねえ」

 亥縫ははね返された呪いの残滓を追って真夕貴にたどり着いたのだと言った。

(じゃあまだ橙萌にはたどり着いてないってコト? だったらワタシがこのままアイツを呪ったふりをすれば橙萌が追われることはない……)

「どうでもいいでしょう。負けて呪いを受けたのはワタシなんだから、誰にも迷惑なんてかけてないでしょう? それでワタシをどうするつもりなの? 呪いをまともに信じる人なんていない。法律でワタシを罰することなんてできない」

「おれの存在理由が否定されたよ、ははは! ……舐めるなよ。呪いの矢は2本あったんだ。もう一人は誰だ?」

「それは……どっちもワタシがやったのよ」

「それは嘘だね。お嬢さんからは『果報』を感じても『因応』を感じない。誰かをかばってるね?」

 真夕貴の嘘は亥縫にあっさり見破られた。

「彼女には手を出さないで。お願いよ、お金なら……」

「いや、それはいい。代わりにお嬢さんがおれに協力してくれるなら、とぼけて犯人捜しの時間を稼いでもいいよ。他の仕事が入ったとでも言ってね」

「えっ?」

「おれはね、一族の縛りから抜けて自由になりたいんだよ。そのためにはじじい、鎌波丹午を殺さなくちゃならない。どうだい? 手を組まないか」

 亥縫はケーキでも勧めるように笑った顔のまま真夕貴に言った。


 【シニコク】の呪いを跳ね返したのは【人柱】の呪法という。【人柱】となった動物や人間が避雷針のように呪いを代わりに受けることで、亀津川一族は呪われることはないのだという。

「それじゃアイツを呪うのは無理ってコトじゃない」

「だからおれが手を貸すというのさ。それが鎌波丹午を殺すことにもなる」

 傀儡道士と【人柱】は霊的にリンクしている。そしてタイミングよく【人柱】を殺せれば呪いは術者にはね返り亀津川を直接襲うことになるのだと。

「まあ呪詛返しは誰にでもできることじゃない。秘伝だからね。それには【シニコク】じゃ駄目だ。【人柱】が耐え切れないほどの強い呪いじゃないとね」

「待って。それならワタシも死んじゃうんじゃないの?」

「そこはおれを信用してもらうしかないねえ。だったらお嬢さんが直接じじいを殺してくれてもいい。そのときはおれが代わりに亀津川慎児に呪いをかけてやる。どっちでもいいよ」

 結局真夕貴は亥縫に協力することにした。自分のわがままで父親や組に迷惑はかけられない。

「……それで? 具体的にはどうすればいいの?」

「強い呪いを作るには準備が必要だ。お嬢さんには人の恨みや悪意を集めてもらいたい。蠱毒の呪法だよ。それには【シニコク】の呪いはちょうどいいかもね。まあ詐欺師が騙した金で家を建てるようなもんだよ。ははは」

「分かったわ。……それにしても嫌な例えね」


 多門真夕貴はネットの掲示板を使って【シニコク】の代行屋を始めた。成功報酬をうたったため呪う相手の住所や名前を簡単に知ることができた。実際にはそこから得られる個人情報のほうが重要だった。

 真夕貴は呪いのターゲットにされた人間や周りの人間関係を調べた。そうしてターゲットに「アナタに【シニコク】の呪いをかけた人がいる」と祓い屋のふりをして秘密裏に接触し、身に覚えのある嘘告を白状させた。そしてそれをもとにターゲットに実際に【シニコク】の呪いをかけた。

 成功して呪いにかかったターゲットには【人柱】の呪法を応用したペットを身代わりにする方法を教えた。「呪いが解けたら成功報酬をもらう」と言ったがそれはどうでもよかった。実際にペットが死ぬまで面倒を見れる人間がいるとは真夕貴も思っていない。


 そのあとで真夕貴は掲示板に「アナタの【シニコク】の呪いは成功した。報酬をもらいにいく」と書き込んだ。そうしておいて依頼の書き込みをしたと思われる人物に手紙を出し10万円を請求した。

 手紙が届いたことに恐怖して支払いに応じる依頼者もいたが大抵はとぼけて無視された。しかし真夕貴の目的はその先にある。

 真夕貴は「支払わなければオマエにも不幸が襲ってくる」と依頼者に追い打ちをかけた。そこからは彼女が手を出さなくても依頼者本人が思い込みで勝手に不幸を作りだして自分で自分を追い詰めていく。

 頃合いを見て真夕貴が雇った祓い屋が依頼者に近づいていく。依頼者にありがたい護符を1万円で売る。10万円のかわりに1万円で済むなら安いものだとの心理が働く。そのついでに身の回りにいる恋人同士や親友同士といったカップルの情報を提供させる。「そういう幸せな人にあやかるといい」というと依頼者は簡単に話してくれた。その情報が真夕貴の次の獲物になる。

 真夕貴は城戸琉侍に彼らの情報を集めさせ弱みを握り、悪い噂や時には暴力で彼らの幸せな関係にひびを入れ不安をあおり、二人の関係を試す占いと称して【シニコク】の呪いに引きずりこんだ。


 それも全ては兎川橙萌の平穏のため、亀津川慎児に復讐するためだと多門真夕貴は自分を正当化していた。しかしそのうちに真夕貴自身も幻聴や幻視に悩まされるようになる。耳元で「死ねば?」と囁かれたり、誰かが後ろに立っているのを窓や鏡越しに見るようになる。最初は「人を呪わば穴二つとはよく言ったものね」と自嘲していたものの、幻覚の中に血まみれの兎川橙萌を見るようになるともう耐えられなかった。「真夕貴さま」と囁く声や触れてくる手の感触に突然叫んだり涙を堪えられなくなる。

(ワタシのしていることは橙萌のため……本当に? 橙萌をこうして感じられるのはもうこの世にはいないからじゃないの? それならワタシがこうしている意味は……)


 真夕貴はさらに狂っていく。現実から乖離していく恐怖から自傷行為を繰り返すようになり、それを止めようとする城戸に対しても暴力を振るうようになる。

 その日も真夕貴は橙萌の幻覚を見て洗面所の鏡をたたき割った。鏡の破片を握りしめ手首に当てる真夕貴を鎮めようと城戸がしがみついてくる。

「お嬢、やめてください!」

「アナタに何が分かるのよ! ワタシにさわらないで!」

 男に抱きつかれたことの嫌悪感もあって真夕貴は思わず城戸の顔を切りつけてしまう。うずくまる城戸を見て真夕貴もようやく正気に戻る。

「あ……そんなつもりじゃ……琉侍!」

 真夕貴は血で汚れるのも構わず城戸の傷をタオルで押さえた。

「……いいんです。お嬢の痛みは確かにオレには分からない。それでも一緒に堕ちる覚悟ならとうにできてます」

 そう言って城戸琉侍は多門真夕貴の手の傷を舐めた。

「これが盃がわりです。これでお嬢と俺は親と子だ。許してくれますか?」

 気丈に笑うのを見て、多門真夕貴も頷いて城戸琉侍の血を口に含んだ。

「馬鹿ね。謝るのは私でしょうよ?」


 後に城戸琉侍の背中にも【シニコク】の赤い影が浮かび上がる。それを真夕貴が見つけて城戸に言うと「彫り物よりよっぽどいい」と破顔してみせた。


 二年後に県会議員となっていた亀津川が贈賄で逮捕されるニュースが流れる。そこから様々な罪が表沙汰になり、その温床だった工場も問題視され名前と経営者が変わった。息子の亀津川慎児のことも誰もが手のひらを返して悪し様に言うようになり、いつもの正論も「どの口が言うのか」と嘲りの対象となって一家は街から姿を消した。それが鎌波亥縫の仕業なのか、鎌波丹午を殺して自由になれたのかは結局分からなかった。半年前から亥縫との連絡は途絶えていた。

 復讐が叶っても多門真夕貴の生活はもう元に戻ることはなかった。

 真夕貴の記憶からは亀津川慎児の名前が消えてしまっていた。きっかけを忘れても兎川橙萌ことは忘れずたまに名を呼んで涙する。

 そして人を騙し呪うシステムをやめようとはしなかった。終わったのだと城戸が言ってもその度にパニックを起こし半狂乱になって暴れた。


 父親は真夕貴を地方の大学へ進学させた。学力には問題なかった。そこで静養しながら少しづつ正気を取り戻せればという配慮だ。それがただの厄介払いでもあるいは日常が戻ることが叶わなくても、城戸琉侍は幸せだった。二人でこのままずっと暮らせるなら、何を犠牲にしても誰を生け贄にしようとも構わないと決めた。

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