第二十七告 祓い流し
滝村涼香が次に目を覚ましたのは別の場所だった。ビジネスホテルを思わせるコンパクトな作りの部屋だ。服はそのままで荷物も側にある。
枕元の時計を見ると1時30分を過ぎたところだった。外の景色から深夜だと分かる。日をまたいで4日になっていた。
ベッドに座ったまま滝村涼香は眠ってしまう前のことを少しづつ思い出す。
(たぶんお茶に睡眠薬が入っていたのね。でもどうしてこんな監禁まがいのことを? まさか……でも)
一瞬頭に復讐という言葉がよぎる。しかし後藤柚姫にそこまでの感情があるようには思えなかった。ならば別の人間が裏にいるということだろうか。
この件には浅里誠一が絡んでいる。それは滝村隆三も知っているということなのだろうか?
そして最後に後藤柚姫が言った西木千輝が死んだという話、自分の知らない7年のうちに何が起きていたのか……。滝村涼香は止めどない思考を繰り返すが答えは出ない。
ドアがノックされ後藤柚姫が部屋に入ってくる。彼女は開口一番に滝村涼香に詫びた。
「こんな真似をしてごめんなさいね。あなたがどういう行動に出るか読めなかったから。……それで改めて涼香にお願いがあるの。私の今の仕事を手伝ってほしいのよ」
「説明するより見てもらったほうが早いわね。もうすぐ【祓い流し】の儀式が始まるわ」
そう言って後藤柚姫は滝村涼香を連れて部屋を出た。さっきの部屋は【祓い流し】を受ける依頼者が身を清めるための部屋だという。
廊下を進みエレベーターを降りて地階へ向かう。後藤柚姫に促され突き当たりの部屋に入るとそこはモニタールームだった。大型のモニターには道場のような板張りの部屋が映し出されている。
部屋の中央には小ぶりな文机と敷物が用意されている。
その後から白木の三方を持って同じように白装束の女性スタッフが現れる。
「ではこれより【祓い流し】の儀式を執り行います」
スタッフの声に合わせ佐島鷹翔と依頼者の女性が静かに一礼して儀式が始まった。「彼女は元アイドルの犬童華名子よ。もちろん本名じゃないわ。今度結婚するのにどうしてもって芸能事務所を通じて依頼があったの。彼女を呪ったのはクビにした元マネージャーの男みたいね。そいつも今はヤクザに捕まってきつい肉体労働をさせられているはずだけれど」
後藤柚姫に言われれて見れば、彼女は確かにテレビで見た顔だった。犬童華名子は盗撮を繰り返しプライベートでも関係を迫ったその男に逆恨みで呪いをかけられたのだという。
同時に滝村涼香は後藤柚姫の築いたコネクションの一端を垣間見た気がした。そこに滝村隆三も関わっているのだろう。
「こちらの依り代にお名前と生年月日をお書き下さい。済みましたらお名前の下に血印を押して頂きます」
スタッフが用意した人型の紙に犬童華名子が名前を書き入れる。病院で見る採血用の穿刺器具が用意され指先に傷をつけ、彼女は言われたようにその血で印をつけた。彼女の指をスタッフがアルコールで拭いたあと依り代を奉書に包む。
次にスタッフは佐島鷹翔の前に別の依り代を用意した。それを合図に佐島鷹翔がおもむろに片肌を脱ぐ。
「えっ? あの傷は……」
そこに見える無数の傷に滝村涼香は思わず息を呑む。その傷はやはり赤黒く、ぬめって蠢く蛭を想像させた。
スタッフが医療用のメスで佐島鷹翔の肩に薄く傷をつける。そこから出る血を依り代に吸わせたあと傷を消毒して止血する。佐島鷹翔が服を戻し袷せを整える。
「彼女は医療行為ができる資格を持っているから大丈夫よ。まあ合法かどうかなんて今更の話だけど」
後藤柚姫の説明に滝村涼香も病院が隠れ蓑だと言ったことを思い出す。
佐島鷹翔の依り代もスタッフが奉書で包み二つを重ねてこよりで縛る。それを古い朱塗りの盆に乗せ二人の前に据える。
部屋にある壁の時計を確認してスタッフが声を掛ける。
「時間となりますので依り代に手を添えて下さい。【祓い流し】の言葉を唱えている間は手を離さないことをお守りください」
犬童華名子と佐島鷹翔が依り代に手を触れる。一呼吸おいて佐島鷹翔が呪文を唱えはじめる。
「わくらばのつきせぬみよのさだめならせめてわがみのそわんとぞおもう。【シニコク】流し言葉を流す(犬童華名子本名)の影わが身に移れ、【シニコク】逸らし邪心を逸らす怨み晴れねばわが身を焦がせ。【シニコク】流し言葉を流す……」
「儀式として体裁を作ってはいるけれど、本質はシンプルなの。お互いが合意の上で一組の男女が同じ部屋で同じ時間、4日の2時59分をまたぎ越すこと。難しくないでしょ」
後藤柚姫の言葉に部屋の時計を見ると、現在は3時を少し回ったところだった。滝村涼香がモニターに視線を戻すと犬童華名子が深く頭を下げて嗚咽を漏らしていた。
「これで……これでもう……ありがとう、ございました……」
儀式を終えて気が緩んだのだろう。スタッフが犬童華名子に優しく声をかけ一緒に画面から消えていく。
佐島鷹翔が依り代を懐にしまいカメラに向き直って一礼する。カメラは神棚の上につけてあるのだと後藤柚姫が言った。
「終わったぜ、柚姫。涼香もそこにいるんだな?」
直って正座した佐島鷹翔がこちらに呼びかける。突然名前を呼ばれて滝村涼香に緊張が走る。答えに迷っていると後藤柚姫にこちらからは応答はできないと言われた。
「見ていたか? 俺たちが今やっているのはこういうことだ。人助けと言えば聞こえはいいがきれい事をいうつもりはない。金を取る以上はビジネスだし、面倒やしがらみもあるからな。
……許してやるよ。昔のことを言っても今更だし、千輝とも約束したからな。まあ、時間はかかるだろうけどな……。
また一緒にやっていければとは思うが強制はしない。自分で決めていい。返事はすぐでなくていい。……それじゃあな」
そう言って佐島鷹翔も立ち上がって画面から消えていった。手伝いを連れて戻って来たスタッフが片付けを始める。
「もう少し日本にいるんでしょう? 鷹翔も言ったけど答えは急がなくていいわ」
移動した私室で後藤柚姫は改めてそう言った。
飲めるんでしょう? とウイスキーを注いだゴブレットグラスを滝村涼香に勧めてくる。その慣れた手つきに普段から飲んでいることが分かる。優等生だった昔の彼女を思うと考えられない光景だった。
「大丈夫よ。もう薬なんて入れないわ。何なら毒味する?」
「ううん、そうじゃないわ。真面目だった柚姫がお酒を飲むところが想像できなかっただけ」
「よしてよ。何だか恥ずかしくなるじゃない」
二人は乾杯の仕草をしてグラスを口に運んだ。
「仕事の話だけど……受けてもいいと思っているわ。私ができることならばだけど」
ソファーで向かい合って少し談笑を交わしたあと、滝村涼香は後藤柚姫の目を見て率直な言葉で言った。
滝村涼香にためらうところはなかった。彼女自身もこういう機会を探していたのだ。ボランティア活動を続けていたのも何かで罪滅ぼしができればと思う気持ちもあったのだ。
「それは……願ってもないことだけど。でも本当にいいの?」
「ええ。でももう少し説明はしてほしいわ」
「当然よ! でも改めて御礼を言わせてちょうだい。……決心してくれてありがとう」
そう言って後藤柚姫は滝村涼香の手を包み込むように握った。彼女の手の少し冷たい感触は滝村涼香に昔を懐かしく思い出させた。
「……【シニコク】の呪いを完全に消すことはできなかったの。実際に整形の技術では無理だと分かっていたしね。映り込んだ影なんだもの。
……だけど他の人が身代わりに呪いを背負ってあげることはできるのよ。それがあの儀式というわけ。
自分の身体に傷つけることでそこに狙って影を移すこともできるわ。だから鷹翔の顔もきれいなままでしょう? 鷹翔の元々の影を消してあげたのは千輝なのよ。千輝が鷹翔の分を背負ったの。
……ええ、そうよ。【祓い流し】の儀式はそれがもとになっているわ。でもそのせいで千輝は……」
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