第二十一告  天人講(急)

 後藤柚姫は交通遺児だった。両親の死後親戚をたらい回しにされ慰謝料や保険金を使い込まれ、金がなくなると施設に放り出された。

 親戚の家にいるとき後藤柚姫は何とか気に入られようと勉強や手伝いを頑張ったがそれが逆に実子に疎まれいじめられることになる。その結果彼女は次第に実力を隠して暮らすようになる。それは施設に入ってからも変わらなかった。しかし知識だけが自分を救う命綱だと信じて机に向かい図書館に通い続けていた。


『天人講』に来てからも後藤柚姫の処世術は変わらなかった。しかし『天人講』の集団生活では大人の手が足りず大家族のような互助が求められた。5人1組の班が割り当てられ行動に連帯責任を負わされた。後藤柚姫も班長として4人の子供たちの面倒を見ていた。彼女の班は虐待を受けていた子ばかりで自殺を図った女の子もその一人だった。

 自殺を図った女の子がいなくなったあと、『天人講』では幽霊騒ぎが起こった。夜中になるとすすり泣いて徘徊する幽霊がいるという子が何人も現れる。小さい子の中にはトイレに行けず漏らしてしまう子も出始める。

 後藤柚姫は手製のお札を作り、それを廊下に貼ってお経を唱え「道順を守って外れずに歩けば変なものには会わない」と言って安心させた。それでも不安がる子を彼女の部屋に集めて寝かせ厭わずトイレに付き添った。

 日之原金剛もその手際に多賀野ゆづの影を見て、後藤柚姫なら『天人講』を立て直せると期待するようになった。


 後藤柚姫の能力は分析力によるものといえる。目立たない立ち位置を選ぶには平凡を学び場のルールを察することが必要だったからだ。しかし彼女はいまその仮面を脱ぎ捨ててルールを作る側に立とうと決めた。自分が厳しい修行をこなしカリスマとなる一方で他の子供たちの負担を減らし待遇を少しづつ変えさせていく。

 日之原金剛に実力を認めさせ『天人講』をいつか自分たちが安心して暮らせる場所にしたい。自分ならそれが出来る、いややらなくちゃいけない。後藤柚姫はあの日そう心に誓ったのだ。


 一方でそんな後藤柚姫をよく思わない者もいた。それが木田村紹子きたむらしょうこだった。日之原金剛に夫の浮気を指摘され離婚した過去があり、その後『天人講』に傾倒し教職だったことを活かして幹部となった。しかし実態は日之原金剛の愛人であった。

 後藤柚姫が実力を着けていくにつれ、木田村紹子は自分の存在が薄れていくことを怖れた。そして彼女は自分の地位を向上させ、あわよくば『天人講』を手に入れられるかも知れない方法を思いつく。

 木田村紹子は祖父母に預けていた木田村恵きたむらめぐみを強引に引き取り、自分の娘こそが『天人講』の後継者にふさわしいと言い出したのだ。


 木田村恵と一緒に暮らす祖父母は離婚した両親を悪し様に言い続けた。それは不憫な彼女を守ろうとする気持ちから出た言葉だったが、木田村恵はそれを聞くうちに言葉の裏に世間の同情を買って自己満足に浸りたい祖父母自身の欲求があることに気づく。それをきっかけに彼女は自分に向けられる善意が必ずしもそれだけではない、この世を動かしているものは人の中にある欲と打算なのだという考えに至る。

 それ以来木田村恵は人を観察する目を持つようになる。同時に人が何を自分に望んでいるか、それをしてあげることで人は自分に何を返してくれるのかを考えるようになる。突き詰めれば自分の欲求を満たすには人をどう動かせばいいのかを。

 木田村恵は両親に捨てられたというトラウマがある。だが思えば彼らは自分の欲求に従って行動しただけなのだ。そしてそれを肯定するならば、自分が彼らに復讐することも当然肯定されるべきではないか。そしてそれを成すことだけが心の傷を癒せるのだと木田村恵は信じた。

 だから木田村紹子が嘘しかない笑顔で木田村恵に手を差し伸べたときも、彼女は迷わずその手を取った。満面の笑顔を返す裏で彼女は誓う。この女から全てを奪い破滅させてやるのだと。


『天人講』では木田村恵も後藤柚姫と同じ後継者候補として修行を受けることになった。後藤柚姫に一日の長があるものの木田村恵の修行もそれほど見劣りする成果ではなかった。日之原金剛も二人が競うことで修行の効果が増していることを喜んだ。

 一方で木田村恵は子供たちの中に自分の味方を増やしていく。修行や共同生活の厳しさにくじける子供をやさしく励まし、時には休ませて彼女がその分を負ってやった。

 だがそれは優しさに見せた甘やかしであり、子供たちに成功体験を通じて自主性を持たせたいと思う後藤柚姫と衝突することになる。表だった対立には至らないもののそれが子供たちの間に派閥を生んでいく。それすらも『天人講』を崩して奪うための木田村恵の計算なのだが。

 またそのころから後藤柚姫は不意に倦怠感に襲われる日があり、それが修行にも影響が出るようになる。それは木田村紹子が彼女の食事に密かに混ぜていた薬のせいなのだが、木田村恵はそれを知っても見ない振りをした。

 我が子のためとは言え後継者候補を害する行為をした。木田村紹子を追いつめる材料のひとつになると木田村恵は考えた。後藤柚姫のことはどうでもよかった。復讐の前には些末なことだった。

 半年後、後藤柚姫と木田村恵の後継者争いはほぼ横並びの状態となっていた。


 後継者候補が二人もいるというという状況は本来喜ばしいことであるが、日之原金剛はそれをまだ決めかねていた。そして思いあぐねた結果、修行の仕上げと称して山中で五穀断ちをして3日過ごすことを二人に命じた。

 しかし翌日から山に籠もるという晩に、木田村恵は日之原金剛のもとを訪れ「私は到底後藤柚姫には及びません。お役目は辞退させていただきます」と言った。

「ただ最後の修行はこのままやらせてください。競り勝って2代目に選ばれたということが彼女の自信に繋がるのですから」とも。

 木田村恵の心変わりに驚く日之原金剛だったが、その後はどうするという問いに彼女は「できることならこのまま天人講に置いて頂ければと。2代目を支えていきたいのです。いいえ、それでは自分の心に嘘をつくことになる。私はあなたのお役に立ちたいのです」と言って日之原金剛の肩にすがった。

 自身も過剰な演出かと思ったが、隣室で隠れて聞いていた木田村紹子には覿面の効果があった。木田村恵はそう感じ取った。そして彼女は木田村紹子がこのあとどういう行動に出るかも予想していた。


 翌日、2人を連れて山に入ったのは木田村紹子だった。それぞれのテントが設置してある丘で改めて修行の内容を説明し、1食分の食料と水、採取に使う小型のナイフなどをそれぞれに渡す。あとは自分で調達して3日間をここで過ごすのだ。

 だが後藤柚姫が背を向けたとき、その首筋にスタンガンが押し当てられる。訳が分からないまま地面に崩れ落ちる彼女が見たのは、憎々しげに顔をゆがめる木田村紹子だった。

「何てことはない。はじめからこうすればよかったのよ」そう言いながら彼女は次に木田村恵のほうを向いた。手の中のスタンガンがバチバチと音を立てる。

「急に何するの? やめてよ、お母さん!」

「下手な芝居はやめなさい。分かっているのよ、あなたが何をしようとしているのか」

 感情を押し殺すようにして彼女は木田村恵に言った。

「黙ってこのまま手駒になるか、プレッシャーに負けて相手を殺そうとして返り討ちにあったライバルか、好きな方を選ばせてあげるわ。私はどちらでも構わないのよ」


「彼女はどうする気? 彼女も殺すの?」

「後藤柚姫の能力は惜しいわ。それに2人いたほうが託宣の精度も上がるでしょう?」

 飼い殺しにしてせいぜい役に立ってもらいましょうか。そう言って笑う木田村紹子は悪人の顔を隠しもしない。

「あたしが協力すると信じてるの? 嫌だといったら……」

「そうはなりたくないでしょう? だったら分かるわよね。おとなしく私のものになりなさい」

「一度はあたしを捨てたくせに……どの口が言うのよ。馬鹿にしすぎでしょ」

「子が親に尽くすのは当然でしょう? 私がいなければあなたは生まれてこなかったんだから」

「親……親ねぇ。血がつながってるから親。年上だから大人。あなたはそんなくだらない常識にぶら下がってずっと生きてきたのね。そのまま年を取れば老人。人に先生と呼ばれるから教師。ああ、だったら捨てられた愛人はなんて呼べばいいのかしらね」

 木田村恵の思わぬ反撃に木田村紹子は逆上する。

「黙りなさい! 黙れ! 渡さない……あの人は私のものよ!」

「愛した人ももの扱いなのね。本当に救えない人……もういいわ。お母さんいい加減あなたの顔は忘れてしまいました。バイバイ」

 木田村恵は隠し持っていた銃で木田村紹子を撃った。その銃の音は意外に小さかった。銃声は3発。木田村紹子の胸や腹からは同じ数だけ血が滲んでいた。何をされたか理解できないまま前に踏み出そうとして、木田村紹子はその場に膝から崩れ落ちる。

 木田村恵は冷静に彼女の後ろに回り込むと、ナイフで胸を刺した。

「やっぱり復讐はこうじゃないとね。撃っただけじゃ達成感がなさ過ぎて。ああ、後のことは心配しないで。あなたのものはあたしのものだから」

 木田村恵が耳元でそう囁く声に木田村紹子も何か言おうとするが、その口は声が出ないまま力なく震えるばかりだった。

 そして木田村恵はようやく意識の外にあった後藤柚姫のいた方向を見る。しかし彼女の姿はそこには無かった。

「まあ当然逃げるわよね。じゃあ後のことは任せていい? 2代目さま」

 誰に聞かせるでもなく木田村恵は独り言ちた。


 後藤柚姫は倒れた状態のまま体の回復を待っていた。スタンガンの影響はすでにないが精神的ショックがまだ残っている。手足の動きを確認しながら木田村紹子を目で追う。反撃よりもどうやって逃げるかを考えるべきだろう。しかしそこから突然に木田村恵の復讐劇が始まった。

 木田村恵は隠していた小型のリボルバーを取り出し躊躇せず木田村紹子を撃った。構えがさまになっている。誰かに習ったのかもしれない。続けざまに3連射。いつもの癖で後藤柚姫は弾数を数えていた。リボルバーならあと2発か3発残っているはずだ。それは自分に使うぶんなのだろうかと考えると状況は少しもよくなっていないと分かる。

 へたり込む木田村紹子の後ろにまわりこみ木田村恵はナイフで彼女の胸を刺した。返り血を浴びないためだろうか。後藤柚姫は彼女の冷静さに恐怖を感じる。自分も淡々と殺すつもりなのだろうか?

 しかし今彼女の手にあるのは銃ではない。持ち替えるには時間がかかる。そして木田村恵は後藤柚姫に背中を向けたまま木田村紹子に何か話しかけている。逃げるなら今しかない。後藤柚姫はゆっくりと立ち上がり走り出した。


 山を下りたところに木田村紹子の車が置いてあった。鍵もつけたままだ。後藤柚姫は運転席に乗り込み車を発進させた。オートマならそれほど難しくない。庭で何度か乗ったことがある。それでも後ろを振り返る余裕はない。人が殺されているという事実。こうなった以上警察の手を借りる他はない。

 かつて後藤柚姫は天人講を自分たちの理想郷にしたいという夢を木田村恵に話したことがある。励まし合い手を取り合い笑った記憶もある。しかし後藤柚姫は今やその夢が崩れ去ったことを悟った。木田村恵にとって『天人講』は復讐のための舞台装置でしかなかったのだ。裏切られた悔しさが彼女の中にじわじわと広がっていく。


 警察に駆け込む前に後藤柚姫は交通違反と無免許で捕まった。事情を話し彼女はそのまま警察に保護されることになる。天人講には警察の捜査が入り、事件はマスコミが連日報道する騒ぎとなった。

 あのあと木田村恵の行方は杳として知れなかった。彼女の失踪と同時に『天人講』の本部で管理していた個人情報と金庫の現金300万円余りが消えていた。


 そして『天人講』はあっけなく瓦解した。日之原金剛こと雨尻英郷は逮捕され、幹部らも同様の扱いとなった。子供たちも再び施設に預けられることになったが、中には修行を続けたいと寺に引き取られる子もいた。

 後藤柚姫は警察が秘匿したこともあってマスコミに追われることは避けられたが、反対に『天人講』の情報を収集することもできなかった。彼女にとってそれは苦しくもあったが現実に立ち返るのには必要な時間といえた。

 雨尻英郷は少しでも罪を逃れようと後藤柚姫に命令されたのだと言って憚らない。その嘘を子供たちは真っ向から否定して彼女に感謝すらしてくれていると聞かされる。実際に手紙をくれた子もいた。そのことは後藤柚姫の中に新たな決意を生むきっかけとなる。

 所詮子供ひとりの力では何も変えられないという現実。だが理不尽な世の中を変えたい、人を救いたいという気持ちは捨てたくない。今は無理でもいつかそうなれるように生きていこう、きっとなってみせる。それが贖罪につながると信じて。


 事件が収束した頃、後藤柚姫は刑事に引き合わされた夫婦の養子となる。柚姫という名前は捨てなかった。彼女にとって過去は訣別するものではなかったからだ。

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