第十四告  佐島鷹翔

 夏休みも2週目に入って、グラウンドからは今日も部活に汗を流す生徒たちの声が聞こえてくる。

 この日、午後になって佐島鷹翔に呼ばれた西木千輝は屋上に上がって来た。声をかけると鷹翔は「おお」と返事をして振り返った。彼は千輝に呼ばれるまでフェンス越しに野球部の様子をぼんやりと見ていた。

「どうしたの、鷹翔? 練習に出なくていいの?」

 大学でも野球を続ける佐島鷹翔は夏休み中も部活に参加してトレーニングを続けていた。だから普段ならここにいるのはあり得ないことだった。西木千輝はここに来るまでのあいだ、自分の中にじわじわと広がる嫌な予感が拭えなかった。

(何も心配ない。鷹翔はあたしとずっといてくれる。大丈夫、きっと……)

 この数日で生活が一変してしまった西木千輝はすがるような目で佐島鷹翔を見つめる。しかし鷹翔の口から出た言葉に千輝は思わず息を呑む。

「俺よ、学校辞めることにしたんだわ。千輝には最後に言っとこうと思ってな」


 学校を辞める。そう口にした佐島鷹翔の顔には何の感慨も見えなかった。

「えっ、何で? 大学行くんでしょ? 野球はどうするの?」

「推薦が駄目になったらしい。一般入試で頑張ってくれだとさ。そんな頭あるわけねぇだろ。野球漬けだったんだから」

 そう言って鷹翔は力なく笑った。

「そんな……むこうから誘ってきたのに?」

 元々は野球の実績を見込まれてOBから持ち込まれた話だった。校長も乗り気で推薦状を書いたし、鷹翔の家でも寄付や接待などで少なくない金を大学に使っていた。

「親父は半分ヤクザみたいなところがあるからよ。事務所に正座させられて説教だよ。さんざん好きなことをやらせてやったのに恩知らずだ穀潰しだとか言われてさ」

 佐島鷹翔の父親は佐島興業という土建屋の社長だった。いわゆる成り上がりでメンツや外聞にこだわる人間だ。

「俺も最初は我慢してたんだけどよ。こんなもの宝の持ち腐れだって事務所に飾ってた模造刀で肩を切りつけられたとき、さすがに俺もキレて親父を突き飛ばしちまったんだ。そしたら丁度窓があって2階から落ちて重傷だってさ。今も入院してるよ」

 そのせいで家にも居られなくなったのだという。


「まあ……そんなことはどうでもいいんだよ。俺が千輝に聞きたいのは久留美のことだ」

「えっ?」

「久留美が自殺したんだってよ。知らねぇか? あのあとお前ら久留美に何かしたのかよ」 


 推薦を取り消しが届いたその日、鷹翔はスカウトの大学OBと接触した。そこでOBはその理由を渋々ながら答えた。

 佐島鷹翔がいじめをしていたという匿名の手紙が大学に届き、【シニコク】の呪いの噂もそこに書かれていたのだという。中には赤い影の証拠写真も同封するという念の入れようだった。そして大学は佐島鷹翔を受け入れることは難しいと結論を下した。噂の真偽はともかく、プロ志望の佐島鷹翔がマスコミに注目されたときのことを考えると、もし佐島が中傷の的にされたとき大学のイメージを損なうことになるとの声があったためだ。

 それと同時に大学は鎌田久留美のことも調べていた。そして佐島鷹翔はそこではじめて彼女が自殺していたことを知る。

「罰が当たったんだと思ったよ。嘘告が久留美をそんなに追い詰めてたなんてよ」

「自殺? ……何でそんな」

 西木千輝も知らなかった。彼女がLINEのグループを退会したことですでに興味を失くしていたからだ。

 佐島鷹翔がやり場のない怒りをフェンスにぶつける。

「俺を嫌うならいくら嫌っても構わねぇよ。だけど……死んじまったら元も子もねぇだろうがよ、久留美よぉ!」


「そんなの……鷹翔が気にすることじゃないよ。迷惑してたんでしょ? 嫌いだったんでしょ?」

 西木千輝のその言葉は慰めにも擁護にもなっていない中途半端なものだ。

「は? そんなわけあるかよ……確かに俺は久留美を遠ざけようとしたよ。それもあいつがこんな野球バカといつまでも一緒にいたら駄目になると思ったからだよ」

「えっ? 何よそれ」

「いや違うな……俺はあいつの一途さが怖くて逃げてたんだ。俺が久留美にしてやれることなんか何もないって理由をつけて……それなのに高校まで追っかけて来るなんて……だけど無理してボロボロになってく久留美を俺は見ちゃいられなかった。だからこっぴどく振って諦めさせようと……お前らの嘘告に乗ったんだよ!」

 そう言って佐島鷹翔は大きく息を吐いた。こぼれる涙を拭こうともしなかった。


「何でよ? そんなこと全然言って……言ってなかったじゃない! だから……だから、あたしは……」

「だから? だからどうしたんだよ? なあ、あのあとお前ら久留美に何かしたんだろ? そうじゃなきゃ自殺なんて説明つかねぇんだよ!」

 佐島鷹翔が西木千輝の両肩をつかんで大きく揺さぶる。

「きゃっ、ちょっと乱暴しないでよ! 話す、話すから!」

 鎌田久留美の転校を知った日、滝村涼香はあの嘘告動画をLINEで鎌田久留美に送った。「また会いましょうね。コレ見て元気出して」とメッセージを添えて。

 西木千輝も「鷹翔にはあたしのほうがお似合いだから」と書いた。それに対して鎌田久留美は「ひどいよ」と返したきりグループを退会してしまった。その時は何にも思わず「マジレスしてきた。ウケる~」などと2人で笑い合っていたのだった。


 佐島鷹翔の手が力なく西木千輝を離れる。そのまま踵を返し、無言のまま昇降口に歩いて行く。

「ま、待って! その……ごめん、こんなことになるなんて思ってなかった」

 西木千輝は彼を呼び止めはしたがそれだけ言うのが精一杯だった。

「もういいよ……お前のことは好きでも嫌いでもなかったけど……よく分かったよ。はっきり言って最悪だよ、お前ら! ……でも俺も同罪だな。それに野球のできなくなった俺にはもう興味なんてないだろ?」

「えっ? 野球ができない、って」

「肩が……日常生活には問題無いって言われてるけど、もう元には戻らないらしくてな。……じゃあもう行くわ。どこかで会っても声かけんなよ」

 佐島鷹翔はそのまま振り返りもせずドアの向こうに消えた。


 西木千輝は突きつけられた拒絶に佐島鷹翔を追いかけることができなかった。

「いや……こんなの嫌だよ! 何で? 何でこうなっちゃったの? あ、あたしは、ただ鷹翔と……」

 今度は西木千輝がフェンスに悲しみをぶつける番だった。すすり泣く彼女をよそにグラウンドからは変わらず部活の声が届いていた。


 数日後、佐島鷹翔は鎌田久留美の家を訪ねた。何もかも遅いと分かっていたが、せめて庭先でもいいから彼女に手をついて謝りたかった。

 しかし鎌田久留美の母、恵以子えいこは鷹翔を家に上げ、仏壇の前に案内してくれた。今はこの家に恵以子だけが住んでいるらしい。佐島鷹翔は久留美が母子家庭だったことも知らなかった。

 焼香のあと、居間で佐島鷹翔は土下座して自分のあさはかさを懺悔した。そして野球を捨ててこれから街を出て一人で暮らしていくことも話した。傍らには身の回りのものを詰め込んだリュックがある。

「あなたはここに来て手を合わせてくれた。それでもう十分よ。それにあの子が好きだった人をこれ以上どうにかしたなんていったら、私もあの子に恨まれてしまうわ」

 大きな体を縮こまらせた佐島鷹翔の謝罪を鎌田恵以子は受け入れた。


 去り際に玄関で鷹翔は恵以子に写真を手渡された。それは去年の文化祭で撮ったもので鷹翔もよく覚えていた。ただ本当ならそれは間に滝川涼香と西木千輝が挟まって4人で撮ったもののはずだったが、その写真は切り貼りされ両端にいたはずの久留美と鷹翔がフォトスタンドの中で並んでいた。

「そんなことでもあの子、あなたの側にいたかったのよ。分かってあげてね」

 そう言って鎌田恵以子は涙をこぼした。佐島鷹翔は礼を言ってその写真をリュックに入れた。


「世の中悪いことばかりじゃないわ。まだ若いんだから頑張りなさい」

 玄関先で改めて詫びを口にすると鎌田恵以子は肩に手を置いて佐島鷹翔を励ました。

 駅へ歩きながら一度振り返ると、玄関にまだ鎌田恵以子がいて手を振ってくれた。その腕にはまだ新しい包帯が巻かれていてぼうっとして転んでしまったのだと彼女は言っていたが、そこにうっすらと血が滲んでいたのを佐島鷹翔は思い出した。

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