第十五告  対峙

 夏休みの3日前。放課後に後藤柚姫は映像研の部室を訪れた。夕暮れに染まる部屋で清水郁己が彼女を待っていた。

「わざわざ呼び出してごめん。よかったら飲んで」

 清水は笑いながらそう言うとペットボトルのお茶を勧めた。2本のうち片方を後藤柚姫が選んだあと、もう一方を清水が手に取った。彼が自分の椅子に座るのを見て、柚姫も空いた椅子に座る。

「へえ……意外と片付いてるのね」

 後藤柚姫が部室を見回してつぶやく。お茶は開けず手に持ったままだ。

「生徒会の見回りがあるからね。あやしい部活って偏見もあるし」

 こういう所でいかがわしい映像を見ているとか、不良学生のたまり場になっていることとかを考えているのだろう。清水からはそういう雰囲気を感じないが、柚姫としては彼の持つ別の胡乱さが気になった。それが呼び出しに応じた理由だ。

「本当に偏見だけかしら? あやしいことって言っても色々あるわよね」

「君にまでそう思われてるとは心外だね。例えば?」

「書き込みを煽って掲示板を炎上させるとか、犯罪をほのめかすサイトを覗くとか。他にも……そうね、を広めるとか」


 部屋の空気が変わる。清水郁己は笑っているが、その変化のない表情が仮面のようにも見えてくる。後藤柚姫は自分の直感が正しかったことを知る。

「……単刀直入だね。もう少し会話を楽しむとかしたらいいのに」

「そういう性格なの。それにそうも言ってられないでしょ。大体どう始末をつけるつもりでいるの?」

「僕が何を? ……って、もう君には通じないか」

「ええ。Usher Dollman……芦屋道満あしやどうまんのもじりなのね。もう少しひねったら? 清水君」


「ちょっと答え合わせさせてほしいな。どこで気がついた?」

「まず見せられた動画だけど、あれ編集前のやつよね? そこからおかしいでしょう」

 あのあと後藤柚姫が見つけた動画はどれも少年が椅子に座ったところから始まっていて、バットに血を吐くところで終わっていた。

「流してすぐに気がついたんだけどね。探す時間がなかったからなんだけど……ふふっ、やっぱり手抜きは駄目だな」

 清水郁巳はいたずらがバレた子供のように頭をかく。

「それにあれは清水君、あなたでしょう? だから動画の中では誰も死んでいない」

「そこも分かるんだ。かなわないな」

「本当だったらああはならないって知ってるだけよ。一発撮りで失敗しないようにでしょうけど、カメラは3台以上用意してたんでしょう? 明かりの位置も計算づくだし映像研の面目躍如ってところかしら」

 後藤柚姫はさながら探偵のように清水郁巳を追いつめていく。


「警察の目もあるし本物のスナッフビデオはまずいからね。だけどさすがは『天人講』の生き残り、僕が侮っていたよ」

 清水郁巳の言葉に今度は後藤柚姫が顔色を変える。

「清水君、あなた一体どこまで調べて……」

「蛇の道は蛇というだろう? それに手の内全部は見せられないよ。お互い様だろ」

 柚姫の質問に清水は答えない。笑顔という仮面を被ったままだ。

「……まあ今はそれはいいわ。でももうバレたんだし【シニコク】の呪いを解いてもらえないかしら」

「それは難しい相談だな。前にも言ったけど呪っているのは僕じゃないし、もう僕の手を離れてひとり歩きしてしまったからね」

「そんな! あなたが作った呪いでしょう? 無責任すぎるわ」

「責任を取れというなら嘘告をした人間が先じゃないか?」

「それはそうだけど……こんなやり方、残酷よ。許されることじゃないわ」

「善悪や正邪を決めるのは誰なんだ? 法律? 警察? 先生? 親?」

「ふざけないで! やりすぎだって言っているの」

「もう謝れば済む話じゃない。その謝罪すらしてないだろ? 優秀でカースト上位の自分たちなら何をしても許されると思ってる。学校はムラ社会の縮図だからね。

 都合のいい差別を作り出しておきながらひっくり返されると途端にずるいとか卑怯だとか言い出す。笑わせてくれるよ、全く」


「学校は牢名主が幅を利かせる小伝馬町の牢屋と何も変わらない。弱肉強食の戦国時代のほうが秀吉になれるだけまだましだ。

 自分と取り巻きだけでいいポジションを独占したくて他人の足をひっぱる。外面がいいから大人も口を出さないし、自分も楽をしたいから仕切り役を丸投げする。

 自分の利益のために人のアイデアや成果を盗んで流行を取り入れたとかオマージュだとか自分のほうがふさわしいだとか平気で言ってのける。それで自分を大事にしすぎて中から腐っていくことに気付かないのは皮肉としか言いようがないけどね」

「それには同意するけど関係ないでしょう? 学校や教育の問題は今に始まったことじゃないし」

 ようやく後藤柚姫が話を戻そうと口をはさむ。

「ああ、君には釈迦に説法だったね。結局僕が言いたいのは何も相手の土俵で真っ向から戦う必要はないってことだよ。スポーツじゃないんだから。使えるなら銃でも毒でも、それが呪いでも使ったらいい」

「だからってそれを許せると思う? 【シニコク】の呪いにかかった人間は差別されてまともに生きていけなくなる。それにパニックで魔女狩りが起こるわよ」

「それこそ因果応報ってやつだろう? そもそも嘘告なんてしなければいいんだし、したことを相手に誠心誠意謝って許してもらえばいい。手遅れになる前にね」

「でも呪われたら終わりよね」

「それでも死ぬわけじゃない。それに【シニコク】はやっぱり必要なことなんだよ。君は嘘告が世界を歪めていることに気付かないかい?」


「五行思想でいうところの土剋水だよ。土が水を抑さえている。これが通常だとすれば反対の水剋土はバランスが崩れて大雨や水害が起こっている状態だ」

「それが嘘告と何の関係があるのよ?」

「嘘告は因果を逆行させるんだ。好きな人がいるから告白する。それが失敗したとき嘘だと言って相手を貶めて自分が勝ったようにふるまう。転じて相手を貶めて自分が優越感に浸るために嘘告をする。目的と手段が逆になってる。学校も同じだよ。将来の目標のために勉強するんじゃなくて、どんな将来が来てもいいように勉強する。本末転倒だ」

「また脱線しているわよ。前の人生は先生だったの?」

 後藤柚姫の指摘にまた清水郁巳が頭をかく。

「ああ、そうなのかもね。いずれ小さな悪意でも積み重なれば人は人を信じられなくなり、それがやがて世界を腐らせ狂わせていく。そういう事だよ」

「そんなの妄想でしょう? 世界が狂うなんて話が大きすぎるわ」

 清水郁巳の話をくだらないと笑うことはできる。しかし呪われるという現実がある以上、簡単に切り捨てることはできない。


「そうかな。友人と賭けた一杯のビールの方が国の命運を賭けた国民投票より重い国があったり、祝宴で酒を持ち寄って大樽に入れたはずが自分だけ得をしようとした結果、全員が水っぽい酒を飲む羽目になる昔話もある。僕たちも日本という同じ船に乗っているなら、沈まないために危機感を共有する必要があると僕は思うんだけどね」

「そのための【シニコク】だっていうの? だとしても悪いことをした人間を締め出してしまえばそれでおしまいって訳にはいかないでしょう?」

「だったら君はどうしたい? ただし呪いは止められないよ」

「私は……救える人がいるなら救いたい。3人が友達だからというだけじゃなくて」

「聖人だね。それが君の過去の罪滅ぼしになるとでも?」

「それは! ……ええ、そうね。そう思ってもらっても構わないわ」


「……最初は鎌田久留美の自殺だった。それが柊修二の自殺を経て呪いが膨れあがっていくのはまるで蟲毒だったよ」

 清水郁己が後藤柚姫にシニコクのはじまりを話し出す。

 鎌田久留美の死後、柊修二は彼女の自殺の裏に滝村涼香たちの嘘告があったことを知る。そして偶然手に入れたビデオを真似て柊修二は自殺動画を撮ったのだという。

「それは自殺する自分の様子を固定カメラで撮った映像だったよ。ビデオは僕が回収したけど駆けつけたときには柊はもう死んでいた。あのシニコク動画は柊の自殺動画をもとに僕が作ったものだよ」

「何でそんなもの作ったのよ。放っておけばよかったでしょう?」

「本当ならばそれでよかったんだけどね。柊の自殺は姉の柊真琴ひいらぎまことの交通事故死、その友達の坂井緋沙枝さかいひさえの自殺未遂を呼ぶ因果になった。そして放っておけば呪いの被害者はもっと増えていくと思った」

「そんなの偶然でしょ? ありえないわ」

「そのあり得ないことを引き起こすのが怨念だよ。自殺の名所や魔の交差点は偶然だけの産物じゃない。首吊り自殺しようと入った山の中で別の首吊り死体を見つけるなんてこともよくある話だ」

「そういう笑えないジョークはやめてくれる?」

 後藤柚姫はにこりともせずため息をつく。清水郁己は大げさに肩をすくめ話を続ける。


「聞いていると死にたくなる音楽や見ることで死を呼び寄せる絵は存在するよ。サブリミナル効果や啓発ポスターなんかはその一例だ」

「そこに込められた強烈な感情に同調した人間が引きずられ行動する。つまりは催眠や洗脳ね」

「そういう事。それが独裁政治や戦争にもつながっていく。君の嫌いなカルトとかね」

「わざと言ってるの? そんな挑発には乗らないから時間の無駄よ」

 そう言って後藤柚姫は目を細めた。その手の悪意は何度も経験済みだ。決して馴れることはないが。

「そんなつもりじゃなかったんだけどね……ごめん、謝るよ」


「……鎌田久留美や柊修二の自殺、それにつらなる人間の不審死、その原因を知ろうとした人間もまた無意識に死に向かう。そういう悪循環が生まれるのだけは回避したかった」

 そこで清水郁己は間を取るように一口お茶を飲んだ。後藤柚姫は飲まなかった。

「柊の呪いは未完成だったけど、だからこそ余計に危険なものだった。二人の怨念が混ざり合ってしまっていて解くことは不可能。そして呪いの対象は無差別。通り魔殺人と一緒だよ。しかも姿は見えないから余計にたちが悪い。

 だから得体の知れない怨念に【シニコク】という名前をつけて世の中に認知させ、対象を嘘告に絞りこんで別の罰を与えることで死ぬことから逸らした。これが僕にできる精一杯だったよ」


「なるほどね。でも悲観して自殺する人も出てくるわ。どうするつもり?」

「それも考えたさ。だけど僕がしたいのは人助けじゃない。傾いた世界を元に戻すことだからね」

「譲る気はないのね。そのための多少の犠牲はやむを得ないって言いたいの?」

「そもそもの原因を作ったのは自分たちだろう? そこを忘れて今苦しいから何とかしろなんて虫が良すぎじゃないのかい?」

「黙って見てろってことね。……はあ、芦屋道満を名乗るだけあって性格が悪いわ」

「だったら君が安倍晴明あべのせいめいの役をやればいい。ただ性急に動くのは危険すぎる。もう少し時期を見たほうがいい」

「それはあなたの見立てでどれくらいなの? 嘘告をした人間は後ろ指をさされて一生日陰で暮らすことになるわ」

「そうはならないと思うよ。この国は良くも悪くも寛容だからね。デキ婚が授かり婚と言い換えられて元不良がチョイ悪オヤジとかもてはやされるくらいだ」

「だからって【シニコク】はハンデには重すぎるでしょう?」

「……君は優しすぎる。そもそも僕は彼らに真っ当に努力してる人間と同じスタートラインに立てると思ってほしくないんだ。何度も言うけど、嘘は人を傷つける凶器で世界を腐らせる毒なんだよ! 嘘も方便? 詭弁だね。謝るより先に言い訳が口に出る。反省するより人を貶めるほうが簡単だ。情が義を退け信が疑に汚される。そんな世界は一度壊したほうがいっそ楽でいい! ……君なら分かるだろう、『二代目』様。そのための『天人講』だったんだろう?」

「言われなくても、そんなこと言われなくても……分かるわよ!」

 清水郁己の挑発に後藤柚姫が思わず叫ぶ。


 清水郁己は後藤柚姫の感情がおさまるのを静かに待った。そしてゆっくりと椅子から立ち上がる。

「さてと、もういいんじゃないかな。まあ何も変わらないんだけどね」

「待って、私はまだ……」

 後藤柚姫も立とうとするが何故か立ち上がれない。体が反応してくれない。

「何よこれ? どうなってるの」

「内容次第ではどうなるか分からなかったからね。をかけさせてもらったよ。君はお茶のほうを気にしていたようだったけどね」

 陰陽師の末裔、Usher Dollmanを名乗る以上このくらいはできて当然なのだろう。


 後藤柚姫は横を通り過ぎる清水郁己の袖を掴もうとする。逆に清水は持っていた封筒を柚姫の手に渡した。

「これを君にあげるよ。大丈夫、今となってはただの抜け殻だ。どうするかは任せるよ。忘れないことも忘れてあげることもやさしさに違いはないからね」

「……結局、私たちは相容れない敵どうしってことなの?」

「それを決めるのは僕じゃない。善と悪、勝者と敗者、世の中はそんな単純にはできていないだろう? ……ああそれと、呪いだけが人の悪意じゃないからね。分かっているとは思うけど一応忠告しておくよ」

 言い残して清水郁己は部室を出て行った。


 手渡された封筒には写真が入っていた。それは去年の文化祭で撮ったもので、後藤柚姫が撮影したものだったからよく覚えていた。ただ本当ならそれは4人で撮ったもののはずだったが、両端にいた鎌田久留美と佐島鷹翔は切り取られ滝川涼香と西木千輝だけになっていた。そしてその写真の2人の顔は赤く塗られカッターで何度も切りつけられぐちゃぐちゃになっていた。


 下校を促すチャイムを聞いて後藤柚姫は動けるようになった。気がつくと部室だと思っていたのは別の空き教室だった。



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