第二十二告  生駒優

 そのあと暮林夏凛からは何も接触もないまま数日が過ぎた。後藤柚姫は西木千輝と登下校時にLINEで連絡をとることにした。少し過保護な気もするが嫌ではない。時間が合えば外で一緒に食事をした。あの日行けなかったファミレスにも足を運んだ。

 一週間ほどして後藤柚姫は不意に人の視線を感じることが多くなった。はじめは学校の中だけだったが、それは家の本屋を手伝っているときやコンビニで買い物をしているときにも感じるようになった。そしてある日事件は起こる。


 その日も後藤柚姫は図書室で勉強をしていた。途中トイレに立って個室に入ったとき突然上から水をかけられた。急いで外に出るが犯人は逃げたあとだった。さすがにこれは冗談では済まされない。しかし職員室に言いに行くにしても着替えるほうが先だと後藤柚姫は更衣室に向かった。

 更衣室には同じクラスの生駒優いこますぐれがいた。後輩の指導に部活に出ていたのだろう。彼女にも陸上でスポーツ推薦の話が来ていた。

「後藤、どうしたのそれ? 大丈夫?」

「トイレで水をかけられたの。ああでも着替えがあるから大丈夫よ」

 生駒優に返事をしながら後藤柚姫はロッカーからバッグを取り出す。

「これ、使っていいよ。まだ使ってないから」

 そう言って生駒優はスポーツタオルを差し出す。

「ありがとう。使わせてもらうわ」

 受け取って後藤柚姫は頭や体を拭き始めた。ブラウスを脱いでロッカーの扉にかける。

「下着までびしょびしょ。脱いだほうがいいよ?」

 言いながら生駒優はブラジャーを脱がそうとする。

「えっ、ちょっと……何するの!」

 抵抗する後藤柚姫に生駒優が後ろから抱きついてくる。

「後藤、ごめん。こんな事したくない。だけど夏凛様には逆らえない」

 生駒優の口から漏れた暮林夏凛の名前に、後藤柚姫は事件の裏に彼女がいることを知る。


 生駒優は我が道を行くタイプで騒動にも無関心だった。特に親しい訳でもなかったが無視されることもなく、クラスの連絡事項などは聞けば教えてくれる。そのせいで後藤柚姫も警戒が薄れた。

 ロッカーの後ろから様子を見ていた荻野海渚が姿を見せる。トイレで水をかけたのも彼女だと後藤柚姫は察した。手にスマホを持っている。赤い影の証拠写真を撮るつもりなのだろう。

「そのままおとなしくしててよ後藤っち~。優レンは中学で柔道やってたから抵抗しても無駄だかんね~」

「お願いだから、これ以上私にやらせないで。すぐ……すぐ済むから」

「……分かったわ」

 生駒優の言葉に後藤柚姫は脱力して体を沈ませる。しかし次の瞬間、気が緩んだ生駒優の鼻を目がけて後藤柚姫は後頭部を打ちつけた。拘束が緩んだところを足をかけて倒し、そのまま背後を取って首を極める。付け焼き刃ではない実戦の動きだった。荻野海渚はそれを見てひっ、と声を詰まらせ逃げ出した。


「どうして優までこんなことをしてるの。あなただけは違うと思ったのに」

 生駒優は口で荒い息を繰り返すが、後藤柚姫は首に巻いた腕を解かない。

「……仕方が……なかった。お父さんが……会社で世話になっているから……」

 生駒優の父親は暮林建設の現場監督だという。何度か転職を重ねて今の職に就いた。それを知った暮林夏凛に目をつけられグループに入るよう強要されることになる。折原美等が表のボディガードなら生駒優は裏の存在で、暮林夏凛の命令で人の邪魔をしたり敵対したグループにケガをさせたこともある。

「だけど……もうどうでもいい。後藤に負けて、吹っ切れた」

 生駒優は後藤柚姫の足をタップする。それを合図に後藤柚姫は腕をほどいた。タオルを渡し、生駒優がそれで顔を拭う。

「でも、気をつけて。夏凛、は後藤に妙に執着している。きっと他にも、何かやっている」

 後藤柚姫にそう言い残して生駒優は扉に向かった。

「優、何をするつもり?」

「心配しなくていい。けじめをつけたいだけだ。もう……中途半端はやめる」


 生駒優は退学したその足で女子プロレスの団体「G−HEAVENS」の門を叩く。三年後デビューを果たし、主力の一翼を担う実力派に成長する。

 また後年遅れて入門した折原美等とタッグを組み、トーナメントで「アイアンメイデンズ」としてベルトを巻く。

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