第十八告  天人講(破)

 雨尻英郷は多賀野ゆづを連れて近くの生涯学習センターを回り始める。そこで彼は多賀野ゆづを占いに凝っている親戚の娘と紹介した。

 彼女はそこで様々な相談を受け占いを通じたアドバイスをする。博覧強記に裏付けされた占いは次第に評判となって、時には裕福な社長夫人などからも相談が舞い込んだ。はじめは仕事の愚痴に近いものだったのだが、多賀野ゆづに会った日から何故か事態が好転し解決に繋がっていった。相手からの謝礼は有難く頂戴した。


 また多賀野ゆづは生涯学習センターに来ていた元教諭の女性に声をかける。恥をさらすようですがと前置きしながらも、自分の受験トラブルをカミングアウトしていつかは高卒認定を取り大学にも行ってみたいと話した。彼女は多賀野ゆづに深く同情し協力を申し出る。

 そこで雨尻英郷は「どうせなら寺を借りてみんなでやりませんか」と持ちかけた。

「都市部と田舎の教育格差に悩んでいる親は多いし、寺であれば地元の信用もある」

「私一人ではもったいない、どうかお願いします」

 多賀野ゆづがそう口説いたこともあり元教諭の女性はその提案を了承した。

 こうして雨尻英郷は私塾である『天人講』を開くことになった。


 数年後、多賀野ゆづは自分の言葉通り高卒の認定を取り大学にも合格した。

 多賀野宗平はそれを見届けて穏やかに旅立っていった。多賀野ゆづはこれまでの人生を書いた本を出し、それが宣伝となって『天人講』には希望者が殺到した。そのため新たに寺を借りて人も増やしていった。

『天人講』の代表者は校長を勤めた経験がある谷口益美たにぐちますみに変わっていた。そして大学生になった多賀野ゆづも塾で後輩に勉強を教えるようになる。特に彼女が作る学内テスト対策や模試の予想問題は的中率が高く、長期休暇には請われて合宿を行うほどの盛況振りを見せた。


 一方で多賀野ゆづは占いも続けていた。こちらは塾を離れた雨尻英郷が窓口になっていた。

 相談者は経営や取引のより具体的な助言を求めるようになり、それが他に漏れるのを嫌った。そのため多賀野ゆづは相談者を『天人講』を支えてくださる特別会員として扱うことにした。そして多賀野ゆづの占いは支援金を払ってでも彼らを満足させるものであった。それを取り次ぐ雨尻英郷の願望も十分満たされていた。

 また学習塾の『天人講』に入会を希望する子については、会員2名の推薦があれば優先的に対応すると多賀野ゆづが約束したこともあって、会員はさらに増えていった。


 しかし『天人講』は突然終わりを迎える。多賀野ゆづが海外で事故に遭い消息を絶ったのだ。

 だが彼女はこうした事態をも予見して準備していた節がある。まさに神がかりと言うべきだろうか。それに良くも悪くも『天人講』は多賀野ゆづの存在あってこそと自身が知っていたからだ。

 塾としての『天人講』は『ひのわ会』と名を変え、法人化し谷口益美に経営が委ねられた。そして特別会員だった人たちにはお礼を分配し『天人講』はきれいに終わるはずだった。だが雨尻英郷はそれをしなかった。


 金のこともあるが雨尻英郷は富裕層とのつながりを手放したくなかった。多忙な多賀野ゆづと彼らの間で取り次ぎをしているうちにいつからか賄賂を受け取るようになり、向けられる羨望の眼差しが自分に対してのものだと奢るようになった。

 雨尻英郷は「『天人講』はこれからも続いていく。初代様は道しるべを残しておられた」と宣言し、多賀野ゆづに後継者がいることを匂わせた。しかしはまだ人目にさらすには幼いため、しばらくは自分がその後見となり託宣を取り次ぐことになるとも言った。


 多賀野ゆづの予言はただの占いではなく、裏で調査と分析を行い積み上げた膨大なデータから導き出す推理によるものだった。占いはそれを伝える手段に過ぎない。雨尻英郷にはそのデータがあれば数年は持ちこたえられるという目算があった。その猶予期間の間に後継者を作り上げればいいと考えていた。

 雨尻英郷は新生『天人講』の教祖代理、日之原金剛となり廃校を買い取ってそこを本部とした。同時に孤児やネグレクトされた子供を預かり彼らに食事や教育を施す集団生活を始めた。その裏には優秀な子供を選んで教祖を作り上げる計画があった。


 当初は順調に思えた『天人講』の運営も次第に陰りを見せるようになる。扱うデータは同じでもそこから導かれる託宣は両者では全く違っていたからだ。

 多賀野ゆづの託宣は格言や引用を交え暗喩を含んだ表現で解釈に幅を持たせたものだった。相談者はそこから自分の中にある答えに自ずと気づくことになりそれが当人が満足する理由でもあった。そして相談者のお礼がリピートに繋がり新たな情報を産むという流れができていた。

 対して日之原金剛の言葉は断定的で表現に乏しく、言わば一方的な結論の押しつけに感じられるものであった。会話が成立しにくい状況では相談者の満足が得られず、直接的な個人情報の開示は不信感に変わっていった。それは自分を磨いてこなかった不徳のせいでもあるのだが彼が気づくことはなかった。

 日之原金剛は焦りから新たな情報ソースと相談の解決のため興信所やヤクザを頼るが、それは逆に彼らに付け込まれる隙となりさらに自分の首を絞める結果になる。

 繋がりをばらすと脅され金を搾り取られ、日之原金剛と『天人講』は少しづつだが確実に破滅へと追い込まれていく。


 その一方で日之原金剛は多賀野ゆづのカリスマ性にはやはり霊的な能力が裏にあったのではないかという考えに囚われ出す。

 そのせいで後を継いで教祖となる子供にもそうした修行が必要なのではないかと思うようになった。そして日之原金剛は子供たちに勉強や農作業ばかりでなく水垢離や読経などを日課に加えていく。

 だが遅々として成果の上がらない修行に日之原金剛は次第に苛立ちを見せるようになる。子供らにとって修行は全てが未体験のことで宗教もそれほど身近なものではなかったからだ。

 しかし寺生まれの日之原金剛は自分の経験を当たり前と思っていたため、そのことを理解できなかった。そして彼の独善的な考えに意見できる人間はこの組織にいなかった。


 あるとき食事の配膳中に女の子が転んで味噌汁を駄目にしてしまった。その子は『天人講』に来るまで虐待を受けていたことで体が弱く、普段の修行も休みがちだった。

 それを不満に感じていた日之原金剛はその子を強くしかりつけ、最後には「怠けている奴は死んだほうがいい」と言い捨てた。その言葉に女の子は「ここでもまた捨てられる」との恐怖から発作的に包丁を手に取り自分の首を切った。

 女の子は幹部の車で急いで病院に運ばれたがその途中で失血死してしまう。日之原金剛はその事実を隠蔽し「女の子は助かった。今は病院にいる」と子供たちに説明した。


 次の日一人の少女が日之原金剛のもとを訪れ「私が『天人講』の後継者になります」と告げる。それが後に後藤柚姫となる少女だった(ここではそのまま後藤柚姫とする)。


 女の子が首を切ったとき、他の子供たちの泣き叫ぶ声が響くなか後藤柚姫は止血を試みていた。そのとき彼女の腕の中にいる女の子の唇がかすかに「ごめんなさい」と動いた。それを見て後藤柚姫はこれ以上犠牲者を出させないと決心したのだった。

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