第十六告  天人講(序)

 かつて学校教育の衰退した現状を憂いた宇野川照信うのかわてるのぶが作った私塾に『才人舎』があった。

 自身も教育者であった彼に賛同した教職者とその孫子らが中心となり、田舎の廃校を借り受け集団生活を営む中で五常を身につけ心身を鍛えることを目標にした。当初は昭和の詰め込み教育の復活、懐古主義の押し売りと揶揄されたが、子供達が勉強やスポーツ、文芸など成績を上げ才能を開花させていくにつれ批判はなりを潜め評価は高まっていった。

 宇野川照信の死後才人舎は解散した。「種を蒔いて役目は終えた」との言葉どおり成人して塾生だった子供らが地方で同様の活動を育てていった。


 しかし日之原金剛ひのはらこんごうこと雨尻英郷あまじりえいごうの作った『天人講』は全くの別物だった。

 雨尻英郷は禅寺の三男だった。仏教の学校をようやく出たが何の才覚もなく、素行が悪いせいで僧にはなれなかった。親や知人の紹介で地方の生涯学習や塾で書道や写経、瞑想を指導して回っていたがそれも中途半端で長続きしなかった。


 その旅先で雨尻英郷は多賀野たかのゆづと出会う。安宿の隣室にいた多賀野宗平たかのそうへいの面倒を見たのきっかけだった。雨尻英郷に助けを求めにきた多賀野ゆづは彼の孫だと言った。

 多賀野ゆづの父は学習塾を経営していたが倒産して自殺していた。保証人だった多賀野宗平は借金を相殺するかわりにゆづを引き取ったらしい。多賀野宗平は若い時分にヤクザの世界に足を踏み入れたこともあり、今はその時の伝手を頼っての旅暮らしだったという。


 その後も多賀野宗平の回復は思わしくなく肺炎になりかけていた。しかし病院に行く金は無いため、多賀野ゆづは雨尻英郷を付き添いに頼み、知り合いのヤクザに会いに行った。そこで見舞いだと幾らかの金を渡されたが結局どこにも足りるものではない。

「当てがあるのでもう少し付き合って下さい」

 そう言ってゆづ彼女が次に向かったのは雀荘だった。多賀野宗平は麻雀で糊口をしのいでいたのだった。しかし多賀野ゆづが打つのは今日がはじめてだという。驚く雨尻英郷をよそに多賀野ゆづは席に座る。

「ボディガードだけお願いします。他に迷惑はかけませんから」

 そう言って勝負は始まった。


 相手は店の常連客たちで多賀野宗平には勝てずにいたらしい。丁度いい、今日こそリベンジだと息巻いて多賀野ゆづに圧をかけてくる姿を見て、雨尻英郷はどうやって逃げるかと考えていたのだったが、彼女は一勝負も落とさなかった。

 最初のリードを守っての逃げ切り、最後に微差での刺し返し。はじめは危ない勝ち方に見えたが、雨尻英郷はそれも多賀野ゆづの狙いだと気づく。格下が必死で逃げる、手が届くはずと思うから相手も血眼で追ってくるのだと。

 常連客たちも最後には手持ちの金のほとんどを吐き出し、多賀野ゆづはさっきの10倍近い金額の金を手にしていた。


 多賀野宗平を入院させたあと、病院の食堂で多賀野ゆづはお礼だと雨尻英郷に10万円を渡してきた。旅費込みだと言ったのはこれ以上関わらせたくないということなのだろう。

 しかしそのうちの半分を雨尻英郷は彼女に返して、

「まだ用心棒は必要だろう? じいさんが退院するまでは付き合ってやるよ」

 と言った。雨尻英郷にしてみればここで別れて指導員に戻るよりずっと稼げるという腹積もりもあった。

 しかし彼女は当分雀荘へは行かないと言った。荒稼ぎすると目立ちすぎて地元のヤクザに目を付けられ、悪くすれば街を追い出されることになるという。

「それにあの雀荘でしかあんなには勝てないと思うから」

 多賀野ゆづはそれが当然のように言った。麻雀で勝つにはトップを取ることが重要になるが、知らない相手と打つ場合のトップ率は3割、良くて5割だという。

 一方で雨尻英郷はまだ年若い彼女が普段から確率を使いこなし大人と変わらない感覚を持っていることに驚いていた。


「それでも勿体ねえな。じゃああそこでは何であんなに勝てたんだよ」 

 雨尻英郷の疑問に多賀野ゆづは観察と誘導だと答えた。

「あの人たちにはかなり分かりやすいキズがあるから」

 キズというのはギャンブルにおいて欠点となる癖のことだ。ツモに力が入ったり牌の絵柄の上下を直したり鳴くために動作が一瞬止まったりする。

 多賀野ゆづは多賀野宗平が打つ後ろでそれを覚えていた。そうしたキズと捨牌とを合わせると、彼女には相手の狙っている役や手の進み具合などが透けて見えるのだという。

「だから相手をこちらの思惑どおりに誘導するのはそんなに難しくない」

 相手が必要な牌を絞ったり逆に鳴かせたり、別の安い手に振り込んで大きいアガりを回避したりする。加えて逡巡したりわずかな目の動きでも場をコントロールできるという。


「それにあそこの牌にはおじいちゃんがいくつか印をつけていたから」

 イカサマの一種だが牌に傷や汚れなど目印がつけてあったらしくそれを狙い撃ちしたという。

 種明かしを聞けば納得もするがそれはどれも簡単なことではない。子供相手に大人3人が手玉に取られているという現実。雨尻英郷にしてみれば多賀野ゆづの能力はサトリを思わせるくらいに妖怪じみている。

「すげえよ。おまえ……本当に人間かよ」


 むかしの多賀野ゆづは友達が少なかったという。

 学習塾を経営していた父親は多忙で彼女の成績以外は無関心だった。

 専業主婦だった母親はママ友グループの序列だけを気にしており、娘の事も自分のステータスを飾るアクセサリーとしか考えていなかった。

 学校で怪我をさせられたなどと聞くと「娘の成績が下がったらどうしてくれる!」とグループで家に押しかけ相手に土下座させる事があったが、これも彼女のためではなく自分の持ち物に傷をつけられた心理からである。

 そういったせいもあって多賀野ゆづは友達から敬遠されがちで一層勉強に逃げ込んでいった。


 その一方で多賀野ゆづはクラスの友達を観察する。誕生日、血液型、癖や趣味、友達同士の相性などを綿密にデータベース化していった。ただそれらを殊更ひけらかすようなことはしなかった。あくまでこれ以上仲間外れにされないための防衛手段だった。

 多賀野ゆづの観察は面倒ごとを避けるための行動だったが、それらの情報は自分を守る以外に武器にもなることを知る。友達の誕生日にさりげなく欲しい物をあげたり、相談に乗ったりしているうちにみんなに頼りにされるようになっていった。


 そして多賀野ゆづはさらに観察の幅を広げる。対象は他のクラス、教師にも及んだ。新聞や地元情報誌まで目を通した。

 同時に彼女は占いを使って情報を直接ではなく婉曲に伝える方法を覚えた。基本的には収集した個人情報をもとに組み立てたストーリーなのだが相手は良いように解釈してくれるし、欠けている情報を聞きだして補完するのにも重宝した。

 じゃんけんで10人抜きしたりテストのヤマが当たったり、ゲリラ豪雨に傘を持ってきていたりするとからかい半分で神がかっているなどと言われるようになった。 


 しかし多賀野ゆづのそんな努力を一瞬で台無しにする事件が起こる。

 有名私立高校を受験するための彼女の願書をボスママが娘のものとすり替えて送っていたのだ。ボスママに「自分の娘も受験するから、参考にしたいので貸して欲しい。出すのは娘のと一緒に私がやっておいてあげるから」と言われた母親が渡してしまったのだ。

 ボスママの娘も多賀野ゆづと同じ特進クラスの塾に親の見栄で通わされていたが、成績は今ひとつで合格は難しいと見られていた。引っ込みが付かなくなったボスママの猿知恵だったのだろうが、当然ながらそのトリックは露見して願書は取り消され、図らずも替え玉受験の当事者となった多賀野ゆづは白い目で見られることになり公立高校の受験すらも絶望的となる。

 多賀野ゆづの両親がボスママを訴えようとすると、ボスママは「そんなものは知らない。ウチの格をダシにして箔をつけようとしてそちらが勝手にやったのだろう。こっちこそいい迷惑だ」などと被害者面で言う始末だった。


 父親の学習塾も評判が地に落ちて閉めざるを得なくなり、母親は離婚することになった。 離婚後、多賀野ゆづと父親は街を離れ保証人になっていた祖父の多賀野宗平を頼った。

 元々父親はその日暮らしで粗野な多賀野宗平を嫌っていたが背に腹は代えられなかった。父親が学習塾を開いたのもその反動があったのかも知れない。貧乏な中でアルバイトで金を作って塾に通い苦労して大学に入り教師を目指していた。

 一人暮らしだった多賀野宗平は何も聞かず親子を受け入れ、3人での暮らしが始まった。


 その後、多賀野ゆづの母親がボスママの家の前で自殺する事件が起こる。灯油を被り凍死していたのだ。手にライターを握っていたため放火の疑いもあった。

 彼女は前の晩にボスママの家を訪れ改めて事件の謝罪を求めたが、反対に口汚く罵られ警察を呼ぶと脅され追い返されていた。深夜になって彼女は近くの公園で灯油を被り、ずぶ濡れのままボスママの家に再び向かった。理解に苦しむところだが彼女の復讐劇には必要なことだったのだろう。だが惜しむらくは気化熱で体温が奪われそのまま凍死してしまう結果になったことだ。


 逆上したボスママは放火殺人未遂だと多賀野ゆづの父親を訴えた。離婚している以上関係ないと突っぱねたがそれも偽装だろうと言われてしまう。追いつめられ精神を病んだ彼も海岸で死体となって発見される。

 彼の生命保険からボスママに和解金が支払われることで事件は一応決着した。

 そして多賀野ゆづは多賀野宗平と街を離れることになる。


 ……後日、ボスママの庭先で灯油の入ったペットボトルが見つかる。

 そのペットボトルは捨ててもいつの間にか庭に置かれ、しかも少しづつ玄関に近づいてくる。ついに玄関にペットボトルが置かれたときにはボスママは気も狂わんばかりだったが、それ以上ペットボトルが置かれることはなかった。


 ……しかしそれからボスママはふいに灯油の匂いを家の中で嗅ぐようになる。その頻度はだんだん上がっていき、ついには外でも匂いを感じるようになった。

 そのせいでボスママは強い香水をつけるようになりPTAやレストランで顰蹙を買うようになる。夫とも口論が絶えなくなり、ついには離婚する羽目になった。


 ……さらに数年後、ボスママは安アパートで死んでいるのを発見される。酒に酔って風呂で溺れたのだ。

 そしてその部屋からは夏なのに強く灯油の匂いがしたという。


 多賀野ゆづの話を聞いて雨尻英郷は彼女を利用できないかと考えていた。

 悪意に翻弄されたこれまでの人生を淡々と話す姿に薄気味の悪さを感じてはいたが、ここで彼女と別れてまた泥水をすするような生活に戻ることは考えたくなかった。

 雨尻英郷もまた自分のこれまでの人生を話し、金を稼ぎたい、人にかしづかれて暮らしてみたいとあけすけに自分の願望を語った。

 意外にも多賀野ゆづは否定することなくその話を聞いた。そればかりかそんな荒削りな未来展望に枝葉を付け血を通わせるためのアドバイスをし始めた。

「ちょっと待ってくれ。それを俺ひとりでやれって言うのかよ」

「無理なことは言ってないはずだけど」

「そう言ってくれるなよ。俺と一緒に来てくれ。頼む」

 雨尻英郷が頭を下げる。数瞬おいて多賀野ゆづはその話を受けた。


 この日『天人講』は産声をあげた。

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