第三十二告 黎明と呼ぶにはまだ暗く
佐島鷹翔が信岡玄と一緒に向かう道を急いでいるころ、西木千輝は二人の到着を監禁場所のモーテルで待っていた。君成歩三男には「寝たほうがいい」と言われたが起きて佐島鷹翔を待つつもりだった。金谷雷音の始末もついている。
「聖さんっていうのはあいつの何なの? あたしに似てるって言ってたけど」
ベッドの上で壁に背中を預けた格好で西木千輝は君成歩三男に話しかけた。彼は入口のドアの側に椅子を置いて座っている。
「聖さんは兄貴の義理の妹さんです。父親が一緒だと聞いてます。似てる? 俺はそう思いませんが。……ええ、見た感じは特に」
言いながら観察するように見る君成歩三男の視線が胸で止まる。西木千輝は思わず胸元を隠す。
「ちょっと! 気にしてるんだから少しは気を遣いなさいよ!」
「……ああ、そういうところが似てるかもしれません」
「えっ?」
「普段は距離を取っているのに構ってもらえると分かると途端にしっぽを振って甘えてくる感じが。デレの激しいタイプというんでしょうか」
「でっ、デレって何よ! しっぽってそんな、人を犬みたいに!」
「依存体質なんでしょうね。あんたも人との距離の取り方が下手な人種のようだ。どうですか?」
「それは……確かに……」
君成歩三男にそう言われれば西木千輝も反論できない。
「これからも苦労するはずだ。だから忠告です。人に殺されても、殺しても遅いですから」
「何よそれ。急になんなのよ」
「兄貴のいう特別な存在なら、あんたはこれから更に人に頼られ縋られ、果てには聖女だと祭り上げられて生きていくことになる。金儲けに利用しようとする人間も出てくるでしょう。それと反対に妬ましく思う人間、過去の行いを許せないで中傷しようとしたり実際に傷つけようとする人間も出てくるでしょう。間違いなくきっと」
「そんなのあたしが望んだことじゃないわ! なんか怖い……」
「じゃあたとえ話をしましょう。あんたが水を汲んで運んでいるとして、こぼさないためにはどうしたらいいと思います?」
君成歩三男の不意の質問に面食らう西木千輝だったが、答えを促され考えてみる。
「……うーん、ゆっくり運ぶとか?」
「それが狭い山道でできないときは? 他の人が邪魔をしてくるときは?」
「えっ? 後からそんなふうに言われても……」
「先に言ってしまうとこの問答に正解はありません。色々あるでしょう。たとえば汲む水の量を半分にするとか、入れ物を蓋のできるペットボトルに変えるとか、人に手伝ってもらうとか」
「えーっ、なんかずるくない?」
「発想の転換ですよ。それを自分で考えることに意味がある。ああ、ずるい答えというなら『いくらこぼしても気にせず何度でも汲みにいく』というのもあるかもしれません」
「ちょっとそれはどうなのよ! 前提からひっくり返ってるじゃない」
「トライ&エラーですよ。水を人の心情に置き換えればどうです? 心が揺れないように平常心を鍛えるのもお構いなしに突き進むのもどちらもありでしょう。場合によってそれを使い分けるのも」
「……そうね。しかしヤクザのあんたが説法とか何なの? むかしお店に飲みに来てたお坊さんみたい」
「俺も
「ええっ、マジで?」
「まあ……いろいろあったってことです」
「どんなふうに生きてもいい。ひとりで抱え込まないで人を頼ってもいい。でも頼りすぎてもよくない。……難しいわね」
「今すぐ結論を出すこともありません。悟っても迷っても一生、そういうことです」
そう言うと君成歩三男は立ち上がった。2時間おきに他の部屋の様子を見に行くのだ。
「そう言えば他の捕まった子はどうなるの?」
「影持ちならあんたと一緒に保護します。兄貴もそのつもりです」
「保護? それは誰が?」
「詳しくは兄貴が来てからで……ああ、逃げるとは思いませんが一応手錠を」
「分かってるならいいじゃない。何でいまさら……」
「平等に扱えって兄貴に言われてるので。戻ってきたら外しますから」
「そんな平等必要ないわよ、もう!」
西木千輝が手錠でベッドと手をつなぐのを見届けて君成歩三男は部屋を出ていった。
「悟っても迷っても一生か……」
部屋に残されて西木千輝は独りごちた。家族に愛されたい、友だちに見てもらいたいという気持ちで昔は前に出ることばかり考えていた。そして【シニコク】の呪いをうけたとき自分の生き方を否定されたような気がして絶望した。
しかしその後にアルバイトや仕事を通じてそれだけが人に認めてもらう方法ではないと学んだ。閉じた狭い場所で窮屈に生きなくてもいいと知った。そして佐島鷹翔に再会して一緒に暮らすことになり、結ばれて赤い影の呪縛からも解放された。
そう思った矢先にそのせいでヤクザに攫われ、さらに今度は【シニコク】から人を救えと言われる。思えば迷ってばかり、翻弄されてばかりの人生だ。
玄関のドアが開く音がする。しかしそこに人が争う声が重なって聞こえる。
(えっ? 何が起きてるの!)
聞こえても西木千輝は手錠があるため逃げることができない。
そして君成歩三男が引きずられユニットバスに押し込められるのが音で分かる。西木千輝はベッドの上で身を固くするしかない。
「よお、いい格好だな。ほら見てみろよ」
部屋のドアが開くとそこに立っているのは小隅徳久だった。
「へえ、そそるねぇ。こういうのも」
そして小隅徳久に促されて顔を覗かせたのは牛島剣矢だった。
「牛島? なんであんたがここにいるのよ!」
「つれねえな。あんなに貢いでやったのに。まあその貸しを返してもらおうと思ってな」
部屋に入ってくる牛島剣矢から少しでも離れたくて西木千輝は壁に体を寄せる。知らずあらわになる彼女の脚に牛島剣矢は好色な視線を注ぐ。
「聞いたら知り合いだって言うからよ。お客第一号に呼んだんだ。あんたも会いたかっただろ?」
入口に立ったままの小隅徳久がにやにや嗤う。
「冗談じゃないわ、だれがこんな奴! 君成、さんはどうしたのよ。まさか殺したんじゃないわよね」
「そこまでじゃねぇよ。結束バンドで後ろ手に縛って転がしてあるだけだ。オレたちが楽しむ間ぐらいは邪魔されたくねぇからな」
「馬鹿じゃないの? 金谷とかいうやつ捕まったらしいじゃない。あんたもこんなことしてる場合じゃないんじゃないの?」
「……それを知ってるってことはやっぱりシンゲンが金谷を売ったんだな。ふざけやがって! まあいざとなったらあんたを人質に逃げるだけだ。シンゲンのお気に入りのようだからな。
……じゃあオレは先に他の女のところに行くわ。牛島もせいぜい可愛がってやれよ」
そう言って小隅徳久はドアを閉める。後には部屋に牛島剣矢と西木千輝がふたり残された。
西木千輝を視姦しながら牛島剣矢がゆっくりと服を脱いでいく。何とか時間を稼ごうと西木千輝も話しかける。
「……まさかあんたたちが知り合いだったなんてね。類友ってやつかしら」
「小隅さんは族の先輩だ。よくつるんで悪さしたもんだよ」
「その癖が今も抜けないってこと? その年で恥ずかしくない?」
「うるせぇな。面白おかしく暮らせればそれでいいんだよ」
「そんなこと言ってると、あんたもいつかツケを払うことになるわよ」
「うるせぇって言ってんだろ! ……だったら何だよ。そのせいで……ああそうだよ。だからお前に『こいつ』を消してもらいに来たんだよ!」
そう叫んで牛島剣矢が西木千輝に腹を突き出して見せる。
「えっ、それって……まさか?」
牛島剣矢の腹部には三本の赤い影が浮き出ていた。そしてそれはカタカナの「シ」というふうに読めなくもなかった。
「こいつのせいで何もかもうまくいかなくなっちまった。女も抱けやしねえ……聞けば佐島の影をお前が消したらしいじゃねえか。だったらおれのこいつも消してくれよ。なあ、頼むぜ」
そう言いながら牛島剣矢が少しづつ西木千輝に近づいていく。
「嫌に決まってるでしょ! 因果応報ってこういうのを言うのね。いいザマだわ。写メっていい?」
「このクソアマ! 下手に出でりゃいい気になりやがって!」
牛島剣矢が激高して西木千輝に襲いかかるが蹴飛ばされて床に転がる。それを二度三度繰り返すうちについに牛島剣矢がその脚を抱え込む。
「足癖の悪い女って聞いてたけど想像以上だったな。パンツ丸出しにしてよ。でもこれで捕まえたぜ。もうどうしようもねえだろ」
「ふざけんな! あっちいけってば!」
「あんとき素直におれのモノになっときゃこんな目にあわずに済んだのによ。おれも久々だ。一緒に楽しもうぜ」
「嫌っ! やめてーっ!」
「クズが何やってんだコラ?」
勝ち誇ったように嗤う牛島剣矢の顔が突然横にぶれる。吹っ飛んだその後ろに蹴りを放った君成歩三男の姿があった。
床に這いつくばる牛島剣矢の首を脚で挟んで絞め上げる。牛島剣矢が床を叩いて降参の意思表示をしても君成歩三男は技を解かなかった。
「おま、え、な……んで……」
「あのくらいなら簡単に抜けられる。次は足も縛るといい。次があればな」
一度息を吐いたあと牛島剣矢は失神した。トランクスごしに床に小便の染みが広がる。
「すいません、油断しました。ああ、ポケットに鍵がありますから自分で外してもらっていいですか」
君成歩三男が立ち上がって西木千輝にズボンを顎で示す。手がだらんと下がっている。後ろ手から前手の状態になっているが結束バンドはかけられたままだ。
「大丈夫なの、それ?」
「肩の関節を外して足を抜いたんです。癖になるからあまりやりたくないんですが」
「それも寺で教わったの?」
「まさか。軍隊仕込みです」
「え、軍隊? マジでなんなのあんた?」
「まあ……いろいろあったってことです」
それから30分ほどして、モーテルに信岡玄と佐島鷹翔が到着した。
佐島鷹翔が姿を見せると西木千輝がその胸に飛び込んでいく。
「おい、何か言ってやった方がいいんじゃないか?」
「あ、えーと……似合ってるぞ」
「え? ああもう何よ、馬鹿! 見るなっ!」
佐島鷹翔の言葉に赤くなる西木千輝を見て信岡玄がくくっと笑う。
西木千輝が私服に着替えて建物の外に出ると、向かいの建物から怒声がして銃声がそれに続く。隣にいる佐島鷹翔と視線を交わして建物に急ぐと、中には足を撃たれて床で悶え苦しむ小隅徳久がいた。その横には手足をロープでベッドに固定された裸の女がいる。
目隠しをされ大の字になった彼女は荒い息で胸を上下させている。彼女の口元にも赤い影がありそれが理由でここに連れてこられたということが分かる。
ベッドの側にはローソクや鞭などのSMグッズが散乱していた。他にもアイスピックやナイフなどの刃物もある。見れば彼女の手足にはそうしたものでつけられたいくつかの傷がある。西木千輝は小隅徳久が女の扱いが乱暴だと言われていたことを思い出す。
(でもこれはそういうレベルじゃないでしょ。もしあたしが代わりにこんな目に遭ってたら……うわぁ)
「すみませんがお二人に彼女の介抱を頼みます。俺と兄貴は他を見てくるので」
そう言って君成歩三男と信岡玄が小隅徳久を引きずって部屋を出る。
「とりあえずロープを切って、か。なあ千輝、後はどうすりゃいいんだ?」
「服を着せて……その前にお風呂かしら? ちょっと鷹翔! 先に毛布で隠してあげなさいよ! 役得だからって、そんなに巨乳が気になるわけ? 何よ、チラチラ見て」
「見てねーよ! 気にしてんのはお前のほうだろ!」
佐島鷹翔をからかいながら西木千輝はお湯を張りに浴室に行く。佐島鷹翔はナイフを手に取ろうとしゃがみこむ。
「っと、その前に毛布か。千輝のやつも気にしすぎなんだよ、ったく」
それを聞きながら女は二人の名前を心の中で反芻している。
(……たかと……佐島鷹翔? ……ちか……西木千輝……)
西木千輝が浴室から戻ったとき、女は毛布を頭からかぶって部屋の隅で体を丸めていた。
「お風呂用意できたわよ。ええと、あなた大丈夫? 歩ける?」
そう女に声をかけると女はかすかに頷いて動く素振りを見せた。
「鷹翔はあの人たちの様子見てきてよ。ついでにこの後のこととか聞いといて」
「お、おう! じゃあ後は頼んだぞ」
所在なげに立っている佐島鷹翔に声をかけると西木千輝はまた部屋を出ていく。
部屋に残された女はのろのろと歩き出す。その足に床に散らばったものがつい当たる。除けようとしてふと女は足を止めた。そのとき女の目に強い感情が宿ったように見えた。
「……千輝……西木、千輝……」
洗面所のドアが開いた音に気がついて西木千輝が振り返ると女が毛布にくるまったまま立っていた。無言で中に入ってくる。その表情は隠れたまま見えなかった。
「傷に沁みるかもしれないけど、ちゃんと洗っておかないとね。あたしは部屋にいるから」
言いながら西木千輝は女の横を通り抜けようとする。その首に女がロープを巻きつけてくる!
西木千輝は抵抗するも女に引きずられてバスタブに服のまま放り込まれる。息をしようとしてお湯が口に入ってむせる。とっさに女の腕をつかんで立ち上がろうとするが足を滑らせてまたお湯に沈んでしまう。
「がはっ! あんた何を! た、助け……」
体を反転させてようやくバスタブのへりを掴んで立ち上がるが、そこへ女が後ろから抱きついてくる。そしてその手には隠し持っていたナイフが握られていた。
「お前のせいだ! お前のせいでアタシまでこんな……死ねよ! 死んでアタシに詫びろよ!」
そう叫びながら女はより深くナイフを突き入れてくる。それでも西木千輝が何とか女を突き放す。壁に寄りかかりながら床に崩れ落ちる。
そこに女が再びナイフを構えて襲ってくる。払いのけようとする西木千輝の手をくぐって女は彼女の腹を何度も刺してくる。その度に西木千輝の絶叫が浴室に響く。
「千輝! おい千輝! お前何やってんだ! 何でこんなことを!」
駆けつけた佐島鷹翔の呼びかけにも西木千輝は応えず荒い呼吸を繰り返しているだけだった。君成歩三男に引き剥がされると女は狂ったように笑い出した。
「ア~ハハハ! 千輝ち~のくせにナマイキなんだよ! 自分だけ幸せそうな顔しやがってさぁ! ざまあみろ! そのまま死んじまえよ、ば~かば~か!」
荒れた生活ですっかり老け込んではいたがそれは確かに荻野海渚だった。
西木千輝は救急車で病院に運ばれどうにか一命を取り留めた。信岡玄からの連絡で病院に後藤柚姫が駆けつけた。佐島鷹翔が彼女に会うのは5年ぶりだった。
2人が完全優性種であることが伝わり、西木千輝と佐島鷹翔の身柄は即刻『黎明の灯火』の保護下に置かれた。手術後の西木千輝の容態が予断を許さなかったこともある。
同時に完全優性種の
しかしそれを喜んだのもつかの間、容態が悪化し西木千輝は再び入院を強いられることになる。
西木千輝の容態は一進一退を繰り返し回復の兆しが見えなかった。
手を尽くす一方で同時に後藤柚姫は彼女の代役を探しはじめた。完全優性種が望ましいのはその通りだが
はじめに後藤柚姫は荻野海渚に不起訴を持ちかけそれを取引材料にした。しかし荻野海渚には人を救う信念などなく、儀式のたびに体に赤い影が増えていくことに耐えられず精神を病んだ。
ある日西木千輝は病室に後藤柚姫を呼んだ。佐島鷹翔の隣に彼女が立ったのを見て、西木千輝は2人に滝村涼香の名前を告げた。
「今の柚姫なら『黎明』に頼んで涼香を探せるでしょ?」
「ええ、できると思うけど……」
「涼香なら引き受けてくれそうな気がするんだよね。『何よもう、本当にしょうがないわね』なんて言ってさ、あはは」
「お前はいいのかよ? それに何で今さら……」
「今、だからかな。人を恨んだまま死にたくないから」
「おい!」
「何バカなこと言ってるの!」
「ごめん、でも本当に分かっちゃうもんなんだね、こういうの……それに涼香も、もう十分苦しんだと思う。だからもし涼香が引き受けてくれなくても、そのときは【シニコク】の呪いを解いてあげて。お願い」
そう言って話を終わらせるように西木千輝は目を閉じた。
……その数日後、西木千輝は静かに息を引き取った。
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