第三十告  信岡 玄

 君成歩三男が買い物に出かけると、部屋は信岡玄と西木千輝の二人だけになった。

「喋れるようにしてやるが大声を出すなよ? まあ防音対策はしているだろうがな」

 信岡玄は抑揚のない声でそう言うと西木千輝の猿ぐつわを解いた。 

「……ありがとう。ついでに手も自由にしてほしいんだけど」

「それは俺の質問と実験の結果次第だな」

「実験って……ローソクとか浣腸とか勘弁してほしいんだけど」

「俺は変態じゃない。ああ、お前はそういうのを期待してたのか?」

「し、してないわよ!」

 真っ赤になって言い返す西木千輝に信岡玄が「やっぱりひじりに似ているな」と呟いて目をほそめた。


 信岡玄は西木千輝にいくつかの質問をした。シニコクの呪いを受けた状況や赤い影が移動した経緯についてだった。佐島鷹翔とのことを聞かれるのは恥ずかしかったが「セックスの体験談に興味があるわけじゃない」と信岡玄に無表情で言われたせいでイメクラの医者と患者プレイと割り切ることにした。

「シニコクの保持者ホルダーの変成サンプル、ようやく巡り会えたな。性交を経て呪いがヘテロ優性からホモ優性に……いや元々そうだったのか……あとはMF個体、完全優性の検証だが……」

 そんなことをひとり言ちながら信岡玄はベッド脇のテーブルにメスや小皿、消毒用アルコールなどを並べていく。

 そうしておいて信岡玄はおもむろにシャツのボタンを外して胸元を広げた。そこにはシニコクの赤い影があった。

「……あんたも呪われてたんだ」

「俺は受動者キャリアだ。この実験が成功すれば、俺の影はお前に移動するがお前の影は俺に移動しない。それでお前が完全優性と証明できれば俺がここから連れ出してやる。それは約束する」

 信岡玄が自分の肩にメスで薄く傷をつけ、小皿に血を受ける。次に西木千輝からも同じように傷をつけて血を採る。信岡玄が「手足以外で赤い影が移ってもいい場所」というので左肩の付け根にした。

 その後両方の血と日本酒を混ぜ合わせたものを媒体としてお互いが飲んだ。

「呪文とかはいらないの?」

「そういうのは付け足しだ。ああ、愛していると囁いて抱きあえばよかったか?」

「だ誰があんたと! 頼まれても嫌よ!」

 信岡玄がからかうと西木千輝が心底嫌そうな顔をする。それを見てくっくっと笑う彼からまた「聖……」という名前が聞こえた。

「あとは明日の朝になれば結果が分かるだろう。ちょうど14日だし何日も待たなくていい」

 ……そして信岡玄のいう実験は成功した。


 君成歩三男が戻って買ってきたコンビニ弁当を並べる。西木千輝も拘束を解かれた。


「食事の前に着替えるか。さすがに目の毒だ。新しいのは買って来させるからとりあえずこれでも着てろ」

 段ボール箱から信岡玄が出してきたのは巫女のコスプレ衣装だった。

「着付けとかしたことあるか? 手伝ってやろうか」

「いいってば! 浴衣ぐらいは着たことあるし」

「袴は無理だろ? ああ、俺じゃなくトキンにやらせるから」

 君成歩三男に手伝ってもらって衣装を着る。朱袴に足を通して前紐を結んでもらっている時に体が密着する。

「えっ、あのこれ……」

「そんなに緊張しなくていい。トキンは女が嫌いだからな」

「えっ……そういう人なの?」

「勘違いは困ります。それと兄貴、普段は名前で呼んでください」

「何かの拍子にあいつらにバレたらまずいだろ? ついでに言っておくと歩三男は性的虐待の仕返しに姉とその友達を殺しちまったんだよ」

「ええ。今でも胸の大きい女を見ると首を絞めたくなるくらいですよ」

「えっ、そんな!」

 後ろに立つ君成歩三男の言葉に西木千輝が思わず振り返る。

「まあ……あんたは大丈夫そうです。安心してください」

「それ、言われても何だかちっともうれしくないんだけど!」

 それを聞いて信岡玄がまたくっくっと笑った。


 翌朝丁寧な口調で話していた信岡玄が電話を終えたあと、西木千輝に状況を説明する。

「お前が特別だと分かった以上身の安全は保証する。上のバックアップも取り付けた。ただ今はあいつらの商売を押さえて関係者と客のリストを手に入れるのが先だ。もう少し協力してほしい」

「じゃあせめて鷹翔に電話させてよ。警察に行ったりしたらあんたも困るんじゃないの?」

「それも我慢してくれ。もしあいつらに気づかれると俺への疑いが強まる。最悪逃げられる。せめてリストを押さえるまでの間だけでも……」


 信岡玄は本家筋からの助っ人なのだが、その実は金谷雷音の商売を潰してこいと言われていた。しかしそれに気づいた金谷雷音は信岡玄を信用していなかった。

 そこで別ルートで君成歩三男が小隅徳久に近づき「金谷さんや小隅さんみたいに成り上がりたいんです。オレのことはトキンって呼んでください」と小芝居をうって潜り込んだ。

「リストのコピーは今トッキューが持ってるが、今日ぐらいにはどうせ電話掛けに飽きてしまってトキンに丸投げするだろう。もしかするとパソコンのある事務所の鍵も渡してくれるかもな。金谷に気づかれるまでが勝負だ。データを回収したら金谷を捕まえて本家に連れて行く」

「殺す、ってこと?」

「それはまだ分からない。幹部の胸先三寸だな。バラして売られるか、あるいは一生飯場暮らしかもな」

 それを聞いて西木千輝が思わず身震いする。

「実は組の幹部の娘も【シニコク】に呪われてるんだよ。他にも何人かそういうのを知っている。金谷の件はそのせいもあるかもな。まあ結局は暴力で解決できないから八つ当たりなんだがな」

「それをあたしに言っていいの? まさか組に囲われて飼い殺しなんて嫌よ」

「そんな話にはならない。そのためにさっき電話をしたんだよ。ついでに言うと【シニコク】の件は組よりもっと上の話になってる。国の偉いさんが水面下で動いてるって噂もある」


 呪いに上下貴賎の隔たりや老若男女の差別はない。ある意味平等だ。金や権力や暴力に自分の命ひとつで抗うことができる。有効な方法は呪われないこと人に恨みを買わないことしかないが、そんな生き方は誰もできない。

 相手を突き止めても発動した呪いは止められない。途中で止めればむしろ余計なしっぺ返しを食らう。そして西木千輝の存在が【シニコク】の特効薬になるなら、もう個人レベルの話では無くなっている。


「国が表だって呪いの存在を発表するなんてことはまずないだろうが、お前にはVIP待遇の生活が待っているだろうな。セキュリティ万全のマンション住まいで何人かのSPがついて……」

「そういうのが飼い殺しでしょう? 組か国かの違いだけで」

「いいじゃねえか、上げ膳据え膳の暮らしだぜ?」

「勘弁してよ、そんなの3日で飽きるわよ」


 そして信岡玄が予想したとおり、小隅徳久は君成歩三男を呼び出した。




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