第二十告  西木千輝

 後藤柚姫と西木千輝は神社の東屋でお昼を食べた。近くのコンビニで買ったサンドイッチとアイスだ。最初はファミレスに行こうと思ったのだが、人の目のある所に行きたくない、怖いと西木千輝が泣き出してしまったのだ。学校で待ち合わせたのは少し性急だったかもしれない、後藤柚姫はそう心で西木千輝に詫びた。

「バイトしてるからあたしがおごるよ。柚姫の好きなもの買っていいからさ」

 コンビニでも後藤柚姫にお金を渡して西木千輝は店に入ろうとしなかった。学校でのことでかなりナーバスになっていた。トラウマの再発が気がかりだった。


 しかし食事を終えて二人で高台の東屋からぼんやりと雲を見つめていると、西木千輝が言った。

「負けないよ……絶対負けてなんかやらないんだから」

それはバスケの試合で彼女が口癖にしていた自分を励ます言葉だ。

 それを聞いて後藤柚姫は昔の西木千輝が戻ってきたと確信した。


 滝村涼香がいなくなったあと、後釜を狙う暮林夏凛たちの最初のターゲットにされたのも西木千輝だった。グループのムードメーカーだった一方で彼女らの挑発に乗りやすかったせいもある。

 言葉尻を捉えて揚げ足をとられ「落ち目のくせにまだいばっている」と言われたり、佐島鷹翔がいるのに他の男と遊んでいるといった噂を流された。むきになって反論すれば、それがさらに西木千輝を好奇の目にさらす結果になった。

 挙げ句に佐島鷹翔が大学にいけなくなり学校を辞めたのも西木千輝のせいなどとありもしない話をでっちあげられた。


 佐島鷹翔が消えたあと西木千輝は部屋に籠もりがちだった。父親には「どうせいつもの癇癪だ」と放置されていた。

 それでも母親は日に日にやつれていく姿を見かねて学校まで後藤柚姫に会いに来た。校門の前で声をかけられ「娘を助けてほしい」と頭を下げられた。初対面の母親は部屋に飾られていた写真を頼りに後藤柚姫を探していたのだと言った。電話番号を知らなかったためだ。

 後藤柚姫が西木千輝の家に行くのはこの時がはじめてだった。彼女がかたくなに家や家族の話をしなかったせいもある。

 家の寒々とした雰囲気も気になったが、何より部屋を訪ねたときの西木千輝の様子に後藤柚姫は愕然となった。彼女の名前を呼んでも一瞥をくれただけであとはただうつろな目で虚空を見つめ続けていた。


 一言でいうなら西木千輝はぬけがらだった。父親に殴られても抵抗する気もなく、母親がすがって泣くから死なないだけ、生きてそこにいるだけの存在だった。

 まず後藤柚姫は西木千輝を風呂に連れていった。彼女はされるがままだった。

 そして一緒にテーブルで昼食を摂った。促され西木千輝は自分で食事を口に運んだ。

 部屋に戻った西木千輝の第一声は「放っておいて」だった。その言葉を否定するように後藤柚姫は何も言わず彼女の手を握った。西木千輝はそこでようやく後藤柚姫の目を見た。暴力を振るう父親も娘の盾になろうとしない母親も許せなかったが、それよりも西木千輝を救うほうが先だ。そして彼女の盾になれるのは自分しかいないと後藤柚姫は思った。

 それから毎日後藤柚姫は西木千輝の家を訪れた。最初はただ西木千輝の話を聞いた。話すうちに途中で情緒不安定になり追い返された日もあった。しかしその甲斐あって西木千輝はようやく食事をきちんととるようになった。少しづつ彼女の心がほどけていくのを感じた。


 父親は普段から西木千輝を怒鳴りつけ頬を張りとばす男だった。客の顔色を窺う商売の鬱憤を、家族に当たり散らす暴君だった。母親はそれに唯々諾々と従うだけで庇ってはくれなかった。母親には西木千輝を連れて再婚した負い目があったし、父親の興味は死別した前妻との実子である兄にしか向けられていなかった。


 家で居場所のなかった西木千輝は学校や友達との付き合いに繋がりを求めた。特にチームスポーツの場でみんなに頼りにされることに喜びを感じるようになった。

 バスケを通じて滝村涼香と知り合い、プライベートも華やかな高校生活を送るようになった。滝村涼香と一緒にいることで自分のステータスまでもが上がったように感じた。兄と比べて嫌みを言ってくる父親の小言も減り、母親も笑っていることが多くなった。彼女にとって至福の時だった。


 しかしそれが崩れ去り人に遠ざけられるようになって、西木千輝はたとえようのない寂寥を味わっていた。家での雰囲気は再び重苦しいものとなり、それは兄が大学に通うため家を出てから更にひどくなった。厳しいだけで寄り添おうとしない父親と言葉の少ない母親の不安そうな視線がますます彼女を追い詰める。

(自分にはもう何もない。このままうつろな日々をただ過ごしていくだけなら……)

 孤独と絶望の中で西木千輝はそんなことまで考えたと後藤柚姫に話した。


「あたしにばっか喋らせないで柚姫のことも教えてよ」

 その日西木千輝が後藤柚姫に言った。彼女の意識がはじめて外に向いた瞬間だった。

 請われて後藤柚姫は自分のこれまでを彼女に話した。交通遺児だったこと。『天人講』での修行生活。そして裏切られ養女として引き取られ現在に至るまで。

「何よそれ……全然ハードじゃない! それなのに、それに比べたらあたしなんか……」

「別に不幸自慢したいわけじゃないのよ。千輝もきっとやり直せる。それだけ言いたかったの」

「うん……うん……」

「私ね、医者になろうと思ってるの。人を救う仕事に就きたいのよ。千輝にはそれを側で見ていて欲しい」

「もちろん! まあ、今は応援しかできないけど……あたしも頑張ってみる。ありがとう、柚姫」


 その後西木千輝は人と関わりの少ないバイトを探して少しづつを始めた。

 西木千輝は学校以外にも自分の生きる場所をみつけた。閉じた箱庭で人と押し合いながら窮屈に暮らさなくてもいいと分かったのだ……。


 東屋の中で西木千輝は後藤柚姫の手に自分の手を重ねて口に出して誓う。

「今度はあたしが柚姫の盾になる。絶対に守ってみせるから」

 暮林夏凛がこれからどう出てくるかは分からない。2学期になったときクラスに二人の居場所が無くなっているかもしれない。たしかに一緒に卒業したいという思いはある。しかしそれはもう最優先事項ではなくなった。


 あの日、後藤柚姫の夢を聞いたとき「あたしも何か見つけなくちゃ。先に進まなきゃね」と西木千輝は笑って見せた。

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