第三十一告  黎明の灯火

 その日は土曜日だったが、佐島鷹翔が電話をすると日野友康は会社に出勤していた。事情を話すと「そっちが優先に決まってるだろ! 警察にもこっちから電話しておくから」と言ってくれた。

 警察の件は月曜日まで待ってもらうことにした。大ごとにしたくないというのもあったが、西木千輝の親に居場所が知られるのが嫌だったせいもある。日野友康に礼を言って電話を切った。

(言ってはみたものの、か……ああ部屋も少し片付けなきゃな)

 そんなことを考えながら佐島鷹翔はのろのろと動き出す。まずは自分の頭を整理する必要がある。闇雲に街へ飛び出しても西木千輝を探す当てはない。小隅徳久を自力で見つけるのも同様に難しいだろう。

(俺は……今度もまた好きな女をみすみす失ってしまうのか?)

 自分の迂闊さと無力さに思わず叫び出したくなる。そんな衝動を堪えて佐島鷹翔は黙々と手を動かした。


 床に散らばったコーヒー豆をすくって袋に戻す。豆から挽くのは西木千輝の昔からのこだわりだった。

 そのときふと佐島鷹翔の頭にコーヒーショップのマスターの顔が浮かんだ。名刺はお守り代わりにサイフに入れていた。「何かあったら頼ってくれていい」と言ってくれた言葉にすがってみようと思った。

 場所柄のせいかマスターは多種多様な人たちと交流があったことを思い出したからだ。


 その日の午後に佐島鷹翔はコーヒーショップ『紫の煙』を訪ねていた。事前に電話したとき店のマスターは名前を覚えていてくれた。

 店に着くとマスターは改めて寒月水典義かがみのりよしと名乗り、佐島鷹翔を奥の個室に連れて行った。そこで寒月水典義が女性の恋を占ってあげたり明らかに占いが目的ではない男性と密談したりしていることは佐島鷹翔も見て知っていた。

「すみません、マスター。他に頼れる人もいなくて」

「いいんだよ。あの名刺にはそういう魔法がかけてある」

「えっ、魔法?」

 意味深な笑いを浮かべて寒月水典義は空のパイプを手の中で弄んだ。吸うのを止めても手放せないのだ。

「それは置いておくとして、今は千輝ちゃんのことだ」

「はい……ちくしょう、俺があいつらに気を許したせいで」

「それを言っても始まらないよ。状況を詳しく教えてくれるかな」


 質問を挟みながら寒名切典義は佐島鷹翔から聞き取りをした。

「それで、君の顔の影が消えたのはやはり千輝ちゃんのおかげなのかい?」

「ええ。消えたといっても実際はお互いの影を交換して違う場所に移っただけなんですけど」

「うん。だけどそういう話はぼくもこれまで聞いたことがない。そもそも所持者ホルダーの男女が一緒に暮らすことがまれだからね。ああ、【シニコク】の被害者のことをぼくらの間ではそう呼んでいるんだけどね」

 確かに嘘告をしたという過去は隠したいと思うのが普通だろう。それが顔や手など隠せない場所ならばなおのこと、人目を避けて家に引きこもるかあるいは開き直って一匹狼のワルを気取って生きることを選ぶかもしれない。

 そして同情から愛が生まれ惹かれあって恋人になった男女がいたとしても、やがてお互いの過去に疑心暗鬼になりその時間は長くは続かないということも想像に難くない。

「あのマスター、さっき所持者ホルダーって言いましたけど……」 

「うん。実は【シニコク】の情報を集めている人たちがいるんだ。ぼくも依頼されて動いている。勝手をして悪かったけど君たちのことも伝えてある。なんなら会ってみるかい?」

「えっ、そんな急に言われても……怖いな。だけどその人たちは何のために?」

「ごめんごめん、警戒させてしまったね。だけど決して悪用するためじゃないってことは信じてほしい。その団体『黎明の灯火ともしび』は全国にネットワークも持ってる。それこそ政治家やヤクザにもね。だから君は安心してここで吉報を待っていればいい」

 そう言って寒月水典義は空のパイプを咥えて煙を吐く真似をして笑った。佐島鷹翔はその笑顔にかつて何度も励まされたことを思い出した。


 そして後日、『黎明の灯火』と接触した佐島鷹翔は後藤柚姫と再会することになる。


 日曜日の夜になって佐島鷹翔に電話がかかってきた。相手は信岡玄だった。

「いろいろ悪かったな。西木千輝は無事だから安心していい。これからあんたを迎えに行く」

 佐島鷹翔がまくしたてるのを無視して信岡玄は一方的に話して電話を切った。

(……だけどこんなに早く? これも『黎明』の力なのか?)

 あのあと寒月水典義は何箇所かに電話をかけていた。したことといえばそれだけだったが佐島鷹翔の視線に寒月水典義はその考えを肯定するように頷いた。

「千輝ちゃんを迎えにいくんだろう? 今のうちに何か食べておいたほうがいい。サンドイッチでいいかな」


 店にやってきた信岡玄は最初に寒月水典義に頭を下げ「お初にお目に掛かります、相談役」と挨拶した。それを聞いて佐島鷹翔にも緊張が走る。

「ぼくは引退したんだからそういうのは無しでいいよ。それで組の件はカタがついたのかい?」

「はい。あとは若……藤谷さんがうまくやってくれるはずです。下のチンピラはまだですがそれもいずれ」

「そうか。千輝ちゃんは無事なんだろうね?」

「大丈夫です。今も一人ガードをつけてありますし。佐島……さんにも迷惑をかけたな」

 そこで信岡玄がようやく佐島鷹翔に意識を向ける。

「……本当に無事なんだろうな」

「ああ。何なら写真を見るか? 出がけに撮ったものだ」

 そう言って信岡玄が自分のスマホを見せる。画像にはふくれっ面でピースする西木千輝が写っていた。

「元気そうなのは分かったけど……何で巫女のコスプレしてんだよ!」

「くくっ、気に入ったか? なんならその服は進呈するよ。家でも着せたらいい」

「笑えねえよ!」


 佐島鷹翔は信岡玄と一緒の車で西木千輝のいるモーテルに向かっていた。前に乗せられたステップワゴンだった。

「今更どうでもいいことだが一応謝っておくか」

「何を……ですか」

「俺は高校球児じゃない。当時はバットじゃなく竹刀を振ってたよ」

「本当にどうでもいいですね」

 信岡玄は運転席でくっくっと笑った。歳も佐島鷹翔より2つ上だと分かった。


 車の中で佐島鷹翔は信岡玄に事件のあらましを聞かされた。

 小隅徳久の話をヒントに金谷雷音が呪いを解く御利益があるとうたったコスプレ風俗を裏の商売でやろうとしていたこと。そのために西木千輝を攫い他にも影持ちの女を集めていること。そしてそれをよく思わない別のヤクザの命令で信岡玄が金谷雷音を潰すために動いていたこと等々。


「じゃあ千輝はそのために攫われたのか……あの時俺が喋ったせいで」

「そこはもういいだろう。あいつが完全優性種だと分かった以上はそんな真似はさせないからな」

「完全優性種? 何ですか、それ?」

「他の保持者ホルダー受動者キャリアの赤い影を消すことができる上位の存在だよ。俺がヤクザをやっているのはそいつを探すためでもある。それに俺の予想ではあんたも多分完全優性種に変わっているはずだ」

「えっ、俺もなんですか? どうして?」

 信岡玄の言葉に佐島鷹翔が驚いて隣を見る。

「優性の因子を持った者同士が性交したことで、因子が混ざり合って更に上位の存在に変質したからだと俺は推察している。メンデルの法則とか習ったことあるだろ?」

「いえ、野球漬けだったから授業中は寝てました。すみません」

「しょうがねえな。血液型と遺伝の話は?」

「それならなんとなくは……」

「じゃあそれでいいよ。呪いはそれに近い性質を持ってるらしい。血や体液を媒介にして……ああ悪い。やっぱり止めとこう。とにかく二人は他の【シニコク】の呪いを消すことができる救世主的存在ってことになるわけだ」


 佐島鷹翔は今日まで信岡玄のような人間がいるとは思わなかった。自分がしてしまったことを考えれば、起こったことは罰として受け入れるべきと諦めていた。

 実際に西木千輝と赤い影の位置が入れ替わったときも、それをこぶとりじいさんの昔話のような奇跡、気紛れな神様の仕業なのだろうと思ってそこで思考が止まっていた。

 それなのに信岡玄や『黎明の灯火』は【シニコク】の呪いを科学的アプローチで解決しようとしている。病気の治療法のように奇跡を再現し確立させようとしているのだ。

「そんなことが俺や千輝にできるなんて言われても……急には信じられませんよ」

「俺も見るまでは半信半疑だったがな。悪いが彼女で試させてもらった。俺の影は確かに消えたよ」

「信岡さんも呪われていたんですか? でも本当に呪いに苦しんでる人を救う方法を発見したら、それこそノーベル賞ものじゃないですか!」

「そんな大それたことを考えてるわけじゃない。俺のはただの私利私欲だ。その御利益で妹の、聖の影を消してほしいだけなんだよ」


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